花火のように※渉あんです!
スケジュールの都合で、今回の『英智デー』は夜の八時から開始される。あんずが衣装の材料を見るために市外へ出ているためだった。
日がずいぶん長くなったので、夜の七時でもまだ少し明るい。渉は一足先に会場へ到着していた。
「少し早かったみたいですねぇ……けれど準備をしていればみなさんいらっしゃるでしょう」
そうひとりごちると、持ってきた荷物をベンチに置いた。そして青いバケツを手に、水道の通っているところへ向かって歩いていく。おそらく台車はなくても大丈夫な距離だ。
蛇口を捻ろうとした時、向かってくる人影があった。その人影が、今日のスケジュールを夜にした張本人であることに気づいた渉は、彼女を盛大に出迎えた。
「Amazing! なんと今夜の『英智デー』はあんずさんが一番乗りです!」
「す、すみません……! あれ、今日って外なんでしたっけ?」
「はい……☆ あちらの川辺で花火大会です」
渉が指した方向を見ると、川があった。ベンチの上に何やら荷物が広がっている。
「花火……!? だ、大丈夫なんですか?」
あんずが想像したのは、夜空に咲く菊や柳の花火だった。しかもスターマインのようなリズムのある咲き方をする。近隣に張り紙もしていないのにそんな派手なことを実行してもいいのかと不安を感じていた。
「ええ、許可は取っています。それにちゃんと、消火設備も用意してますよ。このように!」
そんなあんずを笑うでもなく、渉は足元を示した。そこには水が溜められたバケツがあった。
「あ、手持ち花火……」
「そうです! こちらもなかなか楽しみ甲斐がありますよねぇ」
渉がバケツを持って移動するので、あんずも隣を着いて行く。あんずは、照れ笑いを浮かべながら言った。
「ナイアガラの滝の方が好きなのかと思っていました」
「ダイナミックな演出も、花火の醍醐味のひとつです。ですが今夜は『英智デー』ですので」
彼のその言葉に、あんずはなるほどと納得した。たしかに、花火大会だとお祭りだから、ある種特別な日になってしまう。家族のように休日を過ごすのなら、家庭サイズの手持ち花火が適していた。
「そうですね。今ってどんな花火があるんでしょう」
到着すると、渉は道にバケツを置いた。そして荷物の中からひとつのパッケージを取り出した。
「この蛍のような花火がおすすめです」
「あ、線香花火」
とてもスタンダードな選択で驚いたけれど、あんずもそれが好きだったので、声を弾ませて受け取った。さっそく開封していると、その間に渉がろうそくに火を灯して準備を終えたみたいだった。
「少し早いですが、私たちだけで始めましょう」
「……いいですか?」
「はい。そこまで待ち望まれていては断れません」
あんずはにこっと微笑んで、じゃあ、と渉にも線香花火をひとつ手渡した。
「どっちが長く保っていられるか競争しましょう」
「いいでしょう」
すっかりあたりは暗くなっていた。花火が映える時間帯だ。
じゅっと火を点けると、音を弾けさせながら花が咲いた。ひとつとして同じものはない、儚い花だ。二人はじっとそれを見つめていた。
線香花火には段階がある。咲く花の種類が変わる頃、ふと渉の口元が寂しそうに歪んだ気がして、あんずはちら、と横目でその表情を伺った。
暗闇に浮かぶ渉の横顔を、あんずは美しいと思った。線香花火の光がその輪郭に濃淡をつけて、その美しさを表しているのだ。
きっと、寂しそうと思ったのは間違いだ。目を細めて微笑んでいる渉に見惚れていると、光が一つ絶えたらしい。濃淡の差が大きくなった。
あっと思って手元を見ると、あんずの持つ線香花火が消えていた。
「フフフ……♪」
「負けちゃいました。どれくらい保つでしょうねぇ」
そう言ってあんずは渉の線香花火を見下ろした。ジジ…と大きな光の玉が先端で揺れている。雫になりそうでならない、絶妙なバランスでそこにいた。気を抜くとふっと消えてしまいそうなところは、渉の言う通り蛍のようにも見える。
今まで見たことがないほどの大きさになっているので、あんずはどこまでいけるのかと興味津々に、食い入るように見つめていた。
「ところであんずさん」
「はい?」
不意に聞こえた渉の声にあんずが振り返る。その途端、彼の輪郭がふっと弱まった。
暗くなったのは線香花火が落ちたからだ。そう理解していても、今ここはろうそくと夜空の明かりしかないのだとわかっていても、あんずは目を凝らして渉の輪郭を探した。
「どうして私の顔、見てたんですか?」
それは美しさとは関係なく、ただ、彼を知りたかったからだ。
無意識に伸ばしていた手が渉の頬に触れる。親指でそっと撫でると、渉は驚いたように、けれど静かに目を見開いた。自分の気持ちを思い出したあんずは、ふっと笑って答えた。
「気になったんです。渉さんのこと」
悲しいのに笑っているから。そう伝えると、渉は悲しそうな顔をしていた。それも、そう言ったからかもしれないと、あんずは首を振って、なんでもないように見せた。
きらりと揺らぐ淡い紫の瞳にあんずが映った。それは一瞬、もしかしたら気のせいかもしれないくらい、儚い出来事だった。