凛と一緒(8) 凛と付き合う少し前の出来事。
練習試合とは思えない凛と潔のスーパープレイを間の当たりにした蜂楽、千切、國神、玲王、凪の五人は清々しい気持ちで、二人を待っていた。しかし、ぞろぞろと帰宅していく一難高校の面子の中に、凛と潔の姿が見当たらなかった。キャプテンマークをつけている二年生…多田を呼びつけて、二人の所在を尋ねたところ。こう返された。
「さあ、知らね。みんな知ってる?」
一様に首を傾げるが、それ以上深く追及する気配はなかった。
五人は察した。
「もしかして、今頃二人でお付き合いの話をしてるとか…」
凪の予言は実現することになる。
意気揚々としていた空気が一変した。
校門の前で、蜂楽と千切が突然準備運動を始めた。
「ん?おい、どうしたんだ二人?なんでいきなりウォーミングアップ始めた?」
「蜂楽はなんでボール出した?」
國神と玲王が首を傾げて二人に問う。蜂楽はボールを構えて、千切は完全にスプリントの態勢に入っている。
両者、スタート地点に立つと。ちょっと――――。と声をそろえた。
「全国ドリブルしてくる」
「全国スプリントしてくる」
はああああああああ國神と玲王が絶叫したのを号音に、二人は飛び出した。千切は北に。蜂楽は南に。正反対の方向に向かって駆けだした――――突拍子なさすぎて度肝を抜かれた。
「うおおおおおいいきなりどうしたお前ら」
「つーか全国ってなんだご傷心か」
呼び止めるもの駆けだした二人の姿はすでに無く…それほど事実に耐えきれなかった、という顕れだ。
背後でどさりと盛大な音がした。嫌な予感を抱きながら振り向くと、地面に凪がぶっ倒れていた。
「凪」
「お前までどうした」
「玲王……どうしよう……潔が凛のものになったと思うと、今までに感じたことがないぐらいに辛い…………辛すぎて地面になりたい…………このまま地面と一体化したい、俺は塵になりたい……」
「落ち着けええええしっかり気を持てえええどうあがいても人間は地面と一体化できねえよ」
どうやら、この前言っていた戯言は、戯言ではない、ということが証明されてしまった。國神と玲王は愕然とした。まさか三人そろって本気だったとは。
凪を玲王が背負って、國神も一緒に玲王の迎えの車に乗り込んだ。
「まさかお前の予言が当たるとはな」
「俺も上手くいきすぎて驚きだわ。今頃二人で仲良くやってんじゃね?」
「凛も男だったってことか」
「凛ちゃんの凛ちゃんは雄だったってこったろうよ。まあ、賭けは俺が勝ちってことで」
あはははは。笑い合っていた声もだんだんと小さくなっていき、リムジンの中に思いつめたような沈黙が続いた。國神も玲王も物憂う表情で窓の外を眺めていた。
「………なあ、玲王。帰る前に、お前んとこのトレーニングルーム、使わせてくんね?」
「………久しぶりにバーチャルトレーニングやろっかな。難易度最高で」
結局二人も同じ穴の狢であった。
――――そんなことがあったとは知らず、凛の告白(脅迫ともいう)で、無事にめでたく、交際がスタートを切った。
まず行ったのは会議である。
「とりま付き合ってるのは内緒な」
「ああ?なんでだ?」
「だって……お前モテるからこっちが目立つし。チームメイトで付き合ってるって知ったら監督が泣く」
「知るか。泣きたきゃ勝手に泣け」
「凛」
凛は渋々であったが最後には条件を呑んだ。
凛がどのタイミングで潔のことが好きになったのか……なんて訊きたくなったけど、舌打ちと殺気の眼光を当てられそうなのを予感して、その言葉は呑み込んだ。改めてよろしく…と言ったところで、変に羞恥心が込みあがって来て、頬に熱が勝手に集中した。なのに凛からの返答は非常に淡泊だった。
「ん」
この一言だけだった。思わずそれだけ?と確認すると、あ?とメンチを切られた。流石にその返しはなくない?本当に自分のことが好きなのか甚だ疑問を抱く。同時に先日のことがぶり返した。恋愛に現を抜かしてる奴が世界一になれるかよ――――喧嘩した日に言われた凛の言葉。そういうお前だってずっと恋愛に現抜かしてたじゃねえか。怒りが込みあがってきて爆発した。
「とりまお前は今すぐ謝れ私にこの前の暴言をここで謝れ」
「はあ?ふざけんな、テメエなんかに謝ることなんて」
「は?テメエで言った台詞忘れたのか?」
怒りが最骨頂に達する前に威圧すると、珍しく凛が引き下がった。
「凛が謝らない限り、付き合うの無しだから」
念を押すと、全身を震わせて、つむじを潔に向けた。言葉はないけど、凛なりのごめんなさいなのだと、潔は感じ取ったが、凛が小さく…ご…め……の言葉を言うまで信望強く待ち続け、勝利を得た。
改めて…と言う訳でもないけれどもあえて改めて言うと、正式に凛との交際がスタートしたのだ。とんだ紆余曲折だったけれど。
始まりはほんの小さな変化からであった。朝、登校する為家を出るとすぐ、家の前で凛が待っていた。学生服ではなく、ジャージ姿でだ。
「え?凛、待ってたの?何時に起きた?」
「別に気にすることじゃねえ」
「これ…一緒に学校行くやつ?」
知らね。凛の返答は淡泊だ。つまりは登校デートというやつ…凛でも定番を踏むんだと感心していると、あることに気付いた。潔は自転車登校だが、凛は自転車を許可されていない。
「私自転車なんだけど、凛乗っていく?」
「道路交通法に引っ掛かんだろうが……いい、走る」
その代わり、荷物を潔の荷台に乗せた。学校まで走る凛の後ろを、潔は自転車で追いかける。登校デートというよりもこれは朝練みたいだ…この場合、傍から見たら潔はマネージャーのポジション。学校に到着すると、凛の身体は良い加減にあったまっていて、いつでも練習に入れる状態だ。潔は自転車を置いてきてから朝練に入る。朝練の間、凛は潔に近寄らなかったし、個人練習に打ち込んでいた。ストイックだな~潔はドリブル練習しながらそんなことを胸中で呟く。
次の変化は、お昼だ。潔も凛も学年が違うので、昼は各々の教室で食べている。潔の昼はクラスメートと囲むのが通例だ。だけど、鞄の中に母が作った凛の弁当が入っていたことに気付いた。朝練の時に渡そうとしたのを後でと断られて、すっかり頭からすっぽ抜けてしまった。そのことを凛に伝えようとしてスマホを立ち上げると、凛から先にメッセージが届いていた。
裏の非常用出口にいる。この一文のみの意味を、潔は頭を捻らせて解読した。つまりは一緒にお昼を食べましょうというお誘いだった。
もっと言葉があってもいいんじゃないか。まあ、凛だし。しょうがねえなあ。我が儘な弟に振り回される姉の気持ちで鞄ごと向かった。指定の場所には、既に凛が待っていた。
「遅え」
「お前ね…それが弁当持ってきた先輩に言う台詞かよ?」
「先輩じゃねえだろ」
凛の額に浮かんだ青筋を見て、潔は慌てて悪かったって彼女だろと詫びを入れた。付き合っても、凛の短気は相変わらず。
「もしかして、弁当受け取らなかったのわざと?」
隣に腰を下ろした潔の質問に答えず、弁当の袋を開け始めた。潔も諦めて紐を解く。今日も母の手作り弁当は美味しそうだ。
「てかさ。こっちにもお昼を一緒に食べる相手がいるんだけど」
「あ?誰だ?」
「クラスの友達に決まってんだろ。それ以外に誰がいんだよ」
「俺よりもそんなぬりい人間関係の方が大事なのかよ?」
「そういうことじゃねえの。これまで頑張って築いてきた交友関係っつのがあんの。て、凛ってクラスに友達いるん?」
「うるせえ、バカが」
凛の口調にとげがあった。凛のことが可哀想に思えてきた。一緒に食べる友達がいないというのもむなしい…。
「週に一回なら一緒に食べてやるからな」
「オイやめろ。そんな目で俺を見るんじゃねえ」
最終的に頭を容赦なく叩かれた。痛い。普通、彼女殴る?本当に好かれてるの?自信がない、いや最初からなかったんだけれど。潔の心情なんて露にもかけずに凛は食べ始めている。よくわからないなあと思いつつも潔も弁当を食べ始めた。今日も母の手作り弁当はうまい。食べる合間もちょこちょこ話しかけるも、凛からの返答は淡泊なので、すぐに会話が途切れる。潔は心配になってきた。凛は果たして楽しいのか。潔。いきなり凛から会話が仕掛けられた。
「料理、できんのか?」
「え?いや、普段はしねえけど、母さんいるし…」
そっちから聞いておいて、それっきり凛は黙りこくった。その会話の意図を読み取ったのは、昼休み後の授業中だった。眠気と格闘しながら先程の凛の言葉を思い返してから、ああ、と納得したのだ。まさか、凛は彼女の弁当を期待している…?いやいやまさか凛がそんな…でも今日の凛、浮かれてなかったか…?浮かれている…?凛でも浮かれることってあるのか…。と他人事みたいに考え込んでいたが、終わる直前に今度母に料理教わるか、と初めてサッカー以外のことに努力しようと始めた。
放課後となり、来年の全国大会に向けての練習に打ち込むが、凛がいつも以上に傍にいる気がした。
部長の多田と話していると背中に気配を感じたのと、多田が顔面蒼白になったのがほぼ同時だ。
「おい。何やってんだ?」
「ん?見ての通りだよ」
「おい」
「ちょっと待て、あとで聞くから」
「あ?ふざけんじゃねえぞ」
顔をすごめるので頭を撫でると払われた。痛い。練習の合間に水分補給していると、横から凛の手が伸びてきて、潔のドリンクを強引に共有してくる始末だ。
「自分のがあるんだから自分の飲めよ」
「そこにあった」
「いやいや、お前ね、そういうことじゃねえのよ」
「ぬりい」
「だったら最初から飲むな」
あとで監督に呼ばれて、お前達仲直りしたんだな…と涙ぐんでいた。心配かけてすみませんと謝ると、いいんだ…糸師の機嫌がよくなれば、それで…。とDV被害彼女のようなことを言い出したので、その心労を察した。
その後もチームメイトと少しでも話し込むとどこからか凛がぬっと出てくるので最後まで会話ができずに中断を余儀なくされる。
二人きりの自主練から帰宅も凛はずっと傍にいたし、付き合う前よりも明らかに距離が近い。その距離感のまま家に帰った時、両親にばれるかなと安否したけれども、おおらかで穏やかな両親は久しぶりに見た凛に、一人暮らしを始めてからずっと帰って来なかった息子の帰省に大歓喜する親のように明るかった。夕飯を食べて帰って行った凛は、潔をじいっと見つめることが一瞬あって、そのまま帰って行った。凛帰った、としかその時は思わなかった。その一瞬は、離れづらさの顕れだったのだが、潔はまるっきり気付いていない。
そんなことが続いた。驚きの連続だった。朝一番に凛がいる。昼も凛がメッセージ送ってくる。夕方も夜も一緒だ。こんなに凛と一緒にいることなんてあり得たか…。
三日目ぐらいに、寝る直前にこの三日間のことを振り返っていた。そして結論に至った。
そうか。これが、お付き合いっていうものなのか。
凛と一緒にいるのは、正直、心地いいというか、変に気兼ねしなくていいから疲れないで済む。吉良とそういう関係だった頃は気苦労も気遣いもいっぱいで疲れたとしか感じなかったけれども、凛とはそんなことを感じない。口が悪いのも手が出るのも相変わらずだけれど、悪くはないし、何時間一緒にいても疲れないし、サッカーの話もできるから、なんだかんだで楽しい…。
問題は。そう、問題は、感情の違いである。凛は、まあ確かに顔が良いとは思うけれども…凛とキスできるかといえば、まだ勇気がいるというか、想像ができない…そもそも凛のことをそういう目で見れているかと訊かれると、まだ、という感情が残っている…可愛い後輩を引きずっていて、凛を男として見れずにいる…。
なし崩し的に付き合うことになったけれども、このまま凛のことが好きになれなかったらどうしよう。凛に失礼だよな。凛悲しむよな。どうしよう…。
重いため息を吐いて、胸中が悶々とするが――――あることが切っ掛けで一変する。
数日後、部活帰りの途中、コンビニで今年最後になるであろう棒アイスを買い食いしていた時のことである。珍しく潔は当たりを引いた。凛も当たりだった。お揃いだな、と揶揄った時のことだった――――微かな反応だったけれど――――凛が微かに、笑った。目元が柔らかくなり、口元を緩ませて、笑っていたのだ。その瞬間、潔に衝撃が走った。心臓が強く締め付けた。全身がみるみる熱くなって、沸騰を起こした。視線を外したいのに、凛の顔から目が離せない。
結論、凛の笑顔は良かった。タイプど真ん中を射抜かれた潔の悩みは杞憂に終わった。
夜、グループラインにて、久しぶりにグループ通話を開始した。出たのは國神と玲王である。
「この前はごめんな」
『いいってことよ!あれから凛とはどうなったんだよ』
仲直りしたよ…と言った後に、ぐっと勇気を出して、“付き合い始めました”報告をした。途端に緊張して声がか細くなったけれども。これは内緒な、と念を押したが、二人は祝いの言葉を贈ってくれた。
「みんなには世話になったよ。玲王もありがとう。感謝してるし、玲王のこと好きだ」
『おいおい浮気かぁ?凛が泣くぞ?』
「玲王だけじゃなくて國神もみんな好きだ」
『やめろって』
もし凛が今の発言を聞いていたら即刻潔のところに押しかけていたことは間違いない。
『でも、お前らが良くなって安心したぜ。お前らには借りがあるからな。今度勝つのは俺らだから、首を洗って待っていろよ』
『俺もだからな。全国で待ってる』
二人からの挑戦に、潔も応える。サッカーを通じて出会ったこの面々に、胸を張って言える。出会えて良かったと。
最後に。
「――――で。蜂楽と千切はまだ見つかってねえの?」
途端に二人は沈黙した。本当に出奔した二人を、玲王が家の力を持って全力で捜査している真っ最中である。無論、潔は出奔理由を知らない。
それから四十時間後に青森県で千切が発見され(國神が迎えに行った)、それから三時間後香川県にて蜂楽が発見された。