夏の残骸に蓋 放課後。外に出てみれば、少し冷たい風が頬を掠めた。すっかり秋一色の外は肌寒い。そろそろマフラーやコートを出さなくちゃいけないかも。
学校の敷地内に生えている木の葉は、どれも黄色やオレンジなど鮮やかな色に変わっていて、風が吹くたびに数枚がひらひらと地面に落ちた。
夏休みがとっくに終わってしまった空の日は短く、既に日は傾き始めていた。夕日に照らされながら、耳には部活動に勤しむ声が届く。ただその声は夏休み前よりも勢いが無いように感じて——すぐにそれが、どこの部活も三年生の引退があったからだと思い当たった。
今日のテニス部の活動は無し。一人で歩き、やがて花壇の前で足を止めた。俯いた視線の先には、すっかり枯れてしまったひまわりが同じように俯いている。
「…………」
溜息を吐いてからしゃがみ込み、借りてきたスコップで花壇を掘り出した。根っこの部分を掘って、ある程度したら茎を掴んで引っこ抜く。しなびたひまわりは簡単に土から抜けて、花壇の隅っこに力無く横たわるように投げられた。
同じように、他のひまわりも土から抜いていく。一人だし、特に何も喋らず無機質に手を動かしながら、その単調作業を続けていく。
「美咲ちゃん」
突如、背後から声を掛けられた。それは驚かせる目的の呼び掛けではなかったし、声のトーンも落ち着いていた。ただ、それはあたしにとってあまりにも不意だったので、大袈裟なくらいびくりと背中を跳ねさせてしまった。
「うわぁっ!? ……か、花音、さん」
ゆっくりと振り向けば、そこには同じく制服姿の花音さんが、申し訳なさそうに眉を下げていた。驚き過ぎたことが恥ずかしくて、隣にしゃがみ込んだ花音さんから目を逸らすように手元へ視線を戻す。
「ごめんね、びっくりさせるつもりはなかったんだけど……」
「い、いえ……。あたしが勝手にびっくりしただけなんで……」
首を振るあたしの視線は、まだ俯いたまま。土だらけの自分の手には、しおれて色がくすんだひまわりが握られていた。
「ひまわりを、片付けてくれてたんだね」
「……もう、秋ですし」
これは、夏休み前に自分達が植えたものだった。笑顔パトロール隊の活動を通して、学校の先生から貰ったひまわりの種。二人で植えたそれに水をあげて育てることが、あたしたちの習慣となっていた。
ただ、それもいつしか全くやらなくなってしまった。ひまわりの季節はとっくに終わりを迎えた。咲いた頃は人々を笑顔にさせていたひまわりも、今はもう誰の視界に入ることも無い。
「手伝うよ、私たちで育てたひまわりだもん」
「えっ、花音さんバイトや部活は?」
「バイトはお休み。部活は、もう引退しちゃったから」
「……あ、……そう、でしたね」
それ以降は、二人とも無言になる。あたしがスコップで掘り出し抜いたひまわりを、花音さんがまとめてゴミ袋へと押し込んでいく。
大方片付けが済んだ頃、ぽつりと口を開いた。
「先生に、そろそろ処分しようって言われちゃって……本当は、もっと早く片付けなきゃって思ってたんですけど……」
「うん」
ゴミ袋の中は茶色っぽく、夏に鮮やかな花を咲かせていた面影は残されていない。それを見ているとひどく不安な気持ちになって、これ以上は見たくないとばかりにぎゅっとゴミ袋の口を強く結んだ。
「これが無くなっちゃったら、その、いよいよ夏が終わっちゃうんだなっていうか……。いや、何言ってるんだろ、すみません」
長袖に変わった制服。色付いて散っていく木の葉。あっという間に茜色に染まる空。とっくに夏は過ぎ去って、もう冬へと季節は移り変わりつつあるのに。
あたしはひとかけらの夏の残骸にみっともなくしがみつくように、枯れたひまわりの処分を後回しにし続けていた。
「……そっか」
花音さんは花壇の上に置かれたスコップを拾って、土を平らに整えた。すっかり綺麗になった花壇の土は、もうカラカラに渇いた茎や葉の欠片が落ちているだけだ。
「みんなと居ると、時間があっという間に感じちゃう気がするって、花音さん言いましたよね。……本当に、そうだった。あっという間に、夏が終わっちゃった」
夏祭りに行った。合宿に行った。船に乗って流氷を見に行った。ハロハピと共に過ごす夏は目まぐるしくて刺激的で、振り返る余裕なんてこれっぽっちも無かった。だからこそ、こうして足を止めて振り返ってしまった時、もうあそこには戻れないことに今更気付いてしまった。終わった夏がひどく遠い場所に感じてしまった。
高校2年の夏は一度きり。人生でたった一度きりだ。
「この花壇のひまわりだって、来年は……」
来年、またここにひまわりの種を植えることはできる。ただ、それが出来るのはあたしだけだ。今年、ずっと隣で一緒にひまわりを育ててくれた花音さんは、もう来年この場に居ることはない。
仕方ないことだって、当たり前のことだって分かってる。でも、あたしはそれが堪らなく嫌だった。
もう冬は目前。花音さんの卒業まで、あと半年も無い。この校舎で一緒に過ごせる時間は、そう多く残されていない。
こんな枯れたひまわりでも、片付けてしまえばそれをひどく痛感してしまう気がしたんだ。……それがあっても無くても、残された時間が変わる訳ではないのに。
「……美咲ちゃんは、このひまわりをとっても大事にしてくれたんだね」
ゴミ袋の縛り口を握るあたしの土だらけの手に、花音さんの土だらけの手が重ねられる。
「私は、もう来年この花壇の花に水をあげることは出来ないけど、」
あたしの考えを見透かしたような花音さんの言葉を、拒否するように視界が滲んだ。
「また来年も、その先もずっと、美咲ちゃんと一緒に大事な思い出を作り続けたいなって思うよ。……それじゃ、だめかな」
顔を上げて、花音さんの顔を覗き見た。微笑む花音さんの顔は、いつの間にか出会った頃よりもやけに大人びて見えるようになって、一つだけとはいえ年上だってことを実感する。
そして、そんな言葉一つにひどく安心してしまうあたしが、まだまだ子供なんだってことも。
「また、来年も……、」
「うん」
「一緒に、育ててくれますか、ひまわり」
「もちろん!」
ひまわりが咲く場所は、何も学校じゃなくたっていい。結局あたしは、物語の区切りが一つつくことに駄々を捏ねていただけだったんだ。続きなんて、またいくらでも作れるのに。
ハロハピである限り、この人と居る限り、この先の季節だってあっという間に感じてしまうのだろうけど。だからこそ振り返って感傷に浸るよりは、今を笑顔で駆け抜けたいなって思うんだ。……簡単には、後ろを振り返る癖は変えられそうにないけど。
花音さんが、「これからも」と言ってくれるから。隣に並ぶために出来るだけ前を向きたいと思うんだ、この人となら。
でも今は手を引いてくれることに甘えて、もう少しだけ振り返っててもいいかな。
やっぱり、あなたと同じ校舎で過ごせる時間がもうすぐ失くなってしまうことは、あたしはまだ簡単に受け入れることは無理そうだから。