2025-05-11
少し年齢が違うから直接話した事はあんまりないけど、すぐに手柄を立てて帰ってくるだろうと期待されていた事は知っている。それが待てど暮らせど帰ってこなくて、フリックさんと同期の人たちが心配していた。大人たちはなんとなく諦めていたんだと思う
帰ってこない人は案外いる。外が性にあったのか、それとも死んでしまったのか。時々、粛清される人もいる。僕らには包み隠さず教えられる。反面教師という奴なんだろう。
僕らが持っている力を正しく使え。正しさは村で教えられる。僕にとっては、村の正しさは外の正しさとそんなに違っているようには思えなくてありがたかった。
帰ってこない人はいる。帰ってこない人は大体死んでいるか、そう宣言した人だ。生きているのに、なぜか帰ってこない人は案外いない。立てるべき手柄、実際そんなに大したものじゃないんだ。テンガアールはなんだかそれに納得していないみたいだけど。
「帰らないつもりなんですかね」
行きがかり上参加してしまった新同盟軍のお城。トランでのお城となんとなく雰囲気は似ているけれど、あそこはあくまでも軍事拠点の趣だったのと違って、ここは街だ。人がたくさん暮らしている。お酒を飲む場もいろいろあって、ここはそのうちの一つ。なんとなく入ったら偶然ビクトールさんがいて、自然と相席することになった。
テンガアールはこういうところ好きじゃないけど、僕はいろんな話が聞けて嫌いじゃない。僕だって、お酒が入っていたほうがお話を聞くのもするのも楽だ。今だって、多分お酒が入っていないと聞けないような事を口にしたという自覚はあった。
ビクトールさんとフリックさん、昔は仲が悪かったというか、お互いにあんまり関心がなかったように思うけれど、今はちょっと様子が違う。
なんで帰らないのかな。単純な功績で言えば、誰にも文句は言われないだろうに。僕と違って。
「帰るって話があいつから出たことはねえなあ」
大きなジョッキをぐいぐい傾けるこの人も、雰囲気が変わったといえば変わっている。戦士の村に初めて来たときは、もう全身が凶器みたいにぴりぴりとしていた。それはきっとあの吸血鬼のせいなんだろうけど。
「功績の大きさに不満がある、ってわけじゃ無さそうじゃないですか」
「国を一つひっくり返して不足だってんなら、他になにすりゃいいかね」
まったくその通りだ。だから違うはずなんだ。
帰りたくないというより、帰れない理由。
ビクトールさんが笑う。いや、笑うように息を吐き出したが、眉を寄せて、まるで半分ぐらいは涙をこらえるような、そんな不思議な顔をして言った。
「あれは呪いに近いんだよ」
「呪い、ですか」
物騒な言葉を繰り返す。
酒場のざわめきはまるで波のよう。人の声とも思えぬまま、すべてが耳の上を上滑りしていく。その中で、ビクトールさんの声だけがただ、形をもってそこにある。
「お前なら分かるんじゃないか。もし、テンガアールが死んだとして」
ビクトールさんがジョッキを置く音がやたらと大きく響いた。テンガアールが死んでしまったら。考えるだけで胸が詰まる。目の奥が熱くなって喉が乾く感触がする。この旅の途中で彼女を失ったら、僕は一体どうなるだろう。
想像もつかない。その、想像もつかない事は、フリックさんの身の上に起こったことそのものだ。
「それで何か功績を立てたとして、村に帰る気になるか、って話だよ」
ただ、とビクトールさんは繰り返す。あれは呪いだ。
「オデッサを死なせなかった自分、なんて絶対に無理だ。過去は過去で、誰にも変えることは出来ない」
でもそれでも、テンガアールをまもれなかった自分を僕は責め続けるだろう。いつかその傷が癒えるなんて思えない。
ビクトールさんは一瞬だけ目を閉じ、深く深くため息をついた。頬杖をついて、目元を覆う。
「まあ俺に何が言えるわけでもなし……」
この人たちは昔、もっとお互いに無関心だったはずだ。それが変わったのは分かる。それはなんだかとても祝福されるべきことだと思う。フリックさんが剣に名前を付けるぐらい大事な人がいて、その人は失われてしまったけど、その事実に一緒に悲しんでくれる人がいる。
「戻るつもり、ないんですかね」
「なさそうだなあ」
俺としては、とビクトールさんは続けた。
「一旦帰っても、いいんじゃねえか、と思うんだがな」
いったん帰って、それでまた、いっしょに旅に出られればいい。随分甘ったるいお願いだなと思ったが、それは言わない事にした。僕だって、出来ればテンガアールともっといろいろなところに行ってみたいもの。それと同じお願いだ。