肝試しに行ったら憧れの先輩とお浄めセッ!をしなくてはならなくなった話①やっぱりやめておけばよかった。
国内でも有名な国立大学三年生の江晚吟は目の前にそびえ立つおどろおどろしい雰囲気を纏う廃墟を、死んだ魚より澱んだ瞳で見つめ今本日何度目か分からない溜息をついた。
きっかけは、サークル活動中の友人の一言だった。
「夏だし肝試し行かね?」
馬鹿か?阿呆か?そんな前時代的な夏の楽しみ方に誰が賛同するもんか、の馬の字を口に出そうとした江晚吟の声を遮るように、周りにいた数人の男女がやだー!いいねいいね!えっこわーい!大丈夫、みんなで行けば怖くないよ~etcetc...
(これは、確実に行くことが決定する流れ…)
江晩吟は、自分に話の向きが飛んでくる前に、そっとこの場を離れてすべてを聞かなかったことにしたかった。
別に心霊スポットや肝試しが怖いわけではない。ただ、幼い頃から父、母、姉、義兄といった家族全員からきつく約束させられていることがある。
曰く、そういった所には近づいてはいけない。
幼い自分が何度「どうして?」と尋ねても、両親は難しい顔をして答えをはぐらかすだけだったし、長じてから同じように自分に言い聞かせるようになった姉や義兄も、困ったような顔をするだけで決して江晩吟に明確な答えを与えてはくれなかった。何かを隠されていることは感じていたし、自分だけその理由を知らされないことに除け者にされたような気もして寂しく思うこともあった。それでも家族の皆がそう言い聞かせる時、まっすぐに江晩吟の瞳を見つめるその瞳には純粋な心配の色しかなかったため、釈然としない思いを抱えながらも言いつけを破ることなく今日まで生きてきたのだ。
しかし、そんな感動的な江家の絆をここにいる連中に話したところで、「怖いの?」と馬鹿にされる未来しかないことは重々承知している。ならば、道連れにされる前に何も聞かなかったことにしてさっさと帰宅して動画検索サイトでころころ転がるかわいい子犬のチャンネルの過去動画を漁った方がよっぽど有意義である。江晩吟のプライドはチョモランマよりも高く、その舌鋒はマッターホルンよりも鋭い。今後の平穏な学生生活のためにも下手にかかわらずにおこうと、確かにそう決意したのだが。
ぎゅっ、とシャツの裾を掴まれた感触がし思わず身を竦める。自分のシャツを見ているこちらが可哀想に思うほど血の気の引いた手で握りしめていたのは、同学年の女子学生だった。普段は明るく勝ち気な性格な彼女が、真っ青な顔で逃してなるものかと江晚吟の裾を握りしめている。一応目線で「離せ」とは伝えてみたものの、返ってくるのは「死なば諸共」という固い決意である。ここで二人で「行かない」などと言い出せば、次の日にはカップル誕生のニュースが瞬く間に学内を駆け巡るだろう。それは非常に面倒臭い。そして、江晚吟は彼女に一つ借りがある。出席率が考査の重要な要素となる講義で、何度か代わりに出席票を提出してもらったことがある。小さな恩だが恩は恩。
はぁ…と小さくため息をついてから、盛り上がりつつあるメンバーに、今夜の集合時間と場所を尋ねたのだった。