安楽椅子探偵に憧れて「……しぐれ探偵、なんすか。それ」

　探偵助手である水凪が探偵事務所に戻ると、昨日までなかったものが部屋の中心で存在感を放っていた。
　水凪の視線の先――安楽椅子アームチェアにゆったりと腰掛けたしぐれ探偵が、ひどく上機嫌な様子で水凪を振り返った。
「あ、おかえり自由！　見てこれ、良くない？」
「いや……いいとかじゃないんすけど……え、普通に邪魔じゃないっすか。部屋のど真ん中に、そんなん」
「そうかなあ？」
　心底不思議そうに首を傾げるしぐれ探偵に、水凪は非難するような視線を向けたたみかける。
「なんで買ったんすか、それ」
「え？　……なんだ、自由知らないの？」
「何がっすか」
「安楽椅子探偵アームチェア・ディテクティブ。椅子に座っているだけで真実を言い当てる、素晴らしい探偵さ」
「……はぁ」
　しぐれ探偵は目をキラキラと輝かせながら続けた。
「すごくない？　現場に行かなくても全部わかっちゃうんだよ？　俺もそうなりたいなと思ってさあ。そしたら現場になんて行かなくて済むし、犯人めがけて走ったりなんかせずに済むんだよ？」
「…………はぁ」
「それで言ってやるのさ。――『全部、俺の推理通りだ』って」
　しぐれ探偵がびしっと虚空(探偵には犯人が見えているのだろう)を指差したちょうどその時、探偵事務所の扉が荒々しく開く。そこに立っていたのは顔馴染みの下っ端刑事の一人だった。
「しぐれ探偵！　怪盗が……怪盗が現れました！」
「なんだって！？」
　水凪はすかさず声を上げ、しぐれ探偵を振り返る。
「しぐれ探偵！　行きましょう！」
「……嫌だ」
「はい？」
　しぐれ探偵はやましいことがある子どものように助手から目を逸らす。
「…………だって、ほら、俺安楽椅子探偵だから」
「……………………」
　水凪は一瞬顔を顰め、天を仰ぎ、俯いて、額に手をあてる。ややあって、彼は絞り出すようにして声を発した。
「……分かりました。俺は現場に行きます！」
「へ？　自由？」
「情報！　助手がとってこないとでしょ！」
「え、いや……それは……」
「いいから！　しぐれ探偵は俺が情報持ってくんのそこで待っててください！　安楽椅子探偵なんでしょ！」
「いや……！　ちょっと、待っ……！！」
　水凪はしぐれ探偵の制止の声を聞かず、バタバタと扉を開けて走っていってしまう。
「現場どっちっすか！」
「こ、こっちです！」
　探偵と刑事の慌ただしい会話が遠くから聞こえて、しぐれ探偵が伸ばした手は悲しく空を切る。一人残されたしぐれ探偵はその手をゆっくりと下ろして、安楽椅子の肘掛けを力無くなぞった。
「いや……俺はそう……ここで座って……自由が持ってきた情報だけで、真相を見極められて……だから…………」
　ぶつぶつと何事か呟きながら安楽椅子に身を深く沈め、起き上がりを何度か繰り返す。
「そうだ。そうだよ……自由は情報持ってきてくれるって言ってたし……」
　もう一度深く安楽椅子に腰掛ける。
「……でも、もし自由が帰ってこなかったら？」
　忙しなく指先をいじる。
「もし一人で、両親の時間の……もしかしたら辛いかもしれない、真相に辿り着いてしまったら……」
　そういうやいなや、しぐれ探偵は勢いよく立ち上がった。買ったばかりの安楽椅子が急な衝撃に悲鳴をあげるように音を立てた。
「〜〜あぁ、もう！！　やっぱりほっとけない！」
　待って自由！　としぐれ探偵は叫び、探偵事務所を走り去っていく。
　
　部屋に不釣り合いなほどの大きさの安楽椅子だけが、寂しく探偵事務所に残されていた。




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書いてるやつが安楽椅子探偵好きなだけです。