ランちゃんを眠らせる話 ヴェインが三日間の視察から戻ると、騎士団の面々に、「ランスロット団長の様子を見てきて下さい!」と懇願された。
普段なら遠征や視察から戻れば、「ゆっくり休んで下さい」と言ってくれる団員達に休む間を与えられず、ヴェインは眉根を寄せながら、まっすぐに城の厨房へ向かった。
「ただいまー! リタさん、いるか〜?」
厨房を覗き声を掛けると、作業をしていた炊事婦たちが手を止め、次々に労いの言葉を掛けてくれる。よく厨房を借りているヴェインは、城の炊事婦達に人気があった。
「これ、視察に行った街で大人気の菓子。よかったら皆で食べてくれよな~!」
「ありがとうございます!」
「ヴェイン様が選ぶお菓子って、いつも美味しいわよね!」
「そうか〜? それなら吟味した甲斐があるな!」
他国へ行った時は、時間が許せば洋菓子店巡りをする。甘い物が好きな人の為に、祖国にはない珍しい菓子をつい探してしまうのだ。
今回もしっかり土産を手に戻ってきたけれど、甘い物好きの騎士団長はどうやら無理をし過ぎているようだ。
「おかえり、ヴェイン副団長! あらまあ、予想通りかい? 頼まれてたのは準備出来てるよ」
間もなく奥からふくよかな年配の女性が現れ、明るい声で言った。昔からの顔馴染みのリタだ。厨房を取り仕切っているリタとは、まだ騎士見習いだった頃からの付き合いで、料理好きなヴェインにいつも快く厨房を貸してくれる。
「ありがとー! リタさん! 助かるぜ! んじゃあ、ちょっと厨房借りるな」
今回、視察へ行く前に、「パイ生地を用意しておいて欲しい」と頼んでおいたのだ。そのパイ生地を使って手早くアップルパイを作る。
焼き上がるのを待ちながら、自分が居ない間のランスロットの食生活について聞き出し、先程より眉を顰めた。
予想していたより食堂に来ていなかった。
ヴェインが出立する直前まで、ランスロットは書類仕事に追われていた。騎士団長と執政官を兼任しているランスロットの仕事が絶えることはなく、優秀な彼の仕事は増える一方だ。
見送りに来てくれたランスロットへ「ランちゃん、飯は食えよ!」と言えば、「もう書類も片付くから、しっかり食べるよ」と微笑んでいた。
(目の下、クマさんくっきりだったからな〜)
ヴェインが城にいる間は、軽食を執務室へ運ぶことが出来るけれど、留守の間はランスロットの自主性が頼りだ。残念ながら、発揮されなかったらしい。
完成したアップルパイと紅茶を手に団長執務室へ向かい、ドアを叩く。
「ランちゃん、俺だけど、入ってもいいかー?」
三秒ほど間がある。
「……ヴェインか。今は、ちょっと……手が離せないな」
部屋の中から歯切れの悪い返事が聞こえたが、ヴェインは気にせず扉を開けた。
「ダメだって言ってもダメ~。入るぞ!」
「……もう入ってるじゃないか」
執務机の上へ乱雑に積み上がった書類の合間から、ランスロットが顔を覗かせる。
三日振りに見るランスロットは、相変わらず美しい整った顔をしていたが、表情には疲れが滲んでいた。目の下の隈がより酷い。
騎士団の面々が報告してくれた通り、この三日間、殆ど寝ていないのだろう。炊事婦たちの報告通り、食事もロクに取っていない。
せめてどちらかでも取ってくれれば良いのだが、増えていく書類に真面目なランスロットは手を抜かず、向き合ってしまう。
「ただいま、ランちゃん。報告がてら、ちょっと休憩しようぜ~」
「おかえり、ヴェイン。休憩はこの書類を片付けるまで待ってくれるか」
そう言ってランスロットは書類の束をヴェインに見せてくる。
「ダメダメ! 何分かかるんだよ、ソレ⁉ 少し休憩した方が捗るって。ランちゃんの脳には糖分が必要です!」
「……それもそうか。じゃあこの辺りに」
「置く場所ないから、こっち」
すかさずソファを指差した。執務机に向かったままでは、どうせ書類を片手に休憩する。それでは休憩とは言えない。
ヴェインは視線でランスロットを誘導した。
ランスロットは仕方ないなと、諦めた顔をして、ソファまでやってきた。付き合いが長いから、こんな時のヴェインが少しも譲らないと理解しているのだろう。
サイドテーブルに紅茶とアップルパイを置いてソファに腰掛けたヴェインは、強引にランスロットの腕を掴み、自分の膝の上へ座らせる。
軽いランスロットは容易く思い通りになった。
「こら、ヴェイン。何でお前の膝の上なんだよ」
彼は抵抗もせず、呆れた顔でヴェインを見つめる。
真っ直ぐに向けられたいつもは澄んだ湖面のような瞳が、赤く充血しているのが分かった。
一体、どれだけ睡眠時間を削っているのか。
指を伸ばし、目尻を撫でると、ランスロットはハッとして顔を背けた。
「今日はランちゃんを甘やかす日です! 俺がいない間、ランちゃんが滅茶苦茶頑張ってたって聞いたからな! ランちゃん、本当は今、腕も動かしたくないだろ~? 俺がアーンってしてやるからな!」
「何で俺が甘やかされるんだ……。視察に行っていたお前の方こそ甘やかされるべきだろう?」
身じろぎ、ヴェインの膝の上から下りようとする身体へ腕を回し、引き寄せる。
「俺はランちゃんに『アーン』したら、癒やされるからいいの!」
有無を言わせず、細い身体を横抱きにして、完全に自分の太腿の上に載せると、溜め息を吐くランスロットの顔をのぞき込んだ。
昔から変わらずに整った顔がすぐ近くにあって、思わず見惚れそうになる。
肌理の細かい白い肌や、蒼い瞳が綺麗だと思うけれど、その肌や、瞳も普段より疲れが滲んでいた。けれど、憂いが滲んだ姿に胸を高鳴らせる輩もいるかもしれない。ランスロットの美しさは、損なわれないから。
「……ランちゃん、眉間にシワ寄ってるぞ」
「お前が膝に載せるからだろう」
「ウソウソ。縦ジワが跡になってる」
ヴェインが指先でランスロットの眉間のシワを伸ばすと、彼は予想外だったらしく、可笑しそうに笑った。
「ずーっと書類とにらめっこしてたんだろ~。シワ取れなくなったらどうするんだ」
「貫禄が出るんじゃないか?」
「もー、こんなことで貫禄つけてどぉするんだよ。――なんか、ランちゃん、痩せた?」
支えている腰回りが心なしかいつもより細く感じて、サワサワと撫でてしまう。
「あ、コラ! 腰掴むな!」
「んー、やっぱり痩せたな。ちゃんと食べなきゃ駄目だろ? 食べるって約束したじゃん」
「……食べてるぞ」
ヴェインが覗き込むと、ランスロットはフイと視線を逸らせた。先程から、都合が悪いと視線を逸らす。寝ていない、食べてないと白状しているようなものだ。
「……お前のアップルパイ、食べさせてくれるんだろう?」
「ん、そうだそうだ」
話を誤魔化されたと分かっていながら、ランスロットの口に食べ物を入れるのが先だと、誤魔化されることにする。
フォークで焼き立てのアップルパイを一口サイズにカットして、ランスロットの口元に運んだ。
「はい、ランちゃん。アーン」
「う……っ、本当にやるのか?」
「あたぼうよ。ほら、アーンして」
ランスロットは渋々薄い唇を開いて、アップルパイを口にする。サクっと生地を噛む音が小さく聞こえた。
「どうだ? 新鮮なリンゴで作ったんだぜ! 旨いだろ~?」
帰城する途中で、仲のいい街の住人からりんごを持たされた。採れたてで艶々のりんごは、蜜もたっぷり入っていて、見るからに美味しそうだった。
美味しくできたと自信があったけれど、ランスロットは咀嚼しながら眉を顰めている。
「あれっ 不味かったか?」
「……いや、これ、お前が作ったのか? なんか、いつもと違う……。あ、でも旨いぞ?」
ヴェインも慌てて、アップルパイを口にする。いつもとたいして変わらない気がする。
「えー? いつも通り……あっ?」
「どうした?」
「いや……、ランちゃんの舌すげえな?」
今日はパイ生地をリタに作ってもらったのだ。レシピはいつもヴェインが作っている通りにしてもらったのだが、生地を捏ねる力加減などが違い、味に差が出たのだろうか。けれど、ヴェインには分からない。
その事を話すと、ランスロットは「俺がお前の味を間違えるはずない」と得意気な顔をした。
(これで得意になっちゃうの)
なんの自慢にもならないだろうに。
自分の味を覚えてくれているランスロットに、なんだか心があたたかくなってしまう。長年、ランスロットに食べてきてもらった証しだ。
(いやいや、ほっこりしてたらダメだろ!)
ランスロットの胃に食べ物を入れる任務を遂行中なのだから。
「でも今日はこれ食べてくれよな、ランちゃん! 次は一から俺が作るし」
そう言って、ランスロットの口へアップルパイを運ぶ。空腹ではあったのだろう。その後は大人しく運ばれるままに食べてくれた。
紅茶も飲んで、満足そうにしている。
(次は睡眠取ってもらわないとな!)
「お茶、おかわりもあるぞ?」
「うん、お前のブレンドティーはいつも通り美味い。この紅茶に合うベイクドチーズケーキが食べたいな、久しぶりにさ」
お茶でほっとしたのか、ランスロットはヴェインの肩へ寄りかかってきた。
身体が温まり、ヴェインが傍にいるので気も緩んできたのだろう。心なしか瞼も下がってきている。
眠りの手が伸びてきて、ランスロットを誘い込もうとしているのを邪魔しないよう静かな声でヴェインは話し掛けた。
「いいぜ。ランちゃんがいい子に飯を食ったら、作ってやる」
「う……、食べてるって」
「嘘ばっかり。証拠は上がってるからな〜」
彼はヴェインに凭れたまま、瞼を閉じた。こうなれば、睡魔には抗えないだろう。
「……お前の、飯が……食いたい」
「うん、今夜作ってやるよ」
「ぜった……い、だぞ……。その為に……」
そこでランスロットの言葉は途切れ、深い呼吸音へ変わっていった。
すうすうと小さくて安らかな寝息を暫く聞いてから、そっと細い身体をソファーへ横たえる。
一時間程したら起こしてやろうと思いながら、ブランケットを掛けた。ランスロットは気付く様子もなく、赤い唇を少し開いて眠っている。
(血色も良くなったかな?)
手のひらを伸ばし、前髪に触れても、気付かない。
「おやすみ」
額にキスをしても、やっぱり目覚めなかった。ヴェインの傍で眠る時、いつだってランスロットの眠りは深い。
それは信頼の証しだ。
名残惜しく思いながら、傍を離れ、執務机へ向かった。机上に重なった書類へ目を通しながら、分類していく。
ランスロットしか処理出来ないものは机上に残し、副団長で用が済むものは自分が引き受ける。
(ランちゃん……)
眠りに落ちる直前、「その為に……」と言い掛けていた。
「俺と飯を食う為に、お仕事頑張ったのか〜? なんてな〜、わはは!」
自分と過ごす時間を確保する為に頑張っていたなんて、都合のいい解釈だろう。
そうだといいなという思いと、そんなことで無理をしないで欲しいという思いがせめぎ合った。
ランスロットが無理をする必要はない。
自分は子供の頃からずっと、何よりランスロットの願いを叶えたいと思っているのだから。
ランスロットの願いなら、どんな小さなことも、無茶なことも全て叶えたい。
「うっし! ランスロットが無理しなくて済むように、俺が成長しねえとな!」
そう呟いて、ランスロットに視線を向ければ、すっかり眉間の皴が無くなった彼の寝顔が見えて、ヴェインも微笑みを浮かべるのだった。