照り付ける太陽が、ちょっと見たことないくらいに鮮やかでまぶしい。
ざざん、ざざん、静かなビーチサイドに響くのは、寄せては返す波の音と――、
「わ、見てくれアーロン! 舌が青い!」
「うっわ……、まずそうな色だな」
「僕の舌を見て牛タン的な発想しないで欲しいな……、そんなこと言ってアーロンも……って赤か、普通だ!」
「……かわいいねえ、ヒーローズ」
「あれでは年端のいかない子どものようですが……」
波打ち際でプラコップを手に水着姿できゃいきゃい騒ぐふたりを眺めながら、そこからもう少しだけ遠く。
パラソルで完全に遮光したビーチチェアに寝転んだアロハシャツのモクマはほのぼのと目を細めるけれど、隣でタブレットに視線を落とすチェズレイの声はいささか呆れ気味だ。
「そんなこと言って。いい笑顔してるよ、かわいいって思ってるんでしょ」
「……見えないでしょう、顔なんてほとんど」
「口元見ればわかるけど……、ほら、やっぱり」
「あっ」
視界の端で手が伸びた、と思った時にはサングラスを取り上げられていた。ついで「そろそろ仕事やめて休もうよ。その為のバカンスでしょ? ほら代わりにジュース」と続く頃にはタブレットは取り上げられて無理やり手の中に花の乗ったグラスを握らされていた。……まったく仕事の早いことだ。
そして極め付けに、あのうるうる潤むわざとらしい瞳で見つめられる。
「……おじさん、リゾート地のセレブ感満載なカッコのかわいいチェズレイと、ビーチで青春ごっこしたいなあ……?」
(……青春ごっこ、ねえ……)
まあ、得体の知れぬ青春は置いといても、確かに。
ちらりと視線を下に。めずらしくラフな白シャツなどを纏って、長い髪をゆるくみつあみにして、こんな格好で世界征服の計画など企ていては格好がつかないかもしれない。チェズレイが観念したようにオレンジジュースで満たされたストローを咥えると、モクマは満足げに自分のチェアへと舞い戻った。
ざざん、ざざん。ゆきては返る波の音。
その奥に見える海は信じられないほどにうつくしいエメラルドグリーンで、陽光を反射して宝石のようにキラキラ輝いている。かき氷はさっさと食べ終わってしまったのか、ほかに誰もいないプライベートビーチで、跳ねまわる子犬と獣の楽し気な声。
「……まあ、はしゃぐボスを眺めていると精神が安らぎますね。誘った甲斐がありました」
「島ひとつ持ってるとかお前さん本当になんでもアリだよね……」
「昔いただいたものがあったと思い出しまして。ボスたちの羽休めになったなら幸いです」
「そうだねえ、楽しそうでよかったよかった」
「ええ」
しみじみと呟いて、ドリンクを一口。
そう、今日のこの時間は、チェズレイが発案者であった。四人がチームを組んで、目まぐるしく過ごしていた日々からもう数年。ルークの警察立て直しもアーロンの怪盗稼業も随分成果が出てきて、そろそろいいだろうと誘ったのだ。ワーカホリック気味の二人はまた今度と予想通りの反応を返してきたが、そこはほら、無理やりでも休ませるのが優しさというか……。最初は引き気味だったもののこの島にはチェズレイのプライベートジェットでしか移動手段がないとわかり、いよいよ腹を括ってからはまるで子ども時代をなぞるようにはしゃいで……、本当に連れてきてよかった。
というわけで今回の主役は光のヒーローズ二人組なのだけれど。チェズレイがちらり、隣のひとを眺める。今はすっかり休日の父親みたいなだらけきった風貌だけれど……、
「あなたのかき氷屋さんも堂に入ったものでしたよ」
「へへへ~テキ屋も海の家もやったことあるからね!」
「ああ、道理で……」
さきほど二人が目を輝かせて口にしていたシロップとシェイブされた氷の融合体は、海に着くなり『ニンジャさんの海の家、堂々オープン!』とか言いながらモクマが組み立てだした屋台で作られたものであった。チェズレイも関与しないうちに用意されたかき氷器やらジューサーやらカセットコンロやら鉄板やらで振る舞われた海らしい品々は、二人を大いに喜ばせた。
「かき氷……、二人ともご存じなかったようですし、私も食べたことはありませんが……、ミカグラでは夏によく食べられるそうですね」
「お前さんはなんでも詳しいねえ」
頭の端の知識を手繰って言えば、モクマは頷いて、バトンを受け取ったよう、目を閉じて記憶を巡らす。
「あの時代の里はさ、あんまクーラーとか付ける感じじゃなかったから。夏は冷たいものがとにかく御馳走で……。かき氷は、忍びの修行中、ほんの時たま振る舞われたんだよね。日にちなんかは内緒にしてるのに、いつの間にかみんな知ってて朝からソワソワしてるの。みんなルークたちみたいにシロップで染まった舌見せあって……、俺も、手伝うフリしてよく氷食べたっけ」
……もう、何十年も前の記憶なのに。つい最近までは、蓋を閉めて封印してきたのに。今ではまるで昨日のことのよう、穏やかに思い出せる。
ビーチチェアを半分起こして、モクマもビールを呷る。熱い空気を切り裂くよう、走る喉越しが心地いい。
「心温まる青春の思い出ですね。私はご存知の通り、そういったものとはとんと縁がなかったもので……」
「マフィアのドンで世界征服してる青春も、なかなか貴重だと思うけどね……」
チェズレイの合いの手にツッコミつつ、ああ、でも。
なまじ、克明に思い出せるようになったばっかりに。きれいなままで箱に収めたかった記憶が、ぐにゃりとゆがむ。口の端も、おんなじように。
「いや……言っといてアレだけど、実はちゃんとしたかき氷、食べたことはなかったかも。あんま修行仲間とは折り合い、よくなかったから……」
当時からの逃げ癖で、フウガにも、誰にも、ちゃんと向き合って来なかったから。本当は羨ましかった。楽しそうなあの輪に入りたかった。だけどそれは口にできないまま、里を離れることになって、それからフラフラ二十年の放浪旅。結びついた途端、急にビールが苦くなる。眉を下げて笑いながら言えば、ビーチチェアの上で長い脚を持て余しているチェズレイは、ぱちぱちと瞬きをして小首を傾げる。
「……それでは、これまで、作ってばかりで?」
「うーん、そうかも……」
苦々しく頭を掻く。適当な口実だったとはいえ、青春したいなどと誘っておいて、なんと情けないことか。
でも、まあ。気を取り直して顔を上げる。
「……まあ、でも、かき氷は簡単だからね! 料理が苦手なおじさんでもすぐに作れちゃう! あ、愛するどぶろくちゅわんでもぶっかけちゃおうかな~」
そうそう、できなかったことは、今すればいい。遅いなんてことはないはずだ。明るい声を出してすっくと立ち上がるモクマに、
「お待ちを、モクマさん」
「わっと!?」
さっきと逆転。伸びた手に首根っこを掴まれて、ひっくり返った声が出てしまった。
なんだなんだと顔だけで振り返れば、ティアドロップのサングラスを掛けなおして、つばの大きなペーパーハットをかぶり、いつのまにやら日焼け防止の長手袋まで装備してこちらを見下ろすチェズレイは、淡々とした声で「私が作って差し上げます」と宣言した。目を丸めるのはモクマである。
「え、マジで?」
「マジです。……といっても、ハンドル回すだけでしょう。たいした手間ではありませんし、お好きな味で作って差し上げますよ。どぶろく……は、ちょっと、あまり昼からたくさん飲むのはお勧めしませんが……」
……それで、サングラスで全貌は見えないけれど。
――でも、きっと。モクマの記憶のなかの、確かな後悔と羨望の光を、見逃さずに掬い上げた上で。
揶揄っているわけでもなんでもなく、おおまじめに言っているだろうことが、口だけでも、声だけでも、伊達に何年も二人で歩いてきたわけじゃない、モクマの心には、ちゃんと伝わったので……、
「……チェズレイ」
どくどく、胸が熱い。ぎゅっとシャツの合わせ目を握って、一歩進めば、存外素直に手は離された。きちんと向き直って、すうと息を吸って。
「……それなら、レモンのシロップがいいな。それでさ、チェズレイのはおじさんが作ってあげるから、そっちにはぶどうのシロップをかけて……」
早口で並べ立てれば、ちょっとその提案は予想外だったのだろう、ぶどう色の瞳が明滅して、けれど聡いひとはすぐに理解して、ふっと口もとがゆるむ。
表情は見えなくとも、聞こえた声はまるでかき氷のシロップのよう、あまったるく、すこしおどけて……、そしてとても、優しかった。
「……おや、いい年して、あなたも青春したいんですか?」
「――したい!」
子どもみたいな声が出た、と、自分でも思った。というか、斜に構えた修行時代にも、ここまではなかったかも……。
照れくさいけど、まあ、全てを暴かれさらけ出したこいつ相手なら、今更恥じることもないだろう。
きっと海辺ではしゃぐ後輩たちも、今日くらいは目をつぶってくれるはずだ。
*
(子どもみたいな声、出して……)
その、青春の光を集めたみたいな、まばゆい光を正面から受けて。チェズレイは後ろに遠い日の相棒の笑顔を幻視する。
過去には戻れないけど、人生の春も知らないけれど。でも、この常夏の島で、今、この心は子どもみたいに浮かれている。
弾む鼓動のリズムをなんとか押さえつけて、チェズレイはがんばって可愛くない声を出そうとして……、
「……仕方ないですね。お付き合いしてさしあげますよ。相棒ですし、青春を知らぬ同士でもありますし」
……そしてそれがあえなく失敗したことは、目の前の子どもがますます顔じゅうを笑みにしたことで証明されたのであった。
おしまい!