下心 長かったような短かったような激動の日々は終わりを告げ、今オレは新たな主君ダイ様に仕える形でパプニカの国に居を構えている。
国といっても城からはそれなりに距離があり、街とも離れている、所謂僻地に家を建ててもらった。
今は別の国に住む友にして我が想い人は、この国に来ることを出来る限り避けている。しかし、己を尋ねることくらいは許されてもいいだろう、その期待を持って不便も厭わずこの人里離れた場所を選んだ。
別に今すぐにでなくていい、どこかでオレを思い出し、会いたいと願ってくれれば。自分にこんな殊勝な願いが生まれたことに驚きつつも、そのいつかを思い描きながら日々は過ぎていった。
そして、それぞれの新しい生活がようやく落ち着きを見せてきた頃、一通の手紙が届いた。ヒュンケルからだ。
思っていたよりもずっと早いが、待ち望んでいた再会を願う便りだった。友に訪問を希望する内容としては些か堅い文章だが、いっそ彼らしくて思わず笑みが零れる。
一刻も早く返事を出さなくては、と筆を取り諾の旨を書きしたためる。
数日後にはこの家に想い人が来る。こんなに早くこの日が訪れるとは、もしかすると向こうも憎からず想ってくれているのではないかと夢想するが、相手はあのヒュンケルだ。こちらが妙な下心を持っても肩透かしに終わるだけであろう。あくまで無二の親友が来るものとして歓迎せねば。
とはいえアイツのことだ、少しくらい豪勢に出迎えても友としてのもてなしとしか思わないだろうから、いっそ派手にやってやろう。
訪問の日を逆算しながら計画を立てるだけで心が浮き立つのを感じながら、書き上がった手紙を出すべく街へと向かった。
そうこうしているうちに訪問の日は訪れ、オレは柄にも無くソワソワと立ったり座ったりと落ち着くことが出来なかった。
何度も部屋を見返し、おかしな所や汚れている所はないか確認する。元々物も少なくこまめに掃除もしているので当然不備もあるはずもなく、なんとなくベッドの僅かなシワを伸ばしてみる。下心はない、そんなものは一切ない。
自分に言い聞かせながら往復を繰り返した居間に再び戻った時だった。まだ少し距離があるが、間違えようのない気配を捉える。来た。
あくまで落ち着き払った動作で居間のソファにかけ、早くなる鼓動を宥める。
読み物をして待っていようとしてテーブルに置いた、結局1ページも進まなかった書物を睨みつけながら近づく気配に集中する。
軽い足取りを感じさせる足音が聞こえ、あちらも訪問を喜んでいることがわかる。その一方で一歩一歩にどこか重さも感じる。
まさか、と思っていたら近づいた気配はノックではなく声をかけてきた。
「ラーハルト、いるか? すまないが扉を開けて貰えないだろうか」
「今開ける、待っていろ」
訝しむ態度で玄関の扉を開けると、そこには両手いっぱいに荷物を抱えたヒュンケルが立っていた。やはり重い足音はこれが原因か。
変に緊張していたが、違和感はその姿への驚きで隠せたので内心ヒュンケルに感謝した。
「どうした、こんな大荷物で」
「それが、ここに来る前に店に立ち寄っていたら予想外に荷物が増えてしまって」
自分でも両手が塞がる程に買い物をすると思っていなかったのか、乏しいながらも律儀に落ち込んでる姿を見て変わらぬ姿に安堵する。
「まあ、立ち話もなんだし、入って荷物を置くといい」
「邪魔をする」
丁寧に訪いを告げるヒュンケルの声音は落ち着いており、緊張しているのは己だけかと密かに肩を落とす。
「適当にかけてくれ、今茶を入れる」
なんでもない風に声をかければ、ヒュンケルは頷き居間のテーブルに荷物を置くと、そのままソファに腰掛けた。それを見届けながら既に温めておいた湯を再度沸騰させ、手早く茶の準備を進め、ヒュンケルの元へと戻った。
ヒュンケルは相変わらずリラックスした面持ちで、テーブルに置かれている本を見つめていた。
「ああ、お前を待っている間読んでいたんだ、今片付ける」
「すまない、待たせてしまったな」
さらりとでっち上げた嘘に全く疑いもせず申し訳なさそうにするヒュンケルの前にマグを置き、空いた手で本を取りすぐ側の棚にしまう。
「お前のためならいくらでも待つさ」
自然な仕草に見えるよう細心の注意を払いながら、肩が触れそうな距離で隣に腰掛けほんの僅かな下心を乗せた台詞と共にヒュンケルの顔を覗き込む。
「ありがとう、お前のような友を持てて誇りに思う」
その顔はすぐに破顔し、曇りなき瞳で返答される。ダメだ、脈がない。
「大袈裟だな。大袈裟と言えばこの荷物はなんなんだ?」
「ラーハルトと一緒に食べようと思って、色々見ていたらいつの間にかこんなに買ってしまったんだ」
脈がないなら友としての対応に戻るだけだ、元々覚悟していたことだ、難しいことではない。
ヒュンケルが次々に荷物から取り出す物を眺めれば、酒だのツマミだのこの時間を楽しむ気満々の品々がテーブルに並ぶ。
「良くもまあこれだけ買ってきたものだ、今日一日では消化しきれないではないか」
思わずクツクツと笑えば、それに合わせ肩が触れる。それに意も介さずヒュンケルは品物を出し続ける。
「お前に会えると思うとなんだか楽しくなってきてな、あれこれ手が出てしまった」
ヒュンケルもどこか楽しそうに話す、純粋に久方ぶりの逢瀬を喜んでいるようだ。しかし手を出すならオレにしろ、いやむしろオレが出す。
「オレも会えて嬉しいよ」
さりげなく肩に手を回すが、期待する反応はない。友に接するように軽くその肩を叩く。
「実はオレも色々料理を作ってな、良かったらそっちから食べてもらえるだろうか」
「ラーハルトの手料理か、それは楽しみだ。 実は準備に手間取って朝から何も食べてないんだ、もう貰ってもいいだろうか」
ダイ様を探す旅の中でもオレの料理を美味そうに食べていたヒュンケルだ、当然のように期待に満ちている。昼には少し早い時間であるが酒もあるならもう出してしまってもいいだろう。酒にも合うように作っておいてよかった。
「わかった、すぐに用意しよう。 日持ちのするものは一旦しまってスペースを空けておいてくれるか。 どうせならそこで酒でも飲みながらゆっくり話そう」
「……もし残ったら、また来た時に食べてもいいだろうか」
オレが立ち上がりながら指示したせいで、上目遣いの返答は内容と合わさり会心の一撃だ。本当に下心なしの発言なのかこれは、いや、訴える眼はどこまでも友を見る瞳だ。
「もちろんだ、悪くなるまでに来てくれよ?」
なんとも言えない要望だが、遠からず再訪の予定が経つのであれば純粋に喜ばしい。二つ返事を返しながら予め準備しておいた料理を運ぶ。
旅の空では凝った物も作れなかったので、気合いを入れた料理の数々を並べれば、ヒュンケルの眼は面白いように輝いた。
「随分と豪勢だな」
「お前と同じようなものだ、少し作りすぎてしまったかもしれん」
食事に先ほどの距離感はさすがに食べづらいので、半人分ほど間を開けて座り、グラスに注いだ酒をヒュンケルに手渡す。
「再会を祝して」
同じようにグラスを持ち掲げれば、乾杯と柔らかい声とともにグラスが重なり合わされた。
離れてからそこまで期間が空いている訳では無いが、お互い環境が大きく変わった身だ、いくら話しても話題は尽きない。
登りきっていなかった陽も気づけば地平線の向こうへ隠れてしまい、明かりを灯しつつ不意に気になったことを尋ねる。
「ヒュンケル、随分飲んだようだが明日に響かないか?」
「大丈夫だ、明日も予定は無いし、これくらいではなんともない」
多少酒は回っているようだが、口調もしっかりしており言葉に嘘はないようだ。
明日の予定は無い、ということは今日の滞在にリミットはないということだろう。ならば、
「そうか、奇遇だな。 オレも明日は仕事も予定も無いんだ、良かったら泊まっていくか?」
深酒をした友に提案するスタイルで、理性を総動員して問いかける。
当然この時間が続く喜びに満ちた返答が来ると構えていたが、ヒュンケルからの返事は無い。
「ヒュンケル?」
俯いてしまったヒュンケルに、どこか具合でも悪くなったのかと心配混じりの声で返答を促す。
帰ってきたのは返事ではなく、肩の重み。ヒュンケルが無言で頭を肩に乗せてきた。
「それは、どういう意味で言っている?」
相変わらず顔は見えないが、先ほどまでと打って変わって固い声色だ。
どういう意味とはどういうことだ。酒で潤っていたはずの喉が異様に乾く。
「ラーハルトはわからないだろうな、オレがどんな気持ちでここに来たか」
軽くなった肩に気づきヒュンケルを見遣れば、酒では何一つ変わらなかった顔が真っ赤に染まっている。
何が起こっている。オレはどこで読み間違えた?立場が逆転し混乱で返事が返せないのはオレの方になってしまった。
「お前があまりにも平静だから……オレばかり慌ててしまって、馬鹿みたいだ」
どこか拗ねたような顔を場違いに可愛いと感じながら、オレはそんなに平静に見えていただろうかと少し疑問に思う。むしろ平静だったのはお前の方ではないのか。
「オレは最初から下心しかなかったぞ」
ヒュンケルの決死の発言に、雷を打たれた気がした。
お互い、無意識に気づいていたのだ、相手の想いに。両者それを認められず、臆病にも友として振舞っているうちに、仕掛けられてもそれを否定していた。
そんなところまで同じだったとは。今日はオレもお前も無駄な足掻きをしていたらしい。
このくだらない攻防を終わらせるべく、言葉ではなく口付けで返した。
ヒュンケルは驚きに目を見開いていたが、正しく返答を受け取ったのか、そっと目を閉じ、オレの背に手を回した。