【飯P】サービスエリアで起こして 免許を取って最初の遠出に、ピッコロさんを乗せて海まで走った。車に乗り慣れていないピッコロさんははじめ渋ったが、修業の成果を見て下さい、の一言で首を縦に振ってくれた。
今さら海など珍しくもないが、僕の運転する車に二人で、と思うと改まった景色に思えた。海水の冷たさ、焼けた砂の匂い、きらきらと眩しい波、遠い水平線……。
行きの道中は、あまり覚えていない。ピッコロさんが助手席にいるというだけで、やけに緊張してしまった。日も暮れかけ、まっすぐに帰る今は、気持に多少の余裕がある。
「……もっとひどく揺さぶられると思った」
「運転、下手ではないでしょう、上手くもないけど」
「自分で何もしていないのに景色が後ろへ流れていくのは、良いな」
素直に話してくれるピッコロさんに嬉しくなり、しかし僕は欠伸を噛み殺した。真夏の日射しに、想像以上に体力を奪われたようだ。
高速道路は眠くなると誰もが言うが、全くその通りだ。あまりにスムーズに進めてしまうから、脳の奥が緩み、そこに睡魔が忍び込む。
折よくサービスエリアが近付き、僕はハンドルを切った。
「ちょっとだけ寄りますね」
停まっている車は、そう多くない。夜の色を帯びはじめた夏空に、売店とガソリンスタンドの照明がひときわ眩しかった。
「コーヒー買ってきます。窮屈だったら、出て脚伸ばしてて」
停めた車で眠っている運転手が、何人も見えた。日が暮れて薄暗いのにしつこく鳴き続ける蝉の声は、暑さに追い討ちをかけて来る。
売店で買い物を済ませ、再び駐車場を横切る。車へ戻って、ピッコロさんへ水のボトルを渡した。
「疲れているな」
「海で燥ぎすぎたかな。疲れたっていうか、少しだけ眠くて」
冷たいコーヒーが喉を滑り落ちる。何気なく選んだ甘い味がやけに美味しく感じられるのは、やはり疲れているからだろう。暗い車内で、ピッコロさんが気遣わしげにこちらを見ているのが分かった。
「眠ったらどうだ」
「明日の朝が早いので、帰りが遅くなるのは……大丈夫です。コーヒーでちょっと、目が覚めました。眠そうだなって思ったら、起こしてください」
言いながら、言葉とは裏腹に語尾に欠伸が混じってしまう。きまり悪く肩を竦めると、ピッコロさんは何も言わず小さく息をついた。水のボトルの蓋を閉めながら、売店とスタンドの灯りへ視線を投げているようだったが……不意に、こちらを向いて身を寄せた。
頬に触れる手のひらに驚く間もなく、唇が塞がれる。
淡く短いキスは、ほんの少しだけ角度を変えてもう一度落とされた。掠めるように過っただけで、やわらかさも体温も、感じる前に離れてしまう。
「……目が覚めたか?」
悪戯っぽい響きで、低く落とされた声が、耳の奥に焼きつく。
僕は言葉を返さず、狭い車内でピッコロさんに迫って、首筋に腕を回した。思いがけない反撃だったのだろう、逃げ場のない助手席で、それでも身体を引こうとしている。
「眠そうだったから、起こしてくれたんですね?」
何か言おうと迷っている唇を、こちらから塞いだ。今度は、ゆっくり深く。少し肩を押されでもしたら、すぐやめるつもりだったが、ピッコロさんは抵抗しなかった。代わりに、苦しげに継ぐ吐息が感じられる。
言葉も灯りもない、自由に動けない車内で、熱だけが無闇と高まる。
ピッコロさんの手が、おずおずと僕の背に回された。ひどく慎重で優しく、僕は浮き足立つ気持を抑えられない。かすかに立てられた指先はくすぐったくて、先を促されているようだ。
漸くのことで唇を離した時、暗闇の中なのに、奇妙な程はっきりと視線が交わった。切れ長の瞳の奥に、動揺も昂りも口付けの余韻もみな、濡れたまま残っている。
「……目が覚めすぎちゃったので」
ピッコロさんの胸元に手のひらを当てながら、なるべく平静を装う。
「高速下りたら、寄り道しませんか?」
ピッコロさんは呆気にとられたように、じっと僕を見つめる。それから胸元に置かれた僕の手を見下ろし、引き剥がし、前を向いて座り直しながら……再度こちらへ、視線だけを寄越した。
「明日の朝が早いと、言わなかったか」
「さぁ……そんなこと言いました?」
嘯いて、僕はエンジンをかける。
「夜のドライブも、気持いいですよ」
はじめに仕掛けたのは自分だからなのか、ピッコロさんはそれ以上、何も言わなかった。サービスエリアを出て高速の流れに乗りながら、僕はことさらに安全運転を心がけ、ハンドルを握り直した。