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    こたつ

    【怪8】日常×微炭酸な鳴保、保鳴を書いてます!

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    こたつ

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    【鳴保】
    「他部隊の隊長、副隊長」という感情以外は持ち合わせていない鳴と保が、共闘を通してお互いの印象を改めていく話

    ・原作程度の戦闘、流血描写あり
    ・原作より前の時間軸設定
    ・原作の距離感で絡み、お互いのことをバチバチに意識し合っている鳴保がいます。からの、無自覚のうちに何かが芽生えそうなもどかしさが漂うハピエン
    ・115話以前に書いた話になります

    #腐獣8号
    #鳴保
    nrhs
    #バトル
    battle
    #全年齢
    year-roundAge

    【鳴保】Xの最適解そうだ。そもそも、信じる信じない以前の話だ。
    鳴海は揺らぎそうになった常識を即座に立て直し、意識を戦闘場面へ引き戻した。保科が指す”隊長”に自分が含まれている訳がない。
    「おい! ウチの縄張りで勝手に動くな! 何度言わせるつもりだ!」
    眼球に残る灼熱感も、バイタルの乱れも関係ない。
    鳴海は叩きつけるように激しく水を蹴り上げ、身勝手極まりない保科を追う。
    知ってはいたが、やはりあのオカッパに隠れている耳は飾りだったようだ。
    ――アイツは、僕が引き受けます。鳴海隊長はそこでゆっくり休憩しとって下さい。
    そう言い残し、堂々と隊長命令を無視した保科が怪獣へ切りかかった。
    紫の閃光が視界の先で交差する。
    地鳴りの比ではない咆哮が地下空間を揺らし、保科の動きが空中で止まった。

    ◇◇◇

    避難が完了した街は笑ってしまうほど静かだ。とはいえ、この静寂も束の間。嵐の前の静けさでしかない。
    雨を飛散する勢いの咆哮が、日没間近の東京を揺らした。

    ビルや商業施設の屋上を駆けていた鳴海は、激しく水飛沫を上げながら踵を返した。
    立ち止まり、短く息を吐く。慣れた手つきで濡れた前髪をかき上げ、雨の中を飛行している黒いシミを視界に捉える。
    白んだ都市に浮かぶのは、先刻まで渋谷区内で応戦していた怪獣と同型の影だ。
    「やれやれ、空気の読めない余獣だ。さっさと現場に行かなければ、また第3のやつらが好き勝手し始めるってのに」
    コキンコキンと首を左右に倒し、銃剣を持ち上げる。

    一撃で仕留めてやる。

    身体の重心を下げる。スーツとの同調を図ろうとすると、耳元で電子音が鳴り響いた。男性オペレーターの焦り声が鼓膜を叩く。

    ――鳴海隊長! 渋谷区の討伐エリアより余獣が一体離脱。スピードを上げながら飛行中。間もなく目黒区へ侵入します!

    「あぁ、見えてる。こっちはボク一人で十分だ。討伐に移る。警報発令及び人命救助を遂行しろ」
    ――了! 目黒区討伐区域、世田谷区Vヴィクター地区一帯を立入禁止エリアに指定します!

    ブツンという切断音の後、再び静寂が訪れた。
    怪獣は依然として、悠然と雨の東京を飛行している。
    「さぁて、インターバルも挟んだことだし――怪獣討伐を再開するか」
    軽く伸びをしてから、怪獣武器をひょいと持ち上げる。GS-3305よりも二回りほど小ぶりな銃剣を担ぎ、足元のコンクリートを砕くのと同時に高速で走り出した。

    ブレながら景色が後ろに流れる。
    迂回をするように、あえて大きく膨らみながら怪獣との距離を詰めていく。
    鱗状の体表、翼に浮き出る血管――怪獣の細部が鮮明になったタイミングで下半身のギアを下げる。
    スピードを落とし、堂々と怪獣の視界を横断してやれば、狙い通り羽毛で覆われた耳がピクリと動いた。
    怪獣がぐるりと首を捻る。次いで緋色の翼を上下させたかと思えば、カラス程度だった体躯が瞬く間に大型トラックサイズに変貌した。
    雷鳴にも似た咆哮が鼓膜を激しく揺さぶる。
    「まんまと食らいつくとは、怪獣とはいえ見た目通り鳥頭だな。――ここから討伐区域だ」
    眼前で緋色の翼が開く。人間のサイズを軽く凌駕する爪が空気を裂き、迫る。

    ふっと息を吐き、鳴海は眉一つ動かさずに怪獣へ飛びかかった。
    鈍く光る爪の軌道を捉え、素早く手首をひねり銃剣の面を正面に構え、ガキンと激しい衝撃音が屋上一帯に響き渡る。
    殺気に満ちた爪と銃剣が衝突し、指先から肩をビリビリと衝撃が走り抜ける。
    思っていたよりも重い。圧倒的な力で捻じ伏せる攻撃。

    だが、所詮それだけだ。

    接触の衝撃で吹っ飛ばされた――と見せかけ、後方へ大きく跳躍する。狙うは怪獣の頭上。
    背後にそびえ立っていた大型看板を踏みつけ、即座に斜め45度の角度で跳ぶ。空中でくるりと半回転し、銃を構える。
    天地逆転も関係ない。頭上で動きの主導権を握ればこっちのものだ。
    渋谷区に出現した同型。なら、核は頚部から胃上部付近か。
    バチバチとネオンピンクの閃光が弾け、スーツ、銃剣の周囲に高エネルギーを示す電流が迸る。

    「好戦的なところ悪いが――」

    頚部の根本に照準を合わせ、トリガーを絞る。
    落雷を思わせる光りと爆発音が轟き、着弾と同時に緋色の羽毛で覆われた頚部もろとも吹き飛んだ。
    「まどろっこしいのは性に合わん」
    羽毛で覆われた頭部が宙を舞う。後を追うように胴体が落下した。

    ズシンと重量感のある音が響き、巨体を受け止めた衝撃で足元がグラリと揺れた。
    鳴海は崩れるように倒れた怪獣の上に降り立った。冷徹な表情のまま、だらしなくクチバシを開いている肉塊を見下ろせば、怪獣だったモノからは紫色の体液が噴き出していた。

    サイズこそまぁまぁだったが、それだけの怪獣だったな。

    銃剣を振り、付着した血を払った鳴海は怪獣から刀身へと視線を移す。
    軽量化を図ったというだけあり、普段よりも小ぶりな武器は確かに小回りは利いた。目的である一般隊員への訓練用武器の一つとしては悪くないだろう。だが――
    「ボクには物足りない代物だな」
    絶命した怪獣にもう用はない。本命は、新たに発生したFt.6オーバーの怪獣だ。
    雨に打たれている怪獣の亡骸には一瞥もせず、地上を目指して軽々とビルの屋上から飛び降りた。

    着地した鳴海は、人気のない街を駆け抜けながらインカムを起動させた。呼び出した相手は、自身の右腕であり第1部隊副隊長の長谷川だ。

    「長谷川、目黒区の余獣は掃討した。ボクはこのまま世田谷へ向かう。そっちの状況はどうだ?」
    『余獣は残り10体程度。住民および隊員の被害は抑えられている。あと2~3時間もすれば掃討するだろう』
    どうやら渋谷区の討伐作戦は滞りなく遂行しているようだ。
    「よぉし上出来だ。人命救助を最優先に作戦を進めろ。そっちの指揮はお前に任せる」
    『わかった。それで、お前への増援はどうする? 世田谷に向かっている小隊を合流させるか?』
    「いらん。こっちはボクだけで十分だ。そもそも、反応を確認したのは一瞬だとはいえFt.6後半だ。増援を待つより、ボクが単騎で対応した方が早い」

    雨の功名とでも言うべきか。連日の長雨に伴う増水により、世田谷区の大型公園付近には洪水警報が発令されていた。
    Ft.6後半の怪獣反応が確認された地域周辺は、朝の段階で避難が完了しているとオペレーターからも報告を受けている。しかし、すでに避難が完了しているからと言って何かが解決した訳ではない。
    空を覆う雲は今も黒く、低い。
    怪獣災害と河川氾濫のリスクはまだ持続している。
    水害、地盤の緩み、Ft.6オーバーの怪獣反応。あらゆる状況から鑑みても、出撃は単騎討伐が合理的だ。

    目黒区の端に位置するSシエラ区域に突入した。
    あと数分もしないうちに目標地点に到着する。怪獣発生ポイントまで間もなくだ。

    現場へ向かう速度は落とさず、討伐作戦続行と小隊待機の命令を下せば、長谷川から「了」と声が返ってきた。そのまま長谷川が通信を続ける。
    『世田谷区に急行している小隊には、俺から指示を出しておく。……それと、さっき亜白隊長から現場に保科副隊長を派遣したと報告があった』
    長谷川が発した名前は瞬時に変換され、脳内には陽気な関西弁と糸目野郎の憎たらしい笑顔がよみがえった。

    保科、だと?

    Rt-0001レティーナを発動した訳でも、戦力全解放をした訳でもないのに、反射的にビキリと血管が膨張した。
    「はぁ? なんでオカッパ頭が来る話になってるんだ⁉ 第1部隊ウチが確認した怪獣反応だろうが! 第3の奴らは関係ないだろ!」
    『お前の判断を仰ぐ前に、亜白隊長から報告があったのだから仕方ないだろ。それに管轄エリアは存在するが、すぐに動ける隊員が近くにいれば増援を送るのは防衛隊としても普通のことだ。それがお前と同じくFt.6レベルの怪獣を単騎処理できる隊員なら自然なことだろう』
    「そんな屁理屈は知らん! そもそもアイツは先月も――――ッ⁉ 長谷川のやつ切りやがった!」
    一方的に通信を切断され、奥歯からはギリリと軋む音が上がった。
    インカムをアスファルトに投げつけたい衝動に駆られつつ、ダッシュの速度を上げる。

    保科の奴が現場に向かっているだと⁉ あの糸目野郎、何を考えているつもりだ!
    世田谷区はウチの管轄だ。そもそも第3の出る幕はない。だというのに毎回、本部での帰りだとか適当な理由をつけては余獣を斬りまくりやがって!
    それで? 今回はなんだ?
    前回、人が親切丁寧に忠告をしてやったというのにガン無視だと⁉ 生意気な態度を取りやがって‼︎

    ――事後報告になってもうてすみません。余獣に遭遇したんで討伐しておきました。

    悪びれる様子ゼロのあっけらかんとした声がフラッシュバックしたのと同時に、保科に対する累積感情が瞬間着火した。
    マスクの下で再び奥歯がギリリと音を立てる。

    何が「遭遇したから討伐しておきました~」だッ! 毎度、毎度、屁理屈を捏ねてはウチの管轄で好き勝手しやがって‼︎

    周囲の景色は滲み、雨が無遠慮にバシバシと顔を叩く。
    水浸しになる顔は一切拭わず、一心不乱に街を駆け抜け、いよいよ目黒区と世田谷区の境界に差し掛かった。
    風切り音に、地鳴りに似た轟音が混ざり始めた。
    川だ。濁流が大木を悠々と運んでいる。怪獣反応があった公園は目前だ。
    増水している泥色の川を飛び越え、公園に入る。泥を跳ね上げながら雨音が響く園内を進む。
    雨の公園は自分以外に人気はなく、木々の間にも人影はない。
    もちろん、怪獣スーツを身につけた防衛隊員の姿も。
    どうやら保科はまだ到着していないようだ。

    保科宗四郎。刀剣使いの第3部隊副隊長。
    銃器の解放戦力は低く、小型から中型を主とした接近戦を得意としているらしい。
    当然、遠近攻撃の両立はなく、討伐スタイルのバリエーションも豊富ではない。にも拘わらず、己の実力を過大評価しているのか知らないが、討伐現場ではいつも最前線に立っている。
    つまりは、関西弁を操る糸目のオカッパ頭は目立ちたがり屋の変わり者という訳だ。
    事実を並べればこの通り。保科との共通点なんて『防衛隊に所属している』くらいなものだ。
    怪獣への対応力を始め、あらゆる実力はこちらが圧倒的に勝っている。怪獣討伐数、討伐手法に関してもだ。
    けれどアイツは、そんなボクと同じステージに立っているつもりでもいるらしい。
    勘違いも甚だしい野郎だ。
    第3の奴が自身のテリトリーで私情を挟もうが、実力を誇示しようが興味はない。仲良しごっこでも、切磋琢磨でも勝手にすればいい。
    だが、それが第1の管轄内で行われるとなれば話は別だ。たとえ同じ目的――怪獣の殲滅だろうと一切関係ない。

    今回の討伐も、ボク一人で事足りる。


    そろそろか。
    怪獣発生、及び陥没の報告があったのはこの辺りのはずだ。マップを辿り進路を変更する。
    軽快に園内を進んでいた足が、目的地の手前でビタリと固まった。
    水浸しの公園に人が立っている。
    腰に二本の刀を備えた背中が一つ。
    それだけで確定だった。フードを被ってはいるが見間違うはずがない。
    あの後ろ姿、佇まいは間違いない――保科だ。
    鳴海はバシャリと水溜りを踏みつけた。


    ◇◇◇


    ぬかるんだ地面をズカズカと進む。地面の陥没状況を確認するよりも先に、腰に手を当てながら穴を見下ろしている背中に声を投げつけた。
    「おい」
    「鳴海隊長、お疲れ様です。渋谷での討伐作戦の直後やって報告受けてたんですが、思うてたよりも早い到着でしたね」
    保科はのんびりと振り返り、緊張感のない声を返してきた。簡単に描かれたような目と口からは、敬意の欠片も感じられない。
    保科の馴れ馴れしい態度に対し、ピキリと血管が浮き立つ。
    「なんでオカッパ頭がここにいるんだ」
    「おや? 報告が行き違っとりましたか。亜白隊長の命令で現場に入らせてもらうことになりまして。鳴海隊長だけやと苦戦するやろうからフォローしてやれ、と。場所も場所ですし」
    日常会話のテンションで口を動かしたかと思えば、保科は言葉を切り、地面の一部がゴソッと消失している部分へ改めて視線を移した。

    怪獣の気配を漂わせている穴は、大口を開けたまま無言で雨を飲み込んでいる。
    銃剣を担いだまま、鳴海は生意気なセリフを並べる糸目を睨みつけた。
    「糸目のクセに図々しい奴め。第3の手助けなんて不要だ。お前の手を借りる場面なんて存在する訳ないだろ」
    「いやいや、そない強がらんでも。今日の鳴海隊長は専用武器やないて、長谷川さんからも聞いとりますんで」
    銃剣を指さしつつ、保科はサラリとした口調で話しを続ける。
    「武器もいつもとちゃいますし、調子アカンなぁ思たら遠慮なく言うて下さい。その時は、僕が即刻斬りますんで」
    スカした態度、妙に自信に満ち溢れたセリフ、その全てが癇に障った。
    保科はご丁寧に余すことなく鳴海の逆鱗スイッチを連打し、怒りのフルコンボを決めてきた。感情が暴発するのは最早必然だ。

    大きな一歩で保科との距離を詰め、威嚇オーラ全開でオカッパ野郎の胸を指でドスドスと突き刺す。
    「はぁぁ 誰がいつ調子が悪いと言った ボクはいつだって絶好調だ。武器が変わったところでノー問題だ。ボクほどのクラスの人間であれば、武器変更などリスクにすらならん。そもそも、ここはウチの島だ! 先月も先々月も、第1の案件に顔突っ込んできやがって‼」 
    ドスドスと胸を突く合間合間で「痛いな」と関西弁が挟まるが、知ったことか。全スルーだ。
    「鳴海隊長のように実力を自慢してまわるなんて度胸、僕は持ち合わせてへんからなぁ」
    保科はヘラヘラと手を振りながら、ふざけた笑顔を貼りつけながら腕を組み、軽快な関西弁でセリフを並べてきた。
    「それにお言葉ですが、その月は第1のエリートさん達が武蔵野の討伐作戦に出撃しとりましたよね? 確か、僕の記憶違いやなければ武蔵野は第3の管轄やったと把握しとりますけど?」
    お互い様ちゃいますか、で締められた言葉を鳴海は鼻で笑って即座に打ち返す。
    「よくもそんな言い訳がスラスラと思い浮かぶものだな。あの時は、お前らがもたついているのが見え見えだったからな。被害が拡大する前に制圧を収束させただけだ。怪獣の規模に数、総合的にみても討伐作戦が長引くとわかっていて、わざわざ傍観者に徹する必要があるか? ウチの管轄に侵入する前に怪獣の頭数を減らしておいただけだ。第3テメェらの尻ぬぐいなんてまっぴらだ」

    完全に論破した。
    ぐうの音も出ないだろう。

    何か異論でも? と顎を上げ、黙りこくっている保科を見下ろしながら「とにかく」と言葉を続ける。
    「第1のテリトリーでうろつくな! ちょこまかと目障りだ!」
    真正面からの威圧感に気圧されているかと思えば、保科は「ほぅ」と声をもらしながら顎を撫でた。
    「なるほど。鳴海隊長は僕に手柄を取られる、そう思てる訳ですか」
    「ぁ そうとは一言も言っていないだろうが! 人のセリフを勝手に捏造するな! ボクがお前に手柄を奪われることなど、百万回に一回だって起こる訳ないだろうがッ!」

    どうやらこの糸目は思っていた以上にポンコツで、刀と怪獣のことしか頭にない脳筋仕事人間らしい。
    それは前から知っていたが、いくら自分の気が長いとはいえ、限度ってものがある。

    放牧タイムは終了だ。コイツをいつまでも野放しにしておく訳にはいかん。
    さて、この目障りなオカッパをどう追い払ってやるか……。

    針のような雨は相変わらず降り続いている。
    雨具を伝って落ちる滴を目で追いかけながら保科の撃退方法を模索していると、パチリと脳内に電気が点灯した感覚が訪れた。

    いや、待てよ。むしろこれはチャンスじゃないか?
    討伐現場に保科が居合わせたところで、コイツが刀を抜く前にボクが怪獣どもを片付けてしまえばいいじゃないか。圧倒的なスピードと実力をもって。
    そして、ボクはそれを実行することができる。

    鳴海の中で、対抗心が満足げに口端を持ち上げた。
    逆転の発想とは上手い言葉だ。
    思いついてしまえばシンプルなことだった。
    進捗のない、堅苦しいだけのつまらん会議に出席するのに比べれば、あくびが連発するくらい簡単な話だ。

    「はぁ~、やれやれ。そこまで言うのなら仕方がない。能力はさて置き、ボクも心まで怪獣じゃないからな。――いいだろう、ボクの後に着いて来い。カチコチ頭で頑固な第3部隊副隊長へ社会科見学を許可してやる」
    隣に並ぶ糸目は、どうやら状況を飲み込めていないようだ。ペラついたお喋りが会話を両断しないのは気分が良い。
    呼吸を繰り返しているだけの保科の口を指さし、真正面から堂々と宣言してやった。
    「帰投したら第3の奴らにこう言って回ればいい。『鳴海隊長との討伐は、手どころか口すら挟む間もなかった』とな」
    「僕は別に、鳴海隊長の力を過小評価しとるつもりはないねんけど。せやけど……いや〜、そないオモロイ冗談よくポンポン思いつきますなぁ。その発想力、僕も見習いたいですわぁ」

    全くもってふざけた返答だった。
    感心した風を装ってはいるが、保科のセリフには明らかに嫌味成分が練り込まれていた。
    言葉であるゆえに実体がない分、物理的な殺傷力こそなかったが、一度収束したはずだった感情が再燃するには十分な熱源だった。
    完全勝利を確信していただけに、再燃した感情はいとも簡単に理性の壁を蹴破った。
    「ッ⁉︎ どこをどう聞けば冗談になるんだ! 正真正銘、事実しかないだ――ッ⁉」
    鼻先に歯を立てる勢いで言葉を投げつけていた時だった。突如、平衡感覚がグラリと揺らいだ。

    地震だ。
    震度は2から3といったところか。
    震源はもちろん、眼前で口を開いている地面の底だ。

    雨具のフードを外した保科と視線がかち合う。が、すぐに顔を逸らした。
    隣では、雨具を脱ぎ捨てる保科の気配が続く。鳴海はマスクを装着し、銃剣を握る力を強めた。
    「怖気づいたのなら立川へ戻っていいぞ」
    「生憎、亜白隊長から帰投命令は出てませんので……。それにさっき鳴海隊長からも社会科見学の許可をいただきましたし。相手は怪獣。万が一、ということもゼロやないんで」
    顔を見なくても、保科が笑みを浮かべているのが手に取るようにわかった。
    「まぁついて来たところで、お前の出る幕など一秒もないけどな」
    鳴海は鼻を鳴らし、ガムを吐き捨てるように確定事項を保科へ突きつけた。
    そして出撃の号令をかけずに、保科よりも先に怪獣が潜んでいる暗闇へ飛び込んだ。


    ◇◇◇


    飛び込んだ暗闇の底は、想定よりも光源が確保されていた。

    湿り気が充満している青白い空間から察するに、地下空間の規模は第1のナンバーズ専用演習室が収まる程度。ざっと見たところ、地上と通じている通路は一か所のみ。実質、出口は壁の上部に開いているそこだけか。
    外気と温度差はないようだが、湿度が高いせいか身体に纏わりつく空気は重い。地中、そして壁のいたるところから水が染み出ているのが高湿度の要因だろう。
    加えてバイタルは正常。スーツからの警告もなし。空気中には有毒な浮遊物は含まれていないらしい。まぁ、異常がなさそうなのは空気中に限定されるが。

    少し離れたところに立っていた保科が、天井を見上げながら感心したような声を発した。異空間のど真ん中に立っているにも拘わらず、関西弁には憎たらしいほど緊張の色はない。
    第3うちの野外訓練場が軽く収まる広さやなぁ」
    「そっちは随分と狭っ苦しいところで訓練しているらしいな」
    「各設備に規定サイズがありますし、言うて変わらん広さちゃいます? そないなところで自慢げにされましてもリアクションに困りますわぁ」
    「あぁ⁉ お前こそ、めちゃくちゃ言い返している分際で、よく堂々とそんなセリフを吐けたものだな!」
    「鳴海隊長の冗談はおもろいんやけど、一旦ここで締めさせてもろて――」
    「ボクは本気で言っているんだが⁉︎」
    保科は顔の横で手を掲げて鳴海の反論をスルーし、強引に話題を切り変えた。
    細目が薄く開き、視線を地面へ落とす。
    「ここの水溜まり、どれも青く光っとりますけど……怪獣の体液っぽいですね」

    保科が言うように、地下空間内には青く発光する水溜まりが点在していた。サイズは大小様々で、数も軽く十はある。
    色もそうだが、発光している時点で飲料水ではないものが溜まっているのは明らかだ。
    「ただの雨水が光るはずがないだろ。目が細すぎて外の雨を認知できなかったか?」
    「細いだけでちゃんと見えとりますけど。この通り、鳴海隊長の仏頂面から眉間のシワまでバッチリと」
    「あ⁉ まともな応答などボクは求めてないが⁉」
    銃剣を肩口に載せたまま保科を睨みつけていると、強張る視界の端で何かが動いた。
    トカゲだ。
    それも怪獣ではなく、爬虫類に分類される小型の。

    手のひらサイズ程のトカゲは、庭でも散歩するように慣れた様子で泥状の地面をトテトテと歩いていく。
    かと思えば、トカゲは躊躇することなく青く発光する水溜まりへ足をつっこんだ――が、異変らしい異変はない。
    軽く遊泳を楽しんだ後、トカゲは平然とした足取りでゆるんだ地面を進み、そのうち暗がりに溶けていった。

    「苔とかは普通に生えとりますし、トカゲみたいなやつも平気そうな顔で歩いとりましたけど……なんや不穏な空気が充満しとりますね」
    「不穏もなにも、怪獣反応があったのだから当然だろ」
    示し合わせた訳では断じてなかったが、自分と同じように保科もトカゲの動きを観察していたらしい。

    まったくもって面白くない。
    分析結果が糸目オカッパと同じということは、思考回路がコイツと近いというのとほぼ同義じゃないか。

    認めたくない事実が立ちはだかり、あらゆる不快感をない交ぜにした不満が増幅する。
    保科と会話をすると否が応でも感情が逆立つ。
    対して怪しく光る洞窟内は、不自然なくらい大人しい。
    件の水溜まりも、有害ではないと断定するには情報が不足している。
    トカゲやある一定の生物には無害なのか。都合良く判断を下すのは、後々自分の首を絞めることに繋がりかねない。
    警戒を怠った時点で思考が鈍る。
    保科の佇まいを見るに、油断大敵の姿勢は腹立たしいくらいコイツにも叩き込まれているらしかった。
    横目で保科の動向を確認しつつ、水溜まりが点在する地面、水が染み出ている壁へと視線を滑らせていく。


    怪獣の姿はない。――――が、いるな。


    怪獣出現の合図など当然存在しない。
    前触れなく爆発音が轟いた。
    音の発信源は、下だ。

    土砂を吹き飛ばしながら、地面が跳ね上がるように隆起した。
    変動する地面に巻き込まれないよう、脊髄反射で横へ大きく跳躍し、地面の割れ目から飛び出した影を回避する。
    激しい衝撃で地下空間全体が緩んだのか、吹き飛んだ地面、そして壁中から水道管が破裂したような勢いの水が噴き出している。
    直前まで立っていた場所はもう、怪しく発光する水の中だ。

    出たな。

    壁の凹凸に足をかけ、高い位置に張りつく怪獣を睨みつける。
    地中に棲み着いている怪獣だ。爬虫類系や菌類系あたりの一癖ある、ろくな怪獣じゃないと思ってはいたが――

    「よりによってカエルか」

    ようやく姿を現した怪獣に対し、全身の気力が抜け落ちそうな勢いの深い溜息がこぼれた。
    唸り声のような音を上げながら地面から出現したのは、約3、4メートルはある蛙の姿をした怪獣だった。
    薄暗いため正確な体色は不明だが、見た目は青く発光するヤドクガエル。サイズは規格外のウシガエルといったところだ。
    ぬらりとした表皮からは、周囲の水溜まりと同じ見た目の液体が怪しく光りながら垂れている。

    警告のつもりなのか、壁に張りついた怪獣は落ち着きのない様子でグルグルと喉を鳴らしている。
    警戒心が強いのか、それとも臆病なだけか。
    もしくは己の能力に相当な自信があり、こちらを舐めまくっているか。
    黄色く光る目玉を睨みつけながら間合いを詰めていた矢先、視界に収めていたはずの青白い塊が急にブレた。

    怪獣の姿が視界から消えた。

    消失を把握したのと同時に風圧が迫るのを察知し、素早く横に跳躍すれば、激しい風切り音が真横を通過した。
    髪が風に煽られ、ドシンと重低音が背後で響く。
    どうやらこの怪獣の気性は3つ目に該当するようだ。

    壁に激突した怪獣は痛くも痒くもないといった様子で身体を起こし、再び爆発的な脚力で壁を蹴り上げた。
    次のターゲットに選ばれたのは保科だ。
    暗がりではっきりとは判別できなかったが、どうやら怪獣の目論みは不発に終わったらしい。

    衝突に伴い土砂が降り注ぐ中、ウサギのようにちょこまかと落下物をかわしている保科の姿を捉えた。
    「チッ、見た目通りカエルらしい避け方しやがって」
    「マズイですね」
    崩れ落ちる土砂を回避していると、保科が喋りながら近くへ移動してきた。
    「蛙系は毒を所持してる個体が多いです。本獣クラスはユニ器官に猛毒を蓄えとることもありますし……地上に出さん方がええの一択やな」
    「おい! 早口でベラベラとうるさいぞ!」
    「鳴海隊長が先に話し振ってきたんやないですか。蛙系やって」
    「はぁ⁉︎ ……はぁ~。まったく、第3は自意識過剰な面子が揃っているらしいな」
    「それブーメランなのわかっとります?」
    「図星を突かれたからと言ってうるさいぞ! ボクは事実を口にしただけだ!」
    くだらない会話に時間を溶かしているうちに、周囲の状況は転がり落ちるように悪化していた。

    連続で攻撃をかわされたのが相当気に食わなかったのか、怪獣が怒りを放つように激しく唸った。そして本物の蛙さながらに、土壁で覆われた空間をでたらめに跳ねまわりだした。

    壁、天井、右、左。上、下――こちらの攪乱を誘導しているのか、不規則に、体液を散らしながら的確に、鳴海と保科へ突進をかましてくる。
    暴れまわる怪獣が、強い衝撃を壁や天井に与え続けていた影響で、とうとう壁から水が噴き出し始めた。それも一か所や二か所じゃない。パッと目視できるだけでも、水漏れは数十か所に及んでいる。
    猛スピードでの跳躍を繰り返す巨体をかわす度に、衝撃音が轟き、地下全体がグラグラと揺れる。

    怪獣が引切りなしに暴れているとはいえ、長雨の影響で地盤は元から脆くなっている。これ以上、ここに衝撃を与え続けるのは得策じゃない。
    下手をすればこの空間が崩壊する。
    崩れたら最後。
    怪獣討伐どころか、保科共々生き埋めエンドだ。

    直前まで忙しなく口を動かしていたオカッパも、さすがに地下空間の状況変化に気がついたようだった。
    ふざけた笑顔が真顔に変わっている。
    どうやら『副隊長』の肩書きを担っているだけの判断力はあるらしい。
    実力を計測するように保科へ視線を流していると、保科が声を張った。
    「このまま暴れられたら、生き埋めルート確定ですわ。はよアイツを止めんと」
    「ふん、お前に言われなくても分かっている。いいか、アイツはボクがやる。お前は大人しく壁際で体育座りでもして、ボクの最強っぷりを糸目を見開いて焼きつけていろ」
    踏み込む直前、保科の声が耳を掠めた気がした。
    無論、耳を傾ける義務はない。
    再び怪獣の足がボコっと膨張した。感情を爆発させるような咆哮が地下全体に響き渡る。

    足元の揺れを置き去りにする勢いで鳴海は地面を蹴った。

    次々と降り注ぐ落下物を駆け、地下空間内を高速で飛び交う怪獣をかわし中央へ躍り出る。
    水飛沫が上がる中、腰を落として銃剣を振りかぶる。ネオンピンクの閃光が発生し、眼前が発光する。
    全身の筋肉は余すことなく増強。

    思考はクリアだ。

    「どうだ、これなら暗がりでも狙いやすいだろ?」
    来いよ、と揃えた指先をクイクイと動かせば、煽りに乗せられた怪獣が激しく唸りながら壁を蹴りつけた。
    よそ見もせず、鳴海だけを狙って一直線に飛んでくる。
    「バカ正直なやつは嫌いじゃない」
    眼圧が高まり、眼球全体に電気が流れているような感覚が訪れた。
    識別怪獣兵器1ナンバーズ発動と同時に、電気信号と透過像で構成された映像が脳内へ流れ込む。

    生物の電気信号を"見る"と同時に"理解わかる"世界。
    五感が、視覚が冴え渡る――。

    接触する直前で右前足の振り上げ――それでボクを吹き飛ばすつもりか。
    そして、体内をめぐる信号が必ず経由する一点、核は胸の下部。

    「スピード自慢だったらしいが、お前よりボクの方が速かったな」
    未来を追い越し、溜め込んだ力を一気に解放するように上半身を捻り、高速で銃剣を振り上げる。
    分厚い重さが刃にかかったのは一瞬。
    ズバンという炸裂音の後、怪獣が発したのは「ギャウ」という短い一音だけだった。
    生命活動が停止し、怪獣だった塊が地響きを伴いながらその場に崩れ落ちた。

    波立った水面が、眉間にシワを刻んでいる鳴海のふくらはぎへ打ちつける。
    銃剣を下ろした鳴海は、黙ったまま怪獣だったモノを見下ろした。
    胸の下部――内臓に埋もれるようにして存在していた核は砕け、エネルギー反応は既に消失。
    皮膚からの体液分泌こそ続いているが、怪獣の生命線はただの黒い塊と化している。
    しかし、欠片のような懸念が払拭されることはなかった。

    銃剣を背負うようにして担ぎつつ思案する。

    図体がデカいだけの本獣はそれなりに存在する。
    だが、コイツの場合はどうだ。毒らしき体液があったにしろ、手応えがなかった。
    小隊長どころか一般隊員の上位者でも討伐可能なレベルだ。
    それに加え、未だに余獣が1体も出現しないことも引っかかる。
    恐らくここは、蛙怪獣の巣か縄張りのどちらか。
    本獣の反応からして警戒心が薄い個体ではなさそうだった。だとすれば、侵入者を排除するには随分と静か過ぎる。
    単に余獣の初動が遅いだけか?
    それとも本獣の単独行動のケースだったか?
    もしくは、こことは別に怪獣たちの住処が存在するのか――。

    水位の上昇以外、不自然なくらい変化に乏しい現況に思案を巡らせていると、横からパチパチと拍手が近づいてきた。
    「さすが鳴海隊長、瞬殺でしたね」
    「ふん、当然だ」
    わざとらしい笑顔を一瞥し、担いでいた銃剣を保科側へ降ろす。
    「鳴海隊長が怪獣の注意を引きつけてくれたんで、僕もサンプル採集済ませられましたわ」
    明るい調子でそう言うと、保科は2つの透明カプセルを掲げた。それぞれのカプセルには、怪獣の肉片と例の発光体液が採取されている。
    怪獣のパーツが収められたカプセルを目にするや否や、こめかみ付近で血管がビキリと膨張音を上げた。

    出しゃばりもせず、めずらしく指示に応じているかと思えば……実は悠々と自分の仕事をさせてもらっていました~だと⁉

    顔面を引きつらせながら弧を描いている一本線を睨みつける。だが、目が細すぎてこちらの表情を読み取れないのか、保科は意に介さない態度のままへラリとした声色で報告を続ける。
    「いやー、毒系の怪獣は捕獲も難しければ、サンプル採集も困難を極めますんで。鳴海隊長の活躍のおかげで、部下の育成に貢献できそうですわ」
    嬉々として報告を口にしていた保科だったが、不意に静かになった。
    それまで軽快に動かしていた口を噤み、静かな呼吸と共にゆっくりと目を閉じた。
    瞼が押し上げられ、意思を宿した赤い瞳がこちらを真っ直ぐ見つめる。
    直前までは馴れ馴れしかった口調が、会議時のような神妙な物言いに変わった。
    「それにしても今討伐したコイツ、ホンマにFt6.やったと思います?」
    「さっきのがFt6.なら、識別クラスも大怪獣もたかが知れているだろうが。雑魚以下だ。弱すぎる」
    同意を示すように保科は静かに頷く。
    「ですね。余獣らしき個体もいませんし」
    一旦言葉を切り、保科は耳に装着しているインカムを起動した。地上へ通信を試みたらしいが、すぐに首を横に振る。
    「アカンな。やっぱり通信は繋がりませんわ」
    「だろうな。地中の時点でダメだろ。――それより、厄介なのはこっちだ」
    顎をクイっと動かし、足元を指し示す。膝下まで溜まった水をザブッと蹴る。

    本獣の出現により、地面に点在していた水溜まりは消失。あたりは青白く発光する湖に変貌していた。
    懸念は水位の上昇だけではない。
    絶命しているにも拘わらず、横たわっている本獣からは今も体液の分泌が続いている。
    「そうですね……。クソ、アイツが壁やらぶっ壊しまくったせいで、避けとったんが水の泡や。まぁ、この規模になったらどの道回避しようがないねんけど」
    保科は腰に手を当てながら肩を落としていたが、「それと」と言いながら顔を上げた。
    「スーツや皮膚の状態からして、溶解系でもないみたいですけど……なんや、喋っとるだけなのに、息がしんどなってきた気して」
    お前がベラベラ喋り続けているからじゃないか、と普段であればすかさず口を挟むところだ。だが、今ばかりは保科のセリフに同意せざるを得なかった。

    はぁ~~。これだから両生類系の怪獣は面倒だ。

    呆れに近い溜息の後、鳴海は自身の身体へ意識を向けた。
    直前まで動き回っていたとはいえ、今は立っているだけだ。会話を交わしていただけで動作はほとんどなし。にも拘わらず、バイタルは異常をきたしていた。
    心拍と体温は上昇、息切れ、そして発汗……予想通り、あれは毒か。それも遅効性の。
    身体の反応から察するに、おそらく交感神経を強制的に上げるタイプの毒。まぁ、溶解や錯乱の類いじゃないだけまだやり易いか。

    淡々と状況整理をしていた時だった。前触れなく眼球付近にビキリと強い痛みが走った。
    痛みが神経に触れ、戦闘中でも歪まなかった顔が反射的に強張る。
    「もしかして……鳴海隊長、目しんどいんとちゃいます?」
    「はっ! まったくもって平気だが?」
    「せやけど、怪獣から国を守る隊長どころか、極悪人みたいな目つきになっとりますよ」
    「目が細すぎて忘れているようだが、ボクはいつだってお前の前ではこの目つきだが?」
    声高々に保科の言葉と視線を払いのけ、平静を装い顎を上げる。
    余裕綽々。あと2戦でも余裕でいける。
    隊長様を舐めるなよ、と保科へ詰め寄ろうとした時だった。

    突然、息を吹き返したように地下全体が揺れ出した。


    ◇◇◇


    低い地鳴りに呼応するように、剥がれ落ちた土砂が再び落下し出した。

    上、下……いや、後ろか。

    背後で大型銃器の射撃音に似た爆発音が上がった。
    身体を捻りながら素早く前方に跳ぶ。
    爆発音から距離を取り、振り返った先で思わず目を見張った。次いですぐに口元が引き上がった。

    やってくれるじゃないか。

    一度静かになった闘争心に熱が宿り、身体中の血流が加速する。
    「ようやくお出ましか」
    大量の水、そして岩を砕くような爆音と共に現れたのは、湖に浸かっている本獣よりも一回り以上デカい、1体の余獣だった。
    目玉は緑色だが外見は本獣とほぼ変わらず、類似点が多い。
    一方で、顔半分は輸送車を簡単に丸のみするだろうデカい口が占めている。
    極めつけは、表面から流れ出ている体液だ。分泌量が本獣の比ではない。
    青色らしい表皮を覆うようにドロリとした大粒の液体が、ドプドプと垂れ流しの状態で分泌されている。
    出現した余獣の特徴を把握していた時だった。
    巨大な飛沫が上がった。ずっと水位を上げるだけだった湖面は不規則にうねり、グロテスクに発光しながら大きく波立つ。

    「余獣の分際で重役出勤とは、図々しいヤツだ」
    「デカいですね。報告自体はありますけど、余獣が本獣のサイズを上回るのはレアケースやな」
    保科が言うように、余獣が本獣のサイズを上回っていたという報告自体はある。
    だが、その報告件数はごく少数だ。同時に余獣の能力やスピード、耐久性などのステータスが本獣を凌駕していたという報告も存在する。
    仮に、ようやく姿を晒した余獣コイツがそのレアケースに該当する個体だとする。だとすれば、観測されたFt.と本獣の手応えのなさにも説明がつく。
    「……まぁ、どんな能力を備えた怪獣だろうと、ボクには関係ない。ボクがそいつを越えるだけだ」
    鳴海は天井を指さしながら、好戦的な視線で保科を刺した。
    そしてすぐに視線を断ち切り、激しく飛沫を上げ駆け出した。余獣に到達する目前で屈み、滑り込むようにして間合いに入る。
    本獣同様、狙うは胴体の一刀両断。
    しかし、振るった銃剣は大きな風切り音を上げて空を切っただけだった。余獣はジャンプで攻撃をかわし、鳴海の頭上を越えて背後に移動していた。
    振り返れば、余獣は土の天井にビタリと張りついている。それも、毒々しい体液をダラダラと垂れ流しながら。
    溜息をこぼしつつ、鳴海は顔に青筋を立てながら前髪をかき上げた。
    「高みの見物のつもりか? ……面白い。第2ラウンドも速攻で終わらせてやるよ」

    再び駆け出そうとすると当然、鳴海の胸の前へ腕が差し込まれた。
    「なんのつもりだ、保科」
    鳴海は躊躇なく腕の主をギロリと睨みつける。
    「アイツは、僕が引き受けます。鳴海隊長はそこでゆっくり休憩しとって下さい」
    「はぁ⁉︎ ボクは1ミクロンも疲れなど感じてはいないが⁉」
    「さっきから動きっぱなしやないですか。連戦はしんどい思うんで、無理せんで下さい。目にも負担がかかりますし。それに――」
    保科は一度そこで言葉を切った。慣れた動作で刀を抜くと、細く精悍な金属音が続く。
    静かに向けられた顔には、凛とした決意の気配がした。
    「隊長の道を斬り開くのが、僕の務めなんで」
    真っ直ぐにこちらを見ながら、保科はきっぱりと言い切った。
    向けられた赤い瞳には知らない光が宿っていた。

    瞬間、周囲に響き渡っていたあらゆる轟音が消えた。

    何を言っているんだ、コイツは。
    散々、顔を合わせれば軽口を叩いてくるクセに、コイツが指す"隊長"には亜白以外――ボクも含んでいるとでも言うつもりか?
    ……信じられんな。
    アイツの日々の言動。管轄を無視して刀を振るっていたのは、一個人の捏造でもなんでもない。
    偽りのない事実だ。
    そうだ。そもそも、信じる信じない以前の話だ。

    ふらりと揺らぎそうになった常識を即座に立て直し、意識を戦闘場面へ引き戻す。
    意識から音が消失していたのは、数秒あったかどうか程度だったはずだ。
    にも拘わらず、わずかなタイムラグの間に、保科は攻撃態勢に入っていた。膝まである水を高速でかき分け、毒に蝕まれているとは思えないスピードで余獣に迫っている。
    我に返り、先を走る背中へ怒号を投げつける。
    「おい! ウチの縄張りで勝手に動くな! 何度言わせるつもりだ!」
    眼球に残る灼熱感も、バイタルの乱れも関係ない。
    叩きつけるように激しく水を蹴り上げ、身勝手極まりない保科を追う。
    視界の先で、一足先に余獣へ辿り着いた保科が大きく垂直に跳躍した。侵入者を迎え撃つように、壁に張りついていた余獣が保科目がけて飛びかかる。
    視線の先で、紫の閃光が高速で短い曲線を描いた。

    戦力全解放――92%

    保科のスーツから無機質な合成音声が響いた。直後、ヒュパパと風切り音が高速で駆け抜けた。余獣の目玉、胴体の側面を紫の閃光が一直線に走り抜ける。
    保科が余獣の巨体を横斬るのと同時に、胴体に刃を通したらしい。
    表皮、肉、身が裂ける。ブシュッと音が上がり、裂け目から血が噴き出した。
    発光液を纏った塊が顔を上げ、禍々しく吠えている。
    「クソ」
    鳴海は顔を歪めながら舌打ちをし、保科の軌道を辿るように跳躍した。余獣との接近を図る。
    無駄にデカい存在感が眼前に迫ったのと同時に、泥にカビが混ざったような異臭がマスクを貫通して鼻を突いた。
    しかし、鳴海の思考を支配していたのは、悪臭でも余獣の存在でもなかった。
    余獣と保科の動向を追っていた目が、眼前で起こった事態を吸収しようとオートで拡張した。

    オカッパの動きがおかしい。

    表情を読み取れる距離で目撃したのは、ふざけた笑顔でも、減らず口を重ねるドヤ顔でもなかった。
    横顔は青白く照らされ、糸目は限界まで見開かれていた。
    こちらには一度も視線を向けず、無言で余獣を凝視している。

    保科が余獣の目玉と胴体を斬りつけた後、余獣が反撃を繰り出した素振りもなかった。
    負傷した様子もない。
    どちらにせよ、異常事態には変わりないらしい。

    地底湖状態の水面、そして地面を中心に地下空間全体がガタガタと震え出す。
    咆哮を続けていた怪獣の声質が変わった。緑の目玉がギョロリと動いた。正面を向いていた顔がぐるりとまわる。
    ロックオン先はもちろん、目玉の前で浮いている保科だ。
    余獣の口がガバリと開く。ドロついた発光液が涎のようにギラリと並ぶ歯を濡らす。
    「チッ、そうきたか!」
    斬ったはずの目玉が再生してやがる。
    保科は確実に余獣の片目を斬りつけていた。にも関わらず、目玉には出血どころか傷一つ見当たらない。

    コイツの本当の厄介さは毒じゃない。
    再生能力だ。

    「あんのオカッパ頭! いつまでもボケっとしやがって!」
    空中、万全ではない体調。今の保科があの捕食モーションを回避するのは――無理だ。
    全脚力を跳躍力へシフトし、高く跳び上がった先――余獣と保科の間へ身体を滑り込ませる。
    すぐ後ろで保科が叫んだ。
    「鳴海隊長⁉」
    「邪魔だ。呆けているなら場所を変われ」
    保科を突き飛ばし、発光液を吐き出している巨体へ銃口を向ける。
    「再生が自慢らしいな。なら、完治する前に核をブチ抜いてやるよ」
    直後、視界から余獣の姿が消えた――いや、見えなくなった。
    余獣の姿を見失ったのと同時に、中途半端な熱を孕んだ液体らしきものが全身に降りかかった。

    クソッ、目くらましだと 舐めやがって……!

    正面からまともに食らった。が、咄嗟に目を瞑り、網膜へのダメージは回避した。
    「残念だったな。指も、腕も、目も――全て使えるぞ」
    眼球へ意識を集中させRt-0001レティーナを発動する。と、同時に眼球へ激痛が走った。
    毒のまわりが想定よりも速い。
    好戦的な口元は維持しつつも、呼吸の乱れも隠せない段階まできていた。
    腹立たしいが、同じ怪獣組織とはいえスーツの同調とは勝手が違うらしい。
    成分までの単位となると、適正もあってないようなもの。症状の発現を多少コントロールし、若干の時間稼ぎが出来た程度だったか……。

    だが、こんな毒ごときで白旗を振る訳がないだろ。

    「毒がまわり切る前に撃てば、ボクの勝ちだ」
    どろりとした感覚が目から頬へと伝わる。それでも当然、口元から勝者の笑みが消えることはない。
    一度オフにしていたRt-0001レティーナを再び発動する。泡を溜めるのにラグがあるのか余獣からの追撃はない。頭上、足元へ牙の列が迫る。
    眼球を襲う、痛みの走る間隔が短くなっている。奥歯を噛み、トリガーへ指をかける。
    電気信号が集中しているポイント――

    見つけたぞ。

    急速でスーツとの同調を高める。無論、最大限までだ。
    直接筋肉を食らうような締め付けが訪れ、眩い電光が全身を取り囲む。周囲でバキバキと異音が鳴り響く。

    戦力全解放――98%

    高出力で銃撃を放つ。重い銃撃音と共に、激しい閃光が瞬間的に視界を支配した。
    閃光が晴れた眼下には、身体に風穴が開いた余獣の姿があった。


    鳴海は躊躇なく、倒れ込んだ余獣の顔面に着地した。眼球からの警鐘は聞こえない振りをして、剥き出しになった内臓を見下ろす。
    三分の一を残して核は破損。
    いくつかの小さなコブ状の膨らみを有する神経を確認したが、電気信号の光も末端から徐々に消失し始めている。
    まだ機能している臓器もあるが、核を破壊した以上、1分もしないうちに絶命するだろう。
    神経を研ぎ澄まし、周囲の気配を探る。
    あちこちで土砂が降り続いてはいるが、新たな余獣が出現する様子はなかった。とはいえ、討伐した余獣は1体だ。本獣討伐時と同じように時間差で出現する可能性は十分にある。
    警戒態勢を維持し、連戦に備えようと眼へ意識を向けた時だった。
    ビキンと鋭い痛みが目の奥を刺した。
    剣先が刺さったような痛みに思わず顔が歪む。

    血流が上がっているせいか、乱れた呼吸の立ち直りが悪い。
    毒のまわりを考慮し、全解放の時間もコントロールしていた。
    識別怪獣兵器ナンバーズ1の負荷がある分、眼球への影響は理解できる。だが、駆動限界オーバーヒートがここまで早いとは。
    ……いや、今さら身体へ気をまわしたところで成るようにしかならない。
    そんなことより、怪獣の討伐が一段落を迎えた今、早急に処分を下すべきなのはアイツ――あそこで突っ立っている保科だ。

    オカッパ野郎が! 隊長命令をことごとく無視しやがって!


    ◇◇◇


    一言、いや十は文句をぶつけないと気がすまない。

    ザブザブと水を踏みつけながら、俯いたまま動かないでいる保科へ近寄る。
    「保科ァァ! お前いい加減にしろよ 何を考えてるか知らんが、自分の都合で動きやがって!」
    遠慮なしに発した怒号はそれなりの声量だったはずだ。にも関わらず、目の前のオカッパはビクリと肩を揺らすどころか、腰に手を当てたまま微動だにせず顔を伏せている。
    この至近距離でシカトを貫くつもりかと、全身の血管がビキリと浮き上がる。
    「おい! 聞いてるのか⁉」
    乱暴に肩を掴み、強引に振り向かせたところで咄嗟に、喉元までせり上がっていた文句の言葉が固まった。
    顔を上げる余力がないのか、保科は下を向いたままゼーゼーと肩で息をしている。外されたマスクが首元で力なく揺れている。
    そのうち数回、肩が大きく上下した。
    ゆっくりと持ち上がった顔には、額だけではなく頬や首筋にも汗が浮いている。
    視線がかち合った瞳は全体が潤み、熱を帯びていた。

    保科は気怠そうに瞬きを一つしてから、また俯いた。
    「声、でっか。……そない大声出さんでも、よぉ聞こえとりますって」
    切れ切れに発せられる関西弁には、あの憎たらしいほどの流暢な舌の動きは影も形もなかった。 
    生意気な態度こそ健在だったが、声には威勢も覇気もない。軽く声を出すだけでも体力が削られるらしかった。
    黙り込んでいるにも拘わらず、保科の顔には次から次へと汗が浮いている。
    顔面を滑ったうちの一滴が、無駄な肉がない輪郭をするりと辿り、顎からぽたりと落ちた。

    症状が悪化しているな。
    戦力解放状態で動いた影響で毒のまわりが速まったか。
    ボク同様、スーツもおそらく駆動限界オーバーヒートを起こしている。

    「自業自得だな。ボクの命令を無視して動くからだ」
    突き放すように事実を投げつければ、目の前にある紫色の頭がもぞりと動いた。
    切り揃えられた前髪の隙間から、覗いた赤い瞳がゆっくりと持ち上がる。瞬間、保科が目を大きく見開いた。
    「鳴海、隊長……!」
    「なんだ、文句でもあるのか? ボクは正論しか言っていないぞ」
    「そう、やなくて」
    その保科のセリフが鼓膜を通過し切る前に、見返るのと同時に銃剣を構えた。眼前で巻き起こった現実に、戦闘経験値が高い鳴海も思わず眉を寄せた。

    なんだ、あれは?
    新たな余獣か? ……いや、怪獣の位置からしてさっき胴体をぶち抜いたあの余獣だ。
    確かに、核破壊後も電気信号の残滓は残ってはいた。
    だが、核は機能停止していた。それはボク自身が見ている。この眼で確実に。
    だとすれば、疑問が残る。

    何故あの余獣は動いている?

    立ち上がった余獣が、銃撃でぶち抜いたはずの口をゆっくりと開いた。
    内臓を直接揺さぶるような、低く籠った咆哮が轟く。水面が、肌が、ビリビリと震える。
    咆哮が止んだ。
    攻撃が来る――かと身構える。が、余獣はこちらに興味を示すことなく、泥状化している地面へ潜り込んだ。
    壁の次は、地面に穴を開けるつもりか。
    怪獣の思考を予測し駆け出そうとした時だった。身を翻すよりも先に、背後でザバンッと激しい水飛沫の音が響いた。
    余獣が現れたのは、本獣の亡骸が横たわっている真横だった。何故かガバリと大口を開けている。
    状況を凝視していたまさにその眼前で、ギラついた歯が本獣に食い込んだ。
    グチュリ、バキッと狂気の音を上げながら、今度こそ本獣の存在が視界から消えた。

    自身と大差ないサイズの怪獣を丸のみしたというのに、余獣の腹はまだ満たされていないらしい。
    血走った緑色の目玉がグルリと回転し、次の獲物を見つけるのと同時にスタートダッシュを切った。膨張した四肢で水を蹴り、高速突進でこちらへ突っ込んでくる。
    毒による発熱の影響で、思考が追いついていないらしい保科を片腕で抱えて横へ跳び、余獣の軌道から離脱する。
    「それだけ食っても満たされないとか、随分とコスパの悪い身体だな」
    壁際へ移動しつつ、眼球の激痛を追いやりながら振り返る。

    自分たちを食いそびれた余獣はそのまま直進し、ドカドカと力任せに壁を踏みつけながら土壁を登り始めた。
    身体に対してサイズが心心許なかったのか、出口には興味を示さず、土壁の高い位置に張りついて動かなくなった。
    緑の目玉と身体から溢れる体液だけが、相変わらず忙しなく動いている。

    見た目は両生類のカエル。だが、怪獣は怪獣ということか。
    駆けながらRt-0001レティーナ越しに余獣を視ることで、ようやく奇行の理由を理解した。
    なるほど。ゲームの残機みたいなものか。
    チッ、高速再生だけじゃなくチートな復活機能まで現実世界に持ち込みやがって。

    怪獣に人間側の常識は通用しない。
    頭に刻み込んでいたはずの事実を舌打ちで追いやり、思考を切り替える。
    ダラリと脱力したまま、大人しく腕に抱えられている保科へ視線を落とした。
    抱えているだけでも体温が高いのが伝わってくる。

    熱いな。意識はあるようだが、自由には動けんだろう。動けたところで戦闘は無理だ。
    ひとまず、コイツは離脱させる。

    土壁がえぐれた箇所を見つけ、その中へ保科をドサリと置いた。
    「お前はここで大人しく寝てろ」
    そう言い捨てた後、鳴海はフリーになった腕を軽く伸ばした。
    破損したマスクを首元で揺らしつつ、指をグーパーと動かして身体状況を確認する。
    外傷は特になし。内側は……良い感じにギアが上がり、ウォーミングアップも万全。
    懸念といえば、銃口まわりで火花を散らしている銃剣くらいか。
    銃側は使い物にならなそうだが、剣はまだ使えるな。
    血液の循環速度が加速しているのを感じつつ、鳴海は壁に張りついている余獣を見据えながらゆったりと銃剣を担いだ。

    こちらの出方を窺っているのか、余獣は緑の目玉をギョロつかせているだけで動き出す気配はない。
    どうやら余獣も同じ轍を踏むのは御免らしい。
    地下全体の地盤の緩みも進行している。
    地上は雨。
    街中に水場がある状態だ。あの余獣が地上へ逃げ出せば、瞬く間に毒の侵食が始まる。
    アイツを地上に出す訳にはいかない。
    地下空間ここで片をつけてやる。

    「アイツはボクが始末する」
    「せやけど、鳴海隊長」
    銃剣をギチリと握った時だった。汗を滲ませた声が背中にかかった。鳴海は振り返らず、淡々とした声色で言い放った。
    「意識を保っているのがやっとな奴がいたところで戦力にならん。今のお前には毒も薬だ。いい加減、大人しくしているんだな」
    「鳴海隊長のお気持ちは嬉しいんやけど……お断りします。戦力解放をセーブすれば、まだ動けます。余獣の気を引くことくらい、今の僕でも出来ます」
    背中にかかった言葉に反応し、眉がピクリと持ち上がる。
    振り返り、汗を垂れ流しながらこちらを見上げる保科を睨みつける。
    立つことも出来ず、地べたに座り込んでいるクセに何を。
    「毒で耳までいかれたのか? つべこべ言わずに下がってろ。今のお前に何ができるって言うんだ。無鉄砲と責任感を履き違えているような無能はいらん」
    現実を見ろ、と威圧を含めた言葉をストレートに浴びせかけた。向かって来る目から視線を逸らさずに。
    だが、保科の顔色は一つも変わらなかった。
    保科は長めに息を吐き、壁に背中を押しつけながらズリズリと立ち上がった。
    「せやかて、隊長さんに庇ってもろうておいて何もせんかったら、第1のエリートの皆さんになんて言われるか」
    力ない笑顔が、濁りのない赤い瞳が、真っ直ぐにこちらを見る。 
    「怪獣を討伐する――僕の目的は鳴海隊長と同じです」
    ゆっくりと二本の刀を抜き、柄を握り締めながら「それと」と保科は続ける。
    「隊長の道を斬り開くのが、僕の役目や」
    生意気な眼のまま、保科はさっきと同じセリフを繰り返した。

    今度は、周囲の崩壊音が消失することはなかった。
    脳内の隅に追いやった違和感は、良くも悪くも勘違いではなかったらしい。
    薄い目から向けられる瞳に怯えの色はない。そして、一つの冗談も滲んではいなかった。
    人を小馬鹿にした言動。堂々と管轄外の討伐に参戦する図々しさ。それらも記憶違いなどではなく、紛れもない事実で過去だ。
    実力を誇示することがコイツの目的だと思っていた。だが、二度も向けられた言葉に添えられた決意をみすみす見逃すほど、生憎こちらの"目"も鈍っちゃいない。
    駆動限界オーバーヒートの影響で全身はボロボロ、毒で喋るのもやっとなのも見え見えだ。そのクセ、口だけはよく動く。
    目障りで癪に障る、が……まぁ、口だけの出しゃばりよりは多少マシではあるか。

    「ふん、カッスカスの声でどんな戯言を並べるかと思えば。くだらん。お前の信念も、情熱も、全く興味ない。ボクには無関係だ。――だが」
    持ち上げた銃剣の先で保科の顎を指す。
    「その覚悟だけは買ってやる。とはいえ、それとこれとは話は別だ」
    踵を返し、青白く発光する湖を見据えながら言葉を続ける。
    「アイツ――あの余獣には核が複数ある。……いや、正確には核の機能を有している器官が複数、か」
    「はっ そないなこと……いや、怪獣相手に『ありえん』は通用せんか」
    背後で保科が息を呑んだ。が、状況整理をするようにボソボソと続いた声に動揺の色はない。
    「そういうことだ。おそらくトリガーは共食いだ。メカニズムの詳細は知らんが、本獣の死骸を食ったことと、余獣の体内に核様の反応が複数点在しているのを”視た”のは事実だ」
    「なるほど……。奇怪な構造をした怪獣もおるからな。そうと分かれば尚のこと、さっさと討伐した方が良さそうですね」
    声だけでも、保科が正面しか向いていないとわかった。怪獣を討伐する――自身の身体は二の次に、迷いなく刀を抜こうとしていることが。

    これだけ明かしても武器を手放す気ゼロか。たく、強情な奴め。

    「はぁ~、オカッパのクセに丸いのは見た目だけか」
    「それってどういう意味――」
    鳴海は保科の言葉を途中で遮った。赤い瞳にかかる隠し切れていない水膜を見据え、頭の固い部下へ真剣な口調で指示を出す。
    「隊長命令だ。保科、お前はここで待機していろ」
    それだけを言い渡し、鳴海は今度こそ毒の湖へ飛び出した。
    そのまま振り返らず、青白くライトアップされた戦場へ意識を集中させる。
    いよいよ膝上の位置まで水が到達していた。
    着水と同時に高速で水をかき分け、余獣が張りついている壁――空間の奥を目指す。
    余獣の元へ辿り着いた鳴海は、挑発的な笑みを浮かべながら、真正面から緑の目玉に向って指を突き立てた。

    「ファイナルマッチだ。今度こそ息の根止めてやるよ」

    眼が、身体が、燃えるように熱い。


    ◇◇◇


    トリガーを絞るも、予想通り銃側は機能不全に陥っていた。

    銃撃は――ダメだな。さっき泡を食らったときにショートしたか。今使える攻撃は斬撃のみ。それも半分破損している。
    まぁ、どっちにしろ相手は遠距離攻撃をさせるつもりはないようだ。

    絶え間なく降ってくる土砂と泡をかわしつつ、間合いを詰めるタイミングを計る。
    完全再生したとはいえ、どうやらさっきの銃撃は相当嫌だったらしい。
    休みなく泡を乱れ打ちするだけで、余獣が壁から降りてくる様子はない。
    好都合だ。
    こっちも丁度、防御ターンばかりで飽き飽きしていたところだ。
    斬った泡を目くらましに使い、間合いへ身体を捻じ込んでやる。

    スーツとの同調をセーブしている影響なのか、機動力も普段より劣る。
    水位が増した水に足を取られ、回避のテンポとイメージにズレが生じる。
    密度のある空気も重く、煩わしい。
    警鐘を鳴らす痛みが断続的に訪れる。まるで全身の複数個所にに心臓が点在しているような感覚だ。
    身体が重い。一挙一動が鈍い。
    息が、熱い。
    汗か血かわからない液体が顔を流れる。
    それでも、まだ動ける。
    心臓が破裂しない限り、駆動限界は存在しない。
    まだ、戦える。

    「こんな毒ごときでボクが怯むと思うなよ?」
    水面を抉る速度で跳び、迫る泡を薙ぎ払おうとした時だった。
    鳴海が銃剣を振り抜くよりも先に、二本の閃光が眼前で交差した。
    「鳴海隊長、すみません。待機命令破ります!」
    保科が繰り出した斬撃は迷いなく空を裂き、噴射された泡と大口の中に収納されていた舌を斬りつけた。
    余獣の痛覚ももれなく再生しているらしく、痛みを訴える咆哮が地下空間に響き渡る。
    ダラリと伸びた舌の先端から、新鮮な血液がダラダラと流れ落ちる。
    鳴海の隣へ保科が着水した。平謝りをするように保科がペコリと頭を下げる。
    「……ボクは『待機だ』と言ったよな?」
    「わかっとります。せやけど、隊長一人に任せて自分はのうのうと傍観者やなんて、防衛隊の恥や」
    保科の話を打ち消すように余獣が吠えた。
    舌を斬られてキレたか。すぐに再生するクセに余裕のない怪獣だ。

    舌を高速再生した余獣が泡攻撃を再開する。
    連続で発射される泡をかわしつつ、同じように回避行動を取っている保科へ文句を飛ばす。
    「お前がしゃしゃり出たせいで蛙がキレたぞ」
    「僕のせいやなくて、鳴海隊長が先に銃で胴体を消し飛ばしたからやないですか?」
    毒の影響が消失したかのように、保科の憎たらしいセリフまわしは滑らかだ。
    だが、顔には大粒の汗が浮いている。
    減らず口め。生意気に平静を装いやがって。
    カラ元気でボクの眼を誤魔化せるとでも思っているのか?

    舐めやがって。

    回避行動を継続しつつ、鳴海は思考をシンプルにして状況把握を進める。 
    足は怠いが動く。Rt-0001レティーナは……あと1、2回はいけるな。
    痛みは身体中に及んでいるが、それがどうした。
    銃剣が大破したとしても、余獣から骨でも牙でも奪い取ればいい。
    まだ、単騎で討伐可能だ。
    ……だが、それは戦場ここにいるのが”自分一人”に限った場合の話だ。
    単騎で高速で掃討するには、気絶でも失神でも、保科が大人しくしているのが条件に含まれる。
    戦闘に加わるのをオカッパ頭が譲らないのなら、戦法を切り替えなければならない。

    チラリと横目で保科を見る。
    平気なフリを貫いてはいるが、これ以上時間をかけるのはマズイな。
    まったく、こっちの迷惑も考えずに好き勝手しやがって。

    肺にある酸素を全部吐き出す勢いで溜息を吐いてから、鳴海は保科へ呼びかけた。
    「保科」
    次の一撃で仕留める。核が複数あろうが関係ない。
    これが最速の討伐方法だ。
    「ボクのサポートに入らせてやる。その代わりミスは許さん」
    「は?」
    保科から返ってきたのは空気を大量に含んだ声だった。唖然、と書かれた目を向けられ、思わず肩の力が抜け落ちる。
    さっきまでの図々しさは一体どこへ行ったんだと、大きく肩を上下させながら息を吐く。
    「はぁ〜、間の抜けた返事だな。ボクは器が広いからな。お前に名誉挽回のチャンスをやろうって話だ。これまで散々ウチの縄張りで好き勝手に行動したんだ。そこまで自分の腕に自信があるなら、この状況下でも討伐を遂行できると実力を示してみせろ。 ――ただし、条件が一つある」
    余獣の攻撃をかわしつつ、保科の鼻先に向ってビシリと指を突き立てる。
    「戦力解放はするな」
    保科は不思議そうな顔で瞬きを数回した。そして、黙ったまま素直に頷いた。
    「話はわかりましたけど、急にどうしたんです? やっぱり目、辛いんとちゃいますか?」
    「ぁ⁉︎ 毒なんて大したことないに決まってるだろ!」
    弱っていると見せかけておいて、やっぱり食えん奴だ。聞こえるように大きく溜息を吐き、仕方なく話を続ける。
    「お前なら足場がなくても連撃いけるだろ」
    「そりゃあ、やれんこともないですけど」
    「なら決まりだ。正面はボクがもらう。お前はガラ空きになる下半身を切り刻め」
    「僕が、ですか?」
    「なんだ、後始末同然の役割は不服か? それとも、お前の言う『隊長』は、亜白に限ったものだったか?」
    目を細めながら淡々と、会議で交わすのと同じようなトーンで問いかける。
    保科の頭が考え込むように下がった。かと思えばすぐに顔が持ち上がり、さっぱりとした知らない笑みと目が合った。
    「……そういうことなら、わかりました。任せて下さい。先に休憩もろうたんで身体もさっきよりマシになったんで。それに、怪獣を斬るのは得意なんで」
    決意に満ちた返答だった。保科の答えに薄く口角を持ち上げている自分がいた。
    「そのセリフ、嘘じゃないと証明してみろ」

    攻撃を回避され続けてイラ立ったのか、余獣から太い咆哮が上がった。
    四肢の筋肉が膨張し、抉るようにして壁を蹴り、安全策を放棄した余獣がこちらに向って突進を繰り出した。その速度に追いつけなかった毒液を撒き散らしながら、急接近してくる。
    突進後の急な進路変更はない。
    攻撃パターンを読み、背後へ大きく跳ぶ。
    「合図は一度しか出さない。聞き逃したら――わかってるよな?」
    二手に分かれた保科へ声を飛ばす。
    「了」
    短い応答の後、保科は着水と同時に壁へ向かって跳躍した。保科の姿が暗がりに溶けた。
    花火に似た炸裂音の直後、目の前に巨大な水柱が立ちはだかった。水の壁が目眩しとなり、余獣の位置が読めない。
    だが、こっちが把握できないということは、余獣も同条件にあるということだ。
    鳴海は瞬時にマスクを剥ぎ取り、大きく腕を振りマスクを投げ飛ばした。低空飛行で飛んだマスクがパシャンと着水した直後、青く発光する前足が水の壁を突き破った。

    そこか。

    銃剣術2式――斬幕砲火。

    余獣の位置を認知するのと同時に、大型大砲サイズの前足を切断すれば、痛みを訴えるように余獣が大きく吠えた。瞬間、血走った気配が背後を支配した。
    怒りを伴った威圧感が空気を染め上げる。
    「水を差すようで悪いが、当然それも見えているぞ」
    振り返り、頭上まで開いた口を目に映した直後、世界が暗転した。

    ベトついた黒が全身を包む。だが、粘着いた黒も、咽返るような湿度もどうでもいい。

    恐怖心?

    生憎、そんなものは微塵も持ち合わせていない。

    「お前は再生が自慢なんだったよな? なら、自慢の再生力を存分に発揮したらいい」
    眩い閃光が迸る。
    スーツの締めつけだけでなく、骨や筋肉がミヂミヂと嫌な音を上げる。が、そんな身体からの悲鳴に耳を貸しているヒマはない。
    眼圧が高まり、鋭い痛みが走る。両目に液体が溢れ出る感覚が訪れる。
    銃撃は使えない。なら、使える手法を使えばいいだけだ。
    生温い黒が支配する閉鎖空間で、縦に銃剣を構える。
    狙うは、右の目玉の深部に潜む核だ。
    「とっておきだ。思う存分味わえよ」

    戦力全解放×防衛隊式格闘術4式――昇破。

    戦力全解放と格闘術を同時発動し、核を目掛け、上顎へ一気に銃剣を突き立てる。
    鈍く生々しい感覚を伴いながら剣先が骨と肉を貫いて進む。そして、剣先にガキリと硬い感覚が訪れた。

    核を捉えた。

    直後、暗闇の奥から凄まじい突風と奇声が湧き上がり、全身を激しく揺さぶった。
    眼球を貫いた武器をその場に放棄し、悶絶の咆哮に乗じて外へ飛び出す。
    切断した前足と目玉は既に再生済みで五体満足。にも拘わらず、余獣は飽きもせずに呻き声を轟かせている。
    止むことのない裂傷がダイレクトに眼球を襲い続けているのだから、ある意味この余獣の反応は正常ともいえるか。
    それと、もう一つの狙いも的中した。
    鳴海は虹色を放つ球体を自身の眼に映しながら、口端をニヤリと持ち上げた。そして叫んだ。
    「保科! 腰椎と腓腹ひふく筋周辺を切り刻め!」
    落石の音に混ざり、細い風切り音が鼓膜を掠めた。
    保科が空中で刀を構える。
    クリア目前のゲームをプレイする時のような、期待と緊張が入り交ざった高揚感が全身を駆け抜ける。
    鳴海が持ち上げた腕にはもう、余計な力は入っていなかった。
    「ここまでお膳立てしてやったんだ、切り残しは許さんからな」
    このセリフが保科へ届いたのかは知らない。そんなことはどうでもよかった。
    それでも一瞬、保科の表情が緩んだように見えた。

    空中で保科が身体を捩った。高速で腕を振り、紫の閃光が余獣に降り注ぎ、余獣の背中から肉と血液が飛び散る。
    左右、上下――休みなく直線的な閃光が走り、ある地点で怪獣の咆哮がピタリと止んだ。
    激しい水飛沫と共に、余獣の身体が崩れ落ちた。

    どうやら核のストックが尽きたらしい。

    切り刻まれた余獣の肉片は再生する素振りも見せず、沈黙を貫いている。
    Rt-0001レティーナ越しに核の機能を有していた球体、および神経に小球体が存在しないことを確認する。
    電気信号も、完全に消失している。
    「チッ、体力が尽きたと喚くのを期待してたってのに、要領良くやりやがって」
    波立つ発光液を太ももに浴びながら、鳴海は首を左右に倒すと腕を伸ばし、万が一に備えていたモーションを解除した。

    「鳴海隊長」
    後頭部にかかった声に応じて振り返る。
    そこにあったのは、顔中に汗を垂れ流しているクセにどこか涼し気な、穏やかな笑顔を浮かべた保科の姿だった。


    ◇◇◇


    掃討した余獣が食い尽くしたのか、新たな怪獣の気配はない。

    「とりあえず、終わった感じですかね。地上に出さんで済みましたね。まぁ、鳴海隊長の武器も破損しとりましたし、実質ギリギリやったけど」
    「ふん、武器がないなら現地調達すればいいだけだろ。牙でも爪でも、怪獣の身体から奪い取って使えばいいからな」
    片手で前髪をぐしゃぐしゃと解し、狭まった視界から地下空間の上部を確認する。
    崩壊に乗じて侵入時に使用した入口は、その面積が広がっているだけで今も塞がらずに残っていた。
    崩壊する地層が変わったのか、土砂に石が混ざり始めている。
    出口を見上げながら状況把握をしていると、隣に並んでいた保科が呟いた。
    「出口までそれなりに距離はありますけど、全解放で飛べばギリギリ届きそうですね」
    「そうだな」
    「このスピードで水位が上がるんやったら、そう待たんでも水が溜まると思うんで……鳴海隊長は先に脱出して下さい」
    「……お前はどうするつもりだ」
    「僕は、後から泳いで脱出します。さすがにこれ以上スーツを酷使したら、明日からの仕事に支障出してしまうんで」
    へらりと笑いながら提案している割には、その明るさの影に表情の強張りを隠し切れていなかった。
    何が『泳いで脱出する』だ。生意気に強がりやがって。
    長い、長い溜息を吐き出す。
    「ここは第1の管轄だ。第3のやつに好き勝手させる訳がないだろ」
    能天気を装う保科を睨みつけてから、再び出口へ視線を飛ばす。

    ……行けるな。

    「鳴海隊長、何してるんですか?」
    保科に背を向けて屈むと、訝しむというよりは不思議でならないと言いたげな声が返ってきた。
    「察しが悪いやつだな 貴様はいちいち一から十まで説明しないと分わからんのか」
    「え? もしかして、僕を背負って脱出するつもりですか? ……鳴海隊長って、人命救助で自分の身体使うタイプのお人でしたっけ?」
    反射的に脳内で青筋が浮き立った。が、溜息で肺を換気することで何とかイラ立ちと平常心を入れ替える。
    「はぁ、不本意に決まってるだろ。……そもそも、今のお前に選択肢などないだろ」
    クイっと顎を上下させ、保科の左足を指し示す。
    「左の足首、さっきから庇ってるだろ」
    「――っ! ……気づいとったんですか?」
    「途中から踏切が落ちていただろ」
    「誤魔化せてる思てたんやけどなぁ」
    「はっ! お前の頭はどこまでもお花畑だな。ボクの眼を欺けるはずがないだろ」
    「はは、それもそうでしたわ」
    「それに怪獣組織との同調率において、ボクの右に出るやつはいない。最も合理的な手段を選んでいるだけだ。いいからさっさと指示に従え」
    語尾が強かったのかどうかは定かではないが、保科は思いの外素直に口を閉じた。
    鳴海の背中に重みがかかり、背面全体に熱が広がった。じわじわと熱く、沁み込むように。

    自分と近い質感の足へ腕を通し、軽く身体を上下して体勢を整える。
    当たり前だが成人済みの男、それも日々過酷な訓練で身体を鍛えぬいている肉体は軽くはない。
    軽くはないが……どうにでもなる範囲だ。
    ラスト1回。
    最後の戦力全解放を施し、スーツとの同調を図る。
    土壁の凹凸を使いながら出口との距離を縮める。そして、「行くぞ」と後ろにいる保科へ声をかけ、強く、高く、波打つ電流を纏いながら出口を目掛けて高く跳躍した。

    幸い、地上へ繋がる道はそれなりに急ではあったが、二足歩行で進めないレベルではなかった。
    水を吸って脆くなった足元へ神経を注ぎつつ、先を急ぐ。
    重い足を持ち上げ、熱を孕んだ呼気と共に一歩、一歩と足を進める。
    「鳴海隊長」
    「なんだ」
    「ホンマはキツイとんちゃいますか? 息めっちゃ上がっとるやないですか」
    「はぁ? 舐めるな。 ひょろひょろオカッパを背負っての脱出なんて、ゲームの中ボス戦をクリアするより、簡単に決まっているだろ」
    「いや、ゲームで例えられてもわからんのやけど」
    「あぁ⁉︎ なんだと⁉︎ ……やれやれ、無趣味なやつはこれ、だから」
    「僕も趣味はありますし、鳴海隊長がゲーマーなだけやないですか?」
    「ペラペラとうるさいやつだな⁉︎ そんなに喋る元気があるなら、自力で脱出出来そうだな」
    「怪我人に向かって急に物騒なこと言いますやん」
    保科の笑い声には力が入っていなかったが、ひとまず症状は悪化していないようだった。

    地上まで、あとどれくらいだろうか。
    酸素が不足してきたのか思考もボヤけ出した。
    この熱が、呼吸音が、自分のものなのか保科のものなのか、判別がつかなくなってきた。
    一歩踏み出すごとに呼吸が乱れ、全身の至るところから汗が噴き出す。
    汗が止まらない。
    サウナ室を歩いていると錯覚するくらい、身体の外も内も熱い。
    一向に冷める気配をみせない灼熱感に痺れを切らしたのか、あちこちの筋肉が「いい加減にしろ」と喚き始めた。ギシギシとクレームを叫び続けるもんだから、うるさくて敵わない。
    だが、だとしても、毒のせいだと喚いて堪るか。ましてや保科の野郎が間近にいる状況で。

    不意に、半透明な世界に知らない保科の声が降ってきた。
    「……さっきの討伐、鳴海隊長の求めとる『実力』に到達しとりましたか?」
    沈黙を中断させた保科の呟き声には、普段見せている威勢の良さも、生意気な態度も滲んではいなかった。
    見知った『保科宗四郎』と同一人物が放ったとは思えないくらい、大人しい……というか静かだった。
    一方で、背中に響く心臓の鼓動の間隔は短い。
    「……まぁまぁだな。ボクならお前より1分早く、すべての核を破壊していた」
    当然の事実をリップサービス皆無で並べれば、やわらかな空気が耳にフッと当たった。
    「わはは。そっか……そうですか」
    見えない何かを噛み締めるように呟いたのを最後に、保科から言葉が返ってくることはなかった。
    ただ、首にまわされた腕に力が入ったのを感じただけだった。

    この細目は何を企んでいるつもりだ?

    戦闘前であれば、不自然なくらい大人しい保科の態度にオートで違和感が発動し、眉間に深い溝を刻み込んでいたに違いない。
    にも拘わらず、借りてきた猫状態の保科に対し、言葉を投げつけてやるといった衝動は沸き立たなかった。
    それも強引に押し留める訳でもなく、見て見ぬフリをする訳でもなく、淡々と。
    手足にかかる重みと背中に伝わる体温、そして肩口に当たる荒い吐息を、抵抗なく受け止めている自分がいるだけだった。
    静かになった保科を背負い、垂直になった道を登る。

    ――隊長の道を切り開くのが、僕の務めなんで。
    ――ボクのサポートに入らせてやる。

    熱でぼやける中、交戦時のやり取りが脳裏に滲んだ。
    対抗心と頼もしさが入り混じったような、あの高揚感と万能感が。
    ふと、頭にパラパラと何かが当たった。見上げれば、透明な雨が瞬く間に顔面を濡らした。
    夜から落ちてくる雨は、まだ止みそうにない。


    ◇◇◇


    隊員総出で野外訓練でもしているのか、真昼間の立川基地はガランと人気がない。
    いや、なかった。
    廊下の角を曲がると、書類の束を抱えた保科と遭遇した。

    保科の姿を視界に捉えたのは約1週間ぶりだったが、どうやら既に平常通り勤務しているらしい。
    当然、鳴海はオートで口を歪ませ、人気のない廊下には大きめの舌打ちが鳴り響いた。
    「おや、鳴海隊長が立川に居るなんて。めずらしいこともあるもんですね。午後から雹でも降るんやろか」

    カチンと脳内で試合開始の合図が鳴り響き、全身の血液が瞬時に沸騰する。

    「エンカウント早々失礼なやつだな⁉︎ 全く以って気乗りはせんが、用があればボクから出向くことだってあるに決まってるだろ!」
    「用って……あぁ、この間の毒で立ち入り禁止になったエリアについてですか? 第1そちらで毒の解析中やってこっちでも報告を受けとりました。ひとまず、現場の中和作業が滞りなく進みそうで一安心ですね」
    「ふん。どっかの出しゃばりが、毒持ち怪獣のサンプルを持参したらしいからな」
    「ほぉ~、そないな形で防衛隊へ貢献しはった隊員がおったんですねぇ」
    「おい! 少しは謙遜でもしたらどうだ たく、散々第1ウチのテリトリーで好き勝手した分際でよくもまぁ、そう自分の手柄だと豪語できるな。ボクには真似できん図々しさだ。どうやら第3は自己主張の激しい者で構成されているみたいだな」
    「まぁ、第3うちは個性強めの、向上心が高いやつが揃っとる部隊ですんで」
    ケラケラと笑いながら、保科は愉快そうに表情を緩めた。
    そんな保科の動向を前髪の隙間からジッと覗く。振り返り、周囲に他隊員の気配がないかを探る。

    細長い廊下へ視線を滑らせていると、やや真面目な口調で保科が話しかけてきた。
    「もしかして亜白隊長に用ですか? それなら、さっきまで隊長室に居りましたよ」
    隊長室はこの廊下を進んで――と、保科は通路の奥を差しながらテキパキと道案内を進めていく。
    丁寧な口ぶりでナビゲートする保科の横顔を無言で見据えつつ、ポケットに突っ込んでいた手の力を緩めた。 
    「いや、用は済んだ。亜白への連絡も不要だ」
    有明へ戻ると添え、くるりと踵を返す。
    「え? そう、ですか。お疲れ様です」
    背中を向けているため、保科が今どんな顔を浮かべているのかは知らない。
    それでも、拾った声に困惑の色がコーティングされていることは読み取れた。

    ゆっくりと歩いていた足を止め、振り向く。
    午後の透き通った日差しが保科の横顔を黄色く染めていた。

    「落とすなよ」
    投げたボトルコーヒーは、ゆるやかに曲線を描きながら保科の胸に飛んでいく。
    急に物が飛んできたこと、加えて書類の束を抱えていた保科は「は、えっ?」と間の抜けた声を溢しながらも、こちらの言いつけを守った。
    「急になんやねん! て、冷たっ。……コーヒー?」
    保科は手にしたボトルコーヒーを目の位置まで持ち上げ、物珍しそうに黒いボトルを眺めた。
    「下の自販機で買ったが気分が変わった。処分しておけ」
    背を向けながら簡単に応答し、ヒラヒラと手を振りながらこの場を立ち去る――ここまでが頭に描いていたプランだった。
    が、空気の読めない保科の発言で、完璧だったはずの計画はあっさりと崩れ去った。
    「自販機で買うた言うとる割りには、コンビニのテープ貼りついとりますけど……」
    保科の呟きを耳にしたのと同時に、ピクリと肩が小さく上下した。
    即座に回れ右を実行し、ズカズカと早足で保科との距離をつめ、ヘラついた笑顔を浮かべるオカッパ野郎の手からボトルコーヒーを奪い取る。
    そして、アルミ製のボトルにベタリと貼りついているコンビニのテープを爪で引っ掻いて一気に剥がし、高速でぐしゃぐしゃに丸めてポケットへ押し込んだ。
    そのまま無言でキャップを捻り、開封したボトルコーヒーを保科の胸にドスッと押しつける。
    「黙って飲め。隊長命令だ」
    「こない強引に飲みもん渡されたの初めてなんやけど」
    「なんだ、ボクからのコーヒーは飲めないとでも言うのか?」
    「……いえ、有難くもろうときます」
    ジロリと睨みながら問いかければ、やや思案した後に保科は胸に押しつけられていたボトルを掴んだ。
    ニコリという擬音が聞こえて来そうな、いつものよそ行きの笑顔とは違う表情を浮かべながら。
    腕を組み、壁にもたれながら上下する喉仏をジッと眺めていると、知らず知らずのうちに自分の口端から、ふっと息がもれていた。
    無色透明でやけに柔い溜息が。

    顔を上げた保科と視線がぶつかる。
    「ごちそうさまでした。……鳴海隊長、わざわざありがとうございました。コーヒーもそうですけど、1週間前の討伐でも」
    「はぁ? なんのことだ」
    組んでいた腕を解き、心当たりはないなとポケットへ手を突っ込み直す。ポケットの底で、丸めたテープの角が指先に当たった。
    「……いえ、なんでもないです」
    何か言いたげな様子であったが、それ以上保科が追求することはなかった。かと思えば、保科の声は聞き慣れたカラリとした調子に戻っていた。
    「そういえば帰り道わかるんですか? 日本最強や言われとる人が迷子とか、ある意味話題にはなりますけど」
    「なんだその言いぐさは! 全くもって心配しているように聞こえんが ――! 鬱陶しい顔でついてくるな!」
    口ばかりの、上っ面の心配を怒声で追い払おうとするも、糸目野郎は憎たらしいくらい口角を持ち上げながら、半歩後ろをついて来る。
    つかず離れずの速度を保ちながら。
    「おい、ついてくるな」
    「何を誤解されとるんか知らんですけど、僕もこっちに用があるだけなんで」
    2人分の足音だけが存在する廊下で盛大に舌打ちをする。軽快な調子で繰り返される関西弁を聞き流し、黙々と出口を目指す。

    チッ。隙の1つや2つでも見せれば、いじりがいもあるってのに。
    愛嬌の欠片もないオカッパめ。
    まぁ、そもそも保科に愛嬌も可愛げも求めていないが。

    「鳴海隊長」
    黙々と廊下を進んでいると、半歩後ろから起伏のない声色で保科が声をかけてきた。
    無視してやろう。そうとも思ったが、この至近距離で応答しないのは逆に負けな気がすると、いつしか脳に染みついていた思考が囁いた。
    「…………なんだ」
    「えらい沈黙長くないです? 無視されたかと思いましたわ」
    誰にでも見せそうな笑顔を向けられ、瞼がピクリと反応する。 
    「用がないなら話しかけるな。ボクはお前と違って多忙なんだ」
    うんざりと視界を狭めながら振り返れば、目に映り込んだのは艶を帯びた紫色の頭だった。
    保科は、窺うようにゆっくりと顔を持ち上げた。
    「またいつか、討伐ご一緒させてもろてもええですか?」
    思ってもみなかったセリフに、鳴海は瞳を瞬発的に拡張させた。
    1週間前、あの戦闘時に対峙したのと同じ感覚が全身に広がった。心のざわめきと懐疑心との間を行き来するような、波立つ衝撃とは違った感覚が。

    だが、この感覚の処理方法はもう知っていた。

    これまでと同様、保科と言葉を交わせば対抗心が着火し、顔中には即座に血管が浮き出る。
    立場を分からせてやると闘争心が沸き立ち、圧倒的な実力差を見せつけてやりたい衝動に掻き立てられる。
    軽快な関西弁を耳にすれば、警戒態勢および戦闘モードがオートでオンになる。
    愉快そうに細まる目にも、以前と変わらず鬱陶しさを覚える。
    それでも、直線的な目の奥にある瞳には、うるさいくらい真っすぐな感情が宿っていることは、もう知っていた。

    鳴海は鼻を鳴らしてから、緩んだ空気が充満する廊下で仁王立ちした。
    薄く開いた目に向い、至近距離で指を突きつける。
    「愚問だな。ボクが求めるのは実力と結果だ。性格も相性も関係ない。威勢だけの足手まといは現場に立たせない。それだけだ」
    限界まで開眼した目を真正面から射抜き、そう断言してやった。
    潤っている瞳には鳴海の顔と指先がくっきりと映り込んでいる。高圧的で好戦的な、好奇心を疼かせている顔が。
    視線がかち合った先で、保科の目が線を引いたように細まり、それからすぐに「ふはっ」と控えめに噴き出した。
    「僕相手にムキになるなんて……鳴海隊長はホンマおもろい人やなぁ」
    そう小声で呟いた後、保科は細く息を吐いてから再び口を開いた。
    「ほな、鳴海隊長が遠慮なく武器を振るえるよう、今以上に進化せんとやなぁ」
    真っすぐな目でそう応えた保科の表情は柔く、どこか晴れやかに見えた。


    実践訓練が始まったのか、窓の外で銃撃音や号令が響き始めた。
    出撃のサイレンが鳴り響かない午後のせいか、周囲に漂っている空気もどこか緩く、時間の流れも遅い。
    1階に降り、出口まであと十数メートル足らず。
    保科の肩が隣に並んだ。
    黄色がかった午後の日差しが、2人きりの廊下を細く長く、淡く染め上げる。
    「それじゃあ、僕はここで」
    保科は軽く頭を下げた後、無駄のない敬礼を添えた。
    流し目で見たその顔が、嘘のない笑顔だと感じたのはきっと、緩み切った午後の空気のせいだ。

    振り返らず、出口の階段を一定の速度で下る。
    ポケットに入れた指先でテープの塊を転がしながら。


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    こたつ

    DONE「マイペースかつ大胆にチョコを通して愛情表現をする鳴 × うっかりチョコを買ってしまったけど、渡す=大好き宣言になってしまうのでは…と葛藤する保」が各々の距離感でバレンタインしたり、イチャイチャしてる甘めの話

    ・付き合ってから初めてのバレンタインを迎えた鳴保の話
    ・犬猿の頃の温度感を保ちつつも、仲良し&イチャついてる鳴保がいます

    当日には間に合わなかったけど、ハッピーバレンタイン!
    【鳴保】チョコレートディスタンスこれまでバレンタインに特別関心を寄せたことはなかった。
    毎年ある季節イベントの1つ。せいぜい、チョコに翻弄され乱闘を始める部下たちを眺めては、腹を抱えながら目尻に涙を浮かべるといったお笑いイベントみたいな立ち位置だった。
    そう、去年までは。
    まさか自分がチョコに振り回される側にまわる日が来るとは思っていなかった。




    有明りんかい基地の隊長室を眺めつつ、保科は布団の上で胡坐をかきながら思わず苦笑いをこぼした。
    ここが事件現場なら証拠だらけやな。

    電源が入ったままのゲーム機本体と、床に放置された別機種のコントローラー。腰高まで積まれたダンボールに占拠された部屋の中心にはシングル布団が敷かれ、掛け布団の上には脱ぎ捨てられていた隊服や部屋着がグシャリと山を作っている。
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    こたつ

    PAST【鳴保】
    「他部隊の隊長、副隊長」という感情以外は持ち合わせていない鳴と保が、共闘を通してお互いの印象を改めていく話

    ・原作程度の戦闘、流血描写あり
    ・原作より前の時間軸設定
    ・原作の距離感で絡み、お互いのことをバチバチに意識し合っている鳴保がいます。からの、無自覚のうちに何かが芽生えそうなもどかしさが漂うハピエン
    ・115話以前に書いた話になります
    【鳴保】Xの最適解そうだ。そもそも、信じる信じない以前の話だ。
    鳴海は揺らぎそうになった常識を即座に立て直し、意識を戦闘場面へ引き戻した。保科が指す”隊長”に自分が含まれている訳がない。
    「おい! ウチの縄張りで勝手に動くな! 何度言わせるつもりだ!」
    眼球に残る灼熱感も、バイタルの乱れも関係ない。
    鳴海は叩きつけるように激しく水を蹴り上げ、身勝手極まりない保科を追う。
    知ってはいたが、やはりあのオカッパに隠れている耳は飾りだったようだ。
    ――アイツは、僕が引き受けます。鳴海隊長はそこでゆっくり休憩しとって下さい。
    そう言い残し、堂々と隊長命令を無視した保科が怪獣へ切りかかった。
    紫の閃光が視界の先で交差する。
    地鳴りの比ではない咆哮が地下空間を揺らし、保科の動きが空中で止まった。
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    ・原作の距離感で絡み、お互いのことをバチバチに意識し合っている鳴保がいます。からの、無自覚のうちに何かが芽生えそうなもどかしさが漂うハピエン
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    鳴海は揺らぎそうになった常識を即座に立て直し、意識を戦闘場面へ引き戻した。保科が指す”隊長”に自分が含まれている訳がない。
    「おい! ウチの縄張りで勝手に動くな! 何度言わせるつもりだ!」
    眼球に残る灼熱感も、バイタルの乱れも関係ない。
    鳴海は叩きつけるように激しく水を蹴り上げ、身勝手極まりない保科を追う。
    知ってはいたが、やはりあのオカッパに隠れている耳は飾りだったようだ。
    ――アイツは、僕が引き受けます。鳴海隊長はそこでゆっくり休憩しとって下さい。
    そう言い残し、堂々と隊長命令を無視した保科が怪獣へ切りかかった。
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