選曲会議顧問の特権として使っている部屋で自由曲の選曲をしていると音楽室に誰か入ってくる気配がした。自主練で来た部員だろう。年が明けて間もないのに熱心なものだ。
「年始くらい休んでもいいのに……」
恐らく年末のアンサンブルコンテストに出た木管五重奏のメンバーだろう。都大会に駒を進めることができたから個人練をした後に5人でアンサンブルの練習をするに違いない。そして練習は長引く可能性があるから彼らを時間になったらどう追い出すかも考えないといけない。
「……まあ、こっちの方が先か」
オーディオコンポにCDを入れてから孫六は総譜を開いた。すると――。
「失礼しまーす」
ドアが開いた。
「あ。やっぱりいた。今年もよろしくお願いしまーす」
安定だった。
「何か用か?」
「リード、余ってないかなと思って。間違えてバスクラのリード持ってきちゃって。楽器庫にあった奴は全部ハズレだったし」
「それならこれを使え。使えるものだけ厳選して入れている」
孫六はリードの入った箱を安定に渡す。
「ありがとう。助かるよ。……ところで、今は自由曲の選曲中?」
「ああ。2つまで候補を絞れたから改めて音源と総譜を確認するところだ」
「そっか。それなら、僕たちが手伝おうか?」
「いや。後は俺が決めるだけだから――」
「えー。僕たち、今年が最後のコンクールなんだよ? 最高学年の意見、反映させてほしいなー」
「一部の新3年生の意見を反映するのは不公平だろう。練習に戻れ」
「……」
安定はどこか不満そうに孫六を見る。
「大和守。そろそろ練習を始めたいのだが……」
オーボエを持った水心子が部屋のドアを開けて中の様子を伺いにきた。
「あ。水心子。今、自由曲の選曲してるんだって」
「え!? どんな曲? 僕……あ。いや。私も知りたい」
そわそわしながら水心子が部屋へ入って行く。
「何? 自由曲の選曲してんの? どんな曲か俺も知りたい」
フルートを持った加州も部屋へ入ってくる。
「何だか面白そうだね。肥前もおいで。練習は後でいいから」
清麿は肥前を連れて部屋へ入ってきた。
「……僕たちはただ、どんな曲が候補に上がってるか知りたいだけで最終的に決めるのは先生だからどんな曲でも文句はないよ」
安定は笑った。他の部員も頷いている。
「……わかった。まずはこれだ」
孫六はオーディオコンポの再生ボタンを押した。切羽詰まったような金管の旋律から曲が始まる。
「いきなりバスクラのソロあるじゃん」
「安定にかかってるよ、これ。しかも音域高めだし」
加州は安定を見てニヤニヤと笑っている。
「孫六先生、この曲の名前は?」
水心子が訊ねる。
「ゾウの足だ。あんたたちが生まれる前にあった原発事故をモチーフにしている」
「なるほど。道理で緊張感がある訳だ。……でもこれ、ダブルリードはオプション楽器かな? オーボエとファゴットの音、聞こえないし」
「元は管楽八重奏曲で小編成用のバンドに向けて書かれているからな。ダブルリードはオプションだ」
「なるほど。嫌いじゃないけどオプションか……」
清麿は少し不満そうだった。
「もう一つの曲は何だよ?」
ゾウの足にしばらく耳を傾けていた肥前は口を開いた。
「これだ」
曲が終わったのを確認してから孫六はCDを入れ替えた。華やかに曲が始まったかと思うと曲はすぐにファゴットとホルンの静かな伴奏に続き、オーボエのソロが始まる。
「これは……パガニーニの主題をモチーフにしているのか?」
聞き覚えのある旋律に水心子は反応する
「ああ。パガニーニの主題による幻想変奏曲だ。長い曲だが、どの楽器にも見せ場がある」
「うわ。ここのフルート難しそう」
加州は眉間に皺を寄せた。
「でもこれ、ファゴット2本のソリあるしその後にオーボエのソロ入るよね? こんなにダブルリードが美味しい思いする曲あるんだ」
「お前は自分の楽器よりもオーボエが目立つ曲がいいのか?」
呆れたように肥前は清麿を見る。
「うん。だって、ソロ吹くなら水心子でしょう? 舞台の上で僕は水心子のソロを聴きたいからね」
「清麿。まだ私が吹くと決まった訳では――」
「ソロは絶対君だよ、水心子。だって君は凄い奴だからね」
清麿は笑った。
「ここ、速い上にバスクラ目立つから誤魔化し効かないね」
「ここはホルンの音域高すぎないか? 外せねえじゃねえか」
「あんたなら吹けるだろう」
孫六はニヤニヤと肥前を見た。途端に肥前は不機嫌な顔を見せた。
「……これ、イングリッシュホルンも使うんだ。楽器庫にあった奴、使えるかな……」
スピーカーから聞こえるイングリッシュホルンの音に水心子は反応する。コンクールの自由曲
「……とまあ、各々の楽器に見せ場がある曲だ。幾つかカットしないといけない箇所はあるが」
「なるほどねー……。まあ、俺はどっちでもいいかな。孫さんの好きなように決めてもらえれば」
「おれも加州と同意見だ」
肥前は答えた。
「じゃ、俺は先に音楽室戻るね。行こ、肥前」
加州は肥前を連れて部屋を出た。
「孫六先生。総譜を見せて――」
「水心子。僕たちも戻ろうか。選曲の邪魔、しちゃいけないし。失礼しました」
清麿は水心子を連れて部屋を出た。
「僕も戻らないと」
安定は立ち上がった。
「……あ。そういえば先生」
「どうした?」
「ゾウの足かパガニーニ、僕はどっちでもいいけどバスクラのソロ、ある曲選んだよね? 僕を試してる? それとも嫌がらせ?」
「そんなことはない」
孫六は即答した。
「好きなだけだ」
「何が?」
「低音が。特にあんたが吹くバスクラの音が」
「そうなんだ。ありがとう。最高の褒め言葉だけど、もっと別の場面で聞きたいな」
「別の場面?」
「秋に、名古屋国際会議場で。金賞獲った後で。楽しみにしてて」
安定は笑って部屋を出て行った。
「……さて。どうしたものか……」
孫六は総譜のページを捲った。音楽室からは木管楽器とホルンの個人練習の音が聞こえた。