premonition「あ、もしもしウェド?ああ、うん、今度の依頼の件、…そうそう、漁師ギルドに届いてるって。…うん…うん…わかった、先に行ってる!じゃあまた後で」
テッドはリンクパールを切ると足速に漁師ギルドへ向かう。
漁師ギルドはリムサ・ロミンサの下甲板層にある。次の依頼で使う魚が漁師ギルドに納品されたらしい。
魚を使う依頼って?と思うだろうが、討伐依頼の際餌として何かと用入りになることがあるのだ。
リンクパールを繋いでいた相手はウェド・ディアス。
俺と同じくリムサ・ロミンサを拠点にしている冒険者。
正直、腕はかなり立つ。ここリムサ・ロミンサだけで精一杯な俺と違って、ウェドの実力ならとっくに国を跨いで活動していてもおかしくないのだけど、どうやらここが好きらしい。
何かと同じ依頼を受け持つことがあり、ちょっとした顔見知りの冒険者─という訳で次の依頼もウェドと一緒に行動することになっていた。
スロープを降って行くと陽に照らされてキラキラと輝く水面が見えてきた。
海風もあり、季節柄少し肌寒いがきらめく水面に心が踊る。
なんせ赤砂と岩だらけのウルダハで育ってきた身、海を近くに感じた事など今まで無く、テッドはリムサ・ロミンサの景色をとても気に入っていた。
そんな気持ちの良い昼下がりを台無しにするような声が聞こえてきた。漁師ギルドの近くが何やら騒がしいことになっている。
漁師ギルドのそばの船着場でルガディン族の大男が2人と、ミコッテ族の女性が何やら声を荒らげ揉めているようだ。
事情はよく分からないが、痴情のもつれなのかミコッテ族の女性が板挟みになっている。
こういうのは当人たちで好きにやってくれ…と普段なら思うのだが、片方の男が相当ヒートアップしていて今にも女性に掴みかかりそうだ。
そして不幸なことに、ここは一本道…
流石にこのまま横を通り抜けて漁師ギルドへ…というのは出来ないだろう。
テッドは「はぁ…」と深く息を吐き出すと渦中へと向かっていった。
「ちょっとあんたら!落ち着きなよ!」
「なんだてめぇ!部外者はすっこんでろ!」
「悪いけど出来ないね!迷惑なんだよこんな所で…とにかく落ち着いて話を…」
「ああ!冒険者さんですよね?助けてください!」
突然、ミコッテ族の女性がテッドの胸に飛び込んできた。
この女性の狙い通りだった…のかはわからないが、第三の男が現れた状況に怒りが頂点を迎えた男が掴みかかってきた。
矛先がこちらに向いた隙にミコッテ族の女性はするりと身をかわし、もう1人の男の後ろに隠れた。
(─そういう事か やられた)
そう思うと同時に体に強い衝撃が加わり視界が一転する。世界がスローモーションになる感覚。足が地に着いていない。嫌な浮遊感。
ミッドランダー族の男とはいえ、小柄なテッドの体は大男に突き飛ばされ為す術なく桟橋の外へ落ちて行った。
バシャリ!
大きな音と共に先程まできらめいていた水面に水柱があがる。
(─やばい 海はだめ 俺 泳げない…!)
星芒祭が近いこんな季節の冷たい海に落とされ、寒さを通り越したテッドの体に刺すような痛みが走る。
突然の事でパニックになり手足をばたつかせるも、ガボガボと水がどんどん喉を降りてゆく。
声を出そうにも出るわけがなく、視界の端に映る騒動の当人たちは自分のことしか関心がないようで揉み合いの続きをしている。
(苦しい もう 体が重い)
次第に視界は暗い水の中に沈み、何も聞こえない静寂。
このまま音もなく消えてしまうんだ─
そう意識を手放そうとした時
「テッド!!!」
聞き覚えのある声が微かに届く。
静寂の水面が激しく揺れ、その波が近付いてくる。
閉じたままの瞼が光を透かし、急に明るくなる。
「テッド!しっかりしろ!テッド!」
この声はウェド?俺苦しくて、体が重いんだ
ウェド 駄目だよ いくら海が好きでもこんな冷たい海に入ったら
意識はどこかぼんやりとし、溺れた事や助けてくれた事よりもウェドが冷たく寒い思いをしているであろう事が気掛かりだった。
しかし伝えたくても凍えた口は動かず、声にすることは叶わなかった。
ウェドの腕の中でテッドは意識を失った。
──────────────
─数刻前
テッドから連絡を受け取った時は丁度リムサ・ロミンサへの帰路だった。
今日はテッドと次の依頼の段取りを確認する約束をしていたが、お喋り好きのお嬢さんに捕まってしまい予定より遅れてしまった。
天気も良いし、普段なら歩いても良かったのだがテッドを待たせていることもありウェドは都市内エーテライトで目的地の漁師ギルドへ急ぎ飛んだ。
「なんだ 騒ぎか?」
テレポを抜けるとすぐに騒動が目に入ってきた。
船着場で何やら揉めているようだ。
しかもよく見ればテッドが割って入っている。
(全くあの子は…首を突っ込んだな)
テッドはこういう時、真っ先に動いてしまう素直な所があった。
口では「そんなんじゃない」と言うが、困っている人を見て見ぬふりができない子だと言うことは言うまでもない。
(仕方ない、加勢するか…)
そう思った矢先、あっという間の出来事だった。
テッドは揉めていた大男により軽々と海の中へと放り出されてしまった。
ウェドは知っていた。テッドが砂の都ウルダハから来たことを、そして、それ故に彼が泳げない事も─
視界が状況を捉えた瞬間、ウェドはその場に荷物を投げ捨て走り出していた。
漁師ギルドと船着場は目と鼻の先のはずなのに、焦りからかどれだけ走っても足が進んでいない感覚に襲われる。
「テッド!」
思わず声を張り上げた。
"泳げない人間が冷たい海に落ちる"
海と共に暮らしてきたウェドはこの事の危険性をよく知っていた。人一人の命など、冬の海の前では一瞬で飲み込まれてしまう。
ウェドは躊躇なく海に飛び込むと沈みかけているテッドに手を伸ばす。
「テッド!しっかりしろ!テッド!」
まずい─
危惧した通り、海水を大量に飲み込んだようだ。
唇は青く、体は氷のように冷たい。声をかけても反応がない。
勢いよく突き飛ばされたせいで桟橋まで距離ができてしまっている。
見る見るうちにテッドの生気が失われていく…
急いで桟橋にテッドを引き上げると、やっと事の次第に気が付いた騒動の当人らが慌てて逃げていく。
─助ける気すらないか
腹の底に重い感情が湧き上がるが今はそれどころではない。
「テッド!聞こえるか!」
テッドはぐったりとし、ぴくりとも反応は返ってこない。
テッドの胸に耳を当てる。とくん、とくん、と弱々しいが鼓動はしている。
良かった…しかし冷静に状態の確認を続ける。
心臓は止まっていなくとも呼吸はない。水を飲んだせいで呼吸が止まり低酸素になっているようだ。
このままでは胸の鼓動が止まるのも時間の問題だ。
ウェドはテッドの首を少し持ち上げ鼻をつまむとテッドの冷たい唇と自身の唇を合わせた。
一気に酸素を送り込む。
一拍、そしてもう一度。
反応は返ってこない。
だらりと投げ出された手足
固く閉じた瞼 冷たい体
ウェドの心の奥がざわつく
「死なせない もう誰も」
もう一度テッドに酸素を送り込む。
頼む
祈るような気持ちで唇を離した。
「ゲホ!ごほっ」
テッドが水を吐き出した。
─良かった
吐いた水が気管に入らないようテッドの顔を横に向け、数回人工呼吸を繰り返し残りの水も吐かせると暫くして呼吸が安定してきた。
ウェドは丁寧にテッドを抱き上げるとエーテルを込め、自身の隠れ家へとテレポした。
廃船を再利用した隠れ家に着くとまず急いでテッドの服を脱がせ全身を拭いてやる。
とりあえず、とチェストの奥から引っ張り出してきたガウンを着せベッドに寝かせた。
このガウンはカナ─俺の唯一の家族が昔持たせてくれたものだった。
必要ない そう思っていたが今は心の底からカナに感謝をした。
普段から小柄だとは思っていたが、一回りも大きなガウンを着た弱ったテッドの体は更に小さく見えた。
未だ浅い呼吸ではあるが、すうすうと眠っているテッドの冷たい頬に触れる。
そこで初めて、ウェドは自身の手が小さく震えていることに気が付いた。
呼吸が戻らず力なく横たわるテッドの姿がフラッシュバックする。
いや、これは…この震えは、俺も冷たい海に体温を奪われているから…ただそれだけだ。
テッドの頬から手を引き、自身に言い聞かせるようにぐっと空を握った。
──────────────
「ゲホ!……ッくア…っ…っはあ…」
突然、テッドは息苦しくてゲホゲホと大きく咳き込んだ。
すうっと鼻から空気を吸い、重い瞼をあけると霞む視界をきょろりと回す。
(俺…なんで…ここは…確か俺、海で…)
視界に映るものはどう見ても医務室…ではなく、所々光が指すほど傷んだ天井と壁。
自分が寝かされているであろう簡素なベッド。
窓の作り等からどうやら古い船の様だった。
状況がわからずもう一度きょろりと視界を巡らせると間仕切りになっていたカーテンが揺れた。
「目覚めたかい」
現れたウェドは濡れた髪を拭きながらこちらに向かって足を進める。
そうだ、ウェド
ウェドがこんな寒い日なのに 躊躇なく海に飛び込んできてそれで─
「ウェ ど…!けほっかはっ…」
咄嗟に話そうとしても喉が引き攣り咳き込んでしまう。
「おっと!無理に喋らない方がいい。大丈夫か?待ってな、スープを入れてくる。」
そう言ってウェドは踵を返すとすぐに片手にスープの入ったマグカップを持って戻ってきた。
きっと目覚めて直ぐに温かいものを、と作ってくれていたのだろう。
「うぇ ど、助けてく れて ありがと…ここは…?」
体を起こし並んでベッドに座り、受け取ったスープに口をつける。
温かいスープが凍った体を溶かすようにゆっくりと染み渡り言葉が出てくるようになった。
「俺の隠れ家さ 隠れ家と言っても寝に帰ってくるだけの場所だが…」
「ウェド…まだ濡れてる…ごめ…俺…あの後…」
「ああ、なんとか間に合って本当に良かった 随分水を飲んでいたから…吐き出してくれなければ危なかったかもな。」
「ほんとにごめん…」
「君が謝ることじゃないだろう?」
ウェドがそっと頭を撫でてくれる。
きっと、髪も乾かさずに自分の事は後回しにして、俺の面倒を見てくれたんだ。
その優しさが申し訳なくて目を伏せるとウェドの手が頬に触れた。
「…まだ冷たいな…寒いか?」
「うん…正直、震えが止まらない…」
長く話そうとすると震えで歯がカチカチと鳴ってしまい、バレないように短く話していたつもりだがウェドにはお見通しだったようだ。
「…体温が戻るまでまだ暫くかかるかもしれないな…」
ウェドはそう言うとギシリ…とスプリングを軋ませながらベッドに上がり、毛布を被って座っているテッドを後ろから包み込むように抱きしめた。
「ウェド…?」
「生憎この部屋には俺より暖かいものがないんだ…悪いが暫くこうしていてもいいかい?」
「うん…ありがと…」
ウェドの体も冷えているはずなのに触れている背中が暖かい…
「あんたは…大丈夫…なの?」
「ああ、俺は実は人魚なんだ。魔女に頼んで足を貰ったのさ だから冷たい海だって慣れてる。」
顔は見えないけれど、片眉をあげて少しおどけたように笑う顔が浮かぶ。ウェドが良くする顔だ。
「ふふ…じゃあいつか泡になって消えちゃうわけだ。」
「そうかもな」
「それは大変…俺…次溺れたら助けてくれる人居ないかもしれないじゃん。」
「おいおい、もう溺れないでくれよ。」
「…うん」
他愛のない冗談で気を紛らわせようとしてくれるのがわかる。
─こんな人がいるんだ
優しくて 暖かい 穏やかな日の海のような人
リムサ・ロミンサに出てきて良かったかも…
流されてばかりの身の上だったがテッドは初めて少し、今の境遇に感謝した。
体力を消耗したせいか、それとも彼の暖かさのお陰か、テッドはウェドの腕の中でうとうとと目を閉じた。