不思議なダンジョン この世界には不思議なダンジョンがあるという。入るたびに地形が変わり、罠やアイテムの場所さえ変化する。二つと同じ構造はなく、冒険者はこぞって最深部を目指すという。
そのダンジョンに挑む者たちがいた。
「ねえ、ほんとにこっちで合ってるのかな?」
ダイは松明をかざした。現在は十五階。ここまでは難なく進んできたが、階段を見つけられないでいた。
「ここに印が付けてあるから間違いねぇよ」
ポップは壁の印を指差して言う。ダンジョンで迷わないために一度通った場所には印をつけるようにしていた。これはアバンから習った方法であり、ポップは覚えていたそれを実践していた。
「でもこっちにも印があるわ」
マァムは進もうとしていた方向の壁に触れる。そこにはポップが書いていた印と同じものがあった。それを見てポップはおかしいなと首を傾げる。
「やはり迷っていたか」
ヒュンケルの落ち着き払った声音はポップの癇に障った。ポップは憤慨してヒュンケルに詰め寄る。
「んだよ、おれがミスったって言いたいのかよ!」
「そうは言っていない。だが迷ったのなら別の方法を」
揉め始めたポップとヒュンケルに、レオナが呆れたように肩をすくめた。
「喧嘩ならダンジョンを攻略してからにしてよね」
ねぇダイくん、とレオナはダイの隣に並んだ。レオナはダイと一緒のダンジョン探索に気持ちが弾んでいる。ダイはレオナを見ると前方を指差した。
「あのさ、あっちから声が聞こえるんだけど」
「魔物かしら」
「ううん、人の声だと思う」
「なんだよ、おれら以外にもこのダンジョンに挑んでる奴がいるってことか?」
ポップが身を乗り出したが、それをヒュンケルが止めた。
「下がっていろ。いきなり襲ってくるかもしれん」
ヒュンケルは一番前に出ると槍を構えた。ポップは慌ててヒュンケルの陰に隠れる。首だけ伸ばして薄暗い洞窟の先を見た。ダイたちは歩くのを止めて身を寄せ合う。すると薄暗い前方から足音が聞こえてきた。松明の明かりがぼんやりと近づいてくる。
「おや、私たち以外にもこの洞窟に冒険者がいたんですねえ」
ダイたちはその声の主を見て、驚きのあまり声が出なかった。それは空色の髪を綺麗にカールさせた青年だった。ダイたちにも見覚えのある人物だが、ダイたちが知っている姿よりもずっと若い。その青年はダイたちと同じような年頃のアバンだった。
「なんだ、魔物じゃなかったのかよ」
「早とちりだったみたいね」
桃色の髪の青年と、僧侶姿の女性がいる。その二人を見てマァムが息を飲んだ。
「だから言っただろ。オレたち以外にも無謀な奴らがいるってな」
ケケケ、と笑っているのはマトリフだった。ポップはあんぐりと口を開ける。マトリフもポップが知るよりも若かった。そのマトリフの横にいるブロキーナがダイたちを見渡して楽しそうに言った。
「みんな若いね〜。それなのにかなりの使い手だ」
アバン、ロカ、レイラ、マトリフ、そしてブロキーナ。かつて魔王に立ち向かった勇者たちだった。
***
「アバンせンッ」
思わずアバンを呼びそうになったダイの口をポップが塞いだ。ポップはダイを後方へと引き摺っていく。
「ばっ……これ敵の罠なんじゃねーか!」
「え? そうなの?」
ポップの剣幕にダイはキョトンとする。ポップは屈んでダイに耳打ちした。
「先生や師匠がこんなとこにいるわけねーだろ! それになんか若えし!」
ポップはモシャスに騙された苦い経験がある。ポップはアバンたちの正体を見極めようとした。ここは不思議なダンジョンだ。どんな罠があっても不思議ではない。
だがアバンは両手を胸あたりに上げて振ると、にこやかに言った。
「我々は怪しい者ではありませんよ。ご心配なく」
「へっ、そう言う奴が一番怪しいよな」
マトリフの言葉にアバンが苦笑した。アバンはどうにかポップたちの警戒を解こうと頭を悩ませる。するとヒュンケルが一歩前に出た。
「確かめる方法など簡単だ。本当にアバンならアバン流刀殺法が使えるはず」
ヒュンケルは槍をアバンに向けて構えた。アバンはその構えを見てスッと表情を引き締める。しかし剣を抜いたのはアバンではなくロカだった。
「なんだ、アバンのこと知ってんのか?」
アバンに刃を向けられてロカは黙っていない。二人は厳しい眼差しで対峙した。そのロカとヒュンケルを止めたのはマァムだった。
「二人ともやめて!」
マァムはロカを見ていた。二人の髪は同じ桃色である。そのことにロカも気付いて目を見張った。マァムは遠い記憶にある父の姿が目の前にいることに動揺していた。
「戦う必要はないわ。だって……」
マァムにはそこにいる二人が両親であるとわかっていた。これはモシャスでも罠でもない。マァムはそれを肌で感じていた。ヒュンケルはマァムを見ると槍を下ろし、それにつられてロカも剣を収めた。
「あなた方はどうしてこのダンジョンに?」
これまで静観していたレオナがたずねた。レオナは真っ直ぐにアバンを見ている。アバンは迷うことなく答えた。
「我々は最深部にあるアイテムを探しにきました」
それを聞いてダイたちは顔を見合わせる。ダイたちも最深部にあるアイテムを探しにきたのだ。
「では私たちと同じ目的ですね」
レオナの返答にアバンはちょっと困ったように笑みを浮かべた。
「早い者勝ち、というわけにはいきませんか」
どうしても必要なんです、とアバンは言う。レオナは少し考えるようにしてから、嫌味のない作り笑顔で言った。
「早い者勝ちだったら、私たちが手に入れてしまいますよ?」
「我々だって負けていませんよねえ」
そう言ってアバンは仲間たちを振り返る。頷く者もいれば声を上げて賛同する者もいた。アバンはニッコリと笑うとレオナに言った。
「では、どっちのパーティーが先に最深部に到達するか競争しますか?」
「ええ、そうしましょう」
「え? 本気なのレオナ」
ダイがレオナの手を掴む。レオナは安心させるようにダイを見てから、こっそりと耳打ちした。
「私たちはこの階で迷っているから、先生たちに道を見つけてもらうわ」
「それってズルくない?」
いいのよ、とレオナは片目をつむる。ポップたちもレオナの言葉が聞こえたのか、了承するように頷いた。
「じゃあ、よーいどんってことでいいのか?」
ポップが茶化すように言う。するとマトリフがニヤリと笑い、輝きの杖をダイたちに向けて構えた。
「マヌーサ」
途端に煙がダイたちを包んだ。ダイたちの周りには何人ものアバンたちが現れる。
「ケケケ、先に行くぜ」
煙の向こうでマトリフの声が聞こえる。アバンたちのものと思われる足音が遠ざかっていった。
「あーもう、ちきしょう!」
ポップは煙を追い払うように手を振る。ヒュンケルとマァムはじっと煙の向こうを見ると迷わずに走り出した。
「ついてこい!」
走り出した二人にダイたちも続く。すると地響きのような音が聞こえてきた。
ヒュンケルとマァムの先導でダイたちはマヌーサの煙を抜ける。ようやく幻影を見なくなったと思ったら、大きな穴を見つけた。それは地面にぽっかりと空いた穴で、下の階へと繋がっていた。
「さっきの音はこれか」
「師匠が呪文でぶち抜きやがったんだ」
それがベタンによってできた穴だとポップは気付いた。階段を使わずに地面に穴を開けたということは、アバンたちも迷っていたのかもしれない。
「行くぞ」
そのまま穴に飛び込もうとするヒュンケルをポップが止めた。
「ばっか! けっこう高いだろこれ!」
穴が空いたのは一階ぶんだけだが、この洞窟は広いらしく、穴から見える下階の地面はかなり遠い。着地できたとしてもダメージを負うかもしれない。
「ほら集まれ。ルーラでいくぞ」
ポップが腕を広げると全員がポップに集まった。目に見える場所だとルーラは簡単だ。ポップは全員を抱き締めると下階へとルーラで飛んだ。着地してあたりを見渡す。だがすでにアバンたちの姿はなかった。
「先生たちどっちに行ったんだろ」
キョロキョロとあたりを見渡しながらダイが言う。しかしポップは納得できないように首を捻った。
「でもやっぱり怪しいぜ、あいつら」
「怪しいって? だってアバン先生だろ?」
「本物だとは思うぜ? でもよ……」
穴を開けた呪文がベタンなら、それは本物のマトリフだろう。ポップを除いてその呪文を使えるのはマトリフしかいない。だが若い彼らに出会うなんて事が起きるはずがなかった。
「大丈夫か、マァム」
ヒュンケルがマァムの肩に手を置く。マァムは思い詰めたように俯いていた。
「ヒュンケルも本物の先生たちだと思う?」
「おそらくな。理由はわからんが」
「じゃあ本物の母さんと……父さんなの?」
マァムの言葉にポップはハッとする。マァムの父であるロカは既に亡くなっていた。ロカはアバン先生のパーティーの戦士だったという。さっきヒュンケルと対峙した戦士がロカだったのだ。
「本物にせよ偽物にせよ、今すべきなのは最深部を目指すことよ」
レオナの言葉に全員が顔を上げた。そしてダンジョンの奥を見る。するとポップは芝居じみた表情で肩をすくめてみせた。
「だったら急ごうぜ。おれたちは負けらんねえ」
最深部にあるというアイテムは一つしかない。もし本物のアバンたちだとしても、それは譲れないものだった。
「こっちだ。足音が聞こえる」
走り出したヒュンケルにみんなが続いた。
しばらく走ると激しい音が聞こえてきた。魔物の唸り声と共に、呪文を唱える声も聞こえてくる。ダイたちが急ぐと、アバンたちが魔物と戦っていた。アバンは振り返るとダイたちを見て驚いた声を上げる。
「おや、早かったですねえ」
アバンは魔物からの攻撃を避けて言う。ダイも剣を抜いた。
「おれたちも戦おう!」
そのまま戦いに行こうとするダイをレオナが止めた。
「私たちは先へ行くのよ」
「ええ?!」
「ではお先に」
魔物の相手はアバンたちに任せてレオナは先へ進もうとした。ダイは驚いて立ち止まる。
「一緒に戦わないの?」
「ダイくん。早い者勝ちってこと覚えてる?」
「でもぉ」
「いいんだよ。相手はうごくせきぞうだろ? 先生たちなら大丈夫だって」
ポップが魔物を指差す。ちょうどブロキーナの蹴りが入ってせきぞうが倒れたところだった。
「ほら行くぜ!」
ポップがダイの手を引く。アバンたちは苦戦している様子もない。だがダイはどうしても気になってアバンたちを振り返りながら走っていった。
***
それからダイたちはダンジョンを順調に進んでいった。だがすぐに魔物に行き先を塞がれてしまう。下層に行くにつれて魔物は強くなって数も増えていく。勝てない相手ではないが、出会うたびに足止めをされて体力も消耗していった。
「はぁ……やっとかよ」
何体目かのスモールグールを倒してポップが溜息をつく。こいつは攻撃するたびに分裂してしまうのできりがない。移動は駆け足、すぐに魔物との戦闘を繰り返していたので、ポップは肩で息をしていた。
「おや〜、追いついてしまいましたね」
後方からアバンたちが走ってきた。ここまでの魔物は全てダイたちが倒してきたせいか、アバンたちは平然としている。
「ケケッ、先に行くぜえ」
そう言ったのはマトリフだったが、そのマトリフはロカの肩に担がれている。そのために彼らは全速力でダイたちの横を走り抜けていった。
「オレたちも急ぐぞ」
ヒュンケルとダイはすぐに走り出すが、ポップはへたり込んだままだった。
「ちょっと待ってくれよ、まだ回復が」
伸ばしたポップの手をマァムが掴む。そしてその体を肩に担いで走り出した。
「どあぁああ、ちょっ、マァム!」
「早く回復しなさい!」
ポップは担がれたまま自分にホイミをかける。しかしマァムは回復が終わってもポップを担ぎ続けた。
「もう自分で走れるって!」
「こっちの方が速いわ」
それはそれで傷付く、と繊細な年頃のポップは思った。見ればレオナはダイと手を繋いで走っている。ポップは羨望の眼差しを二人へと向けた。
「おれもアレがいいなあ……」
「オレが手を繋いでやろうか?」
隣で走るヒュンケルが真顔で言うものだからポップは顔を赤くして怒った。この長兄が冗談を言うわけがないのだから、本気で言っているのだろう。
「おめえと手を繋いだって嬉しくねえよ!」
「ちょっと騒がないで!」
そうこうしているうちにダイたちもアバンたちに追いついた。アバンたちは細い通路にいる。その先の広間には何体ものイエティがいた。これでは追い越すこともできない。
「ねえ、やっぱり一緒に戦おうよ」
ダイがレオナに言う。ダイにも最深部のアイテムがいかに重要かはわかっていた。だが目の前で戦っている人がいて、置いていく事はできなかった。
「そうね、どのみち敵を倒さないと先へは進めないみたいだし」
その言葉にダイはパッと顔を輝かせた。ポップたちも頷いている。ダイの性格をよく理解していたからだ。
「しょーがねえ。いくか」
ポップは杖を構え、ダイは剣を抜いた。ところがアバンは振り返ると叫んだ。
「こっちへ来てはいけません!」
その必死の形相にダイたちは立ち止まる。その瞬間、ダイたちの足元の地面に亀裂が広がった。イエティの攻撃が地面にダメージを与えて、脆くなっていたようだ。ダイたちの体がぐらりと揺れる。
「トベルーラだ!」
マトリフの声にポップとダイは咄嗟に呪文で飛び上がった。ダイはレオナを、ポップはマァムとヒュンケルの手を掴んでいた。だがそれを狙ったようにイエティが凍りつく息が襲いかかる。
「うわぁああ!」
防御のできない状態で攻撃を受けてバランスが崩れた。地面が一斉に崩れていく。ダイやアバンたちは崩れた地面とともに暗闇へと落ちていった。
***
ポップは喧騒に呼び覚まされた。落下の衝撃で気を失っていたらしい。ぼやけた視界に鎧をつけた背が映る。ヒュンケルかと思ったが、その髪色はマァムの色だった。魔物の唸り声が鼓膜を震わせる。ポップはハッとして飛び起きた。
「無事か!?」
ロカの声にポップは答えながらあたりを見渡す。そこには魔物の大群で埋め尽くされていた。ダイやアバンたちが戦っている。どうやらみんなで魔物の溜まり場へと落下してしまったようだ。
「くっ……!」
ロカが剣で魔物の攻撃を受け止めた。相手はゴーレムが三体だ。ポップを背に守るように立っているせいで、防御しか出来ないでいる。激しい攻撃にあったのか、左肩からは血が流れて腕が力なくぶら下がっていた。
「ロカ!」
遠くからマトリフの声が聞こえる。こちらの状況に気付いているようだが、魔物が邪魔で来れないようだ。ポップはふらつく体で立ち上がった。
「危ないからそこを動くな!」
ロカがポップに言う。ロカは大きく剣を振ってゴーレムから距離をとった。しかし不利な状況であることに変わりはない。
「舐めてもらっちゃ困るぜ」
ポップは右手でロカの肩に触れた。同時に左手からメラゾーマを魔物に向けて放つ。ポップが触れたロカの肩は回復呪文の光で包まれた。
「二つの呪文を……同時に?」
ロカが驚いた顔でポップを見る。ポップはニッと笑うと片目をつむってみせた。
「おれも大魔道士なんでね」
ロカの傷が回復したのを見て、ポップは魔物へと視線を移した。ロカとポップは並んで立つ。ロカは剣を地面へと突き立てて構え、ポップは両手に呪文を練り上げた。
ロカの豪破一刀が先頭のゴーレムを真っ二つにする。それと同時にポップは呪文で氷塊を作り、真空呪文で飛ばしてゴーレムを砕いた。
「よっしゃあ当たったぜ!」
ポップはトベルーラで飛び上がる。最後の一体がロカに襲いかかった。ポップはイオラを撃ってゴーレムの体勢を崩す。倒れかかったゴーレムを、ロカが下から切り裂いた。
***
一方でレイラとレオナは背中合わせで戦っていた。レイラは素早く動いて敵を攻撃し、レオナはそれを呪文で掩護する。突然に始まった共闘だったが、まるで何度も一緒に戦っているかのような息の合い方だった。レイラは僧侶の服を脱ぎ捨てて、縦横無尽に動いて敵を翻弄する。素早い動きはまるでマァムを彷彿とさせた。
レイラは魔物を斬りつけて後方へと跳ぶ。レオナのすぐそばへと着地した。
「大丈夫?」
レイラは振り返ってレオナを見る。レイラはレオナの名前も知らない。だが使っている呪文からレオナが賢者であると気付いていた。さらにフェザーの形をした武器にはめ込まれた石が、アバンの持つ輝聖石に似ていた。
「ええ。あなたこそ……レイラって呼んでいいかしら?」
レイラはレオナが名前を知っていることに驚いたが、それは不思議と心地よかった。レオナにアバンのような、人を導いていく魅力を感じたからだ。レイラは自然と笑みが浮かぶ。レオナとは知り合ったばかりだが、もし同じパーティーにいたら楽しいだろうと思ったからだ。
「あなたの名前を教えてくれるならね」
レイラの言葉にレオナの口元にも笑みが浮かんでいた。レオナはフェザーを構える。
「レオナよ。じゃあ行きましょう、レイラ」
フェザーが魔物へと突き刺さる。レイラはすかさず両手に持ったナイフで魔物を切り裂いていった。
***
「大丈夫か、ぼうず」
その声と同時にヒュンケルは、己の体にあった毒が浄化していくのを感じた。見ればマトリフがトベルーラでふわりと降り立ったところだった。
「すまない。助かった」
ヒュンケルは下階に落ちた際に、運悪くおばけキノコの群れに落下した。そのために怒ったおばけキノコたちの毒攻撃を受けてしまった。それでもおばけキノコを倒し、その後も毒を受けながらも戦っていた。
マトリフはポップが持っていたのと同じ杖を持っている。いや、マトリフの杖をポップが受け継いだのだったか。ヒュンケルはそれを一瞥しただけですぐに魔物と向き合う。毒による苦しさが消えた身体は、先程の何倍も動かしやすかった。
「おー、強え強え」
マトリフがヒュンケルを見て飄々言う。その間も呪文を撃っていた。ヒュンケルはこれまでマトリフが戦っているのを見たことがなかった。話に聞いていた戦い方を今見ている。やはりポップの師だけあって戦い方が似通っていた。
「ぼうず、あのデカイのやれるか?」
ヒュンケルはマトリフの指し示す先にいる魔物へと視線をやりながらも、ぼうずと呼びかけられることに気恥ずかしさを感じていた。そんな風に呼ばれる年頃でもない。マトリフからしたら若輩者である事に間違いはないだろうが。
「無論」
「サポートしてやっから、おめえがやんな」
言うとマトリフは氷系呪文を放って魔物の足元を凍らせた。動かない相手を斬るのは造作もないことだった。ヒュンケルはまた名状し難い感情に気づく。このように手厚く補助されながら戦う事をヒュンケルは知らない。ポップと似ていると思ったが、やはりポップは弟弟子であるから守る存在だった。
ヒュンケルはふと自分が小さかった頃を思い出した。まだ幼く、大人に守られていた頃のことだ。多くの魔物に囲まれていた穏やかな時間の感触が胸を過ぎ去っていく。
そのとき、ポップがこちらに走ってきた。ロカも一緒である。ポップは心配そうにマトリフに言った。
「おいおい、こんなに呪文使って大丈夫なのかよ」
「なんだとこのガキ。オレの魔法力を見くびってんじゃねえぞ。全然余裕だっての」
マトリフは杖でポップの頭を小突き、それをロカがたしなめた。ポップは頭を押さえながら口を尖らせる。
「別に魔法力の心配してんじゃねえよ……じじいがでしゃばってんじゃねえって言ってんだ」
ポップが素直でないことをヒュンケルは知っている。本当は師匠であるマトリフを心配しているのだろう。
「うるせえ、オレは現役なんだよ」
売り言葉に買い言葉で、ポップとマトリフは賑やかに言い合いをはじめる。ロカとヒュンケルは二人を止めた。
「ポップ、まだ戦いは終わってないぞ」
「マトリフも大人気ないぞ。それにこいつすごい魔法使いなんだって……あ、大魔道士だったっけ?」
「ああ? 大魔道士だあ?」
マトリフにジロリと睨まれてポップは後退る。ポップは上手い言い逃れが思い付かないようだった。
過去のアバンたちがなぜこの洞窟にいるのかわからない。だが過去の者たちに説明して理解してもらえるとも思えなかった。ヒュンケルはポップの腕を掴む。
「マァムの援護に行くぞ」
「お? おお、そうだな」
ヒュンケルとポップが走り去っていく。それを見ながらマトリフとロカは顔を見合わせた。
「マァムって言ったか?」
「言ってたな」
マトリフは頷きながらポップの後ろ姿を見る。そのベルトにささった輝きの杖をマトリフは見逃さなかった。
***
「不思議ですね。君とはじめて会った気がしません」
アバンの言葉にダイはちょっと困った顔をした。ダイからしたら、アバンはよく知る人だったからだ。アバンとの修行は数日しかなかったが、その後にアバンは帰ってきた。ダイにとってアバンは頼れる先生である。しかし目の前のアバンは歳もそう変わらない。ダイは不思議な感覚がして言葉に詰まった。
「おれたち……えーっと、どうやって説明すればいいか……」
ダイは一所懸命に考えるが、うまく説明することができなかった。するとアバンはにっこりと笑みを浮かべた。
「いいんですよ。言えない事情でもあるのでしょう?」
「え、どうしてわかるんですか?」
「君の剣です。君の剣の使い方は、私が習得した剣の使い方と同じ。そして君だけではなく」
そう言ってアバンは周りを見た。そこではアバンの仲間たちも、ダイの仲間たちも、入り混じって一緒に戦っていた。
「不思議と、君の仲間は私たちと似ているようです」
アバンはどこか満足そうな表情だった。そしてダイを見ると、秘密を打ち明ける様に話しかけた。
「私には夢があるんです。勇者の家庭教師をするという」
それを聞いてダイは思わず頷いていた。その夢のおかげでダイはアバンと出会った。そしてポップや仲間たちとも出会えた。そうやってかけがえのない冒険をしたのだ。
「おれ、あなたに会えて本当に良かった」
二人の勇者は向かい合う。不思議な運命が二人を引き合わせた。だがすぐに魔物の咆哮が響く。二人はすぐにそちらを向いた。
「私もです。では、いきますよ」
アバンは剣を構えた。ダイも同じ様に剣を構える。真正面から走ってくる魔物に二人で飛びかかった。二人の言葉が重なる。
「アバンストラッシュ!」
***
ポップとヒュンケルはマァムたちと合流する。ちょうどマァムが魔物を殴り飛ばした所だった。その横では同じようにブロキーナが戦っている。
「ってもう全部やっつけてんじゃねえか」
ポップがマァムとブロキーナの周りを見渡す。立っている魔物はもういなかった。
「老師と二人でやっつけたわ」
「マァムは筋がいいねえ。こんな弟子ができるなんて楽しみだよ」
マァムとブロキーナが和やかに会話している。ポップはぎょっとして慌てて言った。
「お、おいおい、まさか未来のこと話したんじゃねーだろな」
「え? いけなかった?」
マァムは不思議そうに首を傾げている。するとブロキーナがにっと笑った。
「いや、マァムにはわしから尋ねたんだよ。わしと同じ戦い方をしていたからね。それに……」
ブロキーナがポップたちの後方へと目を向ける。ロカとマトリフがこちらに来ていた。マァムがそれに気付いて複雑な表情を浮かべる。
「マァム……?」
ロカがまだ信じられないという顔でマァムを見た。ロカにとってマァムはまだ赤ん坊だ。それが自分と同じ年頃に成長した姿でそこにいる。
マァムは込み上げる感情を堪えながら頷いた。マァムは父の姿を殆ど覚えていなかった。ただおぼろげに優しい笑顔を覚えている。その父が目の前のいる。込み上げる涙でロカの姿が滲んでいった。
「父さん……」
「母さんもいるんだけど」
マァムは突然に抱き寄せられて驚いた。見ればレイラが悪戯っぽく笑っている。レイラはマァムとロカを同時に抱き寄せていた。
「レイラ」
「母さん」
レイラの温もりにマァムの眦から涙がこぼれていく。マァムの背にロカの手がまわった。大きくて力強いその手に、幼い頃の思いが解けていった。本当はずっと会いたかったからだ。
その三人を仲間たちが見守る。ポップはもらい泣きをして鼻をグズグズをいわせていた。
「この洞窟へ来てよかったわ」
レオナがマァムたちを見て言う。そのレオナをヒュンケルは後悔の眼差しで見ていた。レオナの家族を奪った罪を忘れてはいない。だがヒュンケルは歩みを止めないとレオナに約束した。正義の道を歩むこと以外に出来ることはない。
そのヒュンケルの背に温かな手が触れた。驚いてヒュンケルは振り返る。するとそこに立っていたのはアバンだった。
「あなたもですよ、ヒュンケル」
「なにがだ」
アバンはヒュンケルを見上げている。そのことにヒュンケルは戸惑った。
「あなたも成長したんですね」
「な……なぜ」
「私の知るヒュンケルこれくらいなんですよ」
アバンは身長を表す様に手のひらを上下させる。ヒュンケルは目を見張った。このアバンはもう魔王を倒している。そして子どもだったヒュンケルと出会っているのだ。
「それが立派になって。先ほどの戦いを見ていましたよ」
「オレは……」
ヒュンケルは一度道を外してしまった。ここにいられるのは仲間たちのおかげだ。だがこのアバンはそれを知らない。
「そうなんすよ、癪だけど頼れる奴なんですよ」
ポップがヒュンケルを肘で突く。ポップはアバンにまごつくヒュンケルを見てニヤニヤと笑っていた。
「ヒュンケルはいつもおれたちを助けてくれるんだ!」
ダイが元気よく続ける。ポップやダイはヒュンケルを挟んで笑いあっていた。それを見てアバンも笑みを浮かべる。アバンの目が真っ直ぐにヒュンケルを見た。
「よい出会いをしたんですね」
心に届くその言葉に、ヒュンケルは頷いた。それは間違いのないことだった。ヒュンケルは左右にいる弟弟子を見る。ダイは笑みを浮かべ、ポップは照れた様に口を尖らせた。
「それもあなたのおかげだ」
ヒュンケルの口元に微かな笑みが浮かんだ。だがそれもすぐに引っ込めてしまう。どうしても歳下のアバンに戸惑ってしまうようだった。
「さあ、ではアイテム探しを再開させましょうか」
アバンが大きく手を振り上げて言う。魔物との戦いですっかり忘れていたダイは、アバンに負けじと「おれたちも行こう!」と仲間たちに言った。
「それってコレのことか?」
ロカの緊張感のない声に全員がロカを見る。ロカは片手で持てるほどの小さな宝箱を持っていた。
「間違いねえ。これが幸せの箱だ」
マトリフがロカが持つ宝箱をしげしげと眺めて言う。ロカは宝箱を顔の高さまで持ち上げた。
「さっき戦ってるときに見つけたんだ。えっと、ポップだっけ? ポップが落ちたところにコレも転がっててさ。マトリフが言ってた特徴に似てるって思って拾っておいたんだよ」
「と、いうことは」
アバンがダイたちを見た。アバンは早い者勝ちと言ったが、それは半分冗談であった。しかし既にロカが拾ってしまった。
ロカは箱を見るとマァムに差し出した。
「じゃあマァムにやるよ」
ロカがあっさりと言う。少しの迷いもない様子だった。ロカは言葉を続ける。
「元からマァムのために探しに来たんだ。平和な時代を生きるマァムたちが、幸せでありますようにって願うために」
マァムは頷いたが、箱は受け取らなかった。マァムは目尻に残っていた涙を指で拭うと、決意の籠った顔でロカを見た。
「ありがとう、父さん。でも私たちの目的は幸せの箱じゃないの」
「え? でも最深部のアイテムだって……」
ロカは宝箱とマァムを交互に見る。アバンたちも不思議そうに顔を見合わせた。
「もしかしたら、時間のズレのせいかもしれねえ」
ポップが幸せの箱を興味深そうに見ながら言った。そして考えるように顎に指を当てる。
「おれたちのところでは、幸せの箱は既に使われているんだ」
ポップはアバンたちが未来へと来たのかと思っていたが、どうやら逆だったらしい。ポップたちが過去へと来ていたのだ。だからまだ幸せの箱が存在している。おそらくロカが使ったからポップたちの時代にはなかったのだろう。
「おれたちが探してたのは邪悪な箱なんだ」
ダイの言葉のマトリフが眉間に皺を寄せた。
「邪悪な箱だと?」
「幸せの箱が生まれると、邪悪な箱も生まれるらしいんだ。おれたちはその邪悪な箱を壊しに来たんだよ」
「邪悪な箱ってなんなんだよ」
ロカは動揺した様に幸せの箱を見た。それさえも禍々しい物のように思えてきたのだ。
「おれたちも詳しくは知らないんだ。ポップが古い本で見つけて……やっとこの場所にあるってわかって探しに来たんだ。邪悪な箱がこれ以上悪い事を起こさないように」
広間はしんと静まりかえった。ロカが深刻な顔で幸せの箱を見た。
「オレがこの箱を使うせいで、お前たちの時代に悪い事が起こるのか?」
「それは違うわ。この幸せの箱が生まれた時点で、邪悪な箱も存在しているんだもの」
マァムの言葉にロカは少し気持ちが楽になったようだった。
「それで、その邪悪な箱はどこにあるのでしょうか」
アバンは広間を見渡す。するとヒュンケルが弾かれたように通路を見た。アバンも剣を握ってそちらを見る。二人ともその存在に気付いたようだった。
「邪悪な魔物の気配がする」
言うなりヒュンケルは駆け出していた。すぐにアバンやダイが後に続く。
「おれたちも行こう」
「またかよ〜、回復する暇もねえ」
ぼやきながら走るポップの後頭部をマトリフが杖で小突いた。
「ぐだぐだ言ってねえでさっさと来い」
マトリフはトベルーラで滑る様に飛んでいく。ポップは意地になってマトリフをトベルーラで追い越した。ポップは真っ先に通路を抜けて降り立つ。途端に邪悪な意志をひしひしと感じた。
そこはさっきと同じ様な広間だった。ただぽつんと広間の中央に何かがいる。それが邪悪な意志を放っていた。
「あれが邪悪な箱だな」
マトリフが言う。それを聞いてポップは驚きの声をあげた。
「え? 邪悪な箱ってアイテムじゃねえのかよ」
「ちゃんと本を読んできたのかよ。ありゃ魔物だ」
「じゃあ、倒せばいいのか?」
「ありゃ簡単じゃねえぞ。あいつは攻撃したら分身する。いくら倒しても終わりがねえ。やるなら一発で決めなきゃなんねえ」
邪悪な箱はじっとこちらを見ていた。灰色の塊に赤い目が一つだけついている。
「消滅させたいとこだが、こんなとこでアレは使えねえし」
メドローアを使えば消滅させるのは簡単であった。だが一緒に洞窟まで抉り、下手をすれば崩壊させてしまう。
「魔物ってことは、生きてるんでしょう。じゃあ私がやるわ」
マァムが一歩前に出た。ロカが慌ててその手を掴む。
「よせ、危ないだろう」
ロカは心配でたまらない様子だった。マァムは安心させる様に微笑むと、その手を外した。
「安心して父さん。きっと一瞬で終わるから」
言うなりマァムは邪悪な箱へ飛びかかった。邪悪な箱から触手のようなものが伸びてマァムを襲う。しかしマァムはそれを掴むとを逃がさないように引きつけた。マァムの光る拳が邪悪な箱を打ち砕く。閃華裂光拳を受けた邪悪な箱はその体をボロボロと崩していった。
「ありゃお前より強いんじゃねえか?」
マァムを見ていたマトリフがロカに向かって言う。ロカはマァムのあまりの強さに口をぽかんと開けて呆気に取られていた。
***
振り返って笑顔を見せるマァムに、ロカは驚きとは別の思いが胸に込み上げていた。マァムは仲間たちに囲まれている。その誰もが歳若く、そして強い。
「ね、父さん。大丈夫だったでしょう」
はにかむように笑うマァムを、ロカは素直に褒めてやれなかった。なぜそこまで強くなる必要があったのか。平和な時代にそれほどの強さは必要ないだろう。それはつまり、強くならねばいけない理由があったからだ。
「オレたちは平和を守れないんだな……」
ロカたちはアバンと共に魔王を倒した。これで平和な世界になったと思ったのだ。マァムは平和な世界で生きていける。それがロカの誇りだった。
「父さん……」
マァムは言葉に詰まった。ロカがこの先にどうなるのかなど、口が裂けても言えなかった。ロカだけではない。魔王を倒した勇者たちは世界の表舞台へと出ることはなかった。みんながひっそりと暮らしていく。やがて魔王が復活して平和は乱されてしまった。
「おれたちがいるから大丈夫です!」
ダイの声に皆がダイを見る。ダイの言葉に迷いはなかった。
「おれたちが世界を守っていきます。ね?」
「まぁな。年寄りにはさっさと引退してもらわねぇと」
ポップは憎まれ口を叩くように言う。だがそれが先代たちを思ってのことだとみんなわかっていた。
「オレたちが世界を守れたのはオレたちだけの力ではない。多くの人が力を貸してくれた。あなたたちもだ」
ヒュンケルの言葉に、アバンたちは顔を見合わせた。ヒュンケルの曇りのない眼差しに、アバンは照れたように笑う。
「じゃあ幸せの箱を開けてみましょうよ」
レオナがうずうずしながら言った。本当はずっと開けるのを待っていたようだ。ポップも気になるようで幸せの箱をじっと見つめている。
「開けたらどうなるんだよ?」
「音楽が流れるんだとよ。それを聴きながら願い事をすりゃあ叶うとか叶わねえとか」
「曖昧じゃねぇか。大丈夫なのかよ」
「あなたたちも一緒にお願いをしたらどうかしら?」
レイラが言う。ダイたちは顔を見合わせた。
「どうなんだろうな。ここは過去なんだし、願いなんて叶うもんかな」
「叶わなくてもいいわ。願うだけやってみましょうよ」
レオナはもう手を組んでいる。何を願おうかしらとうきうきしていた。つられてダイも同じように手を組む。
「私たちはあなたの幸せをお願いするわ」
レイラがマァムの手を取る。ロカもマァムの背に手を回した。
「じじいは自分の健康でも祈っておけよ」
ポップがマトリフに言う。マトリフはふんと鼻を鳴らした。
「これ以上長生きなんてしたくねぇよ」
「長生きしてくれねぇとおれが困るんだよ……あんたに教わりたいことまだいっぱいあるんだからさ」
ポップは腕を組んでそっぽ向きながら言う。マトリフは照れたのか口をつぐんでしまった。ブロキーナがニッと笑ってマトリフの隣に並ぶ。
「じゃあワシもくるぶしつやつや病が治るようにお願いしようかなあ」
ブロキーナの言葉にみんながどっと笑う。ロカは幸せの箱の蓋に手を置いた。
「じゃあ開けるぞ」
幸せの箱の蓋がゆっくりと開いた。みんなが固唾を飲んで見守る。しんと静まった空間に、かすかな音楽が流れてきた。穏やかで心に沁み入る旋律は、はじめて聞いたはずなのにどこか懐かしさを感じるものだった。
みんなは自然と手を組み合わせていた。それぞれの胸に願いが浮かぶ。誰も願いを口にはしなかったが、誰かの幸せを祈る気持ちがそこには満ちていた。
しばらくそうしていたが、ロカがゆっくりと箱の蓋を閉めた。音楽もゆっくりと止まる。願いが届いたかどうかはわからない。だがみんな満ち足りた表情をしていた。
「では、帰りましょうか」
アバンが言う。だが去り難い気持ちがあった。時間を超えたこの出会いを終わらせたくなかったのだ。
そのとき、洞窟内に轟音が響いた。洞窟全体が揺れているようだった。
「なんなんだ!?」
音は次第に収まった。魔物の襲撃ではなさそうだ。そのとき足元にひんやりとしたものを感じた。
「水?」
足元には水が流れてきていた。それが段々と勢いを増していく。水は通路からも流れ込んできて、あっという間に膝ほどまで増えていった。このまま水が増え続ければ溺れてしまう。
「おおい、マトリフ急げ!」
「わかってらあ!」
「みなさん集まってください」
アバンの呼びかけに全員がマトリフを中心に集まった。マトリフは両手を合わせて魔法力を高めている。魔法力は膨れ上がり、全員を包んだ。
「リレミト!」
魔法力は霧散した。全員が洞窟から抜け出した、などということはなく、全員がまだ洞窟内で水に浸かっている。水位は腰の高さまできていた。
「は……? 失敗かよ!」
「あー、忘れてたぜ。ここはリレミトが効かねえんだった」
ダハハ、とマトリフは笑う。まさに絶体絶命だった。
「おい師匠、どーなってんだよ!」
「やかましい。呪文が無効化されたんだよ」
水はとめどなく流れ込んでくる。全員が中央に集まっていた。水流のせいで身動きを取るのも難しくなっている。今から上階へ続く階段を探している時間はない。
「だったらこれしかねえ」
マトリフが呟いて両手に呪文を作るのと、ポップが同じように両手に呪文を作るのは同時だった。マトリフは驚いたようにポップを見る。
「コレだろ?」
ポップは両手に作ったメラとヒャドを融合させる。あらゆるものを消滅させる美しい煌めきが生まれた。ポップは不敵に笑うとマトリフを見た。
「あんたが出来ることは全部おれが覚えたんだよ」
「メドローアまで教えちまうとはな」
マトリフは苦笑しながら両手のメラとヒャドを合わせる。メドローアを作り上げると天井に向けた。ポップも同じように真上を狙う。二人の大魔道士は天に向けてメドローアを構えた。
「オレとこいつでどでかい穴を開ける。穴が空いたらすぐにルーラするから掴まってろよ。洞窟はすぐ崩れちまうだろうからな」
「手ぇ離すんじゃねえぞ!」
マトリフとポップの言葉にみんなが集まる。それぞれ手を繋いでポップやマトリフに掴まった。
二つのメドローアの波長が周りの水を揺らす。マトリフが横目でポップを見た。
「タイミングを合わせろよ」
「任せとけって」
「じゃあいくぜ」
引きしぼられた光の矢が天に向かって放たれた。真っ直ぐに昇っていく光が溶かすように洞窟を削っていく。やがて目が覚めるような青空が見えた。
「ルーラ!」
ポップとマトリフの声が重なる。二つのルーラの軌道が洞窟を突き抜けていった。
***
吸い込む空気の新鮮さに、ポップは脱出の成功を知った。見れば仲間たちも一緒である。ポップたちは洞窟の入り口付近へと着地していた。
「うまくいったね!」
ダイは言ってからあたりを見渡した。
「あれ……先生たちは?」
そこにいたのはダイとポップ、マァムにヒュンケル、そしてレオナだけだった。アバンたちの姿はない。
「いねえな。師匠がどこへルーラしたかわからねえし」
「ねえ、ここはどこの時代なのかしら。私たちはどこへ帰ってきたの?」
レオナが言う。この不思議な洞窟は高い山の頂上に入り口があり、あたりは木が生い茂っている。ここが現在なのか過去なのかを見分けることは出来なかった。
「それはですねえ……」
その声にみんなが振り返った。木の影からひょっこりと姿を現したのはアバンだった。黒縁の眼鏡をかけたその姿は、ダイたちがよく知るアバン先生の姿だった。
「先生!」
「よく戻ってきたね。昔のワシたちには出会えたかな?」
アバンの後ろにはブロキーナがいる。ブロキーナだけではない。マトリフやレイラもいた。
「な、なんで師匠たちもいるんだよ」
「そろそろどでかい穴を空ける頃だと思って見学に来たんだよ」
ケケケ、と笑うマトリフに、いつもより元気じゃねえかとポップは思う。自分が幸せの箱に何を願ったか忘れたわけではない。まさかそれが叶って元気になったのだろうかと首を傾げた。
レイラはマァムの前まで来るとそっと手を取った。
「おかえりなさい。マァム」
「母さん……」
マァムは笑顔を浮かべようとしたが、ロカの存在がないことにどうしても胸が痛んだ。少しでも出会えたことを思い出にしようと決める。これでレイラとも父の思い出話ができるだろう。
「私ね、母さん……」
「父さんにも話を聞かせてくれよ」
力強い腕がレイラとマァムを包んだ。マァムは驚いて顔を上げる。自分と同じ桃色の髪が揺れていた。青年ではなく、十数年の年月を経たロカがそこにいた。
「父さん……?」
ロカは屈託なく笑っていた。なぜだか父と過ごした思い出の数々が胸へと押し寄せる。願いが届いたのだとマァムは思った。
「父さん!」
マァムはロカに抱きついて声をあげて泣いた。あなたに会いたかったのだと、ずっと会いたかったのだと声を震わせる。そんな二人を仲間たちが見守っていた。
こうして不思議な洞窟の冒険は終わった。だが洞窟は冒険者が訪れるたびにその形を変える。大きな穴さえ塞いで、次の冒険者を待っていた。
おわり