メイド服を着ないと出られないフィッティングルーム 衣装に負担は付きものである。
Double Faceとしてユニット活動をしているのなら、なおさら。
キレのあるダンスで糸がほつれるだけでならまだしも、ホール内に雨を降らせる演出で水浸しにもなる。当然、生地の伸び縮みや色褪せ、装飾品の綻びなどがあるので、ライブが終わるたびに修繕される。
そのたびに斑はあんずから直接受け取っていて、今日もまた、衣装ルームへやってきた。
「こんにちはああ! ママだぞお!」
斑のあいさつは絨毯の敷かれた部屋の隅々にまで響き渡った。けれどその大きな声に対して返されるのは静寂のみ。まるで音がカーテンの布に吸収されたみたいにしんとしている。
あんずが不在であることに首を傾げながら——ここで待っていると連絡をくれたのは彼女の方だ——斑はソファとテーブルがある位置に移動した。すると、丁寧に畳まれた衣装と小さな透明の袋に分けて入れられている装飾品が置いてあるのを見つけた。
「お、あった。これだこれだ。ちゃあんと直してくれているなあ。それどころか補強までしてある」
衣装のトップスを持ち上げ、広げて確認する。斑は前回、肩の部分をやってしまったのだ。袖を通して上半身を動かしてみたが、違和感がないのでお見事、と、思わず声に出た。補強したうえで、動きやすさはそのままだったから。
アイドルのために働き続けるあんずだけれど、衣装の修繕をする間、少しは自分のことだけを思っていてくれただろうか。斑はせつなげに目を細め、口元に笑みを浮かべていた。胸の内に澱む苦い気持ちは飲み込むことができずにいる。
それにしても、当のあんず本人はどこへ行ってしまったのだろう。
実は先ほどから部屋の奥でごそごそと音がするので、彼女が裁縫に熱中していることに斑は気づいている。しかし、大きな布や繊細なレースは踏んだら破ってしまいそうだし、ときには凶器にもなる裁縫道具が忙しなく動いていて、おいそれと近づけない。
お互いの忙しさにかこつけて、今日は顔を合わせるのを遠慮しようと背後から声をかけようとした瞬間。
「機会を逃さないように」
「?」
あんずがブツブツと何かを言っているので斑は動きを止めた。一言も聞き漏らすまいとその気配を探っていると、布に埋もれながら顔を出したあんずが言う。
「先輩、お願いがあるんですけど」
立ち上がり、駆け寄ってくるあんずを斑は喜んで迎え入れようとした。今日はもう、顔を見ることができないと思っていたから。
しかし、あんずは斑の身体に突進するとその勢いに乗って彼をフィッティングルームへと押し込んだ。体勢を崩した斑の上に、かぶさったのは、黒いワンピースと白いフリルのついたエプロンだった。
「な、なんだなんだあ」
「メイド服を着ないと出られないフィッティングルームです!」
この黒いワンピースがメイド服か。そう認識している間に、ドアが閉められた。振り返ると、呆気に取られた自分の間抜けな顔が鏡に映っていた。
「ええ……」
ほんとうに、いったい、なんなのだろうか。斑は立ち上がると押し付けられたメイド服を自分の身体の前で当ててみた。すると肩幅や丈がぴったりで、再び戸惑いの声が漏れた。
「じ、実は男性用のメイド服を何着か作る機会がありそうで、それで、試しに一着と思って、その、三毛縞先輩のサイズをお借りしたんですごめんなさい!」
一気に説明して息を切らすあんずだが、それでもフィッティングルームから斑を出すつもりはないようで、ドアが開かないようにしっかり体重をかけて立っていた。
「……はっはあ。なるほどなるほど。噂で聞いたことがあるが、あの行事の準備ってことかあ」
斑はしたり顔で顎の下を親指と人差し指でさすった。おそらくこの話には天祥院英智が絡んでいる——何か企んでいるのか——注意を怠らないようにしておかなくては。そんな風に斑が考えているとは知らないあんずは、説明を続ける。
有力者たちが集まる忘年会で行われるという、『潮干狩り』——現代でいうサバイバルゲームのような催しをする際に、参加者はメイド服を着用して臨むのだと、あんずは聞いているらしい。
斑の知識とは齟齬があるけれど、それは今は置いておくことにして。あんずが頼みたいのは、男性が着るメイド服は今までの衣装と違う点が多いので、ぜひ一度着て感想を聞きたいと、そういう話だった。
「こういうのはあんずさんが着たほうがかわいいと思うんだが」
とっとと済ませたいと思っていたので、あんずの説明を聞いている間に斑は着替えてしまっていた。足元のソックスまでばっちりと。あんずはそれを確認するとドアを開けた。心配そうな表情を浮かべるあんずの目の前に白いフリルのエプロンを付けた黒いロングスカートのメイドが現れた。
「私のことなら大丈夫ですので。それより、ほら、どうですか? その、む……」
顎を引いて眉間に皺を寄せながら目を大きく開けると言う凄まじい形相であんずは斑の胸元を凝視していたが、その心境は斑の知るところではない。インナーには女装用のパッドが取り付けられていて、見事にマッチしている。
「む? ああ、胸のところかあ。うん。位置もサイズこんなものじゃないかなあ。それより」
「それより?」
「足元が……いや、なんでもない」
「あぁ……」
言いたいことが伝わったのだろう。お互い、なんだか遠い目をしている気がすると斑は思う。あんずもすっかり仕事モードで、淡々と確認事項を訊いてくる。
「その格好で蹴り上げたりできますか?」
「できると思うぞお。やってみるから、少し離れててくれ」
ハイキックをする斑を見て、あんずは両手を顔の前で合わせて目を輝かせた。どこにときめく要素があったのか、さっぱりわからないが。
「あ!」
「今度はなんだあ。ここまで来たら最後まで付き合うぞお」
あんずが慌てて部屋の奥へと走っていった。その間に鏡を見て、我ながらげんなりするかと思いきや、意外と華奢に見えなくもない、むしろスタイルが良く見えるので、斑は不思議な気分を味わった。
「大事なもの忘れてました」
戻ってきたあんずが持ってきたものはヘッドドレスという、頭につける装飾品だ。リボンで取り付けるらしく、あんずが上半身を寄せてくるので斑は少し前に屈んだ。可愛らしい手が繊細なリボンを結んでいく。斑はこの状況をおもしろがれる程度にはメイド服がなじんできたように感じていた。
「かっ」
ヘッドドレスの位置を調節し終えたあんずは、急に叫んだかと思うと右手で口を抑えて身悶えしている。
「か?」
あんずの言葉を繰り返した瞬間、何を言おうとしたかなんとなくわかってしまい、斑はニヤニヤと笑みを浮かべた。
あんずの目が泳いでいる。直視できないほどのものなのか。斑は少しやり返すことにした。ここまで付き合ったのだからこれくらいは欲しがってもいいだろう。
「言って?」
甘えた声でおねだりをするも、右手の向こうで口をぱくぱくさせていておもしろい。これは予想外のことのようだ。
「かわいい……」
感動しているかのように頬を染め、敗北したかのように泣きそうで、表情がコロコロ変わって忙しそうだ。追い打ちをかけるように、斑は機嫌を良くしながらヘッドドレスを取ると、あんずの頭に当てがった。
「あんずさんも似合うと思うぞお♪」
リボンで結んでやると、あんずは照れて両手で耳の後ろをおさえた。その姿がうさぎのロップイヤーに似ていて斑は和んだ気分になる。
「……言ってください」
上目遣いで言われてしまったら、ひとたまりもない。効果はテキメンである。
「かわいい!」
当初の目的がなんだったかわからなくなりそうだ。思わず吹き出して笑うあんずに、斑も応じるように笑った。
「ふふっ」
「ははは!」
何のために衣装ルームに来たのだったか。それすら二人は忘れたように、笑っていた。