花降る窓辺で君と夢を見る:
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天高く、馬肥ゆる、秋。
あ、彼奴は馬じゃなくて虎だった……今朝もご飯二杯も食っていた。
昨日の夜、食後にお茶を飲みながら健康診断の結果を見比べて、何故体重にこんなに差がでるのだと喚いていた双子の妹の膨れっ面を思い出し、龍之介はベッドの上で一人小さく笑う。
目覚めたここは保健室。
白いカーテンの向こうには気持ちのいい青空が広がっている。
まさに秋晴れ日本晴れという晴天だというのに龍之介は保健室のベッドで一時間眠っていた。
龍之介は体が弱い。
喘息持ちで幼い頃はよく発作を起こしては病院へを連れて行かれた。
敦に体力も運動神経も持って行かれたのではと周囲に心配され揶揄されたりもしていた。
まあ其れは龍之介自身も否定はしない。
敦のほうが頑丈ですばしっこいのは昔からだ。
更に言えば、時折朧気に浮かんでくる前世とやらからの話だ。
まあ、成長に伴い体力も人並みにつき症状も少しづつではあるが改善されてきていたが、中学校の入学式で新入生代表の決意表明を読んだ後、なれない緊張のせいか席に戻る途中でぶっ倒れた。
其れがその後二週間は半日保健室で寝てる学園生活の始まりで、中学一年の一学期は週1で保健室にかつぎ込まれていた。
敦か、彼女が居ないときはクラスメイトで小柄ながらも力持ちな宮沢賢治や、近くにいた立原道造やら誰彼かに背負われて保健室に連れて行かれる。
一時期担架が教室内に常設される案もあったらしいが龍之介が軽すぎて、背負って移動した方が絶対早いということでこうなっている。
そんな言うわけでついた不名誉すぎる渾名は『保健室の貴公子』とかいう噴飯もの。
実際それを聞いた敦は保健室で腹を抱えて大爆笑して、校医である与謝野晶子にみっちりお説教を食らっていた。
そしてそれ以降、敦は保健委員と言う名の与謝野の小間使いをさせられる羽目になった。
間もなく高校一年生後期。そこで生徒会、与謝野校医の裏工作で敦が保健委員長になるのは確定だろう。
屹度あの壁際に山積みにされたダンボールの中みっちりと詰め込まれた包帯の片付けを仰せつかるのだろうと思うと、これもまた運命だろうと龍之介は思う。
どう見てもそんなに需要はないだろう包帯は『包帯無駄遣い装置』とこれまたよくわからない渾名を付けられたら先輩の常備品という迷惑極まりない物だった。
ちなみに其の先輩は『迷惑噴霧器』とこれまた訳の分からない渾名で全校生徒の脳裏にこびり付いている。
そして龍之介の前世の記憶に、ぼんやりと浮かぶ人だった。
……『師』として其の背を追いかけて其の手を求めた……
しかし現世では、相変わらずずば抜けて頭はよいし実際難関大学にするりと合格してしまうような人物だが、『阿呆』だと敦が出会った頃にそう言いきった第一印象のせいか前世の自分に何故彼が師匠だったのか問いただしたい気分になることもしばしばだった。
そう遠くない未来に彼は自分の『義理の弟』になるやもしれないということも実は認めたくない事ではあったりする。
昨日の夜の一騒動を思い出して龍之介は再びめまいを感じて目を閉じようとした。
「……なんだ」
窓から少しばかり見える金木犀の天辺が不自然にゆらゆらと揺れていた。
「?」
揺れたと思えば止まる。そして大きく揺れるのを見て龍之介は目覚めたばかりでまだ気怠い身体を何とか起こして窓辺に向かう。
「なんだいったい……」
窓を開けて植木の下をのぞき込むと枝の中に頭を突っ込んでじたばたしている女子生徒がいた。
「どうした?」
女子生徒が頭を振る度に咲き始めたばかりの金木犀の花が其の髪や肩に降り落ちていく。
見れば高く結わえたお団子頭が枝に引っかかってしまっているようだった。
「少しじっとしてろ、そっちに行く」
校医は席を外しているので筆立てに挿してあった鋏を勝手に借りて龍之介は保健室を出る。
そして窓辺の金木犀の植木のところまで行くと女子生徒は龍之介に言われたままじっと待っていた。
「何をしてたんだ、お前」
少し膝を屈めた姿勢で更に小首を少し傾げた状態の女子生徒は今にも泣き出しそうな顔をしている。
龍之介は手を伸ばし、お団子結びに絡まった枝を丁寧に取り除いた。
「うむ、取れた、が……すまない」
もし駄目なときはと思って枝を切るために準備していた鋏の出番は無かったが、綺麗に結わえられていた髪は乱れてしまった。
けれど金木犀をまだ髪に残したままの様子が随分と可愛らしかった。
「い、いえ、あの、ありがとうございます、先輩!」
「……あ、ああ」
はにかみながらも笑顔で御辞儀をした女子生徒の声に乗せて響いた其の単語は、龍之介の何時のことだか曖昧な記憶の断片を浮かび上がらせた。
多分、屹度、自分は彼女のことを知っている。
前世ではつらく当たることも多かったがそれでも彼女は……どんな関係でどうなっていったか、そんな細かいことは思い出せないが今なら『言いたかった』一言がいえるような気がした。
そう思うと言葉は割と素直に出てきた。
「髪から枝から綺麗に取れなくてすまなかった。折角、可愛らしく結わえられていたのにな……」
秋空をぽっかりと流れて行く雲だけが、二人の様子を見ていた。
***
「一葉さん?」
「どうしたの?」
友人たちに声をかけられて樋口一葉ははっと我に返る。
「次は美術室よ、遅れるとあの先生うるさいから」
さらさらと綺麗な黒髪を靡かせる友人の一人に促され廊下を歩き出す一葉は今一度名残押し気に振り返って立ち止まっていたところ……保健室の扉を見た。
数日前の昼休み、咲き始めた金木犀の夢見るような香りに誘われて花を集めていたらつい夢中になりすぎて結い上げていた髪が枝に引っかかってしまった。
もがけばもがくほど髪は絡まって仕舞いどうにも成らなくなってしまい困って泣きそうだったところを、保健室で休んでいたであろう男子生徒がわざわざ出てきて助けてくれたのだ。
「名前、聞いておけば良かったなぁ」
「え?」
あれはもしかして噂に聞く『保健室の貴公子』と呼ばれる先輩なのかもしれない。
それは誰が言い出したのか冗談やからかい半分の渾名だろう一葉は思っていた。
しかし先日、自分を助けてくれたあのすらりとした体躯の、どこかしら陰のある、少しばかり病弱そうな彼ならそう言われても不思議じゃないかもしれない。
「昨日は恥ずかしくてちゃんとお礼言えなかったから」
「え、何のお礼?可愛いって言われたこと?」
「うー……」
ことのあらましを聞かされていた友人達は少女らしい好奇心で一葉の顔をのぞき込んでくる。
そんな他愛もないお喋りに興じながら、一葉は中学の校舎から美術室のある校舎に移動していた。
そこは自分の校舎から一番離れていて、上の学年がいる校舎の前を通るのだ。
『保健室の貴公子』かもしれない彼は自分たちのいる中学一年の校舎では見かけない。
だから教室移動のある今日はもしかしたらすれ違えるかもしれないと、一葉は少し期待していた……そして。
「い……」
「銀、どうした……移動か」
そうして神は傍観者であるはずなのに時としてこういう余興を酷く好まれる。
一葉が探していた男子生徒がちょうど通りすがった校舎から出てきて、こともあろうか一葉達の方を向いて歩み寄ってきたのだ。
もしかして彼も自分に気がついて、と、一葉が胸を高鳴らせるよりも先に彼の口から出てきたのは、隣にいる友人の名前だった。
「え、え?」
「ん、お前……」
「え、もしかして、一葉さん助けてくれた人って……龍之介兄さんなの?」
「兄さんって……えええええええっ!」
一葉の叫び声は、周囲の生徒が振り返っただけではなく教室内にいた生徒達が一斉に窓から顔を出し、職員室から教員達が飛び出してくるほどだった。
***
「春だねぇ」
「そうですねぇ、季節は秋ですけど。うん、今年の柿も美味しい」
その日の夕餉の後、今日の出来事を銀から聞かされた敦は太宰と一緒にお茶を啜りながら柿を頬張っていた。
丁度丸っと一つを食べ終わり二つ目に手を伸ばしたところだ。
毎年お隣さんから頂くものでとても美味しいものなのだが今年のは特に甘い。
いや甘いのは今聞いた話のせいなのかもしれないと敦は思う。
「何にせよ龍之介君にも春がきたのだよ。目出度いじゃないか敦君」
「まあ知恵熱だして寝てるあたり龍之介らしいですけどね」
既に二つ目を食べ終わり三つ目の柿を剥きながらちらりと龍之介の部屋の方に目を向ける。
「ところで敦君」
「はい?」
「5キロダイエットはいつ実行する?」
「は?」
「昨日の話、私は本気だからね♪」
意味深な言葉をさらりと言ってのけた太宰の笑顔に、敦は剥き終わって齧り付こうとした柿をポロリと落としてしまった。