【ヴェラン】「ランちゃん、ご本読んで」「ランちゃん、このごほん、よんで〜」
ヴェインはお家から一冊の本を手に持って、お隣のランスロットの元へ行った。白い手すりの階段をのぼり、部屋の扉を開くと、碧い瞳をまっすぐこちらへ向けているランスロットが笑顔で迎えてくれた。
「いいよ、ヴェイン」
ランスロットはベッドに腰掛け、分厚い本を読んでいたらしい。閉じた本を後ろへやると、隣をポンポンと叩いて、ここに座れと合図をくれた。
両腕にしっかり本を抱えて、床に散らかった物を避けながら走り寄る。
ランスロットの部屋は、いつも床に物が溢れていて、避けるのも大変だった。木剣を踏みそうになり、バランスを崩した拍子に、本を落としそうになってしまう。
「あぶない……!」
「だい、じょぶ!」
体勢を整え、本を持ち直した。
おばあちゃんが買ってくれたお気に入りの絵本だ。表紙に描かれているのは、紺色の夜空に鮮やかな黄色の丸いお月様。それから楽しそうな動物達が描かれている。
夜が更け、家の人が眠りに就くと、動物のぬいぐるみ達が起き出して、夜のお茶会を始める――そんなお話。
何度も何度も読んでもらったけれど、今日もまたランスロットに読んでもらいたい。
ランスロットはヴェインから絵本を受け取り、ペラリと表紙を捲っている。
その間に、「よいしょ、よいしょ……」とベッドへよじ登った。一度上に登ってから、ランスロットの隣へ並ぶ。
ふたりとも床に足が届かないので、一緒にプラプラ揺らした。
「ヴェインも、そろそろ文字を覚えないとな。パパが教えてくれるよ」
「んー……、またこんど!」
ヴェインは知っている。ランスロットは、自分と同じ年の頃には、すでに読み書きが出来ていたと。
「ランスロットちゃんはね、とても賢くて、本をいーっぱい読んでいるのよ。ヴェインちゃんと同じ年の頃には、こんな分厚い本を読んでいたわ」
そう言って、ママは親指と人差し指を思いっ切り広げてみせた。
お隣のランちゃんは、賢くて、走るのも村一番。何でも出来る優しい男の子だ。いつもヴェインと遊んでくれる。
「ふふっ、それじゃあ、今日は一緒に読むか」
「いっしょに?」
「うん」
頷くと、ランスロットは開いた本を枕の上へそっと置いた。ヴェインが大切にしている絵本を、ランスロットも大切に扱ってくれる。
そんなランスロットがヴェインは大好きだ。
ベッドの上へうつ伏せになったランスロットは、肘を付いて上半身を起こし、「ヴェイン」と呼んだ。またポンポンとシーツを叩く。
隣へ呼ばれたのが嬉しくて、勢いよく飛び込むと、ふたりの身体が少し弾んで、声を上げて笑い合う。
「あはは、あんまり跳ねると、落ちちゃうぞ!」
細い腕が伸びてきて、ヴェインの身体をぎゅっと抱え込んだ。
「あはははっ! おちたら、いたーい!」
バタバタ手足を動かして、はしゃぎながらランスロットの肩に自分の肩を押しつけた。そのまま肩を並べて、ふたりで絵本を読み始める。
「『ピカピカのお月様が お空にのぼったころ お家の住人は みんな夢の中です』」
ランスロットが音読する時の、優しい声が好きだ。一音、一音を丁寧に発声する声。思わずうっとりと聞き惚れていると、「ほら、ヴェイン。これが『ピカピカ』だぞ」と、指先が絵本の文字をなぞる。
「『ピカピカ』?」
「うん、『ピカピカ』……他にピカピカしてるもの、なーんだ?」
「うーんとね……、あっ! エレインおばさんがみがいた、おさら!」
昨日、ランスロットの母親がリビングで銀食器を磨いていた。まあるいお皿は、ピカピカに磨かれて、鏡みたいに綺麗だった。エレインおばさんは、「この食器で食べるタルトケーキが美味しいのよ〜!」と言いながら、時々銀食器を磨いている。
「せいかーい! でも昨日の夜、ベタベタ触ったら、汚れて、怒られた。指紋いっぱいついたからな……」
「え?」
ピカピカに磨かれた大切なお皿を、どうして触っちゃったんだろう……とヴェインは思ったけれど、ランスロットに反省の色はない。
「他には?」
「やおやの、おじさんのあたまが、ピカピカしてる!」
「……してる! 正解!」
おじさんは、「手入れをしているから、綺麗に光ってるだろう?」と頭を触らせてくれる。いつもおつかいでリンゴを買いに行くと、ひとつオマケしてくれるし、「お手伝いして偉いぞ!」と褒めてくれるのだ。
「他に『ピカピカ』あるか?」
「うんと……、あ、あのね……」
ヴェインの声が小さくなっていくと、ランスロットが耳を寄せてくる。秘密を打ち明けるように囁いた。
「ランちゃんのおめめ、ピカピカしてるの」
「おれ?」
ランスロットは首を傾げて、ヴェインを見つめてきた。大きな碧い瞳の中にピカピカと光が輝いて見える。
「光が反射してるのかな?」
不思議そうに呟くと、「ヴェインの瞳はいつもキラキラしてるな」と微笑んだ。
「『キラキラ』と『ピカピカ』はちがう?」
「ちょっと違う。雷はピカピカ、湖面はキラキラ」
「……? わかんない……」
雷は怖くて、あまり見たことがない。湖はランスロットとよく遊びに行く場所だ。
「うん、それはまた今度な! 絵本の続きを読むぞ〜! 『猫のぬいぐるみ ミイはぐぐっと体をのばすと たなの上から飛びおりました』」
「ぴょーん!」
ランスロットが文字を指でなぞっている上から、ヴェインは猫の絵を指先でなぞった。
「スタッって着地する。猫は着地が上手いから!」
「ランちゃんもじょうずだよね〜」
「ヴェインももっと大きくなったら、飛べるようになるよ。『ミイが飛びおりると それを合図に ロバのロイが おもちゃ箱から……』」
大きくなったら――今のヴェインには、自分が大きくなる想像は出来なかった。
今、隣で肩を並べているランスロットと、同じくらい背が伸びるのだろうか。
ランスロットのように速く走れるようになる?
想像は出来ないけれど、大きくなっても隣でランスロットが本を読んでくれるといいのに――優しく耳へ届く声を聞きながら、そう願っていた。
「ラ〜ンちゃん〜! 本読んで〜!」
「……いいけど、お前は時々、朗読をねだるな?」
久々に故郷へ帰省し、ランスロットの部屋に転がり込んだヴェインは、ベッドの上であぐらをかき、本を眺めていた年上の幼馴染みに一冊の本を差し出す。
誰も住まなくなった実家から、懐かしい絵本を持ち出してきた。
何度も何度も読んでもらい、もうヨレヨレになった表紙をランスロットの細い指先が大切そうに撫でる。
そしてベッドの上で身体の位置をずらすと、空いたスペースをポンポンと叩いた。
子供の頃から変わらない『隣においでの合図』だ。破顔して、空いたスペースへゴロンと寝転がった。
「急に狭いな」
「大きくなったよな〜、俺たち!」
「特にお前はな」
幼い頃、全く想像が出来なかったけれど、ヴェインの身体は随分大きく育ち、ランスロットの身長を少しだけ抜いた。
身体の厚みは倍以上になったかもしれない。
ランスロットの支えになりたくて、ランスロットが出来ないことを極めようとした結果だ。
速く走るのはランスロットに敵わなかったから、ランスロットより長く走ろうと体力をつけた。たくさん食べて、たくさん走って。気付いたら、ランスロットより大きくなっていた。
これならいざという時、ランスロットを背負って走れる。小さいままの自分ではなくて良かったと思う。
ランスロットは枕をクッション代わりにして、ベッドヘッドにもたれ掛かり、太腿の上で絵本を開いた。
その様子を見上げると、ランスロットの碧い瞳が輝いて見える。
『ピカピカしている』と思っていた煌めきは、ランスロットの想いの表れだ。
ヴェインにしか分からないらしいけれど、想いが強ければ強い程、煌めく瞳だった。
今、ランスロットは子供の頃を懐かしんでいるのだろう。
細い指先がゆっくりとページを捲り、子供の頃よりも低くなった声で、変わらず一音一音を丁寧に読み始めた。
「『ピカピカのお月様が お空にのぼったころ お家の住人は みんな夢の中です』」
優しく響く声に聞き惚れながら、シーツの上で身体の力を抜いた。なんだか眠ってしまいそうだ。
そう思っていると、細い指が伸びてきて、ヴェインの髪を撫でる。労うような指先は、ヴェインを癒やすつもりなのかもしれない。
騎士になり、お互い団長と副団長という立場になってから、ゆっくり過ごせるふたりの時間は限られている。
「『猫のぬいぐるみ ミイはぐぐっと体をのばすと たなの上から飛びおりました』」
「ぴょーん」
「……ぷはっ、毎回それを言うな?」
「いかにも『ぴょーん』って飛んでそうだろ〜。その猫の絵」
背中を丸め、高く飛んでいるぬいぐるみのイラストが、ヴェインは昔から好きなのだ。
「確かに。バネでも入ってそうだ」
「だろだろ〜!」
ランスロットが読み聞かせてくれる時、いつも途中で割り込んで、物語を止めてしまう。自分から「読んで」とせがんでいるのに、朗読の邪魔をしてしまう。
けれどいつだって、ランスロットは嫌な顔ひとつせず、ヴェインに付き合ってくれる。
ランスロットが本を読んでくれる時間が、ヴェインは一等好きだった。
「……俺さ、ランちゃんに本を読んでもらいたくて、字を覚えたくなかったんだよな」
何度も「そろそろヴェインも文字を覚えないと」と言われたけれど、覚えたくなかった。
ランスロットが二度と本を読んでくれなくなると思ったから。
ランスロットに本を読んでもらう時間は、ヴェインにとっては宝物だった。ずっと続いて欲しいかけがえのない時間。
誰からも好かれていたランスロットが、たったひとり、自分だけに時間を使ってくれる。
甘えん坊だと言われるかなと思っていたけれど、大人になった今なら、当時から自分に独占欲があったのだと分かる。
「ふふっ、気付いてたよ」
「うお〜、やっぱり?」
でも、そんな心配は無用だった。文字が読めるようになってからも、ランスロットは、ねだればいつでも本を読んでくれた。
こうして大人になった今も。
「ランちゃんが本を読んでくれる時の声が好き……」
「こほん、いちばんいい声だろ?」
「わはは! ランちゃんはいつでもカッコイイ声〜!」
ヴェインが褒めると、ランスロットの手のひらが髪の毛をわしゃわしゃと撫でてきた。照れ隠しなのかもしれない。
褒められ慣れているランスロットも、ヴェインの褒め言葉は素直に受け取ってくれる。
「好きなのは、声だけか?」
「いんや〜、全部! ランちゃんの全部が好きだぜ!」
髪に絡む指を取って、引き寄せる。手の甲にくちづけると、目元を染めたランスロットが、「俺もだよ」囁いた。
碧い瞳がピカピカと、伝えているのは恋だって、ヴェインだけが知っている。