毒蛇とお茶会「トモナミ様の暗黒ショコラパンケーキ!二つ!」
口にするだけで恥ずかしくなるようなメニューを大声でオーダーするものだから、こちらまで血が上って熱くなってくる。ただでさえ、女性ばかりの店内で自分たちは浮いているというのに無駄に目立たないで欲しい。
「フレット...声大きい、ってば」
「そう?ゴメンゴメン」
もはや口癖のようになってしまったやり取りで彼を嗜め、向こうももはや馴れきった様子で頭を掻く。その左腕は見慣れた黒いリストバンドの代わりに、青い天然石がジャラジャラついたブレスレットで飾られている。かつて彼が馴染みだと公言していたガラガラのもので、UGにいた頃はRGを懐かしむように左腕につけっぱなしにしていた。戻ってきて以降に買い直したのだろう。
周囲のテーブルをそっと見回す。女子高生だろうグループや少しそれより年齢が高そうな女性の二人組がそれぞれに巨大パンケーキと対峙し、つついている。こちらに注意を向ける人はいなかった。「鮮血のベリーソース」だの「乙女の三日月レモン」だの破壊的なオーダーが飛び交い、制服の店員さん達が巨大な焼き菓子を手にテーブルの間を忙しなく歩き回る。大きめの観葉植物で見栄え良く整えられた店内を色とりどりのパンケーキが行き交い、彩りを増していた。
”エレガント・ストラテジー”コラボの影響力はMaffMoffにも大盛況をもたらしているようだ。
そのグッズ回収のために友人に付き合わされている。肘をついて文句をこぼす。
「だいたい何で俺なんだよ。ナギさんとで良いだろ」
「できてたらそうしてたって〜!」
フレットは再び声を張り上げ言い訳をした。だからうるさいってば。
聞けばナギさんは長期の海外研修の途中らしい。いくら愛して止まないトモナミ様のグッズといえ、流石に学業とのトレードオフは難しい。涙を飲んで回収をフレットに委託し、ナギさんは一匹アメリカへと旅立った。……とのことだった。
「じゃあお前一人で良くね?」
突っ込みを入れてやると、
「つれないこと言わないでー!一人やだし、俺もトモナミ様のグッズ欲しーもん」
知人によく似たキャラクターの名前を出して拗ねるように口を尖らせている。かつてチームメイトだったその男は”トモナミ様”とよく似た姿だったが、トモナミ様の方が紳士的で優しい。……と、フレットが教えてくれた。元々はナギさんの推しキャラだったが、彼女に教えられてレガストを進めるうちに彼自身もトモナミ様に興味を持ったらしい。「ミナミモトさん思い出してさ、なんか良いじゃん」と懐かしそうに画面を眺めていた。
「そだ、ミナミモトさんも誘えれば誘いたかったかも」
非現実的すぎる提案に思わず吹き出してしまう。
「あの人神出鬼没だしどこ居るか分かんないだろ」
「でもめっちゃ甘い物食うし、量多くても何とかしてくれるし頼りになったよね」
普段は突き放すように余所余所しく、バトルの時以外はふらりとその場を離れてしまう。だが食事、ことにデザートやスイーツの類となるといつの間にかのっそりと同じテーブルに姿を現し、クリームソーダだろうがモンブランだろうが和菓子だろうが、ともかく甘味であればふんふんと上機嫌で平らげた。食べきれない時など、そっと向こうに押しやると上機嫌のままフォークを動かし続け、しばらくすると皿の上に残ったスイーツは消えていた。
「鯛焼きも和パフェも頼み放題だったもんな」
「だね。あ、でも俺も割と余裕あるからキツかったら言って?」
リンドウ小食だし、そんなお腹減ってなかったら悪いし、と彼は弁明する。よく見てくれているし、あれこれと気を回してくれる。要するに俺に甘い。単なる自惚れかもしれないけど。
俺に甘い。それを初めて意識したのはいつだったろう。確か、ピアスの穴を開けた後くらいのことだったと思う。
彼の両耳の銀色が目についた。高校生にしては進んでいてこなれた印象を受けた。堂々と机に腰掛けて友人の話に爆笑を返す彼を見やるたび、キラリとちらつく光が目に入ってきた。既に挨拶、会話、言葉を交わし、友達と呼べる程度の仲にはなっていた。だがその時でさえ、いくつもの装飾品で着飾り、長めの茶髪をワックスで癖付けてふんわりと流したその姿に、まるで自分とは違う世界の生き物のような隔たりを感じていた。
ある種の憧れを持って目を奪われているうちに、ふと視線が合ってしまう。冬の海のように深く、どこか冷めた光を宿したその瞳に不思議そうに見つめられるたびに急いで目線を外した。そんなことが5回も6回も重なった。気まずさを覚えてきたタイミングで彼が探るように声をかけてきた。
「……なあリンドウ、俺の方見てる?」
「あぁゴメン。ピアス、綺麗だなと思って」
片耳に手をやって見せる。内心で申し訳ない、と謝りながら、口先では何でもないように繕って言葉を続けた。
「つけてるやつ他にいないから、珍しいなと思ってさ」
そっかなるほどね、とフレット(彼はそう呼ぶよう提案していた)も自らの耳にそっと触れる。
「中学終わる時に開けた。どう、リンドウも開けてみない?」
「俺?」
自分が?唐突な提案に声がうわずる。高校に入る際に髪を少し明るく染めた。その程度には浮ついた空気に合わせようと努めたが、自らの身体に穴を開ける行為は少しハードルが高いように感じられた。
「考えたことなかった」
「リンドウきっと似合うよ?大丈夫、ここはそんなに痛くないし。俺ももうすぐ軟骨開ける予定だからさ、リンドウもやってみ」
「軟骨って痛いんじゃなかったっけ」
「かもだけど目立つしカッコいいじゃん」
痛みなんて気にもならない、と言うように彼はヘラヘラ笑っていた。そして実際、3日後にはその言葉は本当になっていた。耳の下側だけを飾っていたはずの銀色は上側に2点増え、元の部分では矢尻のついたクロスが金色の光を放っている。
「フレット、流石に学校でそれは目立つよ」
「見せたかっただけ!すぐ取る」
そう言ってクロスを外してシンプルな、見慣れた銀の小球に付け替えた。そして、
「ほら、俺も開けたんだからリンドウも」
と、示唆するように耳たぶを摘んでいた。何度も視線を奪われた煌めきが再び注意を誘う。
結局それから程なく俺も耳に穴を開けた。約束も何もしていないとは言え、痛い思いまでさせている以上無視し続けるのはばつが悪いような気がした。ピアッサーを耳に当て、思いきって勢いよくバツンと歯を合わせると案外呆気なく穴が穿たれた。ぽちりと一点だけ残った穴は小動物の咬み傷のようにも見えた。
痛みがないというのは本当だったが、型付け用の金属の触感が耳に冷たく違和感があった。むず痒さに似た感触が気になって何度も耳に手をやってしまう。そんな俺を目ざとく見つけ、彼は心底嬉しそうに弾んだ声で話しかけてきた。
「開けたんだ?お揃い」
「フレットも開けたんだし何か悪いなと思って」
悪いことをした訳でもないのに、言い訳じみた説明になってしまう。それを聞いたフレットの口端が吊り上がる。
「そだね、ありがと」
ある種の義務を果したようなスッキリした気分だった。ファーストピアス以上の派手なものに付け替えるつもりはなかった。固定しておければ十分。これで、じろじろ見ていた失礼への謝罪になれば良いと思った。
彼がやたら親しく話しかけてくるようになったのはその時からだったように思う。話しかけてくるだけではない、ちょこまかと気を遣われているように感じた。不思議な親切を施されている。
「お待たせしました、トモナミ様の暗黒ショコラパンケーキです」
ハキハキとホールスタッフにメニュー名を復唱され、改めて気恥ずかしさがこみ上げてきた。運ばれてきた皿の上、三段重ねの厚いパンケーキ生地にどろりと黒いチョコレートのソースがかかっている。その上には1スクープよりやや小さいバニラアイスと、それから日本刀を構えた青年がプリントされたクッキーが載っていた。
「相変わらずデッカイな〜」
「最初はびっくりしたよな」
戸惑うほどに爆盛りにされたパンケーキがこの店の売りだった。初めて訪れたのは「死神ゲーム」の最中だったが、威圧するように積み上げられた生地と周囲を飾るフルーツのボリュームに面食らったのを覚えている。食べ慣れた今では完食できるようになったが、最初は残した分をフレットに食べてもらった。
ビターチョコレートの苦味を含んだ香りが鼻先をくすぐる。いただきます、と掌を合わせる。フレットは三段重ねのままパンケーキを大きく切り取り、頬張ろうと大口を開いた。形のいい白い犬歯が覗いて見える。俺もその一段目に浅くナイフを入れ、小さく切り分けて口に入れた。
「あっま……」
どろりとしたチョコソースは早くもパンケーキの内側に染み込み始めていた。強い糖分がじわりと溶け、舌の上に広がる。中和しようとプリントクッキーを摘みガリッと齧る。
大きすぎた一口目をモゴモゴ咀嚼する友人の唇の端には、案の定溶けかかったバニラアイスが白くついてしまっていた。飲み込んだタイミングでフレットそこ、と自分の口を差して示してやると、薄い舌が同じ位置をべろりと舐めとった。
「急いでないんだからゆっくり食えって、ノド詰まるだろ」
「いやー、何かこういうのってでっかいまま食うのがお作法って感じするじゃん」
「しない」
「お上品だねリンちゃん」
楽しげな揶揄いにうるさいな、と答えて二口目を切り分ける。少なくとも俺は時間がかかりそうだった。長い話ができそうな時間。暇つぶしがてら、かつての疑問を再びぶつけてみたいと思った。
「そう言えば、さ」
何気なく切り出した。再び三段重ねのままパンケーキにナイフを立てつつ、相手は「なにー」と気の抜けた返事を返す。
「前、気を遣ってないかって聞いたことあったよな」
「あったっけ」
「あった。6月頃、タワレコ行った時」
弱く長い梅雨の中、傘を差して二人で遊んだ休日のことを思い出す。
「フレット、俺に何か気遣ってる?」
休憩中の昼下がりのカフェで向かい合って駄弁っている最中、思い切って普段感じていた疑問を口に出してみた。アイスコーヒーのストローを咥えたまま彼はきょとんとした表情になる。ちょっと間を置いて口を開いた。「今?別に。そう見える?」
「今っていうかいつも?分かんないけど、無理に俺に合わせてくれなくても良いんだけど」
悪いし、心苦しいし。そんな俺なりの遠慮を知ってか知らずか、彼は「んー?」とおおらかな返事を返した。
「気にしなくていーよ」
「いや、なんか色々してもらってるみたいで悪いし」
その日もフレットと渋谷を歩き回っていた。予約した新盤の受け取りついでにお互いのお勧めの曲を試聴し、幾つものポップを眺めて面白そうなものがあればサブスクのプレイリストに放り込んでいった。ちょっとした立ち疲れで口数を減らしたタイミングで、彼は「休もっか」と声をかけてくれた。それでカフェ会。
「俺は割といつもこう、相手に合わせる方が好きなだけ」
それに、別にリンドウに不利益ないから良いじゃん?気になるならサービスってことで。言いながら彼はグラスの中の氷をくるくるかき混ぜる。言われてみれば、不自然であろうと親切に変わりはなく、俺にとって都合の悪いことはない。居心地の良い関係を差し出してくれるなら良いか、と違和感を飲み込む。
「いやまぁ……フレットがいいなら良いんだけど」
俺も彼を真似てカフェオレをかき混ぜて冷やし、啜った。視界の端で彼がくす、と笑みをこぼした。気がした。
ピアスの穴を開けて以降、彼に呼ばれて帰り道や休日の時間を共にすることが増えていた。俺の好きな音楽を聞きだし、次の日には「俺も聞いた!良い曲だね」と話を合わせてくれたり、買い出しに付き合えば「リンドウはこれ似合うんじゃない」と勝手にコーディネートしてくれたり。俺が風邪で休んだときは日中のメッセージに逐一反応を返してくれた。授業の合間を縫ってだろう、時間を置いて帰ってくる空々しいリプライで暇を潰しながら細切れに眠った。
纏わりつく霧のように、彼の存在が隣に馴染んでいく。
誰にでも言葉をかけ、誰とでも仲良くできる奴だというのは遠目から見ていても明らかだった。基本的に人当たりの良い彼のこと、自分が特別優しくされているのかは分からないし統計をとった訳でもない。だが、少なくとも自分の人生経験を振り返る中では、「攻撃性」というものが著しく低い人間だと感じた。まるで羽根で撫でるように優しく扱ってくれている。心地よさと、少しの違和感……不自然さを覚えていた。
その日の記憶を辿ってああでないこうでないと話しているうちにフレットも思い出したようだ。
「あー、あったか、そんなこと」
「あった。それで、その時は確か『相手に合わせたいから』って言ってた」
「言ったっけ。うん、多分言ったわ」
フレットは手持ち無沙汰にフォークの先で皿をカシカシと引っ掻いた。お互いの皿の上には半分程度のパンケーキが残っている。惰性で一切れを口に放り込む。食べ始めた頃の痺れるほどの味を感じられないのは、舌が少し麻痺しているのだろう。コーラの瓶の横に角砂糖のピラミッドが積まれた画像をふと、思い出した。とっくに本日の許容摂取量を超えてしまっている気がする。
結局あの日の疑問は解決しないまま4か月が過ぎた。お互いあの頃から少しだけ踏み出せるようになっていた、もう一度聞くなら今だという気がした。
「ずっと気になってたんだけど、本当?」
「ほんとー」
ヘラヘラとしらばっくれているが、今度はその手に乗ってやらない。フレット、と呼びかけて彼の注意を引き戻す。薄ら笑いを引っ込め、叱られた子供のようにおずおずと目を合わせてくる。真面目な話は好きじゃない、と気まずそうに話す姿を思い出しながら慎重に言葉を選ぶ。
「本当なら良いけど、もし負担になってるんだったら俺は嫌だ。何か理由があるんだったら知りたいし、俺もフレットになんか返した方が良いのかなって思うし」
「理由ねぇ」意味深にため息をつく。「ネタバラシ、聞きたい?」
反応があった。真面目なものでも下らないものでも良い、理由があるのなら知っておきたい。そして何かお返しができれば良いと思った。コクリと肯き「聞きたい」と返すと、観念したように重い口を開く。
「んじゃ教えたげる。……怖いから」
「怖い?」
意外な回答だった。そして、答えがあるということはやはり気を遣ってくれていたということなのだろう。
「そう、怖い」残った生地を小さく切り分けながら彼は言う。
「親友が遠くに行っちゃったって話したよね?あれ以来、誰かと居ても全然安心できなくなった。そのうち俺の手の届かないところに行っちゃうんじゃないかって」
ゲームの中で聞いた話だった。彼は何か悩みを抱えた旧友を助けようとして叶わず、そのまま離れ離れになってしまい連絡も取れていないのだという。自分だったら辛いだろう、と思う。例えばフレットに同じことをされたらとても悲しい。
「だから誰かに親切にしてると安心できる。俺はちゃんとやれてるし、相手は喜んでるし、俺を置いてどっか行っちゃわないって思ってられる。ただの自己満だけど」
深い青の瞳が寂しげに陰っていた。カノンさんを喪って、チームメイトに初めて心を打ち明けた時に見せたのと同じ翳り。張りをなくした彼の声は弱々しく、自らを卑下しているようにも聞こえた。
「リンドウは特にそう。どっか行って欲しくないから引き留めておきたかった」
「特にって……どういうこと」
「『気を遣った』」
悪事の告白ででもあるかのように彼は打ち明ける。答え合わせは正解だった。多かれ少なかれ気を遣わせていたということ。しかし、続く言葉のニュアンスは俺の想定するものとは異なっていた。
「俺に合わせてピアス開けてくれた時にさ、思った。優しいんだなって。そういうの嫌がりそうな割に、頼み込めば付き合ってくれるんだって。だからもし全部嫌になるようなことがあっても、しがみついて泣き落とせば連れてってくれるし、俺を置いてかないと思った」
絡みつくような言葉にざわざわと心が波立つ。空調の風が首元にまともに当たり、ヒヤリと冷たい。連れて行く、どこに、と問い直す気にはなれなかった。その暗さに気づかないふりをして、彼が気を許してくれたことへの嬉しさだけを伝える。
「そっか……でもちゃんと話してもらえて良かった」
そう?見定めるように薄笑いを浮かべている。水滴を吹いたコップの氷が溶け、カラランと軽い音を立てる。
「もう逃げないだろうなって思ったからね」
その眼差しは仄暗いものを含んでいて、ゾクリと背筋が痺れた。さっきから何だか妙に涼しい。冷房のせいかと思ったがおそらく俺自身の感情の揺らぎによるものだ。答えあぐねて逃げ道を探しているうちに、相手はスッと視線を外した。
「ってのはジョーダン」翻弄するように、急に声のトーンが明るくなる。
「ちゃんと俺のこと見てて、向き合ってくれるのかなって思ったら嬉しくなってさ。なんか、打ち明けてもいいかなって気持ちになった。話してもリンドウはちゃんと俺の側にいてくれると思えたから」
どちらが彼の本音に近いだろう、と一瞬考え込む。しかし、言い方が違うだけで真意は変わらないのだろう。むしろ、コーティングされない生の感情を伝えてくれたことにおかしな満足感を覚えた。彼が安心できるように、ゆっくりと伝える。
「心配しなくても俺はいなくならないし。適当でいいよ」
「ありがと、でも多分これからもやめない。俺が甘い顔したいから優しくすんの」
綺麗な目がスッと眇められる。優しい猫撫で声が耳を擽ってくる。
「だから絶対俺の側に居てね、リンドウ」
『気遣い』だと思ったものの真意に初めて気付かされた。惜しみなく差し出される親切は既に全身に回り切っていた。居心地の良い関係に寄りかかっているうちに、いつの間にか何重にも手足を絡めとられて逃げ出せなくなっていた。……いや、今更逃げ出す気なんてない。
全部好きになっていた。戯れかかる犬のような陽気さも、深い青の瞳も、薄くて大きな手も。何より、優しく名前を呼ばれるのが好きだった。リンドウとかリンちゃんとかリンドウさんとか、その時々によって茶化すように呼び方はくるくると変わった。それでも、俺の名前を呼んでくれる、その底に篭った懐っこい好意は変わらなかった。時折低く落とした調子で話しかけてくる、その声を聴いているだけでじわりと満たされたような気持ちになり、ふわふわと気分が宙に浮いてしまいそうになる。彼がその全てを俺に振り向けてくれる時間が好きだった。
それから、彼と一緒に歩いて他愛ない会話を繰り返すことが好きだった。どこへでも連れて行くし、着いてきてくれれば嬉しい。彼がどこかへ道を踏み外しそうになったら引き戻してやりたいと思っていた。……だから、答えは決まっていた。
「分かった、そうする。フレットもしたいようにすれば良い」
フレットは目を丸くして、え、と意外そうな声を出した。それを聞きながら、溶けて皿に広がったアイスの名残りをパンケーキの最後の一切れでくるりと拭い、口に入れる。最後の一口まで暴力的に甘い。
「まぁ色々してもらう分には都合いいし?」
「リンドウ……あんがい図太いね」
「だって俺に不利益ないんだろ」
彼がかつて言った言葉を思い出し、なぞった。戸惑いながら享受するか堂々と共犯関係になるか、それだけの違いだ。毒気を抜かれたような表情で彼は答える。
「リンドウがないって思うならない」
「別にないよ」
事実だった。一緒にいて嫌だと思ったことなどなかったし、雰囲気が悪くなることはあったものの明らかな喧嘩をしたことがない。居心地の良いこの関係が心底から気に入っていたから、不都合なことなど最初からなかった。
「それに今更だし」
さらりと白旗を上げてみせる。鋭くそれを聞きつけた彼の顔にいつものにやけた表情が戻った。その両耳には、いつか目を奪われた金銀のピアスが今も眩しく光っている。
「だよね?良かった。……リンちゃん、これからもよろしく」
「あぁ、よろしく」
チョコレートがけパンケーキの身体に悪そうな糖分がまだ舌の上に残っている。シロップをびたびたに滲み込ませ、胸も舌も焼きそうなスイーツを口一杯に頬張るために、また彼と食べにくるのも悪くないと思った。