不覚日が沈んでいく。マイカの紅葉が夕日に照らされ、紅の葉が橙に上塗りされていく。
今日も、今日という日が終わる。
モクマようやく眠気の覚めた頭を起こし、大樹の上で胡座をかき頭を掻く。長い時間圧迫していた後頭部がとにかく痛んだ。
「……」
城の明かりが微かに見える。空が暗くなり始めてきている。
もう帰らなくてはいけない。
今日はタンバはこの大樹に来なかった。イズミも舞の練習に来なかった。モクマは何もせず、今日一日ただひたすらに大樹の上で寝た。久方ぶりによく眠れたような気がして、少し気分が良かった。
「モクマ」
「!」
そんなモクマだったが、己を呼ぶその声に、指の先まで緊張が走る。
「フウ、ガ……っ」
モクマの頭の中で警鐘が鳴り響く。
大樹の下でモクマを見上げていたのは、モクマより少し大きいその身体の主……フウガだった。フウガは腕を組んだまま、モクマをじっと見上げている。
つい数日前にも、モクマはフウガの取り巻きに追いかけられ逃げたばかりだった。
その時もフウガは居なかった。フウガはいつも取り巻きを使いモクマを追い込む。そうモクマは思っていた。
大樹の上で身動きが取れなくなったモクマを鼻で笑い、フウガは大樹の根元に座る。
「ここに座れ」
己の隣に当たる地面を叩きながら、フウガはモクマを睨む。
「……」
フウガは何をする気なのか、何を考えているのか。
分からないまま、モクマは命じられるがまま、大樹の根元へ飛び降りる。
「座れ」
フウガは命じる。着物が汚れるのも構わず大樹の根元に腰を下ろしながら。
「……」
モクマはフウガの半身空け、おずおずと隣に腰を下ろす。
二人の間に流れるのは、沈黙。
時折風が二人の間を通り抜ける以外、二人を隔てるものは何も無い。
モクマは横目でフウガの様子を窺うが、フウガは正面の一点を見つめたままピクリとも動かない。
「フウガ……?」
「なんだ」
沈黙に耐えられなくなったモクマが、そっと声をかける。返したフウガの声は、緊張で強張っているように感じた。
「帰らなくて、いいのか?」
「貴様はどうなのだ」
「いや、俺も、帰る……」
フウガは城へ、モクマは里へ。互いに帰らなくてはいけない。あまり遅くなると、城の忍びがフウガを探しに来るだろう。
早く帰らなくてはいけないのに、フウガは腰を上げようとしない。
「……」
フウガが何を考えているか、モクマにはわからなかった。
ただ、夕焼けの光に照らされるフウガの、どこか緊張した横顔を盗み見ていると、強張っていた肩から何故か、少しずつ力が抜ける気がしていた。
「モクマ」
短くモクマを呼ぶフウガの声は先程よりも緊張しており、モクマは思わず背を正して座り直す。
「……」
気がつくと、フウガはモクマを真っ直ぐ見つめていた。
フウガの目には、いつもモクマに向けるような暗い感情は無く、むしろいつもより柔らかいようにも見えた。そう見えただけかもしれない
夕日が傾き、山間に隠れ始める。藍色に染まり始めた空に小さな点が瞬く。星が顔を出し始めた。もうすぐ夜が訪れる。早く帰らなければいけない。
モクマはフウガから目を逸らすことができなかった。目を逸らしてはいけない、とすら思えた。そうして、フウガの次の行動をモクマは待った。
「!」
急にフウガは音も無く立ち上がる。モクマは驚き肩を震わせた。
キッ、とモクマを真っ直ぐ見下ろし睨むように見据えるフウガの目からモクマは目をそらすことができなかった。
「明日は修行場へ来い、モクマ」
フウガが発したその一言は、モクマを混乱へと導くには十分だった。
「え……」
言葉を失ったモクマは知らずに声を漏らす。
「いいか、顔だけは見せろ、いいな、モクマ!」
び、とモクマを指さしたフウガは口早に命じ、そのまま地面を蹴り飛び上がり、姿を消した。
「……追い出してるのはそっちじゃ……」
一人残されたモクマは、フウガが消え去った方角を口を開け見つめ続けた。