ピロートーク 前世というものがもしあったとして、今と同じ「杏寿郎」という名前で呼ばれていたのはおかしな話で、実際家系図を見ると自分のひいひい爺さんだかの世代に杏寿郎は存在しないらしい。俺はこの記憶は前世というよりもパラレルワールドを生きていた自分から混入したもののような気がしている。俺の覚えている大正と、小説や資料から伺える大正時代とでは、言葉遣いなどが少し違っているようだし。そもそも鬼が実在した記録も残っていないし。
だから、前世があるかどうかはどうだっていいんだ。
大切なのは、自分の中にはもうひとつの人生の記憶があり、その記憶のおかげでこうしてまた君を見つけられたということ。そして、出逢うべき相手と、今度こそ相応しい時と場所で出逢えたという、この感覚なんだ。
「つまり……おまえは俺を見つけたかったのか?」
ゆっくりとまたたく、羽根のようにふさふさとした桃色の睫毛。息で撫でるような優しい囁き。艶のある声でこうして低めに話されると、俺は少しだけ眠たくなる。深く交わったあとだからというだけではなく。
「ああ。君は違うのか? 猗窩座」
「俺は見つけたかった、もちろん。だからおまえに声をかけ、口説き落としたんだ。パラレルワールドだか何だかしらんが、黎明のときだって、しつこくおまえを誘ったじゃないか」
「ふふ。うん……」
お、に、に、な、れ。呟きつつ、手を彼の顔に伸ばして、指で記憶の通りにたどってみる。正中線を、生え際から鼻先まで。首に二本の横線を描いて、そこから臍までまた中央をまっすぐに。
あのときは人とは明らかに違う色をしていた彼の肌は、今は色白ではあるものの、健康的な人間のものだ。すべすべとして触り心地がいい。
「たしか、こうだった。違ったか?」
「違わない。よく覚えているな。一瞬の邂逅だったのに」
菜の花蜜のような金瞳がとろりと優しくなる。おまえと違って俺には思い出したくもないことばかりだと、もうひとつの記憶の話を嫌がるくせに、こうして俺が詳細に覚えていると、彼は嬉しそうな表情をする。
「なあ、猗窩座。……ここにも線は入っていたのか?」
臍までなぞり下ろした指をそのままシーツの下に潜り込ませて、茎をやわく握る。こら、とますます瞳を優しく細めて、かつての鬼は、肘枕を解いて俺を抱き寄せた。裸の胸と胸が合わさり、冷めかけた肌にぬくもりが灯る。
「やんちゃな奴だな。まだ足りないか?」
「純粋に知りたいんだ。どうだったのかなって」
「さあて……」
教える気のなさそうな顔。せっかくだから、指を握って開いて、揉んでみる。再び芯の通ってきたそれを、下から上へ、上から下へ。先頭をさすり、茎を撫で、長さと太さ、形の隅々を指でたしかめる。よくもまあ、窄まった部分にこれが入っていくものだ。ずしりと立派で、ひるむほどの量感がある。
「……杏寿郎」
俺の大好きな声が余裕をなくす。上擦った響き。目の前の白い肩に軽く歯を当てると、猗窩座はそれを合図に俺に乗り上げ、膝をつかんでグイと開いた。普段はとても優しい彼が、こういうときにだけ見せる、ぞんざいな仕草。そう、その調子で二回戦は乱暴にしてほしい。期待がぞくぞくと背筋を震わせる。
今の俺は淫蕩な顔をしているのだろうな。その証拠に、ほら、金の視線が俺に釘付けだ。あ、喉がこくりと上下した。
サイドデスクのローションに手を伸ばし、猗窩座が微笑む。片頬を上げる独特の笑顔。鬼のときにはしなかった笑い方を、今世で出逢った当初は、クールで皮肉っぽいと思った。照れ隠しだったり、呆れていたり、今ではそのときそのときの細かな表情の違いがわかる。ちなみに今の微笑みは「困ったやつだ」「でも可愛い」と思っているときの顔。
「欲しがり屋め……」
「君が悪いんだ」
「なんだと?」
「俺のここに、穴を開けただろう」
鳩尾をトンと親指で突いてみせる。猗窩座の顔が苦しげに歪む。
「……もう、それは」
何度も謝っただろう、という言葉は言わせない。首に腕を回し、唇を唇で塞いで黙らせる。謝罪が欲しいと思ったことは一度もない。あれこそが運命のはじまりだったと思うから。
「悪かったと言ってくれるのなら、注いでくれ、俺に。もっと」
「…………杏寿郎」
「君の開けた穴は、君にしか塞げない」
普段は朗らかだと評される声を絞って、かすれさせる。こうすれば彼が一言も聞き逃すまいと真剣に俺に集中することを知っている。
「君だけを求め続ける欠如を、俺はここに持っている……」
白い手を取り、鳩尾に当てる。彼がわずかに緊張したことがわかる。
大丈夫。君はもう俺を傷つけない。前回とは何もかもが違うから。先に見つけたのも、君の視界に割り込んだのも、君が俺に話しかけるよう仕向けたのも、今世では俺のほうなんだよ、猗窩座。教えてやる気はないけれど。
彼の屹立を握り込む右手に力を込める。あ。小さな吐息が彼の紅い唇を震わせ、桃色の眉の間に切なげなしわが寄る。あの頃と変わらず美しい。俺は最後の一押しに、親指で裏筋を強めにこすった。
「だから、君のこれで」
「………………」
「埋めてくれ」
君を絶対に離さないと、あの夜に叫んだ名残の、疼き続ける熱い欠如を。
腹にぽかりと空いたままの小暗い孤独の穴を。
今度こそ、俺が、いいと言うまで。
君で、満たして。
ーー 終 ーー