ストロベリー・スカッシュ! 急に自分の気持ちを伝えようと思い立って、松井江は豊前江の姿を探していた。今日は完全に非番の日だから本丸内を歩いていれば出会えるだろうが、それでも自分の中の想いがまだ鮮明に言葉にできるうちに、松井は豊前を見つけてしまいたかった。
しかし目星をつけていた厩舎にもその姿は見えなかったため、松井は次に庭へと向かう。その途中、松井は廊下の曲がり角でばったりと鶴丸国永に出くわした。
「おっと、」
松井は少しだけ目を丸くしたが、目礼だけしてその場を去ろうとした。しかし、
「なんだなんだ、豊前でも探してんのか?」
自分の目的をズバリ言い当てられ、松井は思わず鶴丸の方を振り向いてしまった。
「おっ、図星か」
「……何故、わかった?」
「何故もなにも、きみがそんな顔して探すような奴って豊前くらいだろう?」
そう言われて松井が小首を傾げる。その仕草を見て、鶴丸は小さく笑った。
「きみは存外、表情が豊かだよなぁ」
「そう……かな」
自分でもわからないうちに、焦っていたり笑っていたりしたのだろうか。松井は自分の頬を指でそっと触って、鶴丸の言葉の意味を考える。
「ま、何があろうと何一つおくびにも出さん奴よりゃずっと可愛げがあるさ、きみは」
「……それは、褒めているのか」
「褒め言葉に決まっているだろう?」
それじゃあ、と片手をひらひら振りながら去っていく鶴丸。松井も前を向いて、当初の目的である庭へと歩を進める。
(もしも、さっきの鶴丸みたいに、何も言わなくても豊前が僕の想いを理解してくれているのなら……)
少しだけ、歩く速度が落ちる。
(……でも)
松井はキュッと口を結んだ。
(それでも、自分の口で言うことで「きちんと伝えた」という確証がほしいんだ、僕は)
立ち止まりそうになったところで、再び松井が足を踏み出した。廊下の軋む音が、その後ろを着いていく。
庭に出ると、穏やかな日差しが松井の髪をそっと撫でる。豊前は、どこにいるだろう。とりあえず高台になっているところから見渡してみようと考え、松井は本丸を見下ろす小さな石祠を目指すことにした。
ゆるい上り坂を踏みしめるように歩く松井。石段に差し掛かりそうになったところで、松井はふと小径の横の樹に目をやった。
「あ……、」
見慣れた黒いシャツと、半袖から伸びる筋張った腕。少し離れていてもすぐにわかるほどの端正な横顔。松井は小さく深呼吸してから、その樹の方へと向かった。
「…………豊前、」
豊前は座ったまま樹に背中を預けて、ぼうっと物思いに耽っているようであった。木漏れ日が彩るその姿は美しく、どこか神々しさすら感じられた。
松井の胸の奥が震える。このまま、彼の姿に見惚れていたい。それでもその気持ちを必死に抑えて、松井はその樹のもとへ足を進めていく。
ふと、その足音に気づいたのか、豊前が松井の方へ顔を向けた。
「おっ」
松井の姿を見て瞬間に破顔する豊前。口許から覗く白く整った歯列が眩しい。
豊前は笑顔で、自分の隣の地面をぽんぽんと軽く叩く。その仕草に促されて、松井はその場所へと歩いていく。そこへ松井が腰を下ろした瞬間、豊前の方から口を開いた。
「で、どした?」
「あっ……あの……」
松井は、己の首から上が熱くなるのを感じた。白い肌には朱が差していく。胸の高鳴りが、伝えようとした想いを胸の奥に押し込めようとする。それでもその想いを舌の根元まで引っ張り出そうと、松井は口をぱくぱくさせる。
その様子を見て、豊前は松井を安心させようと小さく笑った。
「まつ。言えそうにないことなら、無理して言わなくてもいいんだよ。前も言ったろ?」
松井には以前、自分の過去を吐露しようとして、豊前に優しく止められたことがある。豊前はその話の続きをするのかと思って、再び松井の言葉を止めようとした。しかし、
「ちっ、違うんだ……今日はその、その話じゃ、なくて…………」
それを振り切って、松井は話を続けようとする。豊前は、一瞬だけ目を丸くした。そこからすぐ眉尻を下げて微笑んで、豊前は松井の言葉を待つことにした。
松井の伝えたい気持ち、それは『いつもありがとう、大好きだよ』という日頃の感謝と好意であった。松井は自分を支えていてくれる豊前に何を返せばいいのかとずっと考えていたが、いっこうにその答えは浮かばず、ならばせめて感謝の想いだけは伝えようという答えに至ったのであった。
しかし今、心臓の鼓動が雑音となってその想いをぼやかしてしまう。それでもどうにかして、自分の想いは伝えたい。松井の中でその感情はどんどん膨れていき、松井は衝動的に豊前へと顔を近づける。そして、
「っ、」
豊前の頬に手を添えて、松井は触れるだけの口づけをした。
唇から伝わる豊前の温もり。生温かく湿った感触が、甘い波紋となって胸の中へ広がっていく。松井がそっと目を開けると、視界には豊前の紅の瞳が映る。その瞬間、松井は自分が何をしたのかを一気に理解して、慌てて豊前から離れた。
「あっ……、ぁ……、ごめん、豊前……っ!」
ぽかんと松井を見つめる豊前。その顔を直視できず、松井はその場から逃げようと瞬時に駆け出してしまった。
走りながら己の唇に柔らかさと温もりの残滓を感じ、松井は羞恥に耳まで赤らめてしまう。なぜ接吻という行為に走ったのかを考えると、頭の中が真っ白になる。とにかく今は一刻も早く豊前の目の届かないところへ行きたくて、松井は更に走る速度を上げようとする。
しかしその感情に体が追いつかず、松井の足がもつれる。松井が気づいたときにはもう体勢を崩していて、ずべしゃ、とそのまま転倒してしまった。
「う……、」
ゆっくりと上半身を起こす松井。乾いた土が、ジャージと頬に付着している。上着を手で払っていると、後ろから駆けてくる足音が聞こえてきた。
「まつ!!!」
振り向くと、呼吸を少し乱した豊前の姿が見えた。豊前は松井の方へ近づくと、すぐ隣にしゃがんだ。
「平気か?」
「あ、あっ、うん……」
「ほら顔、汚れてんぞ」
豊前の手が、松井の顔に付着した土埃をさっさっと払う。その感触がくすぐったくて、松井は心音が早まるのを感じた。
「立てっか?」
「……うん」
伸ばされた豊前の手を取って、松井がゆっくりと立ち上がる。
「で、さっきの話なんだけどさ、」
息を飲む松井。凛と吊り上がった目にまっすぐ見つめられて、松井は動くことができない。
「まつが俺に何を言いたかったのか、一字一句正しくはわかんねーけど、」
に、と歯を見せて笑う豊前。
「それでも、その……『きす』してきたってことは、俺に『好きだ』って言いたかったのかなって」
松井は顔を赤らめながら、こくこくと首を縦に振る。
「そっか。嬉しいよ」
優しく微笑んで、豊前は松井の髪を優しく撫でた。
「だから、俺もちゃんとまつに応える」
そう言って、豊前がそっと松井の方へ顔を近づると、
「ん、」
今度は自分から、松井の唇へ触れるだけの接吻をした。
羽のように軽い感触と、唇からじんわりと伝わってくる熱。豊前は両手で松井の耳を塞ぎ、周りの音を遮断する。松井は最初こそ驚きに身を強張らせていたが、そのうちに蒼い瞳を潤ませて、うっとりと目を閉じていた。
「ぁ、」
少し経ってから、ゆっくりと豊前の顔が離れる。松井もそっと目を開けて、豊前の凛としたツリ目をぼうっと見ていた。
「俺も好きだよ、まつ」
揺れる蒼の瞳。優しく囁かれて、松井は腰が抜けそうになってしまう。しかし豊前の腕に優しく支えられ、なんとか崩れ落ちずに済んだ。
「…………ぶ、ぜん」
「ん?」
「その……僕が、言おうとしたのは、」
松井は意を決して、豊前の紅の瞳をまっすぐに見据えた。その視線を正面から全部受け止めて、豊前は松井の言葉を待つ。
「……豊前、いつも……ありがとう」
「うん」
「それでその……えっと……」
鼻血が出そうになるのを堪えながら、松井は言葉を続ける。
「だ、だっ……大好きだよ、豊前っ……」
恥ずかしさと、自分の口で想いを伝えられた安堵とで、松井の体がふらついた。豊前はその体を優しく受け止めて、そのままぎゅっと抱きしめる。
「ありがとな、まつ」
「う、うん……」
「俺もまつのこと、すげー大好きだよ!」
逞しい二の腕の感触。肌に伝わる豊前の体温と、うっすら聞こえてくる心音。堪えていた鼻血が、豊前の内番着へぼたぼたと垂れていった。