沢深ワンライ「おれだって我慢してるのに」 “西友寄ってく 牛乳まだあるか?”
SNS上に突如として流れたその一言は大いにファンをざわめかせた。それがバスケットボール選手深津一成のアカウントから発信されたものだったからだ。
深津は元々、SNSの更新がマメなタイプではない。試合やチームの公式な催しに関する告知はあるもののそれは明らかにスタッフの手によるもので、深津本人が何かを投稿するということは年に数回あるかどうか、という最低の更新頻度だ。ある年など「あけましておめでとうございます」の一言と共に空の画像が添えられた投稿の次が「夏」という一文字のみが添えられた西瓜の写真だった。その間約8か月である。その後もう少し投稿を増やすようにと広報から怒られたというエピソードを披露し、ファンが狂喜したことは言うまでもない。そんな深津のアカウントからオフシーズンである現在唐突に投稿されたその言葉はインターネット上を駆け巡った。
――えっ
――誤爆?
――牛乳あります!
――うちにあるよ~♡
――これやばいんじゃない
――深津さん大誤爆
—―西友行くんだw
――どう考えても誰かと同棲してんじゃん
――リアコ生きてる?
瞬く間にコメントが増えていくなか、深津の次の投稿はそれからたっぷり数十分後だった。
“うちの居候にLINEしたつもりでしたがうっかり全世界に聞いてしまいました”
――もしかして今まで西友で買い物してた?
――深津選手マイペースすぎないか
――まってまってまって居候って!?!?!??!
――は?何?無理 何? は??????
――リアコうざ落ち着けよ
—―牛乳買ったんですか~?
――LINEはピョンつかないんだ……
「ねぇトレンド入りしてるよ一成さん」
ふはっ、と吹き出すような笑い声をあげて190cmを越えた身体が背中から圧し掛かってくる。長い腕にするりと腰を抱かれて深津は「こら」と声を上げた。
「栄治、料理中にくっつくなって何度も言ってるピョン」
コンロの上では買ったばかりの牛乳をふんだんに使った出来立てのクリームシチューがくつくつと煮え、温かな湯気を上げている。
「ファンの子たち阿鼻叫喚……あっイチノさんまでコメントつけてる。完全に面白がってるなこの人」
左手で深津の腰を抱き、右手にスマホを掲げたまま沢北がクスクスと笑う。そもそも深津がこんなことをやらかした原因はアメリカから一時帰国中の居候のリクエストのせいである。深津はため息をつきながら後ろを睨んだ。
「広報の人に怒られたらお前のせいピョン」
「まぁどうせみんな分かってるでしょ、チームには交際報告してるんだし」
先ほどからにまにまと唇を緩ませて、沢北はやけに上機嫌だ。深津が自身のミスに気付かず買い物を終えて自宅に帰り着く頃には件の投稿はすっかり拡散されており、家で帰りを待っていた沢北までも知るところなっていた。
「牛乳あるよ♡って俺もコメントしようかと思ったけどやめたんだから、えらいでしょ?」
「えらくもなんともないピョン。そんなことしたら追い出すピョン」
コンロの火を落とし、鍋にふたをする。体ごと振り向くと待ち構えていたように沢北の唇が触れた。最初は額に、次に鼻先に、それから唇に、ちゅっちゅっちゅっと音を立てて三つのキスが降ってくる。
「居候じゃなくて恋人って書いてくれてもよかったんすよ、俺は」
「そんなの、もっと騒ぎになるピョン」
「あ~あ。早く世界中に一成さんは俺のですって言いたいな」
ぎゅっと強く抱き着いてくる沢北の大きな背中を、深津の手がゆっくりと撫でる。
「……我慢してるのはお前だけじゃないピョン」
遠く海の向こうで輝くこの男は俺のものだと、世界中に向かって思いっきり叫べたら。そう思う瞬間がこれまで何度あったと思っているのか。少しばかり恨めしく思うが深津がそれを沢北に伝えたことは一度もない。
「か、一成さん今なんて言っ」
「もう言わないピョン」
「も~……アメリカ帰りたくなくなるじゃん……」
「それは困るピョン。せいぜいがっぽり稼いでくるピョン」
「照れ隠しでしょ、分かってんですからね」
強く抱き締めていた腕がほどけて、こつん、と額同士がぶつかった。
間近に見つめる瞳は熱く潤んでいる。唇同士が近付いて、深津はゆっくりとまぶたを降ろした。
この「深津選手誤爆事件」は、二人が結婚を明らかにした後も両者のファンに末永く語り継がれることとなるのだが、それはもう少しだけ未来の話。