勝負「おめーら、どうしたっての?喧嘩でもしたの?」
ポップに呼び止められて、ヒュンケルはため息をついた。
この弟弟子は、自分とラーハルトの関係を知っているので先程あからさまに恋人を避けたのを見られたのだろう。
「今、成り行きである勝負をしていてな。奴の顔を見たら心が折れそうになるので会わない様にしている」
「ふーん。勝負ねぇ。で、何の勝負してんの?」
もう関係がバレている以上、隠すこともないと思いヒュンケルは打ち明けた。
「自分から口付けをしたら負けだという勝負だ。なのに、アイツの顔を見るとその唇に触れたくなってしまう。普段はここまでこんな気分にならないのだが。しては駄目だという決まりを作るとやりたくなるものだな」
ポップはヒュンケルに負けないくらい盛大なため息をついた。
「はぁー。聞くんじゃなかった。お前らの惚気に当てられたぜ」
まあ、頑張れよ!とポップに別れ際に背中を叩かれヒュンケルは苦笑した。
それにしても喉が渇いた。コップを持って給水所へ向かうとそこには今は一番会いたくない人物がいた。
ラーハルトだ。彼も水を飲みに来たのだろう。
慌てて引き返そうとしたが、ずんずんと凄い気迫でこちらへ歩み寄ってくる。
駄目だ、抗えない。ヒュンケルは吸い寄せられるようにラーハルトに近づき、その服を掴んで引き寄せた。
同時に、唇に柔らかい感触を感じる。
ああ、やってしまった。自分から口付けてしまった。
昨日の夜、身体を重ねた後、気持ちよく気だるい余韻に浸りながら眠ろうとしていたらラーハルトが良い酒があると持ってきた。
だが、もう殆ど残っていないので、何かで勝負して勝ったほうが飲もうということになったのだ。
ヒュンケルがチェスでもどうだと提案すると、ラーハルトは彼にしては珍しく悪戯っぽい顔をしてこう言った。
「口付けを自分からした方が負けにしよう。どうだ?」
それを聞いて、酒が飲みたいというよりこの勝負が面白く思えてすぐにのってやった。
「いいだろう」
そんなに年中盛っている訳でもなく、これは長期戦になるなと密かに思っていた。
ところがしたらいけないと思うと、無償に口付けたくなる。
くだらない対決かもしれないが、勝負は勝負だ。絶対に勝ちたい。
そう思ってラーハルトを避けていたのに、この有様だ。
「負けてしまったな」
そう呟くと、同時に彼も同じ言葉を呟いていた。
「今、オレからしただろう?」
「いや、オレがお前にしたのだが」
ラーハルトはコップの中の水を口の中に含むと、ヒュンケルに口移しで飲ませた。
「お前も水を飲みに来たのだろう」
「あ、ああ」
そうだった。照れ隠しに慌ててヒュンケルがコップに水を入れていると、コホンと咳払いが聞こえた。
「あー、えっと、お二人さん。オレずっとここにいるんだけど」
「ポップ!見ていたのか」
「というか、おれも水を飲もうと思って来たんだよ。そしたら、お前らめっちゃチューしてるし」
「見ての通りだ。悔しいがオレの負けだ」
「黙れ。オレからお前に仕掛けただろう」
ポップが二人の間に割って入ってきた。
「はいはい。おれがちゃーんと見てたから教えてやるよ。二人とも同時だったぜ。チューする気満々でお互い磁石みたいに引き寄せられてた。だから引き分けな」
全く、来たのがおれで良かったな。どこででもイチャイチャすんじゃねーよとブツブツ言いながら大魔導士はコップに水をひたひたに入れて何処かへ行ってしまった。
残された二人は顔を合わせて頷いた。
「仕切り直しだな」
「今度こそ負けんぞ」
ラーハルトが気合を入れて拳を握りしめているのを見ながら、ヒュンケルが話しかけた。
「ラーハルト」
「何だ?あの酒だが、かなり上物で元々量も少ない。チビチビと飲んでいたが直ぐに減ってしまった」
「ラーハルト……来てくれ」
ヒュンケルは唇を少し開いて、そこへ指を当ててみせた。
反射的に、思わず抱き寄せてラーハルトは恋人に口付ける。
「ふふ、俺の勝ちだな。今夜は酔えそうだ」
楽しそうに笑う恋人に、ラーハルトは唖然としたが、すぐに吹きだした。
「お前にはかなわんな」
「うまく誘惑出来ていたか?」
「ああ。だが他の男にはするなよ」
「当たり前だろう」
普段は静かな給水所で今日は楽し気な二人の笑い声がしばらくの間、響いていたのであった。