膿み傷んだ約束「リンドウ君」
モトイを残して次の目的地に急ごうとするリンドウに声がかけられる。若干の苛立ちと共に彼は振り返った。
「なんですか」
「そこ......左の指、切ってる?」
そう言って自分の薬指を立てて見せる。何気なく同じ場所を確かめたリンドウは、指の内側にぱっくりと開いた傷口を見つけた。痛みは感じていなかったが、目にしてしまうとなんとも痛々しい。
「あれ...昨日まで無かったのに」
「もしかして僕のせいかな?」
「かもですね」
今でこそ穏やかに会話を交わしているが、彼らは前日、ミッションのターゲットを巡って激しい争いを繰り広げた。甘いよリンドウ君、と馬鹿にしたような笑みを浮かべたモトイが有刺鉄線のサイキックを繰り出し、リンドウを締め上げる。ギチギチと食い込む金属の棘は少年の皮膚と精神を苛んだ。モトイのソウルが一旦使い果たされ、リンドウはなす術なくドタリと地面に落ちた。無意識に庇おうと地面についた左手に鈍い痛みが走り、ぬるりとした感触があった。
サイキック自体は傷跡を残さないが、副次的な怪我は別のようだ。
「手をついた時に石とかで切ったんだと思います」
「そう。Sorry, ゴメンね」
軽い謝罪がかけられる。温度の宿っていない瞳、形式的に引き下げられた眉。リンドウは沈んだ気持ちのまま、別に良いです、と言葉を返した。
初めて顔を合わせてから昨日まで、彼の微笑みに心酔していた。敵対するチームのリーダー同士という関係でありながらも惜しみなく自分に助言を与え、優しい言葉や励ましで愛撫してくれる。切羽詰まった死神ゲームの最中であっても、今日は会えるだろうか、メッセージをくれるだろうかと考えている間は不思議に胸がときめいていた。そわそわと落ち着かず浮わついた気持ちになったが、決して嫌な不安ではなかった。
-- 種が割れてしまえば馬鹿馬鹿しいもので、もうその笑みが自分を陥れ嘲笑うものでしかないと透けてしまっている。すまなさそうにしている顔つきも謝罪の言葉も単に形式的なものでしかないことは分かっていた。だから次の言葉を受けた時、リンドウはうまく反応を返せなかった。
「バンドエイド、要る?」
「...え?」
「原宿のpharmacyだけステッカーが貼ってあるんだ、普段はメンバーに渡してたんだけど」
そう言いながら胸元のポケットに手を入れ、白と赤の絆創膏を取り出す。
「手、出して」
「......」
「大丈夫、もう騙さないから。信じてもらえないかもしれないけど」
「い、いえ」
おずおずと差し出された左手をモトイの大きな手が柔らかく掴んだ。絆創膏の覆い紙を剥がし、緩やかに薬指に一周させて傷口を包む。仕上げのようにじわりと軽く指で押さえつけて固定した。柔らかく、暖かな手。
「これでよし。......僕からの、せめてものapologize」
リンドウは指先をじっと眺める。くるくると試すように掌を回してみてから、平板な声で言った。
「ありがとうございます。じゃ、俺先急ぐんで」
モトイは人工的な微笑みを作って彼を送り出した。
「頑張ってね、リンドウ君」
その日、モトイは死神ゲームから脱落した。
次の週には渋谷全体が崩壊の危機に陥った。
次の次の週には全てに片がつき、リンドウは安全な代わりに退屈な学校生活に身を置いていた。
相も変わらず絆創膏が残っている。教室の窓際、自分の席に腰掛けたリンドウは指先を陽光に照らすようにくるくると回しては見つめている。その姿を見咎めたフレットは、後ろの席からうんざりしたように声をかけた。
「リンドウ...まだソレ治んないの?」
「あぁ、うん」
庇うように右手で指先を握り、隠す。
フレットが知らない間に怪我をしたのか、友人の左手薬指にはいつの間にか絆創膏が巻かれていた。何の怪我かは知る由もなかったが、死神ゲームの中では買う機会もなかったから不審に思った。さりげなく友人に「どしたのソレ」と聞いてみても「ちょっと」とぼかされるばかり。そんなこともあって、その位置を離れない絆創膏が妙に気に障るのだ。
「もう三週間くらいになるじゃん」
「なるな」
「ちょくちょく貼り直してるよね?」
「うん」
「本当に治んないの?」
「......治ってない」
リンドウは目を合わせずに答え、薬指を隠す右手がきゅ、と少し強く握られた。それを見たフレットは貧乏揺すりを止め、ハッキリと強めた語調で釘を刺した。
「あのさ。あんまりつけすぎてるとかえって膿になるよ?」
「知ってる」
「治ったら早く取んないと」
「分かってるって」
分かってないじゃん。口に出さずに毒づく。それでもフレットは追及をやめ、パッと明るい声色を作って友人を労ってみせた。
「ならいーけどさ!早く治るといいね」
友人も綺麗すぎる微笑を返し、ありがと、と気のない返事を返した。そうして再び、うっとりとした表情で左手薬指を輪のように覆うバンドエイドを眺めている。その姿に内心で溜息を吐き、文句を吐いた。
--未練がましいよ、リンドウ。