束縛 コトコトと煮込まれるシチューの美味しそうな匂いが部屋に広がる。
なんの変哲もないシチューではあるが、これは会心の出来だろう、とラーハルトはこれからこれを食べるであろう人物を思い浮かべながら一人微笑んだ。
外を見ればすっかり日は落ち、そろそろ想い人が訪れるだろうとシチューを皿に移した。
そしてその一皿に小瓶から取り出した粉を振り入れる。同色の粒子の細かい粉は見ただけでは入っていることすらわからない。
ラーハルトはその皿を見つめ、寝室に目を移すと更に笑みを深くした。
直後に玄関の扉を叩く音が響く。
意識をそちらに向けると、勝手知ったる様子で扉を開け上がり込むヒュンケルの姿が見える。
「今日はシチューか」
来るなり匂いを嗅ぎつけ、訪問の挨拶よりも先に嬉しそうな声が上がる。
「ちょうど準備も出来たところだ、後はメインを運ぶだけだから座って待ってろ」
「ああ」
いそいそと席に着くのを見届け、シチューを慎重に運ぶ。
目の前に皿を置けばヒュンケルの瞳がいっそう輝く。
「美味そうだな」
「今日は自信作だ」
ラーハルトは得意げな雰囲気を出しながら向かいの席に座り、ヒュンケルに食べるよう促す。
「いただきます」
言うなりシチューに口を付ければ、ヒュンケルの動きが一瞬止まった。
バレたか、と顔に出さずラーハルトが心配するが、ヒュンケルから返ってきたのは満面の笑みだった。
「今まで食べたシチューの中で一番美味い」
「そ、そうか、口に合ったならなによりだ」
屈託のない笑顔に若干気圧されながらも、ラーハルトも食事を進める。
あの薬は即効性だからそろそろ効いてくるだろうと、さりげなくヒュンケルを観察するが変わった様子はない。
急いては事を仕損じる、と心の中で呟き、ラーハルトは極めていつも通りを振る舞い会話を重ねた。
そうこうしているうちに食事も終わり、客人だからとヒュンケルを座らせたまま、ラーハルトは食器を下げる。
盛った物を間違えたかと内心首を傾げながらラーハルトが戻ると、頭をフラフラとさせているヒュンケルがいた。
「ラー……」
戻ったラーハルトになにか言おうとしたヒュンケルだが、その前に身体が大きく傾いた。
地面に激突する前にその身体を支える。
ヒュンケルの顔を見れば、穏やかな寝顔が浮かんでいた。
ラーハルトはそれを昏い瞳で見つめ、横抱きにすると寝室へと想い人を運んだ。
寝室のベッドにヒュンケルを横たわらせ、壁に取り付けた鎖の端をその左腕に取り付ける。
「これで、お前はオレのものだ」
愛おしげに頬を撫でるが、ヒュンケルは起きる気配がない。
睡眠薬が充分に効いていることを確認し、起きるまでの時間つぶしに本でも読むかと、ラーハルトはベッドに腰掛け読書に耽った。
さして厚みのある本ではないが、最後まで読んだとなるとそれなりの時間がかかったはずだ。
ヒュンケルを見るがまるで起きる気配がない。
「おい、ヒュンケル」
声をかけてみるが反応もない。
薬は少量しか盛っていないし、持続性のある物でもないのでそろそろ起きてもいいはずだが、ガチ寝である。
さすがにラーハルトも眠気を感じ、困惑しながらもその隣に身体を横たえ、ヒュンケルを抱きしめながら眠りについた。
鳥のさえずりに誘われるように、ラーハルトは目を覚ました。
日はとっくに登りきり、ずいぶんと寝ていたな、とまだ回らない頭で考える。
腕の中には相変わらずスヤスヤと眠るヒュンケル。朝までぐっすりである。
「おい! いい加減起きろ!」
「んぅー……あと5分」
「ベタな返しをするな! どれだけ寝る気だ!」
身体を起こしガクガクと肩を揺すれば、渋々とヒュンケルが目を開けた。
「おはよう、ラーハルト……?」
なにかに気づいたようにヒュンケルが首を傾げる。
異常事態にどんな反応を見せるのかとラーハルトがほくそ笑むと、ヒュンケルはゆっくりと右腕をラーハルトに伸ばした。
「寝癖、ついてるぞ」
撫で付けるように髪を押さえされ、ラーハルトは頬に熱が上がるのを感じ、ヒュンケルから離れると慌ただしく寝室を抜け出した。
うるさく鳴る鼓動を押さえつけながら、身なりを整える。
出端をくじかれたが目的は達成しているのだ、とラーハルトは気を取り直し、改めて寝室の扉を開けた。
ベッドを見ればさすがに困惑したヒュンケルがいた。
ラーハルトは内心ほっとしながらヒュンケルに近づく。
「ラーハルト、この鎖はなんなんだ」
「それは、お前をここに留めておくための鎖だ」
ラーハルトもベッドに腰掛け、視線を合わせる。
「これでもうお前はどこにも行けない、もう誰にも渡さない、ずっとここでオレと二人暮らすんだ」
昏い笑みを浮かべながらヒュンケルに手を伸ばす。
ようやく手に入った想い人の頬を撫でようとした瞬間。
「そうか、では世話になる。 よろしく頼む」
爽やかな返答が聞こえ、思わずラーハルトは腕を下ろした。
まさか二つ返事で了承が得られると考えてもいなかったラーハルトは、目の前の存在をどう見ればいいのか、わからなくなった。
「しかしラーハルト」
真っ直ぐな瞳がラーハルトを射抜く、嫌な予感しかしない。
「有事の際はすぐに駆けつけるとはいえ、ダイの元を離れ一人生活しているお前が他者を養う余裕があるのか?」
ラーハルトの一番突かれたくない話題があがる。
「食い扶持も身一つで稼ぐと言っていたが、ここはパプニカ領地とはいえ辺境の村だ。 魔族への偏見もまだ残っている、自身の生活すらままならないのではないか?」
ヒュンケルの言う通りである。
数々の荒波を超えてきた小さな主君に、ようやく訪れた平穏。その中で部下を抱えるなど、これ以上の負担はかけられまいと、ラーハルトは着かず離れずの距離で一人生計をたてている。
しかし半分魔族の血が流れており見た目は完全に魔族のラーハルトは、ダイやパプニカ国王であるレオナの後ろ盾すら断った結果、村にも馴染めず生活に困窮するばかりだ。
大魔王討伐に魔物や魔族が貢献したことはこの村にも伝わっているが、今だ対応はどこかよそよそしい。
幼少の頃よりは遥かにマシだが、上手くいかない生活は確実にラーハルトの心をすり減らしていた。
「お前に何がわかる! 魔族というだけで奇異の目で見られ、ろくな仕事も出来ないオレの気持ちなぞお前には理解できないだろうな!」
押さえ込んでいた思いのタガが外れ、一番弱味を見せたくなかった相手にラーハルトは当たり散らす。
「お前は良いよな、誰にでも受け入れられ今の仕事も順調なんだろう? オレには何も無い……だから、お前くらいはオレの物にしたっていいだろう」
もう限界だ、とラーハルトが俯けば、その頭を抱えるように抱きしめられた。
「お前は頑張っているよ、ラーハルト」
緩やかに撫でられながら優しい声が降ってくる状況に、ラーハルトは心が溶けるのを感じた。
「頑張りすぎて、少し疲れたんだろう」
シャラリと鎖の音が響く、どうしてそんな行動に出たのかも上手く思い出せない。
「こんなことをしなくても、オレはお前が望めば隣にいよう」
抱きしめる腕を解き、ヒュンケルはラーハルトに向き直り微笑んだ。
「お前が好きだ、ラーハルト」
「っ!」
気づけばラーハルトはヒュンケルを抱きしめていた。
「そうだ、オレはただ……ヒュンケル、お前が好きなだけなんだ」
「うん」
「こんなことがしたかったんじゃない」
「うん」
「好きなんだ」
ぎゅう、と抱きしめる力を強めれば、ヒュンケルの腕がそれに応えるように動いたのをラーハルトは感じた。
その瞬間、バキィ、と嫌な音が響いた。
「……」
ヒュンケルから身体を離し、ラーハルトが音のした元を見れば、鎖を打ち付けていた壁が見事に剥がれていた。
「すまん、気をつけていたんだが……」
ヒュンケルは気まずそうに己を拘束する鎖と壁を見比べている。
「……ふ、はは」
冷静に考えれば民家に鎖で束縛した程度でこの男を縛ることなど出来ないと、ラーハルトは笑いをこらえることが出来なかった。
「はは、まさか、壁を壊すとはな!」
笑いの合間に言葉を紡ぐが、ヒュンケルの申し訳なさそうな顔は晴れず、更にそれが笑いを引き起こす。
ラーハルトは久しぶりに心の底から笑った。
*
「悪い話ではないと思うのだが、交渉に応じて貰えないだろうか」
とある森の中で、ヒュンケルは真剣な眼差しできりかぶおばけに話しかけていた。
しかし、きりかぶおばけはヒュンケルの言葉など信じないとばかりに攻撃を繰りだす。
「っ、」
紙一重でヒュンケルが攻撃を躱すと、その隙を見て逃げられてしまった。
「振られてしまった」
「今回は全戦全敗だねぇ、ヒュンケル」
プルプルと震えながら傍らのスライムが溜息を吐く。
「やはり魔物相手の商売は上手く運ばんな」
「でもヒュンケル最近嬉しそうだね!」
「あぁ、ようやく目当てのものが手に入ったからな」
目当て?と興味津々に仕事の相棒が跳ねる。
「今の時代で魔族が人間に混じって生活するなど、無理なのをわかりきってるだろうに、プライドをつついてやれば簡単に壁にぶつかった」
ヒュンケルは飛び跳ねる相棒を捕まえ、抱き抱える。
「オレとて魔物と人間の間で取引してる以上断られることがほとんどなのに、成功談だけ話せばさも上手くいってると思って、可愛いやつめ」
「可愛いって、ボクのこと?」
「違う、オレに拘束されていると気づいてない可愛い恋人のことだ」
ヒュンケルはからりと笑った。