痴話喧嘩「君にはデリカシーというものがないのか」
ガンガディアは羞恥と怒りを滲ませてマトリフに言う。聞こえているにも関わらず、マトリフにはガンガディアの気持ちは少しも伝わっていないようだった。それどころかガンガディアがなぜ声を荒げているのか理解できないというように、耳に指を入れて面倒臭そうにガンガディアを見上げている。
「なんで怒るんだよ」
「言い方というものがあるだろう」
「インテリに付き合ってられっかよ」
マトリフは鼻で笑うとそっぽ向いてしまった。だが今回はガンガディアも引き下がれない。ガンガディアは踵を返すと洞窟の出入り口へと向かった。
「どこ行くんだよ」
マトリフの声は大きくはないのに洞窟に響いた。その声音に「行くな」という意味が込められていると知りながら、ガンガディアは足を止めなかった。なぜなら今回は明らかにマトリフが悪いからだ。
「君には関係ない」
ガンガディアは振り返らずに言った。マトリフの不機嫌さが空気を伝わって肌まで届くようだった。いつもならここでガンガディアが折れるが、今日はそれをせずに洞窟を出た。青空を見上げてルーラを唱える。途端に体は浮き上がり、景色は高速で背後へと引っ張られていった。
***
ガンガディアがいなくなった洞窟はいやに静かだった。最初はいなくなって清々したと思っていたマトリフだったが、時間が経つにつれて妙な落ち着かなさを感じていた。
マトリフは別にガンガディアを怒らせるつもりはなかった。ただ純粋な疑問を尋ねただけだった。それは二人の関係において重要な問題ではあるし、早めに解決しておくのが良いと思ったからだ。
「ったく……」
マトリフは気に入りの椅子から立ち上がった。洞窟の外に出れば日はそれほど傾いていなかった。ガンガディアが出ていってから思ったより時間は経っていないようだ。
マトリフはガンガディアが行きそうな場所を思い浮かべる。そう多くもない候補から一つを選んでいると、どこからか声が聞こえた。声のしたほうを見れば、あくまのめだまが洞窟入り口の上部にぶら下がっていた。マトリフは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「マトリフ〜、いますか?」
その声はアバンのものだった。あくまのめだまにはアバンの姿も映っている。どうやらアバンはまた地底魔城へ行っているらしい。
「なにか用か」
「一応伝えておこうと思って」
「ガンガディアか」
ガンガディアがこの状況で行くなら古巣の地底魔城だろう。マトリフは重い溜息をついた。今ごろ地底魔城の誰かに愚痴でも言っているに違いない。アバンは頷くと「少し前からこっちに来てますよ」と言った。
「せっかくなのでパイを焼いたんですけど、マトリフも来ますか?」
「……ちっ、しょうがねえ。あとよ、あくまのめだまを寄越すのは止めろと三流魔王に言っとけ」
「便利ですけどねえ」
「プライバシーってもんがあんだろうが」
「おやおや、マトリフからそんな言葉が出るとは。相手を思い遣るそんな気持ちが少しでもあれば、彼を怒らせなかったんでしょうけど」
アバンの言う彼とはガンガディアのことだろう。どうやらアバンもガンガディアの愚痴を聞いたらしい。最悪だとマトリフは思った。
「じゃあ待ってますね。冷めないうちに来てください」
ぶつり、と映像と音が途切れる。マトリフはまた重い溜息をついた。
***
マトリフはルーラで地底魔城に降り立った。地面に空いた大穴は常人が見れば薄気味悪いだろうが、勝手知ったるマトリフは気にすることなく進んでいく。
城内を進めば次第に甘い匂いが鼻腔に届く。それがアバンの言っていたパイなのだと気づき、匂いを辿れば食堂として使っている広間にたどり着いた。
「あ、だいまどーし」
真っ先にマトリフに気付いたのはヒュンケルだった。ヒュンケルは席についてパイを食べている。その横にはバルトスも座っていた。バルトスはパイを食べてはいないが、その隣に座ったアバンと話していたようだ。
「食いに来たぞ」
マトリフはどっかりとアバンの隣に腰を下ろす。アバンはマトリフのぶんのパイを皿に取り分けると、紅茶をカップに注いだ。マトリフはフォークを手に取り、まだ温かさを残すパイに突き刺そうとしたが、じっとこちらを見る視線に手を止めた。
「なんだよ」
こちらをじっと見てたのはヒュンケルだった。ヒュンケルはどうやらマトリフに何か言いたいらしく、小さな眉間に皺まで寄せている。
「だいまどーしはガンガのこと嫌いなの?」
「は?」
マトリフはヒュンケルの言葉に驚き、持ったフォークを落としそうになった。まさかガンガディアはヒュンケルにまで何か言ったのだろうかと訝しむ。そんなことをするとは思えないが、何か聞いたからこそヒュンケルは言ったのだろう。マトリフは説明を求めるようにアバンを見た。
「ヒュンケルは詳しいことは聞いてませんよ。話題が話題ですから」
それを聞いてマトリフはとりあえず安心した。どうやらガンガディアはハドラーとアバンに愚痴を話していたのだが、ガンガディアが来ていると知ったヒュンケルが来て、ガンガディアの話を聞いてしまったらしい。アバンはすぐにヒュンケルに気付いて連れ出し、パイ作りをはじめたのだという。そのおかげでヒュンケルは詳しいことは聞かずに済んだが、ガンガディアの様子を見てマトリフと何かあったのだと理解したようだ。
ヒュンケルはマトリフの答えを待つようにじっと見てくる。その視線の真っ直ぐさに着心地の悪さを感じながら、マトリフは渋々答えた。
「……別に嫌いじゃねえよ」
「じゃあどうしてけんかするの」
「喧嘩ってわけじゃ…… 」
ヒュンケルを誤魔化すのは難しそうだった。だからといって子どもに説明する内容でもない。
ヒュンケルは厳しい目でマトリフを見ると、ぽつりと言葉をこぼした。
「ガンガ、かなしそうだった」
ヒュンケルは自身も悲しそうに言う。大好きなガンガおじさんを悲しませたマトリフは大罪人というわけだ。
ヒュンケルの言葉はマトリフの胸に深く突き刺さった。怒るならともかく、悲しんでたという。そこまで傷つけていたとはマトリフは思わなかった。
「……あいつはどこにいる?」
「ハドラーの部屋ですよ」
マトリフはフォークを置いて立ち上がった。焼きたてのパイは惜しいが、それよりも大事なものがある。ヒュンケルと目が合ったのでマトリフは苦笑した。
「ごめんなさいをしてくる」
格好悪い大人だと思いながら言ったが、ヒュンケルはぱっと顔を輝かせた。
「ごめんなさいしたらガンガもゆるしてくれるよ」
まるで大人が子どもに教えるような口調でヒュンケルは言った。隣でバルトスが頷いてヒュンケルの頭を撫でている。種族は違えどもこの親子の仲は良好のようだった。
まさかごめんの一言では許されないだろうとマトリフは思う。だが、謝るにしてもマトリフはなぜガンガディアがそんなに怒ったのかもわかっていなかった。
***
「どう思いますかハドラー様!」
ガンガディアに詰め寄られながら、ハドラーは心底うんざりしていた。どう思うもクソもあるか。なぜ部下とあの憎たらしい大魔道士の痴話喧嘩の話を聞かされなければならないのか。
「嫌なら滅ぼせばいいだろう」
「そういう事じゃないんですよ。ちゃんと私の話を聞いてくれてましたか」
ガンガディアは凄みのある顔で眼鏡を押し上げている。ガンガディアの話を半分以上は聞いていなかったハドラーだが、ここで聞いていないと言うとまた煩い。
「あの人間はお前の発情期がいつか知りたいのだろう」
ガンガディアの長たらしい話を要約すれば、そういうことらしい。ガンガディアの性格を考えれば、そういった生物としての本能的な欲求などの話題はややタブーだ。理性的な言動を己に強いているガンガディアは、欲望に行動を左右されることを嫌う。それをあの人間は真正面から踏み込んだのだろう。配慮も何もない言い方をして。
だが、ハドラーにとっては部屋の隅の壁の染みほども興味がない話題だった。交尾くらい好きにしろ。むしろそれを想像させるような話をするな。さっきからこの部屋までパイの焼ける匂いが漂ってきていて、それがアバンが焼いたものだとしたら、今すぐにでも食べに行きたいと思っているのだ。
アバンの料理は美味い。なんのパイだろうか。ハドラーは息を深く吸い込んでその香りから想像する。
「聞いてますかハドラー様」
「ああ、聞いてる」
今度は本当に聞いていなかったが、ハドラーは生返事した。季節的にはアップルパイだろうか。うむ、そうに違いない。
ハドラーの表情を見たガンガディアは、ハドラーが違うことを考えて話しを聞いていないことを気づいた。ガンガディアの額に血管が浮かぶ。それを見たハドラーはまるでガンガディアの怒りを冷ますように手を振って言った。
「だったらここへ帰ってくればいいだろう」
ガンガディアが人間と暮らし始めたのは一年も前になるだろうか。ガンガディアは戦いが終わる前からあの大魔道士に夢中だった。そもそもそれが間違いなのだ。
「なぜそうなるんですか。嫌です」
ガンガディアはきっぱりと言う。それはそれで失礼だろうとハドラーは思ったが、言わずにおいた。なぜならハドラーはガンガディアに魔王軍に戻ってほしいと思っていたからだ。
「戻ってくれば多少の無理はきいてやるぞ? 望みを言え」
ガンガディアがいなくなったせいで魔王軍の雑務をハドラーが引き受けている。そうなってからハドラーはガンガディアのこなしていた仕事の多さに気付いたのだった。ハドラーは仕事に追われて、自分からアバンに会いにいけていない。今日のようにアバンが来るときにしか会えていなかった。
「私の望みは大魔道士と幸せになることです」
ガンガディアは大きな体を萎ませて言った。まるで空気が抜けていくようにその体はいつもより小さく見える。さっきまでの怒りはどこへいったのか、ガンガディアは深く後悔しているように項垂れた。
「……やはり私が間違っていたんだ。大魔道士には何か深遠な考えがあって言ったのかもしれない。勝手に怒って飛び出した私が愚かだった」
「発情期を聞くのに深遠な考えなどあってたまるか」
ハドラーの至極真っ当な指摘さえガンガディアには聞こえていなかった。今にも泣き出しそうな顔で床を見つめている。ハドラーは早くガンガディアを追い出したくて励ます言葉を探したが、見つかりはしなかった。
「おい」
ノックもなしに扉が開いた。見れば話題の人物が立っていた。いつの間に地底魔城へと来たのか。いや、門番はどうした。アバン以外の人間を勝手に入れるなと何回言えばわかるんだ。
「邪魔するぞ」
「さっさとこいつを連れて帰れ」
「ガンガディア、さっきのことだけどよ」
マトリフはハドラーの言葉も存在も無視してガンガディアの方へと歩み寄った。まさかここで痴話喧嘩の仲直りをするわけではあるまいな、とハドラーは目を見張る。
「大魔道士……私は」
「悪かったよ。お前がそんなに気にするなんて思わなかったんだ」
ハドラーは天を仰いだ。その勢いで後頭部を玉座の背もたれにぶつける。ガンガディアとマトリフはハドラーの存在を無視して何やら話しはじめた。他所でやれ。ここは魔王の部屋だぞ。
***
ガンガディアの気落ちした表情に、マトリフは胸が痛んだ。何やら騒いでいるハドラーを無視して、ガンガディアに謝罪の言葉を伝える。ガンガディアはその言葉が嬉しかったのか、わずかに表情を和らげた。
マトリフはガンガディアの手に手を重ねる。するとガンガディアはその手を両手で包んだ。
「私こそ頭に血がのぼっていたようだ」
ガンガディアの怒りは十分に冷めているらしい。マトリフは一安心した。そもそもマトリフはガンガディアがなぜ怒っているかわかっていなかった。だからこのまま曖昧にしおらしく謝って穏便に済ませたい。マトリフはガンガディアを見上げて言った。
「アバンがパイを焼いたんだってよ。一緒に食おうぜ」
「言われてみれば良い匂いだ」
そのままガンガディアを連れて部屋を出ようとしたのだが、そこでハドラーがクックと喉を鳴らした。見ればニヤニヤと笑っていやがる。こちらを小馬鹿にしたような態度に腹が立った。
「なんだよ猫耳魔王」
「いや? なんでもない。せいぜいガンガディアと楽しめ。まだ時期は遠いだろうがな」
ハドラーはガンガディアの発情期のことを言っているのだろう。その口ぶりからハドラーは痴話喧嘩の内容も、さらには発情期がいつなのかも知っているらしい。
「やめてくださいハドラー様」
「その人間は知りたいのだろう。教えてやればいいじゃないか」
ハドラーは虫の居所が悪いらしい。売られた喧嘩なら買ってやろうじゃないかとマトリフはハドラーに向き直る。マトリフはガンガディアが怒る理由がわからずに苛立っていた気持ちを、発散させてやろうと思った。
「さてはアバンに構ってもらえないから拗ねてやがるんだろ。アバンがここへ来るのはお前じゃなくてヒュンケルに会うためだもんな」
ハドラーの口元が引き攣った。だがハドラーはまだ余裕の表情である。弱味を握っているのはこちらだと言わんばかりだ。ハドラーは玉座に頬杖をつくとマトリフを見下ろした。
「黙れ老いぼれ色欲魔。よほどトロルとの交尾が好きのようだな。発情期にどんなお楽しみを期待しているんだ?」
「いえ、大魔道士とはまだ何もしてません」
ガンガディアの真面目な返答に驚いたのはハドラーだった。発情期がうんぬんと言っていたから、普段から性行為を行っていると思い込んでいた。もっともガンガディアの話を全て聞いていたら、二人がまだお手手を繋ぐ程度の距離であることはわかったはずだ。
そしてマトリフはガンガディア本人からその言葉に頭を抱えたくなった。最も知られたくない情報をハドラーに与えてしまった。
「なるほど、そういうことか」
マトリフは形勢不利を悟る。ハドラーが勝ち誇った顔でマトリフを見た。
「よほどの助平かと思ったら、まさかガンガディアが手を出してこないことに焦れて発情期を知りたがったのか」
マトリフはよりにもよってハドラーに言い当てられたことが悔しかった。マトリフとガンガディアは想いが通じて一年以上一緒にいるのに、性的な触れ合いを全くしたことがなかった。
「そ、そうなのか大魔道士。君は私と性行為がしたいのかね?」
ガンガディアは困惑しながらマトリフを見た。マトリフもそう真正面から訊かれると顔に熱が集まるのを感じた。
マトリフはガンガディアが一切性的な接触をしていないことを密かに悩んでいた。ガンガディアがマトリフをそのような目で見ていないのか、そもそもそういった欲求がないのか、あるいは人間と違って一定時期しか発情しないのか。マトリフは性的欲求に正直なたちだった。だからといって抱いてくれと言えるほどではなかった。
「このあいだ一緒に風呂に入っても手出してこなかっただろう」
さりげなく色気のある状況を作り出そうとマトリフは苦心していた。その一つが一緒に風呂に入るというものだった。マトリフの洞窟にはガンガディアと一緒に入れるほどの大きな風呂場がある。だがガンガディアは風呂でいくらマトリフが密着しても何の反応もしなかった。
「しかし入浴は体を清潔に保つためであって」
「裸で密着しておいてなんで何もねえんだよ」
「人間の性行為は寝具の上で行うと本で読んだが」
「だから……おめえが一緒に寝てても手出してこねえから、風呂に誘ったんだろうが!」
己の愚かな行いを告白するのはマトリフの羞恥心を今までにないほど刺激した。マトリフは熱い顔を手で覆う。今すぐ己にメドローアしてやりたかった。
***
あの風呂に入った時のことを思い出す。マトリフはガンガディアの膝に座って背をもたせ、いつガンガディアの手が己に触れるかと待っていた。ガンガディアの手はマトリフに触れてはいたが、それは大きな風呂でマトリフが溺れないように支えるためであり、邪な意志など微塵も感じさせないものだった。
二人は湯煙の中でただ入浴した。本当に、ただ体を洗って暖まっただけだった。その後も暖まった身体のままベッドに入り、心地よく眠った。健康的な生活。翌朝マトリフはぐっすりと眠ってすっきりとした頭で、解せん、と思った。
「そんな回りくどいことをせずに、性行為がしたいと言ってくれれば」
ガンガディアはそんな言葉さえ真面目な顔で言う。だから余計に誘いにくいんだとマトリフは思った。
風呂でも何も起こらなかったことに痺れを切らしたマトリフは、ガンガディアに発情期がいつなのかと訊ねた。それは己に性的欲求を向けていないのではないかという不安があって、多少のぶっきらぼうさと口悪さが色付けされた言葉になった。
「お前って勃たねえの? 今って発情期じゃねえのかよ。次の発情期っていつなんだ?」
それを聞いたガンガディアは硬直し、次第に血管を浮き上がらせるほどに怒りをあらわにした。
そして今回の騒動となった。
マトリフは拗ねたように口を曲げる。どうにも素直になれず、やはり口から出るのは捻くれた言葉だった。
「言えるかよ。発情期を訊いただけであんだけ怒ったじゃねえか」
マトリフは言ってからまたやってしまったと思う。見ればやはりガンガディアは厳しい表情をしていた。
「なぜ私が怒ったか理解していないのかね」
「は? わかんねーよ」
「私は欲望に色濃く染まる己の発情期が嫌いだ」
ガンガディアの瞳が悲しみの色を帯びる。そうしてマトリフは己の過ちに気付いた。ガンガディアにとっては触れられたくない話題だったのだ。もし触れるにしても、慎重に言葉を選ばなければいけなかった。
「だが君が望むなら、性行為は嫌ではない」
「え?」
「私は己がコントロール出来なくなるのが嫌なだけだ。発情期を避ければ問題ない」
ガンガディアがマトリフの手を取る。マトリフはその手を見つめた。
「わかった。やっぱオレが悪かったな。今度はほんとにそう思ってる」
先ほどの謝罪は心からの言葉ではなかった。ガンガディアの機嫌が直ればそれでいいと思っての言葉だった。だが今度は違う。ガンガディアを悲しませて悪かったと本心から思っていた。
「お前のことをちゃんとわかってなかった」
「私も説明して理解を求めるべきだった。すまない」
マトリフとガンガディアは見つめ合って互いに苦笑した。些細なすれ違いなど恋人にはよくあるものだ。それを乗り越えて二人の仲はより深くなる。気恥ずかしさと愛おしさが混じり合った空気が漂った。
「もういいだろ。さっさと出て行け」
その二人の仲を切り裂くような低い声が響く。それはハドラーのものだった。二人の仲直りを一部始終見せられてハドラーは我慢の限界だった。
「空気読めよ三流魔王」
マトリフは舌打ちをした。先ほどまでの表情は一変して、皮肉屋の老人は小馬鹿にしたようにハドラーを見る。
「嫌ならお前が出てけよ」
「ここはオレの部屋だ!」
「融通のきかねえ野郎だな」
ハドラーが握り込んでいた玉座の肘置きが砕けた。ハドラーは立ち上がってマトリフに歩み寄る。
「死ぬ覚悟は出来たか?」
「おめぇこそ返り討ちにあう準備はいいか?」
睨み合う二人の間にガンガディアが割って入った。
「二人とも。勇者のパイが食べたくはないのですか」
どうどう、と猛獣を抑えるようにガンガディアは手を向ける。二人はしょうがないとばかりに睨み合うのをやめた。
三人がそろって広間へ行くと、幸いにもパイはまだ残っていた。ヒュンケルはガンガディアとマトリフが一緒にいるのを見るとパッと顔を輝かせた。
「ごめんなさいできた?」
「まあな」
隣り合って座ったヒュンケルとマトリフは小声で言い合った。そんな二人をガンガディアが不思議そうに見る。
「どうかしたのかね」
「べつに」
マトリフは大きな口を開けてパイを食べた。ヒュンケルはガンガディアの膝の上に座ると、パイをどうやって作ったかを嬉しそうに説明した。
おわり