笑顔のゆくえ ……魈の笑った顔が、一等好きだと気づいたのは、いつだっただろうか。
「……鍾離様……?」
「ああ、なんでもない」
「……はい……」
そう思った後に、今度は魈の笑顔を見れなくなったと感じ始めたのは、一体いつからだろうかと考えた。それ程までに、最近彼の笑った顔を見てはいない。そればかりか、今の魈の眉間には皺が寄っている。この場にいることに対して困っているようにも思う。とてもではないが、にこりとも笑いそうにはない。何故だ。少し前まではあんなに可憐に微笑む顔を見せていたというのに。自分の話に耳を傾けて、たまにふっと笑うその表情は、きっと旅人でも彼がこんなに微笑むことは知らないだろうと、そう自負しているくらいだったというのに。
沈黙が長引けば長引く程に、魈は深く俯き身を縮こませている。茶を淹れたが一口飲んだだけで、その手は茶杯に置かれたままだった。
「茶が口に合わなかったか?」
「……いえ……」
鍾離がそう言うと、思い出したかのように魈は茶杯に口を付けた。益々わからず困惑してしまう。魈の事を全部知っている訳ではないが、性格や好みは誰より熟知しているはずだ。だって、魈とは恋仲なのだから。
……恋仲……それがいけなかったのか?
思い返せばそうかもしれない。恋仲になってくれと言うまでは、優しくふと笑う魈に何度でも恋をしそうになっていた。しかし、晴れて恋仲になってからは、一度も笑顔を見ていない気がする。もしかしたら、相手が鍾離であった為断ることができず、そもそも恋仲になるのが嫌だったのかもしれない。
そう思い至ってじっと魈の方を見る。俯いている後頭部からは、何の表情も読み取れない。
「魈」
「は、はい」
慌てたように魈の顔がこちらを向く。一瞬だけ目が合った琥珀色の瞳は、すぐに外されやや下を見ている。これでは、鍾離のことを拒否されているように感じてならない。ああそうか。なぜもっと早く気付いてやれなかったのだろう。
「……恋仲を、解消しようか」
「……えっ、な……」
そう言った途端、また琥珀色と目が合った。動揺に揺らめいているように見えるが、それも勘違いかもしれない。途端に、彼のことが全くもってわからなくなってしまった。
「無理に付き合わせて悪かった」
「いえ、いえ……我が……我ではやはり不相応であったと……そういうことなのですね……」
魈はか細く呟き、また俯いてしまった。
「俺に不満はないが、お前の方はそうではないのだろう?」
「我に不満など……あるはずがありません」
「では、なぜお前は笑わなくなったんだ。俺といるのがつまらなかったのだろう? 気付いてやれずすまなかった」
「つまらないなど……! 断じてそのようなことは……鍾離様こそ、我は……鍾離様に何もできず……鍾離様も最近……その……」
「なんだ、不満があるなら言えばいい」
魈が何かを言いかけて、その小さな口を閉じ、ぎゅっと結んでしまった。きっと魈にも何か思う所があったのだ。
「不満では、ないのですが……」
「ふむ」
「鍾離様も……近頃笑みを見せてくださらないので……てっきり我といるのがつまらなく、恋仲になったことに後悔されていらっしゃるのかと思いました……」
「そのようなことがある訳がない。こうして茶を飲んでいるだけで、俺は満足している」
「それは、わ、我も同じです」
「……」
「……」
「ふ……はは」
「な、あの……」
「そうか」
「鍾離様」
「はは」
突然笑い声をあげた鍾離に、魈は肩をびくり震わせ、目を白黒させている。ただの思い込みであったことが可笑しく、腹を震わせてしまう。魈の目を見るとぱちくりと瞬きをして一瞬視線が外されたが、また目を合わせてくれた。魈の頬が少しだけ赤い。単純に照れ隠しであっただけなのだろう。そのまま琥珀色の瞳を見つめていると、魈は眉を寄せ、それから俯いて困ったように笑ったのだ。
ああ、魈が笑ってくれた。
その表情を見ていると、また魈のことを好きになってしまったなと、鍾離は思わず口角を上げ、まだ温もりのある茶をよく味わいながら飲み下した。