転職 夜も更け賑わう酒場、その出入口近くでラーハルトは1人静かに杯を傾けていた。
ちらりと一際騒がしい一団を見やる。人数は5人、その中で小太りの中年男がリーダー格のようで、話しているのはほぼその男だった。
思い思いに過ごす人々の音の中に、唐突にギターの音色が鳴り響く。
客達は驚き音の元を見ると、そこにはそれぞれ楽器を携えた楽団がいた。
静寂に包まれた酒場に、そっとギターが弾かれ旋律が始まる。追従して増える音色は古くから伝わる楽器がほとんどで、どこか郷愁を誘う音だ。
悪くないな、とラーハルトは思いながら杯を空けると、急に曲調が変わった。
ゆったりした音楽から一変、アップテンポの明るい音は酒場に相応しく、踊り子の参入に更に盛り上がりを見せた。
ラーハルトはつまらなそうに踊り子を見る。
ゆったりとした袖の白いシャツに同じくゆったりとした黒のパンツというシンプルな服装でも隠せない程の肉体美、紛うことなき男である。美しい銀色の髪に目元だけを覆う仮面はどこか蠱惑的で、ゆるりと浮かべられた笑みがそれを増長している。
携えたタンバリンのリズムと共に舞う彼は、男だと言うのに観衆は異様な盛り上がりだ。
豊かな袖と赤い腰布を宙に舞わせながら酒場を踊り歩く男は、先程の中年男を見つめながらどんどん近づいている。
そして目の前に立つとその手をそっと差し出した。
人知れずラーハルトの眉間に皺が寄る。
中年男はデレデレしながらその手を取ると、勢いよく引かれ立ち上がらせられた。驚く男をものともせず巧みに踊りに組み込み、ぎこちないながらも男もその動きに合わせる。
突然のサプライズに観衆は沸き立ち指笛まで上がる始末だ。妙に距離の近い踊り子に締りのない顔をする中年男宛にからかいのヤジまで飛ぶ光景を見ていられず、ラーハルトは代金をテーブルに置きそっと店を後にした。
酒に火照った身体を夜風が優しく撫ぜる。
酒場から少し離れた広場のベンチに、ラーハルトはぼんやりと腰掛けていた。
「待たせた」
どれほど待っていたか定かではないが、かけられた声にラーハルトは意識を向けた。
そこに立っていたのはいつもの服装のヒュンケルだった。顔も隠れていない、見慣れた姿にどこかほっとする。
「あの男とやたら距離が近くなかったか?」
苛立ちを隠しもせず先程の光景を指摘する。
「あまり離れて変なことをしていたら怪しまれるだろう」
そう言いながらヒュンケルは手に持つ鍵を放っては手に取る動作を繰り返している。
「盗賊の腕は鈍っていないようだな」
「これくらいなら誰でも出来るさ。 随分わかりやすい場所に隠していた」
笑いながら鍵を眺めるヒュンケルは、かつてなら盗みの罪悪感で曇っていただろう。
数多の転職により今までの自罰傾向はナリを潜め、地の性格はそのままにその職に影響された言動をとる。
「盗賊はもうやめたが、今夜限りの復活だ」
鍵を口元にかざしながら妖艶に笑う姿は、仮面に隠されていた時と違い目元まで見える分目に毒だ。
盗賊どころか踊り子ももう極めただろう、そもそも最初に遊び人にしたのが悪かったのか。
すっかり変わってしまった恋人に、それもまぁ悪くないと思いながら立ち上がる。
「で、ヤツらのアジトはどこにある?」
「北の外れの倉庫郡の一つだ」
ヒュンケルに付き従うように横に並び、目的地へ向かう。
「目的は、なんとかというドラムを取り返しあの楽団に返却する、で合っているな」
道すがら行動の再確認をすれば、ヒュンケルは軽く頷く。
「ああ、出来れば騒ぎにしたくないから、倉庫に人がいないといいんだが」
「いっそアイツら全員のしてしまえば早いんだがな」
「彼らはそこまでは望んでいない、オレたちは言われたままに行動すればいい」
ヒュンケルはそう言うが、あの騒がしい集団の正体が盗賊団であることをラーハルトは知っていた。
以前盗賊の職についたからか、生来のお人好しだからか、そこまでヒュンケルはあの一団を追い詰める気はないようだ。盗賊といってもそこまで人々に被害を与えている訳でもないし、今回の物品も元々洞窟に祭られていたものを盗られたから取り戻してほしいという依頼だ。
現在踊り子の職についているヒュンケルであれば楽団に混ざっても違和感がないから単独で動いていた。
転職を繰り返し様々な人間とかかわるヒュンケルは生き生きとしており、それを隣で眺めるラーハルトも楽しく見守れる今が愛おしい。
「そういえば、ラーハルトは転職はしないのか?」
そう考えているとヒュンケルより思いもしないことを振られる。
「……転職は、する気はないな」
「そうか、吟遊詩人なんて似合うと思ったのだがな」
どういう意図だ、という意味を込めて月明かりに照らされるヒュンケルを睨めば、事も無げに答えが返る。
「お前の人生はまだまだ長いんだ、どうせなら未来の人々に語り継ぐ詩を歌ってくれれば、オレたちはお前の中でいつまでも生きていけるだろう」
満月に照らされる優しい表情は遥か未来を見つめている。
それがどうにも気に食わないラーハルトは、少し歩みを早め、ヒュンケルを置いていく。
「ならば、奇特な因果を断ち切り次々に転職を繰り返す悲劇の戦士の栄転の物語でも、面白おかしく語り継いでやろうか!」
語気を強め当たるように告げれば、可笑しそうに笑う声と共にヒュンケルが追いつく。
「そんなことしたら、怒るぞ」
ぷくりと頬を膨らませる姿は1人前の大人とは到底思えず、ラーハルトは最初に遊び人に転職させたことを少し後悔した。
少し子供がえりしていないかこいつ、と思いながらそんな所も愛おしく思い、人気の無くなった道にこれ幸いにと隣に並ぶヒュンケルの手を握った。
「ならばオレに転職は進めないことだな」
「では次のオレの転職先を考えてくれ」
握った手はしっかりと握り返される。
「そうだな、次の職業は……」
温かな手の温もりを感じながら、ラーハルトは近い未来を思い描いた。
ヒュンケルがどんな職についても、その隣には自分がいることを願って。