太陽の共食い 薩摩藩上屋敷は夏真っ盛りだった。縁側をみっしりと埋め、前庭に敷いた筵一面に広がる夏の成果に、黒田清隆は目を疑った。江戸に来てから久しいが、このような異様な光景に出くわすのは初めてである。
「西瓜……だと?」
「その通りだ、黒田」
朋輩たちがわらわらと興味本位で群がる様に呆然としていると、のっそりと大きな影がさした。いついかなる時も沈着冷静な人は誰であろう、大久保利通である。流石に彼ならば事情を知っているに違いない。こちらの困惑を見て取ったのだろう、利通は淡々と続けた。
「篤姫様が、暑気払いにと御下賜されたのだ。京の都から取り寄せたらしい。……一人一つだ!欲張るでないぞ!」
「承知しもした!」
すかさずちょろまかそうとした輩がいたのだろう、利通の一喝ですぐさま場の空気が引き締まる。確かに、薩摩の暑さに比べれば江戸の夏など可愛らしいものだが、暑いには変わりない。西瓜のみずみずしい甘さは極上に感じられるだろう。篤姫も小粋な計らいをしてくれたものだ。
「して、黒田。篤姫様より、届け物を申し付けられておる。隠し刀にも一つ参らせよとのことだ。お主は親しいだろう、届けて参れ」
「わかりもした」
神妙にうなずきつつも、清隆は心中ひそかに冷や汗をかいていた。自分とかの隠し刀は、出会いこそ凶悪なものだったが、手合わせから伝わったからりとした心意気と芯の強さに惹かれ、親しみ、ついで一線を越えた仲である。ごくごく自然な流れなのだが、どうにも面映ゆくて誰にも打ち明けてはいない。利通の目から見て――自分たちはただ『親しい』だけに見えているのかどうか。ささやかな秘密を見抜かれたような心地を抱えて、清隆は粛々と西瓜と旅に出た。
「おおい、いるか」
「いるとも」
道行く人々に好奇の目を向けられつつ(それはそうだ、二つも西瓜を抱えているのだから)辿り着いた隠し刀の長屋には、幸いにして主が一人で時間を過ごしていたらしい。
隠し刀の長屋は一種のたまり場で、年中誰かが入り浸っている。逢瀬など数えるほどしかない原因の一つが、情人の人柄の良さなのだから泣くに泣けない。清隆もまた、その人柄に惚れた人間なのである。有象無象を差し置いて、恐らく自分が最も親密な相手になれたのは数奇な運命としか言いようがない。
「両手が埋まっているからな、悪いけど、開けてくれないか」
「ほう」
がらりと開いた戸の向こうの景色に、清隆は本日二度目の驚きで頭を埋め尽くされた。
「な、なななんち格好をしちょっんだ、破廉恥じゃねか!」
隠し刀の出で立ちは、信じられないほどに簡素だった。暑さからなのか下着の上から薄い羽織をかけただけという姿で、賭場くらいでしかお目にかかれぬ姿である。
「暑いからなあ。それに、黒田なら構わんだろう」
「そげな問題じゃね!早よ中に入らんか!」
「おいおい、お前が開けてくれと言ったんじゃないか」
くすくすと笑う隠し刀は無邪気そのもので、清隆は育ての親の顔が見てみたいと低く唸った。少しは恥じらいというものを教えてくれはすまいか。危うく取り落しそうになる西瓜を抱えなおすと、清隆は家主を追い込むようにずんずんと中に入った。
暑い。むわりとした空気に、清隆は隠し刀の言い分を理解するに至った。立地が悪いのか、風通しが今一つで、雨戸が全て開け放たれているにも拘らず屋内はひどく蒸し暑い。自分一人ならば褌一丁になるだろう。
「ほら、篤姫様からあんたに届け物だ。暑気払いにどうぞ、ってな」
「嬉しいな。後で礼を述べに行こう。黒田も、わざわざ届けてくれてありがとう」
ちょうど水気が欲しかった、と破顔されるとどうにも弱い。己の器の小ささに呆れる前に気を紛らわすとしよう。隠し刀に包丁を貸してくれるよう頼むと、情人はゆるりと首を振った。
「どうせ食べるならば、場所を変えよう。前々から行きたいところがあったんだ。一緒に来てくれないか?」
「ああ、いいぜ」
勝てないな、と思う。まるで自分と行きたかったかのような物言いではないか。隠し刀がくれた網に一つずつ西瓜を入れると、ぐんぐんと気分が高まってくる。身なりを整えて長屋を出かける頃には、清隆の頭から一片の曇りもなくなっていた。
***
夏がやって来た。真っすぐに突き抜ける陽の光のような声に、隠し刀は手にした着流しを羽織に替えた。何も飾らず、気が置けない仲の訪れは身も心も軽くする。清隆は驚くだろうか。
戸を開けたらば、図に当たったように狼狽する相手が可愛らしい。懇ろになってそれなりの時間が経っているにも関わらず、彼の性根は変わらず初心なままだ。妙な駆け引きも小細工も要しない清隆に、隠し刀は心底憧れていた。例えて言うならば、彼は夏の太陽だ。その熱と光で、こちらの影すら消し飛んでしまう。
篤姫の厚意に感謝し、ついで清隆が使いに選ばれた己の幸運に笑みを深める。こうも暑いと人助けも人探しもやっていられない。自分にだってたまには休みが必要だ。それも好いた人とであれば、何倍にも癒されることだろう。
各々西瓜を携えて、目黒はこりとり川の上流に向かう。緑が多く、清涼な水が涼しい風を吹かせていた。両岸には百姓たちが設えた水車がごとんごとんと豪快に回る。子供たちが振り回しているのは、恐らく糸を結わえたトンボだろう。誠にのどかな風景だった。
「涼むには穴場だと聞いていたが、想像以上だ。お前と来れて嬉しいよ」
「そげなことばっかい言て。おいだって嬉しよ」
ふざけ合いながら適当に石を積んで西瓜を川に漬け、ついで自分たちも腰掛を作って脚を冷やす。濡らさぬようにと着流しだけになってうんと伸びをすると、体の隅々まで爽やかな風が吹き込んで清々しかった。清隆もすっかり寛いだ様子で、着物を大胆にたくし上げて脚を泳がせている。
赤銅色の、良く日に焼けた色合いは夏がそこに留まっているからだ。剥き出しになった太ももに触れると、びくりと震える。何やら豊かに想像を働かせているのだろう、涼をとっているはずがだんだんと清隆の顔が朱に染まる。
「……どげなつもいだ」
「こうも色が違うと面白いと思ってな。同じ日の本でも、北と南で太陽に愛される度合いが違うらしい。本当に、綺麗な色だよ」
おまけに手触りも良い。半ば叫び声を上げそうになる清隆に免じて解放するも、惜しくてならなかった。逢瀬は、陽が沈んでから薄暗がりで楽しむことが多い。故に悲しくも、日の名残りをはっきりと目にすることは叶わないのである。意図せずして得た眼福を脳裏に刻み込み、隠し刀は水と戯れる西瓜を確かめた。どうやら出来は上々で、頬にぴたりと充てると気持ちが良い。
「食べよう」
「おう」
まだ頬が赤い清隆に包丁を渡すと、すっすと迷いなく赤が広がる。太陽の色を詰め込んだ香りはほんのりと甘い。まずは半分を半分ずつ。またぞろ脚を冷やしながらかぶりつけば、しゃりりとした歯触りと共に甘酸っぱさが広がった。喉を通る夏の雫が、存外干上がっていた体を潤してゆく。ごくりと飲み込んで西瓜から顔を上げると、何故だかこちらを見つめる清隆と目が合った。
「あんた、子供みたいな食べ方をするんだな」
「うん?」
もったいない、と言った男の体が近づく。さながら示現流の如き素早さと苛烈さで唇の端が捉われた、と思うとそのままぬるりと舌が口の周りを舐め、顎をくすぐり去ってゆく。永遠とも思われる一瞬にくらりとし、隠し刀はぼうとして西瓜を握る手に力を込めた。そうでもしなければ取り落していただろう。
「……次はもう少し気を付ける」
「そうか?俺はどっちでもいいけどな」
敵わない。にっと笑う清隆の眩しさに、隠し刀は目を細めた。涼みに来たというのに、全くこれでは暑さが増すばかりではないか。太陽が隣にいるのだから、致し方ない話である。
「早く食べろよ!子供たちが気づいちまう」
分けてやっても良いが、と言いながら清隆が次の一切れを手に取る。天真爛漫さに苦笑して、隠し刀はぷっ、と種を天に吐いた。
〆.