泣き顔 朝の気配に瞼が上がる。
寝起きのぼんやりとした視界に映るのは愛しい人の寝顔。
穏やかな寝息をたてて眠る姿に思わず触れたくなるが、グッと堪えて身体を起こす。
静かにベッドを抜け出し寝室の扉を開けても恋人は起きる気配が無い。
そっと扉を閉めて朝の準備に取り掛かる。
そうして朝食を作っていれば、不意に寝室の扉が開いた。
音の先を見れば、まだ眠そうな目を擦りながらラーハルトがこちらを見つめている。
「おはよう、ラーハルト」
調理の手は止めずに挨拶をすれば、見た目にそぐわず掠れた声で小さな返事が返る。
「もうすぐ出来るから顔でも洗って目を覚ましてこい」
半分夢の世界にいるラーハルトが小さく頷き井戸へと向かう姿はどこか幼げで微笑ましい。
出来上がった食事をテーブルに並べ終わったタイミングで準備の終えたラーハルトが戻ってきた。
「全て任せてしまってすまん」
「構わんさ。 それより疲れがとれていないならまだ寝ててもいいんだぞ?」
「いや、今日は出かける約束をしていただろう。 そう寝てもいられまい」
出かけると言っても、いつもの買い出しなのだから反故にされても問題はないのだが、妙に真面目な顔で言うものだからそれ以上何も言えない。
「じゃあ食べたら早々に出かけるとするか」
オレに出来る事といえば、なるべく早く用事を済ませることだ。
互いに席に着き食事を始める。
「美味いな」
「それは良かった」
非常に分かりにくいが、ラーハルトの好物も用意しただけあって嬉しそうな顔だ。
見ているこちら側も嬉しくなる。
いつもと変わらない平和な朝食、今日も良い日になりそうだ。
朝食も終え、買い出しの為に街へ繰り出すと朝も早いと言うのに相変わらずの賑わいだ。
既に買う物も決めているので、慣れ親しんだ街を歩き目当ての物を購入していく。
「お、ラーハルトさんヒュンケルさんおはよう!」
不意に、通り過ぎようとしたよろずやの露天商に声を掛けられる。
馴染みの店主は朝から元気で、若干ラーハルトが面倒くさそうな顔をしている。
捕まると長話されるのは確かに少し疲れるが、そんな顔をするんじゃない。
咎めるようにさりげなく視線を送れば、諦めたように小さく溜息を吐き、表情が戻る。
「ちょうどラーハルトさんが好きそうな置物が入荷してね、安くするからどうだい?」
そんなラーハルトの様子も意に介せず、店主は並べてある小さな置物の一つを手に取った。
今日は世間話ではなく商談かと少し安心しながらそれを見れば、見事な彫りのドラゴンだった。
それなりに交流のあるこの店主だが、やや違う受け止め方をされているようだ。
ラーハルトが困った顔に変わる。
彼はバラン、延いてはダイを敬う竜騎衆であって、特別ドラゴンが好きな訳ではないからだ。
しかし人の良い店主の手前下手なことも言い出せない為か、次の手をあぐねいているようだ。
「良い品物だな、いただこう」
「ヒュンケル!?」
オレが購入の意を示せば珍しく驚き顔のラーハルトが見られた。
「まいど!」
店主にニコニコ顔でそれを手渡される。
置物は片手に乗るサイズだが、ずっしりとした質量だ。
作りもさることながら、ラーハルトがあまり見せない表情を引き出したこれは購入した金額以上の価値があるのではないか。
満足気に眺めるオレを見てラーハルトは呆れ顔だ。
「良いじゃないか、オレは気に入った。 では店主、また」
世間話が始まらないうちに会釈をし、よろずやを離れる。
相変わらずの笑顔で店主は手を振っているが、またなにか勘違いをされたかもしれない。
それはいいとして、オレ後に続くラーハルトは少し不満そうな顔だ。
「また無駄な出費をしおって」
「別に金に困っている訳でもないし、きっと良い思い出になるさ」
いつもより疲れているせいか、表情が表に出やすいラーハルトの様々な面を見られたこの日を思い出すにはちょうど良い品だ。
そう思って軽く笑みを向ければ、仕方なさそうな微笑みの表情が返される。
「まぁ、お前が気に入ったのならいいか」
穏やか肯定と共に隣に並び立たれ、置物に手が伸ばされる。
歩きながらそれを渡せば、容易くラーハルトの手に移る。
「歩きながら見てると危ないぞ」
「そんなヘマはせんさ」
ラーハルトを忍び見れば、緩やかに目が細められている。
どうやら彼も気に入ったようだ、そんな気がしていたが。
置物はラーハルトに預け、残りの買い物を済ませるべくオレ達は次の店へと足を進めた。
二人で住まう家とは多少の距離がある街故に、足早に買い物を進めても昼時近くなってしまう。
帰ってから食べると半端な時間になってしまうので街中で昼食を済ませ、我が家に戻る。
買い足した物を手分けして仕舞ったが、オレの分が終わる頃にはラーハルトは一足先に片付け終わっていた。
居間にはお茶の用意すらされている。
「ずいぶん早いな」
「お前が最初に置物の場所を考えるのに時間をとるからだ」
からかうような表情で言われるが、確かに置き場に迷って手が止まっていた。
「中々しっくりくる場所がなくてな」
ソファに座るラーハルトの隣に座れば、ちょうど向かいの壁際にある棚の上に鎮座する置物が見える。
「あそこならよく目につくから良いだろう」
「オレはどこにあってもいいがな」
ラーハルトは興味なさげに欠伸をする。
「やはり眠いのか」
「連日働き詰めだったから少しな」
「なら、少し眠るといい」
今日の予定はもう終わったのだから昼寝をしたってバチは当たらないだろう。
そう思ってベッドへ促そうとした時、ラーハルトが悪戯っぽく笑んだ。
「そうだな、少し眠るとするか」
そういうとラーハルトは立ち上がり、オレも立ち上がらせる。
オレは別に眠くないから共寝をする気は無いと思っていると、ソファの端に座らされる。
頭に疑問符を浮かべていたらラーハルトがオレの足を枕に寝転んだ。
なるほど、膝枕か。
視点の変わった顔を見下ろせば、悪戯に成功したような表情があった。
滅多にしない一連の行動に可笑しくなり、思わず笑ってしまう。
何がラーハルトの琴線に触れたのかわからないが、意地悪げな表情は慈愛に満ちた表情へと変わる。
オレが一番好きな表情だ。
「おやすみ、ラーハルト」
世界で一番愛おしいものを見つめながら呟く。
「おやすみ、ヒュンケル」
同じ愛の大きさで返される返事に心が満たされる。
今日は色々なラーハルトの表情も見られたし、とても良い日だ。
目を瞑るラーハルトを見れば、欠伸の名残りで僅かに目尻が輝いている。
ラーハルトのどんな表情を見ても、きっと最期まで見ることの無い表情に想いを馳せながら、オレは拭うようにそっと、ラーハルトの目の縁を撫でた。