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    ベルジャン 本編開始前でベルナルド→ジャン片思い (2009/09/23)

    odoriferoどこか掠れた甘さを含んだ、上等な煙草の匂い。
    それはいつものベルナルドの匂いだ。

    ふと後ろから目を隠されて、「誰だ?」なんてふざけられる。
    前に同じ事をされた時、絶対に間違いようのない声をしてるんだから無意味だろうって言ってやったせいか、今度は黙って目を塞がれた。
    「ベルナルドだろ」
    「……どうしてわかったんだい、ハニー? 今日は声を出していないのに」
    「いい匂いさせてんだもん。わかんない訳ないでしょダーリン」
    でかい手のアイマスクをはがすと、予想通りの男前。先例のない若さで幹部に昇格した超のつく優秀な男が、悪戯が失敗したガキみたいな顔で見下ろしていた。
    ベルナルドは少し照れたみたいな声で、バレてしまったか、なんて笑ってる。
    動いたときの衣擦れで、ふわりと漂う匂いは独特だ。女ならイチコロで落ちちまうような男の体臭。この顔に、声に、能力――世のモテない男に嫉妬で刺されてもしかたねえんじゃねえかと思うような色男で、匂いまでコレだなんて反則だよな。
    俺はベルナルドの、かっちりとスーツを着こなした長身を上から下まで見回した。
    「なに? これからオシゴト?」
    「その通り。朝から晩まで東奔西走、休む間もなく駆けずり回るおニィさんに、ご褒美をくれるかい?」
    「高給取りが、下っ端にオネダリすんなっての。なぁにが欲しいの、ダーリンは。今月は金無いから、ほっぺにちゅーか飴ちゃんくらいしかやれねえぞ」
    いやまあ、金が無いのは今月に限ったことじゃないんだけどな。
    ベルナルドは俺の冗談に乗っかって、それで構わないさ、なんて頬を差し出してくる。
    「いやんダーリン。こんなところでなんて、恥ずかしいわん」
    けらりと笑って、ポケットから取り出したロリポップをベルナルドの口に突っ込んだ。舌先でころりと転がしたベルナルドは、
    「そりゃ失敬」
    しなを作った俺の頭を、ガキにするみたいにしてポン、と撫でた。ロリポップの甘い香りが、ベルナルドの匂いに混じって漂っていた。



     ***

    会えるとは思っていなかった場所で、偶然にもその金髪を見つけたとき、気付けば手が伸びていた。目を隠して、さて誰でしょうかなんてお遊び。つい先日、俺の声を聞いて間違えるはずが無いだなんて嬉しいことを言ってもらったばかりだから、うっかり身体が動いていたのだろう。
    だが本当のところ、何がしかの理由をつけてジャンに触れられさえすれば、俺はそれでよかったのだ。

    ほっぺたにキスか、甘い飴玉か。
    ご褒美の二択、本当はキスのほうでも構わないかったのに。
    イチゴ味のロリポップを舐めながら、こっそりと俺は笑う。甘いキャンディの香りが口腔に満ちて、仕事、仕事で疲れた頭に糖分を補給する。
    甘いものを口にすると気分が落ち着く。疲れたときに舐めるようにと、執務机の引き出しにキャンディを常備しているほどだ。
    けれど甘いものというのなら、このパステルピンクのロリポップよりも、ずっと甘いものがあるのではないかと思う。
    キス、だなんて言葉がジャンの唇から零れた瞬間、思わずその唇の間からのぞく舌先を凝視してしまった。ロリポップのピンクよりも、もっと綺麗な色の舌。真っ白な歯の隙間から、ちろちろと揺れている。
    気付かれていなければいいのだが。
    透明な壁の内側に、こっそり隠した想いを気取られてはいまいかと露骨に過ぎた視線を反省した。
    コロコロと舌の上で転がるロリポップ、吐息まで甘く、甘ったるく染まっている気がした。それに平行して、気になることがひとつ。間近に立つジャンの頭が、ちょうど俺の鼻先にある。

    「――ところで、ジャン」
    「ん? 何、ベルナルド」
    「甘い甘いロリポップに混じって――甘いというよりは、ちょっと酸っぱい匂いがするんだが、心当たりは無いかな」
    「あーあー、うん、あー……心当たり、ありマス」
    証言台に立った犯人のように、ジャンは神妙な顔で首をすくめた。
    磨き上げれば純金みたいに光るくせに、めったに手入れをしたがらない性格は良く知っている。それ自体は彼らしさと思えば微笑ましいが、唯一の問題は風呂に入ることすらも面倒くさいと後回しにしてしまうところだ。
    風呂に入れ、という類のお小言は、ドン・カヴァッリと一緒になんども口を尖らせて言ってきた。
    改善の兆しは、どうやら見られていないようだ。
    俺に怒られる、と思っているんだろう。ジャンは身を小さく縮めている。事実、怒りはしないまでも小言の一つも言うつもりでいた。なのにちらちらと上目使いにこちらを伺うような仕草を見せられては、怒る気なんて吹っ飛んでしまう。
    それでも表面上は厳しい顔をして、端的に問いかける。
    「何日目?」
    「……五日目」
    「…………」
    うん、お前に甘い自覚はあるけれど、流石に五日は――ね。
    深々と溜息を吐き、じろりと睨むと、
    「上司命令、風呂に入って全身きっちり洗って来い。ワンワンは自分じゃお風呂に入れませんって言うんなら、俺が綺麗に洗ってあげてもいいけどな? コーサ・ノストラ秘伝の垢すりテクニックで、全身の汚れを残らず落としてやろう。そりゃあもう、ありえないほどつるっつるになるぞ? ああ勿論、お代は特別料金で構わないよ。なんと言っても、愛するハニーのためだからね」
    「遠慮しときますなんか怖いから!」
    キャンと吼える犬ッコロのように毛を逆立てて、今日こそ風呂に入りますと約束をした。
     


     ***

    風呂に入るのは面倒くさいが、別に嫌いというわけじゃない。
    青筋立てたベルナルドに言われて昨日は久々に熱い湯を浴びたが、湯上りのさっぱりとした身体はやっぱり気持ちよかった。あがった後には、風呂に入るのもいいもんだなぁなんていつも思う。でも結局、翌日にはめんどくささが先にたっちまうんだけど。

    ぽかぽかとした日差しを浴びて、くぁ、と大きなあくびをした。
    郊外にあるボスの屋敷の一つ――本宅ではなく、街中では大っぴらに会えないオキャクサマを迎えるときにだけ明かりが灯るタイプの別宅。そこの裏手の庭先で、俺は優雅な昼寝を楽しんでいた。
    カヴァッリのじい様のお供で来たはいいものの、じい様の用件は思いの他長引いてしまった。その間、俺は待ちぼうけだ。あげく、この後会合相手の別のじいさんと連れ立って、急にシカゴに行くことが決まったらしい。最小限の人数しか連れて行けないからと、俺は置いてきぼりでだ。ジジイとジジイに挟まれてシカゴへ旅行なんて冗談じゃないから、置いていかれることは別にいい。問題なのは、帰りの手段。車はじい様たちが乗っていっちまうし、デイバンまで歩いて帰れる距離でもない。ヒッチハイクをしてオウチにかえるマフィアなんて様にならねえぞとしょぼくれていた俺の前に現れた救世主が、ベルナルドだった。
    近くにいるはずだ、と言ったじい様の言葉に希望を託して電話をかけた。部下を幾人か経由して俺からのヘルプコールはベルナルドに繋がり、めでたく迎えの車を走らせてくれることになったのだ。
    多分、幹部様を迎えの運転手代わりに使う奴なんて、オヤジを除けば俺ぐらいだろうな。でも、別に俺の方からお前が迎えに来てくれよ、なんて頼んだわけじゃない。近くにいる部下でも迎えに寄越してくれたら嬉しいな、と控えめにお願いしたんだ。ハニーのお迎えを他の男になんて任せられないね、なんていつもの冗談を言いながら、自分が行くと申し出たのはあいつの方。異例の若さの最年少幹部、ってことで殺人的な忙しさを誇るベルナルドのスケジュールを少しは知っていたから、大丈夫なのかよ? と確認したが、仕事には息抜きも必要さ、と電話口で笑って答えられた。
    だったら遠慮することも無い。と言うわけで、じい様たちも出発しちまってしんと静まり返った屋敷の庭で、俺はのんびりとクラクションの合図を待っている。
    顔の真上に広がる青い空には、所々に白い雲。フォカッチャみたいな平らな雲に、あっちの雲はラビオリの形。遠くの雲は、待ち人の髪みたいにふわふわしていた。

    いつのまにかまどろみの中、気持ちのいい惰眠に落ちていた俺は、かさりと草と土を踏む靴の音で眼を覚ます。
    「おはようお姫様。目覚めのキスは必要かい?」
    「待ちくたびれたわ、王子様。そーゆーことは聞いてからするんじゃ遅すぎるわん」
    見上げた先には、かっちりとした礼装のカラーを解いて、襟元を緩めた姿のベルナルド。お日様を背に負うベルナルドを見上げて、眩しいのは俺のはずなのになんだかあいつも眩しげな顔をしている。
    ――いや、これは羨ましい顔なのかも。
    ベルナルドは少し離れた場所に立っているが、それでもはっきりと嗅ぎ分けられる南国のでっかい花みたいな強烈な香りを嗅いで、俺は電話口で聞いた仕事内容を思い出す。
    デイバンどころか州でも指折りの金持ちである、とある名家の有閑マダムの接待オペラ。元々CR:5とは繋がりがある人物で、定期的に彼女のご機嫌取りのようなことはしていたらしいが、ある日パーティでベルナルドを見つけたその時から接待役のご指名が入るようになったのだと言う。
    別に尻を撫でられる訳でもないからね、と口では言っていたベルナルドだが、この強烈な匂い――しかも、恐ろしいことに残り香でコレだ――のマダムと長時間椅子を並べて観劇をするというのは、はっきり言って苦行だろう。疲れの滲んだ目元を見て、のんびりお昼寝中の俺をうらやんでも仕方がねえなと苦笑した。
    まだ日は高い。夜までは予定も入ってないって言ってたし――

    「とりあえず一緒にお昼寝してみる?」

    寝転がったままお誘いをかけると、ベルナルドはひどく惹かれた顔をした。



     ***

    過ぎたるは及ばざるが如し――正直な感想を言えば、大量に振りまかれた香水というのは最早武器の類なのではないだろうか。薔薇の花びらをイメージして作らせたと得意そうに語っていたが、充満する匂いがきつ過ぎて薔薇の面影など判別もできなかった。
    芳しい花の香りを身に纏うご婦人は確かに魅力的だ。だが窒息しそうな匂いに溺れるくらいなら、いっそ五日も風呂に入っていない誰かさんの微妙な匂いの方がずっと……と考え、いや流石に五日はナシだろう、いやいやだがジャンだったら五日目でも、と意味の無い葛藤に苦しんだ。

    笑顔を引きつらせないためにひたすら顔面の筋肉を酷使し続けた過酷な仕事だった。匂いもキツイが、若い男にちやほやとされたいだけの気紛れな女に付き合うのは骨が折れる。老人ばかりの幹部の中、一人眼を引く若さで、ついでに顔も彼女のお眼鏡に適ってしまった。結果としてオペラだ晩餐会だパーティだと連れまわされて、しかも本当なら今朝早くには別れられるはずだったのに突然昼食を一緒になどと言い出されたせいで、予定が大きく狂ってしまった。
    だが、想定外のランチはやはり苦行だったが、そのおかげでタイミングが合い、ジャンを迎えに行くと言う役得を得た。デイバンへの帰り道にあるボスの屋敷へ、走らせた車のペダルを踏む足に自然と力が入る。
    自分がこんなに、わかりやすい性格をしていただなんて思っていなかった。
    その想いは、目的地の屋敷の前に停車させた車を降りて、中庭の芝生の上ですやすやと平和そうな寝息を立てているジャンを見つけた時、一層強くなった。自分でもわかる程、顔が緩んでいる。鏡を見たら羞恥のあまり割ってしまいそうだ。俺はなんとか表情を引き締めた。
    危ないタイミングで、ジャンが眼を開く。
    いつものような言葉遊びに持ち込んだ俺をしばらく見ていたジャンは不意に、自分の隣をぽんぽんと叩いて昼寝に誘ってくれた。正直、とても惹かれた。

    「オフなんだろ? なのに気になることがあるって……あんたってほんとワーカーホリックな」
    素敵な誘惑を、どうしても気になることがあるからと断ってしまった俺にジャンが呆れた声をかける。座っているのは助手席。デイバンへと走らせる車の中、ハンドルを取る俺の隣にジャンはいる。
    「俺としても実に魅力的なお誘いだったんだがね……大事な仕事の連絡が入ることになっていて、それ如何で色々と動かなくちゃいけなくなるかもしれないんだ」
    「オヤジに扱き使われてんじゃねーのけ、ベルナルド? ストレスは平気? 最近、お前の抜け毛を良く見かけるぞー?」
    「――見間違いじゃないかな」
    座席のシートから、ひょいと長い毛をつまんで持ち上げるジャン。レディを乗せたことも、乗せる予定も無い味気ない公用車、そんな長い髪はいったい誰のものなんだろうね。まったくわからないな。
    ――男には、触れられたくない場所と言うものもあるんだよ、ハニー。特に俺は、今朝も宿泊先のホテルの洗面台で、落ちていた髪の毛の本数から眼をそらしてきたばかりなんだから。
    「あー、えーっと、あの……ゴメンナサイ?」
    「フハハ――何がだい?」
    ジャンはバツが悪そうに、視線を高速で流れていく外の景色へと向ける。謝られる覚えなんて無いなぁ――ああ、無いとも。

    それからしばらく車を走らせると、緑色の畑ばかりが連なるのどかな風景の先に、ようやく市街地の影が見えてきていた。
    「ジャン、後ろの席から地図を取ってくれるか?」
    「おう」
    街に入る前に、一度道を確認しておこうと思った。俺の頼みを受けてジャンは身体をねじって後部座席へと身を乗り出し――途中、ぱさりと揺れた髪の毛から、たっぷりと太陽にあてた毛布のような、ついついそこに顔を突っ込んで、思いっきり息を吸い込んでみたいなんて思わせる、いい匂いがした。
    いい匂い――俺の好きな匂いだ。どんな香水よりも、ずっといい香り。
    「ちゃんと風呂に入ったようだね、感心、感心」
    「入らなかったら、つるぴかついでに皮まで剥がされそうで怖かったんでね。つか、今度はお前の方が風呂必要かもなー」
    「うん? 俺はちゃんと毎日風呂に入っているけど?」
    ジャンは俺の肩口に鼻を寄せ、フンフンと犬のように匂いを嗅いで――顔を顰める。
    いやまさか。だって昨日もちゃんと風呂に入っている。散々移された香水の匂いを落とそうと、なんどもなんどもシャワーの湯をかぶったんだから。
    待てよ、そうか、そういえば今朝も――

    「残り香、付けられまくり。マーキングされてるみたいだぜ、ベルナルド。このまま女のトコとか行ったりしたら、大変なことになっちゃうカモよ?」
    「――鼻が馬鹿になっているようだ。麻痺していて、気付かなかったよ」

    あのマダムのお相手は大変だ。俺は深々と、溜息を吐いた。



     ***

    車中で言ってた「大事な連絡」ってヤツが入って、結局ベルナルドは慌しく出かけていった。いつもは大人数の部下を連れ歩いたりはしないベルナルドだけど、今日に限って部下たちの中でもゴツい連中を何人も連れて行ってたから、おそらくはなにか荒事があるんだろう。
    そう察することはできたけれど、ベルナルドの仕事の詳細を知らない俺は、想像をめぐらせるしかない。
    もう夕日が傾いている――夜には別の会合に出るって言ってたし、なにをしてるかはしらないがそろそろ終わった頃だろうか。

    オヤジ直々に面通しされて俺の面倒を見てくれてるベルナルド。だが、正規の兄弟分のように、完全にベルナルドの指揮下に入るわけでもない俺の立場は、なんというか実に微妙だ。遊撃隊といっても、一人ででっかい功績を立てられるほどの頭も腕も無い。道端に転がってるラッキーを見つけて拾う腕だけは一級品だから、そこそこの功績は上げているものの、結局仕事の大半はカヴァッリのじい様の鞄持ちや、その他のジジイ共の相手ばかりだ。
    幹部のじい様たちだけじゃ飽き足らずに最年少幹部のベルナルドにまで取り入りやがって――なんて嫉妬の入ったアツいマナザシで見つめられることも少なくない。
    別に俺はベルナルドに取り入ってるつもりなんてないし、あいつだってそんな風には思っていないだろう。
    ただ、こうして忙しく立ち働いているベルナルドに一人残されてぼんやりしていると、やはり奇妙な関係だな、と実感する。
    俺とあいつの関係ってなんなんだろう――同じCR:5の構成員で、でも期待の最年少幹部とただの下っ端。兄弟分モドキで、年は離れてるけど気の合う仲間。割と俺には甘くて、わざわざ自分の運転する車で迎えに来てくれるくらいには仲良し。――でも時々、これ以上はダメだよと暗黙のうちに言われているような、見えない壁を作られることもある。
    言葉で説明するのは難しい。ただ、居心地がいい関係なのは確か。
    最初からそうだった、初めて会ったときからあいつは俺をまるごと受け入れるみたいな笑い方をして、実際なんの躊躇いもなしに組織に入ったばかりだったガキンチョの隣に立った。今思えば、あの頃だってベルナルドは凄く忙しかったはずだし、そんな中でラッキーだけがとりえの新米の相手をしたってなんの特にもならない。ベルナルドは優しいやつだけど、傍で見ていれば人間関係を結構シビアに割り切っているのも見えてくる。自分の部下の面倒は良く見たって、他人の部下のお守りまでしてやる義理は無い。そう考えるタイプの人間だ。
    そんな中で、どうしてあいつは俺の隣に立ったんだろう。やっぱり、オヤジに直々に引き合わして貰ったせいだろうか。

    ぷぅ、とフーセンガムを膨らませる。最近お気に入りの青リンゴ味、いくつかの種類を買ってみて、今日のメーカーは当たりだったなと心のメモに丸印をつける。次に青リンゴ味を買うときはここのメーカーのにしよう。
    つらつらと、そんなことを考えているのは暇だから。
    ベルナルドと別れた俺は、ボスからなにか指令があるとかでデイバンの屋敷に呼び出された。でも、これまた忙しいらしいボスは急な来客と面会中。俺は待ちぼうけを食らっている。
    ベルナルドも、ボスも、カヴァッリのじい様も。それに、今俺の周囲で怖い顔してドアの前に突っ立ってる大勢の兵隊たちも、みんなそれぞれ忙しそう。暇なのは俺だけか……、スローライフは大好きだけど、今日はちょっと微妙な気分。
    早くボスの面会おわんねーかな、と足元の大理石の模様を蹴って待っていると。
    「――お、ベルナルド」
    階段を上って、緑の頭が近づいてくるのが見えた。隣に並んだガタイのいい部下たちよりも、横幅は細く、身長だけひょいっと飛びぬけて高いシルエットを見間違えるはずが無い。
    仕事、終わったみたいだな。
    見たところ、怪我をしている奴もいないみたいだし――悠然と自信に満ちた顔で歩いてくるベルナルドの表情を見るに、お仕事は無事に遂行されたんだろう。
    ひらひらと手を振れば、ベルナルドは俺に気付いた。
    緑色の眼を丸くして、唇の形が俺の名前を呼ぶ。小さな声はここまで届いてはこなかったけど、呼ばれたことは解っていたから返事をした。
    「おかえり、ベルナルド。無事終わったんだな」
    「――ああ」
    ……あれ? 
    なんだろうか、声が硬い。ベルナルドは、俺の手前で立ち止る。
    「どうしたんだ、ジャン?」
    「ボスに呼ばれたんだけど、急なお客さんとかで会えなくってさ。待機中。お前は? 仕事、うまく行ったんだろ?」
    「はは、まあね。――すまない、ジャン。すぐに報告に行かなくてはいけないところがあるから、俺はこれで」
    「お、おう……」
    そそくさと会話を切り上げて、ベルナルドは歩き出してしまった。
    別に用があって呼び止めたわけじゃないし、長々と立ち話をしたいわけでもない。でも、俺を交わすみたいに去っていってしまうベルナルドの態度に、なんと言うか……、俺はそんなベルナルドに慣れていなくて、面食らった。だって、いつもだったらあいつの方から「やあ、ハニー」なんてふざけた冗談を言いながら近づいてくるはずなのに。
    ベルナルドの、見えない壁――なのか? いや、でもこれはいつものとはなんか違う気がする。
    釈然としないながらも引き止める理由もなく、にこやかに手を振ってベルナルドを見送る。カツン、とあいつの靴が床を鳴らして、長い髪が歩調に合わせてふわりと揺れた。すれ違い様、いつもの甘く苦い煙草の香りと、まだちょっと残ってる香水の匂いとに混じって、俺の鼻は別の匂いを嗅ぎ分けた。
    振り返った視線の先、ベルナルドは振り返ることなく歩み去る。顔馴染みのあいつの部下が一人、珍しそうな顔をして置いていかれる俺を振り向いていた。
    丁度その時、遠くからジャンカルロ、と名を呼ばれる。オヤジ付の兵隊の一人が、ボスの来客が終わったぞと伝えに来た。グラーツェ。膨らませたガムをパンッと破裂させて、俺はベルナルドとは反対方向に歩き出す。

    さっき、ベルナルドからした匂い。
    ――硝煙の匂いだった。



     ***

    交渉と取引で事を終えられれば良かったが、結局うまくは運ばなかった。
    交渉相手は彼の手持ちのカードには過ぎたる対価を要求し続け――結局、すべてのカードを場にぶちまけてゲームオーバーになる道を選んだ。身の丈に合った選択をしていれば、今頃は十分な金を手に酒場にでもしけこめていたはずなのに。
    だが、同情はしない。
    どうにかなるだろうなんて甘い見通しのまま、マフィアを相手に取引を持ちかけてきたのはあの男の方だ。

    アパートメントの玄関を過ぎるなり、俺はスーツを脱ぎ始める。
    服だけではなく、髪にまで硝煙の匂いが染み付いてしまっていて不快だった。ラックにかけるのも面倒で、上着は椅子の背もたれに投げかけた。タイをはずし、シャツを脱ぐ。
    風呂に入らなければ。
    夜には最近手打ちをした組織の幹部との会食がある。数年来続いた抗争を、ようやく手打ちにしたばかりの相手のところへ、幹部が硝煙の匂いを振りまいてのこのこ出向けるはずが無い。要らぬ反感を煽り、再び仲たがいでも起こしてしまったら目も当てられない。その程度のことで、と普通ならば考えるだろうが、二つの組織の講和が気に食わない者もいるのだ。知られれば、盛大に煽って小さな火種で大きな山火事を作ってくれてしまうだろう。
    嫌になるな、と深く溜息を吐いた。
    ジャンとのんびりお昼寝のお誘いを蹴ってまで出向いた先で、やった仕事といえば結局、みすぼらしい中年男をみすぼらしい死体に変えただけ。まったくもって残念の極みだ。
    クン、と、自分の肩口の匂いを嗅いでみる。マダム・ラフレシアなどとジャンが仇名をつけた女の移り香は随分と薄れていた。その代わりに、鼻をつく硝煙の匂い。
    太陽にあたってぽかぽかといい匂いをさせていたジャンとは、酷い違いだ。

    ジャンカルロ。
    ついさっき、ボスの屋敷で再会した顔を思い浮かべる。いつものように屈託なく手を振ってきたジャンだが、去り際には不審げな顔をしていた。勘の良い彼のことだから、自分の態度に首を傾げていたのだろう。わかってはいたが、どうにも近づき難かった。
    CR:5の正規の構成員である彼は、立派なマフィアの一員だ。だが、ソルダートではないジャンは、まだ手ずから人を殺したことは無い。
    日向の匂いをさせて笑う彼に、今の自分は近づいてはいけない気がした。

    「――風呂だ、風呂」
    袖を引き抜いたシャツを放り投げる。不快な匂いは、さっさと洗い流してしまえばいい。バックルを外したベルトを引き抜きながら、バスルームへと向かう。
    だが折悪く、玄関のチャイムが鳴らされた。
    来客?
    このアパートを知っている人間など限られている。何か緊急の事態があれば、部下はまず電話を寄越すはずなんだが――首を傾げていると、ドンドンと扉を叩く音と共に、よく知った声が俺を呼んだ。
    「ベルナルドー、おーい、いるかー?」
    「ジャン!?」
    何故ここに?
    慌ててドアを開けると、俺の格好を見てジャンは「あらセクシー」なんていつものようにふざけて笑った。手に持った封筒をひらひらと見せ、お届け物デスと指をさす。
    「オヤジから、今夜の会食相手についての資料だってさ。現地に行く前に目を通しとけとよ。そこでワンワン宅配便の出番てワケだ」
    「グラーツェ、わざわざすまないね。にしても、よくここがわかったな」
    「プレーゴ。ワンワンですから、ダーリンの匂いを追っかけてきたのよ――なんてな。ほんとはあんたの部下に教えてもらった」
    ジャンが知っている場所、知らない場所を合わせて、俺はデイバン市内だけでも数件の塒を確保している。今日ここへ来たのは偶然だったから、どうして解ったのだろうかと疑問を持ったが、そういうことか。ボスの指令を届けに来た相手だ、部下も素直に教えるだろう。
    ――せめて、風呂に入った後だったら良かったんだが。
    匂いの抜けていない自分の身体と、ジャンを秤にかけた。助かったよ、ありがとうでお帰り願うのはどうにも憚られた。ジャンは気にしないだろうが、俺の心情として。
    「とりあえず、あがって。コーヒーでも飲んでいくといい」
    「上がっちまっていいのけ? ベッドでセクシーなお姉さまが待ってたりしない?」
    「残念ながら。俺を待ってくれているのは熱いシャワーのお湯だけなんだ、ジャン」
    「んじゃ、遠慮なく」
    招き入れて、どうするのか。考えもまとまらないままに、ジャンを呑み込んだ部屋のドアがパタンと閉じた。

    「あんたの部屋、って感じだねー」
    「そうか? たいした物は無いだろう?」
    室内をきょろきょろと見渡すジャンに、俺は椅子に座ってボスからの封書の中身を改めている。ジャンはこちらの内容を目に入れないようにと、わざと立ってあちこち室内を散策していた。正規の仕事部屋よりは数を控えている電話や、仕事用の機材を物珍しそうに眺め、つついてみたりしている。届けてくれた資料は、確かに有用なものだった。隅々まで目を通し、頷く。
    封筒の中に書類を戻した俺の後ろ、すぐ近くに、ジャンの気配。
    「読み終わった?」
    いつもとまったく変わらない声音で問われ、答えようとして――失敗する。
    振ってきたのは声だけじゃなかった。日向の匂いがふわと近づき、次には頬にさらさらと金髪が触れる。
    ――ジャンが、後ろから抱き着いている。
    肩口に顎を乗せて、頬と頬がくっつくような至近距離から、横目でこちらを見ていた。
    すぐに風呂に入るのだからと、脱いだ服はそのままにしていたせいで上半身はまったくの裸だ。首を抱え込むみたいに回された腕の、袖のボタンが胸に触れて冷たい。
    いったい、何が起きた――?

    「どう、した? ジャン、なにかあったのか?」
    「んにゃ、ナニも? ……あんたの匂い、うつらねえかなーと思ってさ」
    「――っ、な、ジャン?」

    まるで抱きしめるみたいに強くなる腕。
    ふざけてじゃれ合う延長で、こんな風に触れることが無かったわけではなかった。だが、場の流れや酒の勢いもなしに、不意に抱きつかれる理由がまったくわからない。まして、ジャンはこんな、まるで睦言のような台詞を言うような人間ではなかったはずだ。
    むき出しの首筋にかかる吐息に、混乱をきたす。

    「いつものあんたと、違う匂いがする」
    「なにを……」

    匂い。まだ風呂には入っていない、自分の髪には、顔を顰めた硝煙の匂いがまだ残っている。
    対照的に、ジャンの髪からはいい匂いが。
    せっかくの日向の匂いに、自分の匂いが混ざってしまうのは、もったいない。反射的にジャンを引き離そうとしてけれど、逆に強くしがみつかれてしまう。首筋に顔を埋めて、ジャンは鼻をひくつかせている。くすぐったい。そして、ぞく……と、胸の奥で鎌首を擡げる感覚がある。けして見せないようにときれいに隠したはずのものが、皮膚の内側をせり上がってくる。
    危険だ、この距離は。
    背筋を走る衝動などつゆ知らず、ジャンは、

    「アタシの知らない匂いをさせて、逃げ回るなんてズルイじゃない。浮気されてるんじゃないかしらって、不安になっちゃうワ、ダーリン」
    冗談めかして、でもどこかに本音を含んだような声で、言った。
    「俺の知らないあんたがいるのは知ってんだけどさ……つか、仕方ねえとはわかってんだけど。そんでもって、なんであんたが俺に見せようとしないでいてくれんのかも何となーくわかっちゃうんだけど。でもさ、なんつーか……あんたがさ、いつもと違うと、落ちつかねえ」

    引き止めるように強い腕の力と裏腹に、一言、一言、言葉を捜しながら囁かれる声は小さい。けれど、口にする言葉を探して声が途切れることはあっても、口に出した言葉を迷うことは無かった。
    ジャンは息を吸う。こびりついた匂いが――人を殺した匂いが、その腹腔に吸い込まれる。ジャンはそれを拒まず、腹を据えて受け入れた。
    そして最後に、重みを込めた声で、はっきりと言った。

    「いつか知らなきゃなんねえ匂いだろ。だったら、あんたが教えてくれよ、ベルナルド」

    答える言葉を、俺は見つけられなくて。
    ――ただ黙って、ジャンの髪に、顔を埋めた。







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