香炉 初めての口づけ―――これは、夢か。
魏無羨が目隠しをしたまま笛を吹いている。自分はそれを眩しそうに見ていた。どうせ気づかれない、気づかれてもこれは夢。そう思い、藍忘機は昔と同じように木の上にいる魏無羨の元へと足を運ばせた。いつしかの夜狩りの帰りに、見知らぬ夫婦が木陰で深い口づけをしているのを見かけた。
好きなもの同士なら、ああやって愛し合うのかと学んだ。
そして魏無羨と同じ事がしたいという欲を感じた。
魏無羨に初めて口づけをしかけた時、あの夫婦のそれを真似た。目を隠しをしたまま的(マト)に矢を放った時の魏無羨は本当に美しく見えた。あれは私のもだと印をつけたくなるほどに。
笛の音が聞こえた瞬間、霊獣を狩る事よりも魏無羨の傍にいたいという欲求が強まった。そっと遠くから眺めるつもりだったが、風を感じて気持ち良さそうにしている無防備な彼を目前に我慢をする事ができなかった。もうすでに自分たちは道侶。今襲わなくても毎晩これでもかと愛し合っている。しかしこの瞬間、藍忘機はあの時の劣情がまざまざと蘇り、気づけば彼の手首を抑えて口づけていた。それも無理やり。
魏無羨は驚いたように体をバタつかせた。このまま縛って誰にも見えない場所に隠してしまいたい。舌を差し込み、押さえつける。魏無羨の力が抜けていくのを感じた。思えば魏無羨があの体になる前から、彼は口づけだけで力が抜けやすくなる男だったのだと藍忘機は今更ながらに思った。
魏無羨の口元はお互いの唾液に濡れ、艶を増している。魏無羨は力が入らないのかハァハァと息を弾ませ、くったりとしていた。
藍忘機の欲求は、すべての衣服を剥がしたいというものに変わる。
―――――これ以上は、魏嬰を傷つける
あの時も、このように同じことを思った。だからその場は足に力をこめ、空へと高く飛んで逃げたのだ。
一時、自分たちが道侶である事を忘れていた。
同じように足に力をこめようとしたその時。
「行くな、藍湛」
「…!」
「藍湛………なんだろ?」
魏無羨を抑えていた手を緩める。
バレてしまった。人としてやってはいけない事をしてしまったと、後悔の念が藍忘機を襲った。
これは夢だというのに、バクバクと心臓がうるさく鼓動する。
しゅる、と魏無羨が目元の紐を解く。
ひときわ大きく藍忘機の胸が鳴った。
「やっぱり…藍湛だ」
この表情をよく知っている。顔こそ違うが、この顔は、欲情しているときの魏無羨の顔だ。
「俺の事、好きなの?」
「…うん」
「じゃあなんで逃げようとする?」
「それは…………」
「今みたいに気持ちよくしてくれるなら、もう一回してもいいよ」
「!」
魏無羨の言葉にカッと目を血走らせ、藍忘機は木の上であることも忘れて彼に覆いかぶさった。
―――――――――。
ちゅんちゅんと鳥の鳴く声が聞こえた。
「チ、もうちょいだったのに。中途半端で起きちゃうこともあるんだな」
「魏嬰、意識はあったのか?」
「あったよ最初から。良い夢だったな。あの頃の藍湛の口づけすごく良かったぞ。がむしゃらって感じで。可愛かった。続き、しようか?」
「うん」
怪しい香炉にはもう二度と力寄らないようにしたかったが、あの続きを見るためなら、あと一度くらいは使用してもいいかもしれないと思った藍忘機だった。
fin.