ハッピー・ハッピー・ウェディング「けいすけ、ごはん」
「ん~? あ~」
「あ~、じゃなくってさあ、ご飯できたってば」
私はちょっとうんざりした気分でお皿に盛り付けたカレーとサラダをローテーブルに置いた。同棲中の彼氏は冷蔵庫から自分のぶんのビールだけを取り出すと、のそのそとテーブルの前に座りいただきますも言わずにカレーにスプーンを突っ込む。その間も決してスマホを離そうとしないし、視線はずっとゲームの中だ。彼女の手料理より大事なゲームって何? 付き合い始めたときはこんなんじゃなかったのに。
「……いただきまーす」
ぽつりと呟き、相変わらずスマホをいじりながら無言でカレーを食べている彼氏の隣に腰を下ろして私もスプーンを口に運んだ。テレビでは夜のニュースが流れている。あと少しでいつも見ているバラエティの時間だ。スマホに夢中の彼氏とは会話もない。つまらない気分でぼんやりと画面を眺めていると、急にとんでもないニュースが目に飛び込んできた。
『続いて速報です。バスケットボール日本代表の沢北栄治選手が結婚を発表しました』
「え、ええ?!」
私は思わずテレビに向かって叫んだ。私の大声に驚いた彼氏もようやくスマホから顔を上げ、きょとんとした顔でテレビを眺めている。
『お相手はなんと、同じく元バスケットボール日本代表として活躍した深津一成選手とのことです。お二人はアメリカにて同性婚の手続きをされるそうです。思いもよらないビッグカップルの誕生に衝撃の声が――』
「えっ、これ、結婚って、マジ? ええ~……!」
驚きのあまり意味のない言葉を繰り返しながら、私は食い入るようにテレビを見つめた。沢北栄治といえば日本人にしてNBA選手の座を手に入れた数少ない天才プレーヤーで、現在の日本のバスケブームのきっかけにもなった選手だ。バスケファンとしては容姿ばかりが取り上げられるのは癪だけど、沢北栄治はその才能だけじゃなく芸能人並みにカッコイイ顔と飛び抜けたスタイルの良さでも人気が爆発して、スポーツブランドの広告塔やコスメのCMなんかにも引っ張りだこだ。
そして結婚相手の深津一成選手。深津選手は名PGとして長く日本のバスケ界を牽引してきた、まさに縁の下の力持ちみたいな選手。Bリーグのブースター同士では「誰推しですか?」の質問に「深津推しです」と言うと「渋いね~!」なんて声が上がるくらい。惜しまれながらも一昨年に現役を引退してしまったので今は元選手だけど、私は深津選手のこともすごく好きだった。
食べかけのカレーもそのままに釘付けになっていると、テレビでは続いて二人の馴れ初めのようなストーリーが流れ出した。まだ速報の段階で、二人のオフィシャルな会見は行われていないみたいだけど、とりあえず分かる情報だけも放送するつもりらしい。
沢北栄治と深津選手は一歳差、深津選手の方が年上で、二人の付き合いは高校時代まで遡る……というナレーションを聞きながら、私は思わずハア~ッと感嘆のため息を吐いてしまった。
「エースとキャプテンの恋……?! すご~い、漫画みた~い!」
同性婚であることがどうのこうのってニュースのコメンテーターみたいな人が言っているけど、私はそんなこと全然気にならなかった。お互いにこの人しかいないと思える相手に出会えるなんて奇跡みたいだ。
「ねぇけいすけ、この二人って山王工業だったんでしょ」
私はそう言いながら隣にいる彼氏を振り返った。何を隠そうこの彼氏、沢北栄治と深津選手と同じ山王工業バスケ部のOBである。そもそも私たちが付き合ったのは、友達に呼ばれて参加した合コンで、趣味はバスケ観戦ですと言った私に「俺もバスケ詳しいよ。てか俺、高校んときバスケ全国一位の学校にいたんだよね」と声をかけてきたのがきっかけだ。
「そうだけど、沢北はオレの一個下だから」
「そうだっけ? じゃあけいすけは沢北栄治の先輩だったんだね。当時のこととか覚えてないの?」
「あー……、うちのバスケ部って部員多かったし、あんま絡んだ記憶ねぇわ」
「ふうん」
当時の山王工業といえば高校バスケ屈指の強豪で、一番多い時期では部員も相当の人数だったと聞く。レギュラーどころかベンチにすら入れず、応援席で三年間を終える部員も珍しくはなかったらしい。
山王アピールで近付いてきた割には、付き合い始めてからの彼氏は私にあまり高校バスケの話をしたがらなかった。きっと彼も応援席の一人だったのだろうと察しはついたが、だからってかっこ悪いなんて全然思わなかった。たとえ試合で活躍できなかったとしても、真摯にバスケに打ち込んだことの方が大事だと思っていたから。
「沢北はあんま覚えてねーけど、こいつ、この深津って奴が俺とタメでさぁ」
スプーンをテレビに向けて彼氏が口を開いた。自分と同世代の高校ナンバーワンプレイヤーのことを「覚えてない」っていうのはほぼ虚勢だろうけど、そこにツッコむのはやめておいた。
「工業高校って学科で分かれてるから、俺、三年間ずっと同じクラスだったんだよ」
「マジ?! 深津選手と?! それ早く言ってよ!」
私は興奮して彼氏の肩を叩いた。高校時代の深津選手ってどんな感じだったんだろう。思いを馳せてはしゃいでいる私を後目に彼氏はなぜか失笑気味に吹き出した。
「いや~、ってかさあ……」
「?」
首を傾げる私の横で、彼氏はニヤ~ッと口を歪めた。
◆◆◆
「リサ! こっち!」
先に到着した友人を探してきょろきょろしていると、不意に私の名前を呼ぶ声がした。目を向ければ少し離れたテーブルで笑顔の友人が手を振っている。
「ごめん、遅くなっちゃった」
「全然いいよ、お疲れ~」
定時で帰るはずがギリギリで仕事を頼まれ、私は大急ぎで待ち合わせの店に駆け込んだ。今日のために予約したのは最近オープンしたばかりのメキシコ料理のレストランだった。壁や床は黒が基調で、落ち着いた雰囲気の店内には観葉植物や花がたくさん飾られている。大人っぽくて華やかで、お客さんも心なしかみんなおしゃれな感じだ。
私が席に着くとすぐにウェイターさんがテーブルへやって来た。カラフルなカクテルが運ばれて、私たちは笑顔でグラスを合わせた。
「じゃあ改めて、陽菜結婚おめでとう!」
「ありがとう~」
嬉しそうに微笑む友達の左手薬指に輝く指輪がまぶしい。運ばれてきたセビーチェやトルティーヤチップをつまみつつプレ花嫁から入籍準備のあれこれを聞いていると、お替わりのカクテルを飲み干した友達がふと私の方を見た。
「リサはけいすけくんとどうなの? 付き合って結構長くない?」
「えーっと、そのことなんだけどさ」
私が口を開くのと同時にスマホの画面にポップアップが出た。SNSニュースの通知には『沢北栄治 結婚会見決定』の文字が浮かんでいる。
「ねぇ陽菜、沢北栄治わかる? バスケの」
「どうしたの急に。わかるよ、CMよく出てる人でしょ」
いきなり話が変わったことを疑問に思っているのか、陽菜は怪訝な顔をしている。
「けいすけって昔バスケやってて沢北栄治と高校が一緒でさ、部活で先輩だったらしくて」
「えっ、何それすごくない?」
「結婚したじゃん? 沢北栄治」
「あー、見た見た! 同性婚でしょ、まじびっくり。確か相手も同じ高校なんじゃなかったっけ?」
「そのせいで私彼氏にフラれたんだよね」
「……は?」
私がそう言うと、陽菜はぴたりと一時停止したあとたっぷり十秒は黙ってから首を傾げた。意味が分からないと顔に書いてある。そりゃそうだろうと私も思う。
「なんでサワキタエージが結婚したらリサたちが別れんの? どういうつながり?」
ごく当然の疑問をぶつけてくる友人に、私はつい先週、沢北深津結婚の速報が流れたあの夜のことを思い出しながら口を開いた。
◆◆◆
「この深津って奴が俺とタメでさあ、三年間クラス一緒だったんだよ」
彼氏はそう言うとテーブルの上にある飲みかけの缶ビールを掴んだ。ごくごくと喉を鳴らしてそれを飲み干し、大きく息をつく。
「今考えるとさ~、もしかして危なくね?」
口元にニヤニヤとした笑いを浮かべたまま彼氏がそう言う。私の頭の上にはハテナが浮かんでいた。彼が何を言いたいのか、このときは普通に意味がわからなかったのだ。
「危ない?」
工業高校って当たり前だけど技術的な授業もするし、もし怪我でもしたらバスケができなくなっちゃうからかな? 何か危ない授業でもあったのかな? 今思えばかなり見当違いな予想をしていた私の隣で、彼はテレビを指差しながら小馬鹿にするような口調でゲラゲラと笑った。
「まさか男が好きだったとか知らなかったわ~! 俺、深津とは結構仲良いほうだったからさあ、マジ危なかった~、狙われなくてよかった~!」
「……」
呆気にとられた後、私の口から最初に零れたのは「プ……ッ」という空気の漏れる音だった。
「……ッ、あーっはっはっはっは!」
突然テーブルをバンバンと叩いて笑い始めた私に驚いたのか、彼氏はビクっと体を揺らした。
「それはないでしょ~! だってあの沢北栄治と結婚する人だよ?! そこらのジャガイモみたいな同級生なんか眼中にあるわけなくない?」
「じゃが、いも……?」
「自分と沢北栄治比べて危なかった~とか言ってんの? そもそもライバルが沢北栄治の時点で普通の男が勝てる要素ゼロじゃない? 深津選手がけいすけのこと好きになる理由どこ? もっと冷静に自分を見つめたほうがいいって!」
喋っているうちになんか自分でもおかしなくらいツボに入ってしまって、私はベラベラ捲し立てながらひたすら笑いまくった。一頻りお腹を抱えて笑って、ヒーヒー言いながら目尻に溜まった涙を拭って顔を上げると、彼氏は青い顔をしたままシーンと黙り込んでいた。
「けいすけ? どしたの?」
「…………」
◆◆◆
「うわ~……、けいすけくんそれは無いわ」
苦笑いを通り越してドン引きの顔で陽菜が言う。私は頷きつつテーブルの上の料理に手を伸ばした。
「ギャグで言ってんのかと思ってさー思いっきり爆笑したら超機嫌悪くなって、そんで次の日フラれたよね」
「ご愁傷様すぎる……変なこと聞いてごめんね」
「全然! これでよかったのかも。新しい彼氏探そっと」
私としては全く未練なんかなくて、むしろ心がさっぱりしていた。次に付き合うなら無言で手料理を食べるような人じゃなくて、ちゃんと思いやりがある人がいい。
その後も私たちはしっかり食べて飲んで、デザートまで堪能した。そろそろお会計をしようとウェイターさんを呼ぶと、なぜかウェイターさんは笑顔で「もうお支払いいただいています」と言う。私と陽菜はふたりで顔を見合わせた。
「えっ? どういうことですか?」
私たちが戸惑っていると、ふとテーブルに背の高い人影が落ちた。
「ごめんね、俺のせいで彼氏と別れさせちゃって」
「……?!?!」
「でもきっと、あなたならもっといい男が見つかると思います」
その瞬間、大声で絶叫しなかったことをどうか褒めてほしい。私たちの後ろに立っていたのはお忍びスタイルの沢北栄治、その人だった。黒いキャップを目深にかぶり、悪戯っぽい顔で笑っている。私たちは目を真ん丸にしてその姿を見上げた。さらに沢北栄治の後ろには深津選手までいる。二人ともめちゃくちゃデカいし、テレビで見るより何倍も顔が良すぎる。イケメンとして知られているのは沢北栄治の方だけど、生で間近で見るオフの深津選手もものすごい大人の色気があって、二人揃って圧倒的なオーラだ。まるでハリウッドスター並み。上手く言えないけどとにかく「只者じゃない」感がすごい。
夢みたいな出来事にフリーズしていたけど、私はハッと我に返って口を開いた。
「ごっ、ご結婚、おめでとうございます!」
唇も震えていたし言葉も噛み噛みで全然上手く言えなかったけど、二人は私の言葉に微笑んでくれた。
二人が私たちのテーブルに立ち寄ったのは時間にしてほんの十数秒ほどだ。沢北栄治は小さく手を振って、深津選手はぺこりと会釈をして店を出て行く。店の前で待っていたタクシーに乗り込み、二人の姿はすぐに見えなくなった。
吹き抜ける風のように去って行った二人を見送り、私たちは魂が抜けたかのように呆然としてしまった。
「あのさ……」
「……うん」
「めっちゃいい匂いしたね……」
「わかる……ヤバい……」
「一生推すわ……」
ふたりで頷き合いながら、私は沢北栄治の愛用香水を調べようと心に決めた。
駅の改札で陽菜と別れ、乗り換えのホームまで向かう。一生忘れられない経験をした私の心はすっかり晴れ渡っていた。次の彼氏がいつ出来るは分からないけど、もっといい男が現れるに違いない。何せあのスーパーエースのお墨付きをもらったのだから。今にもスキップしたいような気持ちで、私は夜更けの駅を歩いた。