kill time「あれ~どこにやったかな」
棚に並べられたファイルを取り出しては、綴じられた中身を確認し、元の場所に戻す。その作業を、十数分前から繰り返している。
犬飼は作戦室で書類を探していた。およそ一年前ほどに配布されたものが今になって必要になったのだ。二宮隊の作戦室はそもそも私物が少なく、あるとしてもこのオペレータールームのどこかのはずである。
「クッソ、なんで今更……」
一人悪態をついても出てこないものは出てこない。自分を含めた誰かが持ち帰っている、または既に破棄されている可能性もあるが、内容的にボーダーで使用するものだから個人が持ち帰って保存、ましてや破棄していることは考えにくい。
まだ探していない棚の上のほうに手を伸ばす。ここは取り出しにくいため、あまり使わない書類がまとめられている。隙間を埋めるようにびっしり並べられたファイルを取り出すと、一緒になって一枚ぺらの紙がひらりと宙に舞った。
「おっ」
期待して床に落ちた紙を覗き込んだが、それは一目で目当ての書類ではないと分かった。びっしりと絵が描かれていたからだ。
「なにこれ」
思わず拾い上げる。裏には印刷がされており、裏紙として使用したらしい。目当ての書類でなくて安堵する。そして裏返す。手書きのイラストが何個も描かれており、それらが矢印で順繰りに結ばれている。困惑したのは一瞬で、すぐに記憶が蘇る。確か作戦室に鳩原と二人残された時、暇つぶしにやった絵しりとりだ。
鳩原未来。自分と同じ二宮隊で、自分と同じ十八歳。一月の早生まれ。三門第一高校に通ってて、弟がいた。どちらかといえば大人しいけど、暗くはない。それで、約一年前に近界へと姿を消した。
自分が覚えている情報はこのくらいだ。大人しいとか暗くないなんてただの主観の情報だし、もう二宮隊の所属でもない。本当に近界へ行ったのかもよく分からない。鳩原は片手で握りつぶせそうな量の情報だけを残して、姿を消した。
怒りとかは、無い。いや、微塵もないかと言われればそうでもないのだが、それよりもあの鳩原が規律違反を犯して近界に渡るという行動をしたことに、いまだ驚いている。
紙に描かれたイラストにそっと指で触れる。この細い、消えそうな線でこまごまと描かれているほうが鳩原の描いた絵だ。なんとなく女子はみんな絵が上手いものだと思っていたけれど。
「はは、どんぐりの背比べ」
明らかに絵心の無い自分の絵と並べてもそこまで浮かないほどに、鳩原の絵は上手でも下手でもなかった。
左上から辿っていく。最初に描かれた自分の絵はおそらく「リス」だ。「しりとり」から始めたのだろう。巻いたしっぽが大きすぎて、自分の絵ながらも一瞬カタツムリかと思った。
次に鳩原が描いたのはおそらく「すべりだい」。もしこのすべりだいが実在したら、鋭角すぎてほぼ落下してるに等しいと思う。
この絵しりとりをしていた時、自分は鳩原と何を話したのだろう。まったくもって覚えていない。暇つぶしをしていたのだから大した内容ではないのだろうけど、それでも鳩原について覚えていることがこんなにも少ないと、本当に実在していたのかという気になってしまう。
拙い絵は紙の上を蛇行しながら順調にしりとりを紡いでいき、紙の端まで着いた。
「なんだこれ」
犬飼は顔を歪ませた。最後の絵を描いたのは鳩原だ。全身から何かが噴き出している四足歩行の何かが、笑みを浮かべている。爆発しているように見えるだけでも怖いのに、笑顔であるのが余計に不気味さを引き立てている。
「ひとつ前がスマホだよな……ほ……?」
矢印の始点には、長方形の何かが電波のようなものを出している絵が描かれている。もし「スマートフォン」だとしたら「ん」がついて終わってしまう。「スマホ」自体が違うのだとしたら、その前の「アイス」も違うことになるが、それは考えにくい。
その場で腕を組み、考え込む。
ほ……ほ……いや、濁点半濁点か? ボ……ポ…………
その時だった。脳の中で電流が走り回路が繋がったみたいに、唐突に鳩原とのやり取りを思い出した。
『あたし、犬を飼いたいの』
紙を挟んで向かいに座った鳩原が言った。学校で使っているであろう薄ピンクのシャーペンを指先で弄んでいる。
『好きなの?』
『うん、でも飼ったことなくて。弟も好きだし、いつか飼いたいなって』
『種類は?』
『うーん……小型犬かな。ポメラニアンとか?』
ポメラニアン、か。
「うぜー……」
犬飼は薄ら笑いを浮かべた。噴き出しているように見えたのはポメラニアンの毛だ。鳩原はポメラニアンを描いて、意図的にしりとりを終わらせたのだ。
「……勝手に終わらせんなよ」
氷見のデスクからペンを借りて、ポメラニアンから矢印を伸ばす。もうイラストを描くスペースがないため、矢印は紙の裏まで引っ張った。しりとりを続けるには、このポメラニアンをどうにかポメラニアンでないものにしなければいけない。
「ぽ、ぽ……ほ、……哺乳類、ってのは厳しいか? まぁいいか……」
もう相手のいないしりとりで悩んでいても仕方ない。
「い、い、……」
『おれはどうせ飼うならでかい犬がいいかな』
『セレブっぽいね』
『だろ。毛の長い犬』
『掃除が大変そう』
犬を飼いたいなんて一度も思ったことはなかった。だから、この会話をした時も適当に合わせて話したのだろう。
犬飼はペンで、犬を描いた。セレブの飼ってそうな毛足の長い犬種にしようとしたら、全身から何かどろどろしたものが溢れ出しているみたいになった。
「……はは、マジでどんくりの背比べ」
その犬の絵から、さらに印刷の隙間へと矢印を伸ばす。
作戦室の扉の開く音がした。
「犬飼先輩」
「おっ、辻ちゃん」
入ってきた辻は、なにやら紙を手にしていた。
「探してる書類って……」
「あーそうそうこれ!」
「なんか上層部に提出してそのまま保管されてたみたいですよ」
「なんだよ、探しても見つからないわけだ」
犬飼は肩を竦めて笑った。この部屋に存在しないものを必死に探しているのが馬鹿みたいだった。
しりとりの描かれた紙の端をくしゃりと丸めかけたが、それを掌で伸ばすと、先ほど挟まっていたファイルの隙間にもう一度差し込んだ。
これから二宮隊は作戦室に集まることになっている。しかし、それも一時間後だ。
「ねぇ辻ちゃん」
「はい」
「暇なら絵しりとりでもしない?」
(終わり)