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    zeppei27

    @zeppei27

    カダツ(@zeppei27)のポイポイ!そのとき好きなものを思うままに書いた小説を載せています。
    過去ジャンルなど含めた全作品はこちらをご覧ください。
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    zeppei27

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    企画1本目、ハレさんよりいただいたご指名の桂さんで、『ネクタイいじり』です。洋装がある人に当たったピッタリ具合にニコニコしました。靴紐結びも良い~ですが、命の危険性があるネクタイが一番好きです。蝶ネクタイ以外も色々おしゃれを楽しむ姿を……見たいよ!
     ネクタイが前からではなく後ろからしているのも込みで趣味です。
     リクエストありがとうございました!

    #小説
    novel
    #RONIN
    #桂小五郎
    katsuraKogoro
    #桂主桂
    #隠し刀

    戯れ 朝の支度は煩わしい。新政府が立ち上がってからというもの、ただでさえ目まぐるしい職務の始まりに、桂小五郎もとい木戸孝允は今日も翻弄されていた。顔を洗って寝間着を脱ぐ。ここまでは宜しい。
     しかし、幼少期から慣れ親しんだ旧時代を置いてしまうと、途端に心もとなくなる。シャツ、靴下止めに靴下、ズボン、ズボン吊り、ベスト、ああ全くどうしてこんなにも身に着けるものが多いのだろう。小道具まで揃えると煩わしさは頂点に達する。
    「おはよう。どうだ、順調か」
    「おはよう。わかるだろう?恥ずかしながらこの体たらくだ」
    するりと入り込んだ声に自室の戸口を見れば、苦楽を共にした隠し刀が顔を覗かせていた。昨晩まで同じ褥に入って暴れまわったというのに、方や前途多難、方や完璧に身なりを整えているとはどういうことだろう。思えば情人は、奇兵隊の影響を受けて出会って早々に洋装に切り替えていた。おまけに手先がひどく器用で、小五郎はしばしば髪結いなども手伝ってもらったものである。
     隠し刀は「何かできれば食いっぱぐれはしないから」、などと謙遜していたが、後に小五郎と接触する機会を増やそうと練習を重ねた成果なのだと坂本龍馬から聞いた。あの時は自分の耳が信じられず興奮して、ふわふわして――最後に龍馬に深く嫉妬した。まだ互いの気持ちを確かめる前ではあったものの、既に我が物のような大それた欲が胸に育っていたのである。
    「鏡を見ながらやってみたか?」
    「もちろんそうしたさ。お陰で昨晩の記憶がはっきり思い出せたよ」
    「……それは今おさらいしたいという意味か?」
    くすりと笑って情人が意味ありげな眼差しをこちらに向ける。自分を欲する光を目の当たりにして、小五郎は背筋を震わせた。
    「残念だけれども、政策討論会に行かなければね。流石に欠席はできないよ」
    恨めし気な目に、ちょっとした復讐を果たした暗い喜びが胸の内に広がる。これで、情人は自分のことを今日一日忘れまい。もちろん、自分もなのだが。
     苦心してしわくちゃになりかけた蝶ネクタイを渡すと、隠し刀は生地を傷めぬように直した。そんな丁寧な手つきを見たらば、無機物さえ羨ましくなってしまう。やはり自分の方が、相手に対する欲が強いのかもしれない。
    「鏡の前に行こう」
    「わかった」
    もうすっかり慣れっこになった動きで、二人は大きな鏡の前に立った。洋装姿の自分にはいまだ慣れず、窮屈そうにおさまる男がありありと映し出されて幻滅してしまう。背後に寄り添う隠し刀のさらりとした着こなしとは大違いだ。
     この不格好さに相手は何も思わないらしく、小五郎のシャツの襟を立てて、蛇のようにだらりとした蝶ネクタイをかける。首筋に手が触れるのはほんの僅かな間だが、他人に生命を委ねる危うさに、小五郎は思わず身を固くした。
     蝶ネクタイを巻き、締め、そのまま力を込められたらば自分は容易く昇天するだろう。相手にはその能力が十分あるのだし、小道具の靭性はなかなかのものだ。もし、その気になったらば、その気になってくれたらばと思う自分は不健全だろうか?
     歪んだ気持ちを他所に、蝶々は綺麗に首元に止まる。左右どちらも同じ大きさ、傾くことのない完璧な佇まいだった。
    「できあがりだ。行っておいで」
    ちゅ、と頬に口づけられるまでが朝の習わしだ。ああもう出かけなければ。後ろ髪をひかれる思いで礼を述べると、小五郎はきりりと顔を引き締めた。

    ***

     全く可愛い人だ。情人を見送った後、隠し刀は深々とため息をついた。別れた端から恋しくなって仕方がない。
    「わかっていないと、思っているんだろう」
    本来、小五郎はそつがない人間だ。剣の道、人の道に通じた調整感覚はもちろんのこと、時には女装も辞さない変装術など枚挙にいとまがない。とりわけ最後にいたっては、玄人である隠し刀さえも騙されてしまったほどである。
     彼は化粧の腕前は大したことがない、と心底恐縮していたが、野菊のような愛らしさと白百合のごときたおやかさに隠し刀はくらりとしてしまった。当時はまだ意を伝えていなかったために言いそびれたままである。今晩あたり、たまには新しい趣向として楽しんでみても良いかもしれない。
     ともあれ、そんな男が蝶ネクタイ一つに手間取るはずはないのだ。毎朝寝ぐせがひどいだの、靴下止めをなくしてしまっただの、なにがしかの困難を生じさせるのは、全て名残惜しさの表れだと推察される。寂しいならば寂しいと言えば良いのに、直接言葉にしない奥ゆかしさもまた、小五郎の味わい深さだった。
     生死を分ける混乱を共に乗り越えた間柄であるにも関わらず、彼はどこかで未だに隠し刀が根無し草のままだと見なす節がある。自由人は好きなように去るも道理、自分に引き留めるほどの価値はないのだから、と。全く見当外れも良いところだ。
    「帰りが待ち遠しいよ」
    蝶ネクタイを滑らせた、あの首の感触が手に蘇る。万人が求める命が剥き出しになった瞬間、得体のしれない誘いかけを感じて、抗うのに随分苦労した。
     もし、あのまま力を込めていたらばと想像を巡らす。締め上げて、長い時間楽しめるようにゆっくりと力を入れるのは、抵抗を抑えきれず難しいか。小五郎は穏やかだがその実膂力があるのだ。彼は一端の剣豪である。だが、あっさり昇天させるのは余りにも惜しい。
     愛しく大切にしたいと思う一方で、苦しむ様も堪能したいと願う自分は壊れている。よだれを垂らして、呼吸を失って、涙を流して乞うが良い。何を?命を、願わくば自分を。喜ばれるはずのない特別な贈り物だ。
     不健全な妄想をなんとか打ち払うと、隠し刀は今日は気づいてもらえるだろうか、と情人が出て行った先に思いを馳せた。

    ***

     政策討論会の席に着いた折、太ももに違和感を覚えて、小五郎は表情を変えることなくズボンのポケットに手を入れた。つるつると指先から逃げるものをようやく捕まえて見れば、豆粒のように小さな骰子である。練り絹のような光沢と淡い朱の色合いから、珊瑚玉でできているらしかった。もっととっくり眺めたい、と思ったところで会議室の扉がばたんと大きな音を立てて開く。息せき切って滑り込んだのは伊藤博文だ。
    「桂さん、お待たせしました」
    「おはよう、伊藤君」
    はっとしてポケットに戻すと、討論会に向き直る。テーブルには既に大久保利通や井上馨など、早々たる人物がついて新しい世に取り組まんとしていた。骰子を眺めるのはかなり先のことになるだろう。何しろ話合って決めなければならないことが多いので、少しの暇もないのである。
    「貴殿、何か良いことでもあったのか」
    こそり、と隣に座る利通に囁かれ、小五郎は破顔しそうになるのを抑えて短くうなずいた。家族についてだ、と話せば家庭人である利通は理解したらしく目元を緩ませる。大方、激務に勤しむ自分には受け皿があった方が良いとでも考えているのだろう。強ち間違ってはいない。
     骰子、ビー玉、カフス、折り鶴、貝殻、小さな小さな同伴者たちを思い返すと懐かしさでいっぱいになってしまう。さっぱりとして見えて、あの隠し刀はさりげなく自己主張を続けているのだ。恐らくは朝の身支度の際に滑り込ませているのだろう。忘れるな、忘れてくれるなという音なき声に、尻込みしかける背中を何度押されたか知れない。
     相手も自分を思ってくれていると、うぬぼれても良いのだ。それにもかかわらず、毎朝わざと甘えてかかる自分の狡さに苦笑する。さて、今日は気づいてやろうかやるまいか。次の一手を思い浮かべて、小五郎は今度こそこの国の明日に専念した。


    〆.
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    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。リクエストをいただいた、諭吉の「過去のやらかしがバレてしまう」お話です。自伝の諭吉、なかなかの悪だからね……端午の節句と併せてお楽しみください。
    >前作:枝を惜しむ
    https://poipiku.com/271957/11698901.html
    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    昔の話 気まぐれに誰かを指名した後、その人の知り合いを辿ってゆけば、いずれ己に辿り着くらしい。世界広しといえどもぐるりと巡れば繋がっていると聞いたところで、福沢諭吉には今ひとつわかりかねる話だった。もっともらしい話をした人物が、自分に説諭しようという輩だったから反発心を抱いたということもある。その節にはいくらか激論を戦わせてもの別れになり、以来すっかり忘れてしまっていた。
     だが、こと情人である隠し刀に関していえば、全ての人と人が何某かの形で繋がっているのではないかという気にさせられる。勝海舟邸に出入りするようになって日が浅いが、訪れる人が悉く彼の知り合いだった、などは最早驚くに値しない。知らぬうちに篤姫からおやつを頂戴していた際には流石に仰天させられたし、勝の肝煎である神田医学所はもちろん、小石川植物園にまでちゃっかり縁を繋いでいる。幕府の役人でさえそう縦横無尽に出入りすることはままならない。彼の自由さは本物であり、語る冒険譚は講談の域に達している。
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    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。御前試合の後、隠し刀が諭吉に髪を整えてもらうお話です。諭吉の断髪式に立ち会いたかった……!どうしてなんだ、諭吉!
    >前作:探り合い
    https://poipiku.com/271957/11594741.html
    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    枝を惜しむ もう朝である。障子を通り過ぎた陽の光に瞼をぴくりと動かすと、諭吉はうっすらと浮かび上がっていた意識を完全に現実へと上陸させた。つい先ごろうたた寝をしながら書物を読んでいたつもりが、いつの間にやら轟沈してしまったらしい。やるべきことは山積していると言うのに、ままならぬものである。光陰矢の如しというが、このところは本当に年中時間が勝手に体を通り抜けていっているような気がしている。国全体が大きなうねりの中にあって、置いていかれぬためには必死で鮪のように泳ぎ続けねばならない。
     無意識のままに簡単に身支度を整え、ここが勝海舟の邸だということを再認する。要するに仕事で一日を食い潰したのだろう。どこを向いても自分くらいしかできないだろうという未来が転がっているので、少しも気の休まる日がない。顔を洗ってもしっくりしないので、朝食を終えたら(もちろん太っ腹な勝であれば出してくれるに決まっている)朝湯に行って仕切り直しを図ろうか。鏡を見て、自分の髪を整え直し――諭吉は鏡の端に写った相手に会釈した。
    4937

    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。数年間の別離を経て、江戸で再会する隠し刀と諭吉。以前とは異なってしまった互いが、もう一度一緒に前を向くお話です。遊郭の諭吉はなんで振り返れないんですか?

    >前作:ハレノヒ
    https://poipiku.com/271957/11274517.html
    まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    答え 今年も春は鬱陶しいほどに浮かれていた。だんだんと陽が熟していくのだが、見せかけばかりでちっとも中身が伴わない。自分の中での季節は死んでしまったのだ、と隠し刀は長屋の庭に咲く蒲公英に虚な瞳を向けた。季節を感じ取れるようになったのはつい数年前だと言うのに、人並みの感覚を理解した端から既に呪わしく感じている。いっそ人間ではなく木石であれば、どんなに気が楽だったろう。
     それもこれも、縁のもつれ、自分の思い通りにならぬ執着に端を発する。三年前、たったの三年前に、隠し刀は恋に落ちた。相手は自分のような血腥い人生からは丸切り程遠い、福沢諭吉である。幕府の官吏であり、西洋というまだ見ぬ世界への強い憧れを抱く、明るい未来を宿した人だった。身綺麗で清廉潔白なようで、酒と煙草が大好物だし、愚痴もこぼす、子供っぽい甘えや悪戯っけを浴びているうちに深みに嵌ったと言って良い。彼と過ごした時間に一切恥はなく、また彼と一緒に歩んでいきたいともがく自分自身は好きだった。
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    zeppei27

    DONE何となく続いている主福の現パロです。本に書下ろしで書いていた現パロ時空ですが、アシスタント×大学教授という前提だけわかっていれば無問題!単品で読める、ホワイトデーに贈る『覚悟』のお話です。
    前作VD話の続きでもあります。
    >熱くて甘い(前作)
    https://poipiku.com/271957/11413399.html
    心尽くし 日々は変わりなく過ぎていた。大学と自宅を行き来し、時に仕事で遠方に足を伸ばし、また時に行楽に赴く。時代と場所が異なるだけで、隠し刀と福沢諭吉が交わす言葉も心もあの頃のままである。暮らし向きに関して強いて変化を言うならば、共に暮らすようになってからは、言葉なくして相通じる折々の楽しみが随分増えた。例えば、大学の研究室で黙って差し出されるコーヒーであるとか、少し肌寒いと感じられる日に棚の手前に置かれた冬用の肌着だとか、生活のちょっとした心配りである。雨の長い暗い日に、黙って隣に並んでくれることから得られる安心感はかけがえのないものだ。
     隠し刀にとって、元来言葉を操ることは難しい。教え込まれた技は無骨なものであったし、道具に口は不要だ。舌が短いため、ややもすると舌足らずな印象を与えてしまう。考え考え紡いだところで、心を表す気の利いた物言いはろくろく思いつきやしない。言葉を発することが不得手であっても別段、生きていくには困らなかった。だから良いんだ、と放っておいたというのに、人生は怠惰を良しとしないらしい。運命に放り出されて浪人となった、成り行き任せの行路では舌がくたくたに疲れるほどに使い、頭が茹だる程に回転させる必要があった。
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    zeppei27

    DONEなんとなく続いている主福のお話で、単品でも読めます。諭吉が隠し刀の爪を切る話。意味があるようでないような、尤もなようで馬鹿馬鹿しいささやかな読み合いです。相手の爪を切る動作って、ちょっと良いですね……

    >前作:黄金時間
    https://poipiku.com/271957/11170821.html
    >まとめ
    https://formicam.ciao.jp/novel/ror.html
    鹿爪 冬は、朝だという。かの清少納言の言は、数百年経った今でも尚十分通じる感覚だろう。福沢諭吉は湯屋の二階で窓の隙間から、そっと町が活気付いてゆく様を眺めていた。きりりと引き締まった冷たい空気に起こされ、その清涼さに浸った後、少しでも暖を取ろうとする一連の朝課に趣を感じられる。霜柱は先日踏んだ――情人である隠し刀とぱり、さく、ざく、と子供のように音の違いを楽しんで辺り一面を蹂躙した。雪は恐らく、そう遠くないうちにお目にかかるだろう。
     諭吉にとっての冬の朝の楽しみとは、朝湯に入ることだった。寒さで目覚め、冷えた体をゆるりと温める。朝湯は生まれたてのお湯が瑞々しく、体の隅々まで染み通って活きが良い。一息つくどころか何十年も若返るかのような心地にさせてくれる。特に、隠し刀が常連である湯屋は湯だけでなく様々な心尽くしがあるため、過ごしやすい。例えば今も、半ば専用の部屋のようなものが用意され、隠し刀と諭吉は二人してだらけている。
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    zeppei27

    DONE企画2本目、うさりさんよりいただいたご指名の龍馬で、『匂いを嗅ぐ』です。龍馬は湯屋に行かないのでなんというか……濃そうだな、などと具体的に想像してしまいました。香水をつけていることもあり、変化を楽しめる相手だと思います。
     リクエストありがとうございました!
    聞香 千葉道場の帰り道は常に足取りが重い。それなりに鍛えている方だが、疲労は蓄積するものなのだと隠し刀は己の限界を実感していた。所詮は人の身である。男谷道場も講武館も、秘密の忍者屋敷もすいすいとこなしたところで、回を重ねれば疲れるのも道理だ。
     が、千葉道場は中でも格別であった。理由の一つは毎度千葉佐那が突撃してくることで、一度は勝負しないと承知してくれない。そうでもなければ、「私に会いに来てくださったのではないですか」などとしおらしい物言いをされるので弱ってしまう。健気な少女を健全に支えたつもりが、妙な逆ねじを食わされている形だ。
     佐那だけならばまだ良い。性懲りもなく絡んでくる清河八郎もまあ、どうにかなる。問題は最後の一つで、佐那が坂本龍馬と自分との手合わせを観たいとせがむところにあった。彼女は元々龍馬と浅からぬ因縁があり、ずるい男は逃げ回るばかりで年貢を納めようとしない。その癖、隠し刀の太刀筋が観たいだのなんだの言いながら道場までついてくる。佐那は龍馬と手合わせできないのであれば、二人が戦う様を観たいと譲歩してくれるというのが一連の流れだ。
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    zeppei27

    DONE企画4本目、加糖さんよりご指名頂いた黒田で、『分け合いっこ』です。豪快さと可愛さの合わせ技、黒田君はいろんなものを何の気なしに分け合ってくれるような気がします。多分他意はないんだ……あるって言って!
     リクエストありがとうございました!
    太陽の共食い 薩摩藩上屋敷は夏真っ盛りだった。縁側をみっしりと埋め、前庭に敷いた筵一面に広がる夏の成果に、黒田清隆は目を疑った。江戸に来てから久しいが、このような異様な光景に出くわすのは初めてである。
    「西瓜……だと?」
    「その通りだ、黒田」
    朋輩たちがわらわらと興味本位で群がる様に呆然としていると、のっそりと大きな影がさした。いついかなる時も沈着冷静な人は誰であろう、大久保利通である。流石に彼ならば事情を知っているに違いない。こちらの困惑を見て取ったのだろう、利通は淡々と続けた。
    「篤姫様が、暑気払いにと御下賜されたのだ。京の都から取り寄せたらしい。……一人一つだ!欲張るでないぞ!」
    「承知しもした!」
    すかさずちょろまかそうとした輩がいたのだろう、利通の一喝ですぐさま場の空気が引き締まる。確かに、薩摩の暑さに比べれば江戸の夏など可愛らしいものだが、暑いには変わりない。西瓜のみずみずしい甘さは極上に感じられるだろう。篤姫も小粋な計らいをしてくれたものだ。
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