予約の時点で乗り気じゃないのは知っていたが、そんなに憂鬱になるもんかね?と不思議な顔で彼は彼女を見ていた。
たかが予防接種、大人になる頃には慣れているもんじゃないのかと問えば「嫌いな事続けたって好きになるわけないでしょ!」とますますむくれている。
お子ちゃまめ。
当日になれば流石に腹を括っているかと思ったが外出直前、いや、目的地に着いてもさっぱり覚悟が決まっていない。そもそも注射如きに覚悟は必要ないだろうが。
大の大人が病院の待合室で、親に無理矢理連れてこられた子供よろしく「今なら帰れるよね、帰ろうよ」と呟く様は大変情けない。まるでホラー映画を見に来たカップルのように腕に縋りついてくるのはいいがここは映画館ではないのだから悪目立ちが過ぎる。実際、同じ空間にいる子供にすら奇特の目で眺められている。一緒にいるこちらまで恥ずかしいから勘弁してくれ。
「ねえ、ゾルタン…医療事故とかないよね…」
「お前結構馬鹿だよな」
「酷っ!!もっと優しくしてよ…」
撫でろと言わんばかりに自分からゾルタンの胸に頭を埋めてくる。今更恥もへったくれもありゃしない。幼子をあやす要領で頭をポンポン撫でてやる。
斜め後ろ辺りから「見ちゃいけません」等と聞こえてきたが知った事か。
「大丈夫だよお嬢ちゃん、ちょっとチクっとするだけだからね~。ほーら飴ちゃん喰うか?」
「思ってたのと違うけど飴はちょうだい」
「そんだけ図太けりゃ大丈夫だろ」
飴という単語を聞いて目を輝かせてお手をする元気はあるんだよな、と呆れつつ上着のポケットから取り出した甘ったるいミルクキャンディを手に乗せた瞬間かっさらっていく彼女。
待てでも教えてやろうか思案している間に中待合室へ呼ばれる声が聞こえた。
さて、ここまでくれば後はさくっと注射してもらって会計を待てばよいのだが、一人ずつ呼ばれているにも関わらずゾルタンの腕を力いっぱい掴んで離そうとしない。
看護師がどうしますかと視線で問いかけてくる。ため息を吐き処置室へ一緒に入ることにした。どうせ自分もこの後呼ばれるんだからいいだろう。
すったもんだの末、予防接種は終わった。注射が終わるや否や「大したことなかったね!」とのたまう彼女を小突く。
「俺は恥ずかしかったけどな」
あの後手は離さない、終わってから「怖かったー!」と躊躇なく抱きついてきたせいで処置室の視線を一手に集めてくれた。全員が苦笑いするしかなかった。俺だけが無表情だったと思う。
ジロリと彼女を見やるが涼しい顔でスルーしやがる。
「明日副作用でないといいねー」
「断言しといてやる、お前は逞しいからねぇよ」
その返答を聞いて頬を膨らませて抗議の意思を伝えようとしてくるが余計に幼いと印象を植え付けているだけである。そういうところが可愛いんだがな。
「おい、とっとと買い出しして帰るぞ」
「はーい」
手を繋げば先程までの不機嫌はなく、ニコニコとすっかりご機嫌である。お嬢様は忙しいこって。
翌朝ーーー
兎にも角にも怠い。挙句に悪寒までする。念のために枕元に置いていた体温計で検温すればわかりやすいくらい発熱していた。
彼女は穏やかな顔で腕の中で寝息を立て飽きる気配はない。
その体温が心地良くて抱き枕のように手足を絡めて布団に潜り込む。
「んん〜.....」
少し唸った方思えば抱きつき返してくるのだから後から苦情は受け付けてやらない。
昨日散々付き合ってやったんだから今日は面倒見ろよ。
そうひとりごち、意識を手放した。