「麻里、僕老けたかも」
「ブーーッ!」
洗面台から聞こえてきた兄の言葉に私は思わず吹き出した。
「なに!いきなり!どうしたの!?」
「いや、何か白髪が生えてきたみたいで」
やって来た兄が頭を指差しながら言う。髪の一部にメッシュが入ったように白くなっていた。
「えぇ?染めたんじゃなくて?」
「違うよ、朝起きたらこうなっててさ・・・」
「へー・・・でもまだ若いんだし大丈夫じゃない?」
「そうかなぁ、とりあえずシャワー浴びてくるね」
「はーい」
兄が浴室へ向かうと、私は朝食を食べ進めて高校に行く準備をした。それから何事もなく授業を終え、家に帰ろうとしたところで異変が起きた。後ろから誰かが近づいてくる気配がして振り替えるが誰もいなかった。気のせいと思って歩き出すと、足元に影が見えた。道上には何もなく、それは魚のようにゆらゆらと泳ぐように蠢いて、私の周りを泳ぎながら、黒い目でこちらを睨んでいた。その目はじっと見つめると吸い込まれそうなくらい暗く深く、恐ろしくて目を逸らすことができなかった。しばらくすると、それの姿は消えていて、周りを見渡しても何もなかった。
あれは何だったんだろうか。家に帰ってからもずっと頭から離れず、その夜はなかなか寝れなかった。翌日になっても忘れられずモヤモヤとしていたが
「そういや昨日、魚みたいな影見たんだよね」
「魚?」
「うん、こうヒラヒラと泳いでいるみたいに」
「それ・・・私も、見た」
「麻里も?」
「昨日、学校の帰りで」
「それ」
兄はいきなり立ち上がると私の目の前に近づいた。何か気に触ることでも言ってしまったのだろうか
「早く言ってよ~もう~」
前に見たCMの真似をしながらふざける兄を見て少し安心した。
「麻里もあのでっかい魚みたいなの見たのか~」
「大きかったけど、怖くはなかったよ。それにあれはきっと幻だもん。だってあんなもの現実にいるわけないじゃん」
「確かにそうだね。今日めんどくさいからピザ取るわ」
「じゃあ照り焼きチキンの乗ったでっかいやつ!」
「今日はでっかいやつでもいっぱい乗ったやつでも何でも頼んじゃうからね~」
「やったー!!」
その後いつも通りお風呂に入って、夜ご飯までゲームをして過ごした。それから数日後の夜のことだった。私はベッドの上で横になっていた。しかし眠れずにいた。あの魚の影のことが頭から離れてくれないのだ。しかも日にちが経つにつれて鮮明に思い出すようになっていた。これは良くないと思い、リビングへ向かった。そこには兄とKKさんが何か話していた。
「あ、麻里」
「ちょうど良かったな」
「何かあったんですか?」
「暁人が魚の影を見たって連絡があったんだが、実のとこ俺も見たんだ。絵梨佳もだ」
「目撃者がいるならこれはリアルか・・・」
「お前危機感ってのを持った方がいいぞ」
「なんで?」
「おい麻里、お前の兄貴はいつからこうなんだ?」
「記憶失くしてから」
お兄ちゃんがふわふわしているのは記憶喪失になってからだ。それ以降しっかりと目を見張らせとかないと、離した隙にどっかに行っちゃいそうで心配になる。
「いっそ迷子防止のハーネスを繋いだ方が楽かも知れんな」
「それいいですね!採用します!」
「そんなことしたら僕犬じゃないですか」
「似たようなものだろ」
「ひどいなぁ・・・」
「首輪着けときます?」
「完全に犬じゃないですかやだー!」
****
魚の影が道路をまた泳いでいる。僕はあれを見ると何かを忘れているような気がしてならない。ただそれが何なのか全く分からないし、そもそも事故で記憶喪失になって全部抜け落ちているはずなのに。あれを見る度にどんどん増えていく。最近魚を見ていると胸が苦しくなる。だからなるべく見ないようにしているのだが、どうしても視界に入る。魚は相変わらずゆらゆらと泳いでいて、まるで僕を呼んでいるように
「お兄ちゃん!鍋吹き溢れてるよ!!」
「あ!熱っ!」
パスタを茹でていたことを忘れていた。慌てて火を止めるが、吹き溢れたお湯が手にかかり、水で冷やすが火傷してしまったようだ。
「あ~」
「大丈夫?冷やすもの持って来るね」
魚の事が頭から離れなくてボーッとしていたせいだ。何やってるんだろう。魚が僕のことを呼んでいて、それを見ていると何かを思い出しそうになる。でも思い出せない。大切な事だったと思うんだけど。
「はい、これ使って」
「ありがと」
タオルを濡らしてもらって患部に当てる。
「危機感持った方がいいよ」
「え?そう?」
「うん、この間もぼんやりし過ぎて危なかったじゃん」
「ごめんなさい」
「あと、ちょっと痩せたよね。この前より細くなってない?」
「そう?」
麻里が僕の横腹に手を当てて確かめてくる。
「ほらやっぱり」
「そうかなぁ、自分ではよく分かんないや」
「気をつけないとダメだよ」
「はい」
「よろしい」
「あはは」
「もう~!」
麻里は頬っぺを膨らませながら怒っている。かわいい。パスタを湯切りしてから炒めた野菜と絡めて仕上げをする。完成したところで二人で食卓を囲む。
「いただきま~す」
「いただきます」
今日の夕飯はトマトソースのスパゲッティ。さっぱりしていて美味しかった。
「あ、麻里って料理できたっけ?」
「記憶失う前は殆どお兄ちゃんがやってたよ、てかそれで思い出したけど!!」
「何が?」
「前にお兄ちゃんが作った創作料理で気絶したんだから!」
「そうだっけ?」
たしかあの時、適当に白菜とグレープフルーツを合わせてミキサーに入れてジュースにしたはずだ。あのときは確か味見をした麻里とKKが倒れてしまったのだ。今思えばあれは一体何を作ろうとしたんだろうか。
「あの時は大変だったんだよ~」
「そうだったのか、ごめんね」
「もう~次からは絶対やめてよね」
「はい」
「よろしい」
「あれ?ここどこだ?」
「どっから入ってきたんだ?」
般若のお面を着けた男に肩を掴まれた。