四季ブロークン日本に梅雨はあるか?ここ数年の異常気象からすると珍しく、長雨が続いている。六月になるとああ梅雨かと思うのに、実際はゲリラ豪雨や雨上がりの蒸し暑さのみで、しとしとふりつづく雨の憂鬱さみたいなものは遠のいていた。乱高下する天気は気象予報士だけでなく我々資格のない人間も悩みどころであるため、雨の降る日が続くのであればそれはそれでよかった。予定は立てやすいし、断りやすくもある。靴やスラックスの裾が濡れるのは面倒だが、仕方ない。突発的な豪雨よりはマシである。きちんと準備をして毎日を過ごせばいい。それだけだ。
それだけのはずだったのだが、私は今、情けなくもいつも着用しているバイカラーのシャツを十枚抱え、獅子神邸にいた。食中毒やら子供の風邪が感染したのやらで一時的に人手不足となり、本職の勤務が長引いた。賭場にも行かなくてはならない。それらが重なり、クリーニングに出しても取りに行くのが間に合わないことが多くなってしまった。自分で洗えないことはないのだが、気力がない。自宅にあるアイロンは兄貴に押し付けられて以来開封していないし、アイロン台もどこに片したか忘れた。愚痴を重ねるならば濡れた衣類の重みや湿り気が嫌いだ。触りたくない。かといってやらなければ職場に着ていくものがない。決まったものでなければ落ち着かない性分が憎いが、こればかりは仕方がなかった。
「助けてくれ」
誠心誠意、頭を下げる。食事だけでなく衣類の世話まで頼むつもりはないが、設備を使わせてほしい。毎日かは知らないが定期的に自分で洗濯をしている獅子神の家には、洗濯機や乾燥機、アイロンの類が手入れもされた状態で揃っている。動くかわからないものを出してくるよりも失敗の確率が下がる。
夜遅くの訪問は申し訳ないがこういうわけなのでと正直に言うと、獅子神は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「……できんのか?」
「でっ……きないわけがないだろう。手順は頭に入っている。製品ごとに異なる部分さえ教えてもらえればできる」
「へー」
今度は真顔に近い表情になった。一台なんなんだ。交際しているとはいえ同棲はしていない私達が二十二時にする会話ではないのは百も承知であるし、非常識さは獅子神の方がわかっているはずだ。いつまでも玄関に二人で突っ立っていては何も進まないではないか。
「まあ一回教えりゃできるんだろうけど、今日じゃねえな」
「なに?」
「いや、毎朝ちゃんと鏡見てっかお前? いつもより隈も濃いのによく平気だな」
「私は医者だ」
「はいはい、賭けもお前のが強いな」
獅子神は私の手からシャツの塊を奪い、空いた手を引いて洗面所へと連れて行く。来客用でも雑用係のためのものでもなく、獅子神個人で使っている方に。
「ほら」
シャツを洗濯かごに放り込んだ獅子神が私の顔を鏡に向かわせる。
よーく見ろ、と言われた。ふむ、二桁台時間の手術を終えた後のような顔つきだ。つまり怖い。
「夜道で見たら悲鳴を上げられそうな顔の男がいる」
「ぶふっ……! あ、わり。あー、そんで、名前は村雨礼二な」
「それはわかる」
「うん。お前さ、自分でそう表現するくらい疲れた顔してんだよ。そういう時くらい、メシ以外でも頼れって」
「……つまり?」
「ダメだなこりゃ。シャツぐれー俺がピシッと仕上げてやるから寝ろっつってんだよ。人手不足で忙しいって連絡のあとしばらくなんも寄越さないと思ったらこんなんなって」
獅子神の太い指が私の頬を軽くつまむ。指先からは、あくまで心配からのちょっかいですよという気持ちが伝わるようだ。
「ひひはひ」
「ん? あ、悪い」
頬から熱が離れた。少し寂しい。
「獅子神」
「うん」
「冬が長いと鬱になりやすい傾向にある。雨も長いと鬱になりやすい。セロトニンが不足しがちになるからだ。私は今、身をもってそれを感じている。あとはそうだな、不節制によりビタミンDも足りていない」
「うん?」
「あなたに会えなくて寂しかった。触れ合うことができず、食事も共に摂れず、寂しかった。シャツの一枚も洗えないくらいにだ。なので無自覚でもあなたに迷惑をかけようとも今夜あなたに会いに来てよかった」
「お、おう!?つうか、別に迷惑ではねーけど……」
手ぶらなことが落ち着かないのか、腕を組んだり髪をいじったりしている。セットされていないのを見るのも久しぶりであることに今気がついた。
「よし。やる気が復活したので洗濯機などの説明をしてくれ」
「いや、寝ろって」
もう一度私の頬をつまんだ指の力は先程よりも強かった。