ヒール男士のすゝめ 時折短刀たちが竹馬に乗ったり、丈の高い男士に肩車されている姿を見かける。大太刀や槍、薙刀とは大変な身長差であるから随分と視界が変わる事だろう。
大きいと言えば兄弟こと大典太光世も太刀の中では上背があり、猫背気味ではあるものの数値上で俺とは10㎝以上離れている。190㎝の視界、気にならない訳がない。いつも一緒にいる兄弟の視界であるから尚更だ。
さて、この12㎝の距離をどう縮めたものか。竹馬では大げさすぎるし、かと言って俺の履き物ではそこまでの高さは出ない。
ここはかかとの高い靴を履き慣れた奴に聞いてみるかな。一番始めに思い至ったのは可愛いが口癖の赤い彼だった。
「12㎝ー?さすがにそこまで高くないよ、これ」
「そんなもんなのか?十分ありそうに見えたんだがなぁ」
「ていうか、そもそも俺とソハヤじゃ足のサイズ合わないでしょ。貸してあげないよ」
「あー、それもそうだな。わりぃ」
素直に190㎝になりたいから靴を貸してくれ、と打診してみるものの撃沈。靴のサイズというものを失念していた。
加州に他に心当たりはあるかと問えば、この本丸にはヒール男士の会なるものが存在するらしく、指折り会員を教えてくれた。
「まあでも、ソハヤが履けそうな靴となると限られてくるから……巴形にでも聞いてみたら?」
「なるほど、素身長でも大きい奴なら行けるかもな。助かった!」
「どーいたしまして」
軽い調子の言葉ではあるが素っ気ないようで面倒見の良い加州の助言を受け、俺は次に巴形薙刀の元を訪れる。
「靴を?それは構わないが、慣れていないと歩きづらいぞ」
「う、やっぱそうなるか……」
「怪我をしないよう気を付けることだ」
「あぁ、ありがとな」
戦闘時に履くものは丈が長く編み上げになっているから余計手間だろうと、黒い膝丈のブーツを借り受けた。
早速自室近くの縁側に戻り足を通してみれば、ややつま先は余るものの問題なく履ける。内側のジッパーをそうっと持ち上げれば完成だ。
「よっ、と……はは、こんなん履いて戦ってるとは信じられねぇな」
柱に手を付き恐る恐る立ち上がれば、なんと不安定なことか。強い負荷のかかる指先、伸びた足首には違和感を覚えずにはいられない。ともすればたたらを踏みそうになる足にぐっと力を入れて体重の掛け方を模索する。
しばらく足踏みをしたり体勢を変えるうちに、少しだけ足元の感覚に慣れてきた。支え無しで直立出来るようになり、ようやく周りを見渡す余裕が出てくる。
ゆっくりと軒先から庭に歩を進めてみれば、ほんの12㎝、されど12㎝。普段よりも世界が開けて見える……ような気がする。
「これが、190㎝の視界」
「……どうかしたのか」
「うわっ!?」
「! おい」
今日は遠征で外していた兄弟が音もなく──実際は俺が靴に気を取られていただけだろう──現れた。声に驚いて振り返れば案の定体勢を崩して転びそうになるも、間一髪、駆けつけた兄弟に腕を取られ事なきを得た。
「か、帰ってたんだな!おかえり、兄弟」
「ああ、ただいま。……?」
「へへ、今はお揃いだから視線が近いだろ?」
「お揃い……」
ちょいちょい、と足元を指差せば下降していく兄弟の視線。つられて目をやれば黒いブーツと並ぶひと回り大きな足は……靴下だ。俺を助けるためにそのまま飛び出して来たようで、申し訳なさと同時に嬉しさがこみ上げてくる。
「借りたはいいけど動きにくいのなんのって……さっきも助けてくれてありがとな」
「ああ……どうしたんだ、急に」
「んー?ちょっと、気になって」
「気になる?」
「兄弟がどんな世界を見ているのか」
「そう、か……」
同じ高さで真正面から見る兄弟、というのもまた新鮮だ。見慣れないのは相手も同じのようで、突然の事に俺以上に困惑しているのが伺える。
己を顧みず俺を助けに来てくれたことも静かに戸惑う姿も愛しく、靴下のまま外に立たせるのは悪いと思いつつももう少しだけこの魔法を楽しみたい。そんな悪戯心に背を押されて兄弟の肩に手を置き、更にかかとを浮かせて額に口づけを落とせば途端に赤く染まる肌。
「立ったままでこちゅーされるなんて、初めてだろ?」
「それは……その、」
「さ、中戻ろうぜ。靴下も先に手洗いしないと明日の洗濯当番にどやされんぞ」
「あ、あぁ……」
今度は俺が言葉にならない声を漏らす兄弟の手を引き、縁側へと歩く。
不安定な足元での生活というのも、たまには悪くないのかもしれない。