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    Jeff

    @kerley77173824

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    Jeff

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    彼の聖域、小さな書室。
    情動理論的迷宮に片足をつっこむヒュンと、面倒くさくてもとりあえず聞いてくれるラーとの、ある日の夕暮れの会話。
    ふたたび旅立つ前、まだ王宮住まいの二人。(個人の妄想です)

    #ラーヒュン
    rahun
    #ラーハルト
    rahalto.
    #ヒュンケル
    hewlett-packard

    Sanctum 王宮の巨大な図書館は、お気に入りの隠れ場所だった。
     誰も読めなかった古代の魔導書も、真偽不明な歴史書も、ヒュンケルにとっては宝の山だ。しかも、滅多に人と会わないで済む。
     修行と称して身体を苛め抜く時間が否応なく減ってしまった今、同程度の熱意を傾けて頭脳を酷使できる場所が見つかった。
     これでだいぶ生活のバランスが取れるようになった、と本人は納得している。
     しかし、何日も書庫に籠るヒュンケルを見かねたのか(あるいは単に目の届く範囲に引っ張り出したかったのか)、女王の指示で書斎をあてがってくれることになった。
     久しく使われていなかった楽団の物置。彼専用の読書室に改造せよ、という、大掃除も兼ねた指令だ。
     ヒュンケルはその作業に、文字通り夢中になった。自室を与えられた時、なんの装飾にも興味を示さなかったのとは雲泥の差だ。
     ラーハルトに手伝わせて、何日もかかって積もり積もった埃と蜘蛛の巣を払いのけた。書棚を持ち込み、濁ったガラス窓を丹念に磨いて、シンプルな麻のカーテンを取り付けた。
     廃棄予定の古い食卓を貰い受けて中心に設置し、師から贈られた菫色のランプを慎重に乗せて、ぴかぴかに磨き上げた。
     椅子だけはやたらに贅沢で、小さな宝玉と王家の紋章まで付いている。腰痛持ちの財務大臣から不用品として貰い受けたのだが、座り心地は申し分ない。
     立たない譜面台やゆるんだ弓、空っぽのケースなどのがらくたの奥には、古いカウチ・ソファが埋もれていた。王宮仕えの家具職人が深紅のビロードを張り直してくれたので、今では新品のように輝いている。当初、こんな優雅なものは、と固辞したヒュンケルだったが、仮眠を取るのに重宝している。
     図書館から移す書籍のリストと、街の古書愛好家から買い取るための予算申告書を作成している時など、こらえきれない喜びに頬が引き攣っていた――と、有無を言わさず働かされたラーハルトは、ぶすっとしながら女王に報告した。
     
     
     
     そんなわけで最近、公務を終えた陸戦騎は、まずヒュンケルの部屋ではなく書斎の方へ顔を出すことにしている。彼の相棒は、そこで見つかる確率が高いからだ。
     その点、女王は正しかった。あの広大で湿った書庫に逃げ込まれるよりは、陽の光と、そして自分の目の届く場所にいて欲しいではないか。
     文字に溺れて何が楽しいのか、ラーハルトには皆目見当がつかない。しかし、そうすることで彼が自分を保っているらしいことは、何となく感づいている。
     つらつら考えながらノックもせずに戸を開き、ぎょっとした。
     今日はどうも様子が違う。
     普段は整然と書棚に収まっている、理解不能な多量の書物が、うず高く積み上がっている。褪せたステンドグラスを抜けてくる午後の陽射しが、乱立する本の狭間で散乱し、何やら神々しい。
     古書から立ち上る埃の粒が、厳かにきらめいている。
    「なんだ、この散らかりようは」
     山々のむこうに埋もれているであろうヒュンケルに声をかけると、少しむせながら返事があった。
     不安定に積まれたタワーを崩さないように注意深く回り込むと、重装歩兵の盾くらい大きな辞書を前に、相棒が呆然と腕を組んでいる。
    「調べ物があって」
     聞かれる前に、ヒュンケルがぽつりと言う。
    「また、翻訳の依頼か。もうその仕事で食っていけるんじゃないか」
     傍らには、書類置き場と化した小さな椅子。ラーハルトは物を退けてからその座面をまたぎ、背もたれに腕を乗せてどっかりと腰かけた。
     急な来客や生徒のための簡素な椅子だが、もっぱらラーハルトが使っている。
     特に目的もなく書斎に侵入し、淡い光の中で書に没頭するヒュンケルの横顔を観賞するのが、ラーハルトの夕暮れの過ごし方だ。
     時には淹れたての茶や、道中押し付けられた砂糖菓子や、かご一杯の木苺を持ち込んで口に入れながら、相棒が満足して本を閉じるまで待ち続ける。時には気まぐれに、うすく開いた彼の唇にも、赤い果実を押し込んでやる。
     ヒュンケルも特に何も言わず、ラーハルトのしたいようにさせている。
    「ああ、そうだったんだが。訳しがたい単語があってな」
     文字から目を離さずに、ヒュンケルが呟く。
    「気になって仕方がない」
    いにしえの魔族や、モンスターの言葉か?」
    「そのようなものだ。ある種の血統のモンスターが頻繁に使うが、古代竜族の言語に由来する独特な文化背景がある」
     ヒュンケルは肘掛け椅子の背にもたれて、下唇を少し摘まんだ。記憶をたどっているときに、時々見せる癖。
    「感情とは、想いとは、興味深いものだ。普遍的かと思いきや、その表出は各々の言語体系、種族、社会に大きく影響される。体に染み込んでいたはずのその単語が、ある異なった環境ではもろくも抜け落ちてしまい、幻のように儚く、捉えがたい――」
    「わかるように言え。結局、なんて言葉なんだそれは」
     ヒュンケルは眉根を寄せると、奥歯でクルミを割ったような奇妙な音を立てた。
    「……の、ような意味だ」
    「? なに?」
    「もしくは」
     今度は、喉の奥でノコギリを引いているような音。
    「……などが、類語に当たる。心当たりはないか?」
    「ない。一体全体、なに語だ」
     あっけにとられてラーハルトが聞き返す。
     半分魔族である彼だが、忠誠を誓った師であり心の父である『竜の騎士』が、生きとし生けるもの全ての規範だ。師と同等の言語を操るモンスターとしか、会話したことがない。
     こんな発音が可能な声帯は持ち合わせていないし、普通はどんな人間にだって、ない。
     ヒュンケルが怪物モンスターたちに育てられたという事実は知っているが、そもそも無口な彼のこと、彼らと同じ言語でおしゃべりしている場面は見たことがなかった。
     ヒュンケルは腕を組みなおして、
    「俺にもわからん。子供の頃には、自然に喋っていた記憶があるんだが。少なくともいくつかの表現は、ヒトの言葉には同じ意味の単語が無いんだ。例をあげれば、多分お前も知っているだろうが、翼竜の一種は、飛翔を意味する三十一個もの動詞を操る」
    「知らん」
    「またスライム属は一般に、愉快さに関する表現が人間や魔族よりも豊富らしい。ただし分類が複雑すぎて、解析は進んでいない」
    「そんな理解、何の役に立つ?」
     ヒュンケルは考え込みながら、また軽く唇に爪を立てた。薄桃色の肉がぷくりと色づいては形を変える。ラーハルトはそのみずみずしい蠢きを、飽きもせずに見つめている。
    「……必要だ。言語は思考の精度を向上させる」
    「と言うと?」
    「ある時期、俺の中にあったのは『復讐』の二文字だった。憎しみ、だ。本当は複雑ででこぼこな思念を、真っ黒で簡単な言葉ひとつに押し込めた」
     ラーハルトはヒュンケルの瞳に視線を移すが、特に感情は読み取れなかった。淡々と分析を続ける、科学者の目だ。
    「絶望。執着。耽溺。恐怖。責任転嫁。自己憐憫。過大評価。破壊衝動」
     そう言って、少し言葉を切る。
    「憧れ。郷愁。期待。温かい思い出。渇望。愛情。ほんのわずかな、希望。……本当は幾多の感情が積み上がっていたのに、あえて目を背け、おのおのに名前を付けることを拒否したんだ。
     言葉とは、自己の魂を透見する眼鏡レンズそのものだ。磨いていなければ、容易に本質を見誤る。真っ暗な霧の中で目を閉じているというのに、それにすら気が付かないで、ただがむしゃらに進んでしまう。どこに向かっているのかも知らずに、だ」
    「わかるようなわからんような。俺はそんな理由で迷ったことは無い」
     切り捨てるラーハルトに、ヒュンケルはふふふと軽く笑った。
    「とにかく、解説はもういい。問題の単語は、どんな意味合いなんだ」
    「たとえば」
     ヒュンケルはじっとラーハルトを見た。
    「朝、お前がそっと寝台から降りる。空は晴れ渡り、セキレイが鳴いている。美しく、のどかな休日の始まりだ。手を伸ばせば届くところにいるだろうと思ってしばらく眠気と戦って、ようやく起き上がると、部屋にお前の姿が無い」
     ラーハルトは意味をはかりかねて、とりあえず頬杖をつく。
    「きっと何か用事があるのだろう、いずれ戻ってきて、また一緒に時間を過ごすことができるだろう。当然だ、昨日もその前も、ずっとそうだったのだから。だが俺は朝食を用意しながら――昨日の残りのスープに硬いパンを浸しながら――ふと疑念を抱く。
     世界はこの上なく穏やかで、光に満ちていて、俺は今まで生きてきた中で、おそらく最高に幸せだ。こんな幸福が、一年後、数か月後、いや、明日、今この瞬間にでも、崩れ去ることがないと言えるだろうか? なにか非情な運命の力が既に鎌首をもたげていて、背後から一撃を食らわせようとしているのではないだろうか?
     根拠のない心配事だ。しかし心の奥底に、さざ波のように寄せては返す。昼過ぎまで本を読んで過ごす。昼下がりには森を散歩して、木の実を集める。夕方には収穫物を王宮の台所キッチンに預けて、お返しに蜂蜜とパンを貰う。夜になってまた本を開く。そして、一文字も読めない事に気づく」
     ヒュンケルは抑揚のない声で語りながら、無意識に分厚い古書の文字列をなぞる。
    「自分でも理解しがたい、焦燥と混乱。今すぐにでも顔が見たい、その肌に触れたいと、洪水のように想いが溢れてくる。そして思わず立ち上がった時に、肩に手が触れる。振り返って、お前が帰ってきたことを知る」
     最後は、聞き取れないくらいか細い声だった。
     そして顔を上げ、きっぱりと、
    「そういう時に、使う言葉だ」
     と言った。
     ラーハルトは何と返していいかわからず、肩をすくめる。
    「な、俺たちの言語にうまい表現が無いだろう?」
     と、ヒュンケルも両手を上げる。
    「本当にそんな、まどろっこしい形容詞が存在するのか?」
     ラーハルトが横から本を覗き込む。
    「逆だろう。言葉がまどろっこしいわけではないぞ。言語はあくまで合理的だ。それが纏う色彩の方が多重なんだ。おまえが好きな『卑怯』という単語を思い浮かべてみろ」
    「誰が好きだと言った」
    「今その文字が消え去ったら、どうやってそれを伝える」
     ラーハルトは宙を仰ぐ。
    「正々堂々戦う相手に人質を取ってまで勝利しようとするような行動に代表される、成功至上主義の人物が敬意と礼節エレガンスを捨てて目標を達成しようとするときに見られる、特に決闘のような場面においては許容しがたい卑小な醜さ、しかしながらそういった人物の脳内の戦場においては容認されうる態度のことだ。……長いな」
    「だろう。大変なんだ。しかもそれは、お前という個人にとっての定義だ。ある者にとってある言葉がある概念を指し示すまでには、特定の集団が幾百年の社会的体験を共有せねばならない、しかも――」
    「わかった。大変なのはわかった。それで、その単語はどこだ」と、ラーハルトが遮る。
    「ここにある。ほら、見ろ」
     と、ヒュンケルが翻訳中の原文を指さすが、そもそも、前後の文脈も理解できなかった。古代の魔界語だろう、文法が難解すぎる。
    「俺にはお手上げだ。……待てよ、人語で話すモンスターたちに聞いてみれば良いのではないか」
    「そうだな、俺も考えていた。デルムリン島に出向くか……あ、」
     と、突然ヒュンケルが立ち上がった。
     窓に駆け寄ると、古めかしいステンドグラスを押し開け、空を見上げる。
    「?」
    「ラーハルト、聞こえたか」
     興奮気味に振り返ると、城の屋根を指さした。
    「やはり、まだ現役の表現だ。彼らが歌っている」
     夕空に舞うのは、雄々しいガルーダのカップルだ。戦闘時の咆哮とはだいぶ異なる、横笛フルートみたいな声で呼び合っている。
    「だから、どう発音するんだ、それは。いい加減教えろ」
     ヒュンケルは俯いて、困ったように唇を湿らせる。
     散々迷った挙句、やっと準備ができたのか、壁の方を向いて二、三度瞬きする。
     そして、細く短い、さえずりのような音を立てた。清流に遊ぶカワセミに似た、涼やかな、転がる水滴のような音色。
    「という、単語だ」
     言ってしまってから後悔して、顔を背ける。
    「……自分で言うのは、恥ずかしいな」
     ラーハルトは勿体ぶって窓辺に歩み寄り、硬直したヒュンケルの肩に柔らかく触れた。
     びくりと震えた彼の顎を捉えて、真っ直ぐに紫の瞳を覗き込む。
    「もう一度」
     耳まで真っ赤になったヒュンケルが、きつく唇を噛む。親指でゆるやかに頬を撫でて促すと、おずおずと口を緩めた。
     そして、魔法の言葉をもう一度、呟いた。
     真剣な表情に、ラーハルトは思わず相好を崩して、
    「さっぱりわからん」
     と、意地悪く答える。
     言わせておいて、何を。と眉を吊り上げたヒュンケルの抗議を待たずに、その不可思議なる唇に口づけた。
     指先で弄んでいたためふっくら湿った粘膜を、切歯で軽く食み、舌先でなぞり、断続的に吸い付いて堪能する。
     堅苦しい理屈で頭がいっぱいの元戦士とは思えない、柔らかく甘い、その臓器。
     「――確かに、不可欠だ」
     吐息を味わい尽くしてから唇を放してやり、敏感な耳朶に嗄れ声を注ぐ。
     「お前の多彩で繊細な心を描き出すために、いったいいくつの絵具ことばが要るのだろうな」
     ――だが俺は、言い表せない幻を追い求めたりはしない。目の前にある現実が全てだ。
     この瞬間を刻み付けるために、言葉よりも良い方法を使わせてもらう。
     そう言うと、ヒュンケルはクスクス笑った。
    「……だから、お前が好きなんだ」
     めずらしく直球の告白に、ラーハルトは不覚にも戸惑いを見せる。ヒュンケルは悪戯っぽくくるりと瞳を回すと、後ろ手にぱたりと大窓を閉めた。
     
     夕闇に覆われる王都上空を、二羽の猛禽が寄り添って旋回する。優雅に滑空しながら、森の奥へと飛び去っていく。
     太古より変わらぬ愛の歌の名残が、かすかにその飛影に響いている。
     いずれ消えゆく小さな言葉が、今はまだ、その意味を失わぬままに。
     
     
     
     
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    asamag108

    MAIKING魔界旅中のダ様とラー。CPではない、と思っている。
    話にあんまり絡んでないけどダインさんも一緒に旅してる。
    「ラーハルト、これ読める?」
    魔界の旅の途中、主君に差し出されたものは手書きのメモであるようだった。
    魔物ばかりの島で育った主君――ダイが読み書きを苦手としていることは聞き知っている。本人曰く、勉強して簡単な本くらいなら読めるようになったということだったが、何か彼の知らない難しい言葉でも出てきたのだろうか。
    そう思ってメモを受け取り、ラーハルトは眉を寄せた。
    一文字目から、ラーハルトにも見慣れない字が連なっていた。
    全体を眺めればいくつかは知っている文字が現れて、それが魔族の文字で書かれたものだということに気付く。
    一体どこでこんなものを、と思うと同時、その思考を読んだようなタイミングでダイが口を開いた。
    「旅に出る前にヒュンケルから『魔界で役に立つかもしれない情報を纏めておいた』って渡されたんだ。もしも落としたりした時に面倒があるといけないから魔族の文字で書いたって言われたんだけど……おれ、人間の字はちょっと読めるようになったけど、魔族の文字なんて全然分かんなくて。さっきクロコダインに聞いてみたけど、読めないって困った顔されちゃったんだ」
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