2025-07-05
シュウのところには猫がいる。大概来客相手に窓辺で目を細めているか、シュウの机の一角に丸まっている。シュウが書き物をやめたタイミングで待ってましたと起き上がり、空いた手に頬を擦りつける姿を時々見ることが出来る。
そう言うときの細めた目に満足げな喉を慣らす音、立ったしっぽが彼? 彼女の上機嫌を伝えてくる。シュウも猫に向ける視線はいつも穏やかで、猫が心労も多いこいつの助けになっているんなら何か言える奴がいるものか。
「じゃあ、手筈通りに進める」
「まかせた」
出入りする回数が多い自分達に対して、今更猫もシュウも遠慮がない。書類をもって退出するまで、シュウは猫をなでたまま、猫はシュウに頭を擦りつけるまま、俺のほうを一顧だにもしないのだ。
シュウの仕事は急ぐこともなく、明日から始めることにして今日はもう店じまいだ。レオナの所で夕食を取っていると、こちらも今日はそれほど忙しくもない店主が世間話を持ちかけてくるから、さっき見たことを適当に話した。
シュウは猫が好きで、猫もシュウが好き。相思相愛で何よりだ。
「あの軍師様がねえ」
「これもしかして言わないほうがいいやつか」
「まあ権威と言うかそう言うのは薄れるかもね」
レオナは笑う。
「親しみやすさは出るだろうけど、軍師様はそんなの望んでないだろ」
「それは、まあ、そうだろうな」
元々は単なる民間人だったと言うのがどう作用しているものか、悪く言えばシュウはとかく居丈高だ。知恵のある参謀、全てを見通す軍師様。人間味よりも他に見せたい部分があるというのは理解できる。
大変だよな。
それにしても、とレオナはなにかを撫でる仕草をした。
「猫、あたしも撫でたいもんだね」
「その辺にいないか?」
「いるけど、もっとこう、好いてくれてさ」
ちょっとわかる。シュウの猫も時々気まぐれに撫でさせてくれるが、別にすり寄ってくるわけではない。あくまでもシュウに対してだけ、動物特有の隠しもしない愛情表現をしてみせる。
馬も似ている。全幅の信頼は、寄せられるとやっぱりうれしいし、裏切れないよな。それは相手がなんであれ同じことだ。
ペンネを口に運びながら、レオナとどうという事もない世間話を続ける。猫がどこにいるだとか、常連の飼っている猫は気位が高くてあんまりなでさせてもらえないだとか、店員の猫は臆病で来客のときには姿をあらわさないだとか。
猫一つとってもレオナはいろんな事を知っている。
城内へつながる扉が開いて、見慣れた奴が顔を出した。もう風呂を使ったのか、手拭いを肩にかけ括られた髪もまだ湿気っているようだ。
約束もしていないのに、ビクトールは当然のように俺の隣に座った。
「なにか泥だらけにでもなることしてたのかい?」
「逆。一日中書類仕事でさあ、肩こっちまって」
暖まりたくて夕飯よりも先に風呂を使ったということか。おつかれ、と一瞬にして店主の顔に戻ったレオナが、いつもの酒をビクトールに差し出すと男は一息に飲み干す。
そのまま、甘えるように俺に寄りかかってきた。
「ちいせえ計算とかさあやってらんねえよ、なあお前だってそう思うだろ」
「お前まだ髪濡れてる。ちゃんと拭けよ」
「なあって」
水気を多分に含んだ髪と湯上りのまだ熱い肌を押し付けられて愉快であろうはずもない。押し返そうとしてもぐりぐりと力いっぱい押し付けられては、抵抗するのもバカらしくなるぐらい何にも出来ないのがまた腹立たしかった。
レオナが自分の酒をつくりながら肩をすくめた。
「猫というにはでかいね」
さっきまでの話を聞いていないビクトールは唐突な言葉に目を瞬かせた。それでも俺から離れようとはしない。暑い。
「こいつは人間なんだからさ」
離れろ、と押し返す。さっきと違って素直に離れたのは、俺の力が強いんじゃなくてビクトールがそうしようと思ったからだ。
「むやみにすり寄ってくんなと言いたい」
「話が見えねえ」
「動物の愛情表現の話だよ」
猫は気に入ったものを自分のものだと宣言するために顔をそれに擦りつける。人間は猫の言葉が分からないからそれを愛情だと定義しているだけだ。
人間に直接あてはめられる事ではない。それでいいはずがない。
ビクトールは少しだけ俺を見つめていたが、結局にんまりと笑うと今度は俺の肩に手を回した。引き寄せることをしないのは、それが行き過ぎだと知っているからに過ぎない。
ビクトールは俺のことが好きなのだな、と言葉に寄らず言われるとなんだか本当に困ってしまうと、どうしてこいつは理解しないんだろう。