12.interval(side:H) クロードは三つ編みを切り落とし少し大きめの黒い喪服に身を包み喉には白い襟締を付けていた。彼は二十歳にもならないというのにリーガン公の葬儀が終わればレスター諸侯同盟の盟主になる。彼がいなければローレンツの父グロスタール伯がその立場についていただろう。
「遠くから来てくれてありがとうな」
「クロードくん大変だったね。兄さんと父さんはやっぱり前線を離れられなくて……」
リーガン公の訃報を知ったゴネリル公は娘のヒルダに飛竜を宿場町で乗り継ぎデアドラへ行くよう命じた。ゴネリル公もホルストもリーガン公の死に乗じてパルミラ軍が攻勢をかけてくる可能性が高く前線から動くことができない。いつもなら面倒臭がって言うことを聞きたがらないヒルダだが今回ばかりは二つ返事で引き受けた。ゴネリル家がクロードを支持していることを世間に知らしめねばならないしデアドラで買い物をしたかったし別れ際に思わせぶりなことをした理由をクロードから直接聞きたいと思ったからだ。
当然喪服姿では長時間の騎乗など出来るはずもないのでヒルダはデアドラの上屋敷に寄って持参した喪服に着替えている。いつ必要になるか分からないのだからと作らされた真っ黒で地味な喪服に白い襟締を付けていてもクロードはすぐにヒルダのことを見つけた。
「取り敢えず一杯どうだ?」
弔い酒をすすめてきたクロードの目元には長い睫毛のせいで影が出来ていたがそれでも隈を隠しきれていない。
「いただこうかな、喉乾いちゃったし」
「美人に献杯して貰えてじいさんも喜んでるよ」
「他の人にも同じこと言ってるんでしょ?」
「はは……手厳しいな……」
リーガン家が用意した弔い酒は口当たりが良く飲みやすかった。きっと故人が決めたのだろう。クロードが選んだならもっと強い酒にしたはずだ。
「誰か来てる?」
クロードは正確にヒルダの意図を察しリシテアとローレンツがいる、と教えてくれた。マリアンヌが到着していないのは残念だが共にガルグ=マクからアミッド大河に向かった仲間であるリシテアが来ているなら絶対会っておきたい。
「リシテアは俺にしか用事がないからもう話せると思うぜ。あいつは酒より甘味だから軽食を置いてあるところにいるんじゃないかな」
ローレンツはグロスタール伯に帯同しており葬儀の場に集まってきた者たちに用事がある。おそらくヒルダと世間話をする余裕はないだろう。ヒルダは杯を手にリシテアの元へ向かった。彼女は船上でヒルダに詳細を教えようとはしなかったが爵位返上の件と言いコーデリア家ではおかしなことが起きている。
リシテアはクロードの言う通りの場所でデアドラの銘菓を堪能していた。おそらく既に全種類味見して気に入ったものをお代わりしている。
「ねえいつまでデアドラにいるの?お葬式が終わったら一緒にお買い物しない?」
「そうですね。次にいつデアドラに来られるかわかりませんから書店には行っておきたいです」
実にリシテアらしい答えが返ってきた。明日に備えてそろそろコーデリア家の上屋敷に戻ると言う彼女と約束を取り付けたヒルダは他の弔問客に挨拶をしつつ友人や知人が来ていないのかリーガン邸の中を再び探し始めた。ゴネリル家の者がきちんと出席していると周りから認識してもらわねばならない。
思い出話に花を咲かせている者は皆歓談用の椅子や卓が置いてある部屋の中央に集まっている。まだ挨拶をしていない者はいないかとヒルダが部屋の隅を眺めた時、月が明るいせいか質の良い織物で作られた窓掛の奥に人が隠れているのが見えた。露台への出入り口として作られたかなり大きな窓の窓掛なので葬儀の場を狙う輩が身を潜めるのにはちょうど良いのかもしれない。
追悼のために百合の花を活けた花瓶が飾ってある卓の隅にヒルダはそっと自分の杯を置いた。相手が固い仮面で顔を隠している場合は硝子の杯で叩くより直接顔面に握り拳を叩き込んだ方が効果が高い。気付かれないようにそっと窓掛に近寄っていく。この部屋にいるのは酔っぱらいと給仕ばかりで助太刀は望めそうにないから一撃で仕留めねばならない。潜んでいる者の正体を確かめるべくヒルダは窓掛の縁にそっと手を掛け引っ張ると褐色の手が見えた。
「え?クロードくん?」
「え、あ、ヒルダ?まずいんだ……物が二重に見える」
ヒルダは慌てて人に見られない様にそっと窓掛けの内側に入った。物が二重に見えるのは失神の前兆だ。クロードは人前で失神するわけにいかないと思って咄嗟に隠れたようだがそんな判断をする時点でもうおかしくなっている。
「平気なの?」
そう問うた時にはクロードはもうヒルダに縋りついて失神していた。脱出行の疲れが取れないうちにリーガン公がなくなり精神に負荷がかかったせいだろう。強がってはいるがクロードはヒルダより年下で彼から聞いた話によると同盟諸侯の名家の者として育てられていたわけではない。長く祖父に仕えていた家臣たちに言うことを聞いてもらうだけでも大変なはずだ。
ヒルダはクロードが前のめりに倒れて床に頭をぶつけないよう抱きかかえてやった。クロードの鼓動が直接ヒルダに伝わってくる。修道士の資格を持っているマリアンヌほど上手く判断はできないが少し鼓動が早めのような気がした。そして喪服ごしに触れた身体はやはり細い。
クロードたちは帝国軍の追手をかわすために街道を使わずオグマ山脈をダフネル領を目指して縦走した。ヒルダも山岳地帯であるフォドラの喉元を要するゴネリル領育ちだから分かるが登山は本当に大変なのだ。しかも彼らが縦走したのは雪山で温暖なデアドラに住んでいたクロードにはさぞ辛かったことだろう。ヒルダはそっと薄い背中を喪服越しに撫でた。あと少し様子を見て意識が戻らなかったら流石に助けを呼ばねばならない。でももう少しヒルダだけでクロードのことを労ってやりたかった。
「クロードくん、一人ぼっちは大変だねえ」
聞こえているかどうかは分からないがヒルダはクロードの耳元で囁いた。ヒルダの父ゴネリル公が亡くなったとしてもヒルダにはホルストがいる。そのことを思えば入学当初のローレンツの焦りも分からなくはないのだ。彼も一人っ子でグロスタール伯が亡くなれば全ての責任を彼一人で負わねばならない。だから共に自領を治めてくれる配偶者を探して躍起になっていたのだ。迷惑行為になっていたが。
「でも今だけは私が一緒にいるからね」
リーガン家とゴネリル家の間には何の話もないのでクロードが意識を取り戻し窓掛けを捲れば二人はまた単なる同窓生に戻る。ヒルダの背中に回された指が微かに動いた。
「すまん!ヒルダ!」
「頭打たなくて良かったね。それとどうせなら御礼言ってくれない?」
クロードの頭が預けられていた肩が急に軽くなる。大丈夫そうだと察したヒルダがそっと離れようとした時に背中に回されたクロードの腕に力が入った。どうやら意識が戻ったらしい。
「ごめん、ありがとう。もう大丈夫だ」
「ねえ……人が入って来られないようなところはないの?」
「えっ……その、それって」
「襟締、きつく結びすぎなのよ。解いて休まないと」
ヒルダは喪主が他人の前で服装を乱すわけにいかない、と言う話をしているのだがクロードの反応を見るにあの餞別はそういうことだったのだろう。