猫探しの休日 にゃーおん。
銀虎の猫が長い間延びした鳴き声を立てた。フレットの手からチーズの一筋を受け取り、食べ終えたところだった。
「リンドウもいる?」
フレットが裂けるチーズを器用に片手で割り、食べやすいように差し出す。それを見たリンドウは顔を顰めた。
「さっき猫撫でてただろ」
「左手だからダイジョブ」
そう、と言ってリンドウは大人しくチーズの一筋を咥え、そのまま口で千切る。もしゃもしゃと一片が飲み込まれていく様を見たフレットが笑った。
「リンドウもネコみたいじゃん」
チーズの最後の端まで飲み込んだリンドウが両手を頭の横に揃え、にゃあ、と戯けてみせる。カワイイカワイイ、と撫でようとした手をリンドウはパシリと弾き、そっちはさっき猫撫でてた方、と言ってそっぽを向いた。
夏の置き土産のような、もったりと蒸し暑い日だった。薄曇りの空。じわりと汗をかくような大気が二人の肌にまとわりつく。どこに隠れていたのか街路樹には再び蝉たちが集い、ジャワジャワと最後の鳴き声を響かせている。その音をBGMに、二人は猫の姿を探して街を歩き回っていた。
「迷い猫探し」
彼らが渋谷を救った日のこと。渋谷のコンポーザーは意味深にクスリと笑い、謎かけのようにリンドウにそんな課題を出した。本物の猫を見つけ出せれば、魔法のように少女へと姿を変えるのだろうか。そんな童話のような妄想を心底から信じたわけではなかったが、それ以外になすべきことが見つかるわけでもない。
あの日以降、二人の散策には一つ目的が加わっていた。小さなリュックにチーズや茹でたささみを詰めていつものコースを辿り猫たちを探し歩く。殆どの猫は彼らが手元の食べ物を差し出すのを見るや、甘ったるい丸い声を上げて駆け寄ってきた。
「地域猫、だよなコイツ」
頭を擦り寄せる銀虎の額の辺りを掻きながらリンドウが言う。
「耳に切れ目入ってる」
「チイキネコ...増えないようにした野良猫とかだっけ」
「うん。でもそういうのって何か、ショウカっぽくはないよなぁ...」
「うーん、あるとしたら黒猫って感じするよね?あと確かにノラって気がする」
「.....だよな」
んなー、と別れの挨拶のように猫が鳴き声をあげ、そのままトットッと軽やかな足取りで歩み去っていった。二人は後を追わず、ベンチに腰掛けたままその後ろ姿を見るともなく見ていた。午前をかけて歩き回っていたせいで脚が気だるく熱を帯びている。昼下がりの公園は二人のほか誰もおらず、蝉の声だけが響いている。時間が止まってしまったかのように、何も起こらない。
「こんなんで本当にショウカちゃんに会えんの?」
手持ち無沙汰に足をブラブラさせながらフレットが尋ねる。晴れない顔のままリンドウは答えた。
「......合ってるか分かんないけど。探すしかない」
行こうか、行くか、とどちらからとなくベンチから立ち上がり、公園の端のゴミ箱にチーズの空き袋を捨てる。砂利を踏みしめた足元で蝉が一匹ひっくり返って死んでいた。
閑静な神泉や松濤にはそれなりに多くの猫がいて、池のある公園のベンチやラーメン屋の裏のポリタンクの上でのんびりと欠伸をしていた。彼らも最初はその辺りから探し始めたが、「会うならいつものとこな気がする」とリンドウが曖昧に軌道修正してからは死神ゲームで訪れた場所を中心に歩き回るようになっていた。勿論、センター街やスクランブルに野良猫はいない。キャットストリートや原宿には時折見かけることがあったが、彼らは総じて片耳の切れ込みや鈴付きの首輪を身につけていた。そうでない、数少ない野良らしい猫はあっという間に顔を覚えてしまった。
そうしてエリアを大方調べ終えた二人だが、未だに迷い猫は見つけられていない。
宇田川町奥の住宅街へ繋がる細い道を辿りながら、フレットが隣に尋ねかける。
「この辺り調べたっけ?」
「前来た時は居なかったけど」
「んー、でも残り居そうなのってココくらいしかなくね......あ」
やや長い沈黙ののちにフレットが驚いたような声を出した。どうした、と振り向いたリンドウに「あそこあそこ!」と指で指し示す。
黒い猫だった。
長い階段のちょうど真ん中のあたり、そろった耳と長い尻尾を見せつけるように軽やかに歩いていた。二人を気にかける様子もなく、視界の中を右から左にスウ、と横切っていく。曲がりくねった階段の上、長く黒い影が踊るように通り過ぎた。リンドウはそれをぼんやりと見送っていた。
「アレっぽくね!追っかけよ!」
フレットが熱っぽく語りかけるが、リンドウは放心したように口を開けたまま前を見ている。
「ちょっと!リンちゃん!聞いてる!?」
語調が少しだけ強められて初めてリンドウは「あ、ああ」と向き直った。どしたのボーッとして、と不思議そうにしている友人に、リンドウは言いづらそうに話しかけた。
「あのさ......もうやめにしないか、今日」
「へっ?何で?」
「えっと、ほら雨降りそうだし...午前ずっと歩いてたし」
フレットは首を傾げる。空は先ほどと全く同じ色をしているし、雨の匂いもしていない。
「でもさ、さっきのちょっとショウカちゃんっぽくなかった?折角だし追っかけてみようよ」
「......今日はもう良いんだけど...駄目かな」
リンドウは申し訳なさそうにボソボソと続けた。自分の服の裾を心細そうに掴み、不安げに揺れる薄い鳶色の瞳でじっと見上げていた。その様子を見て、フレットは諦めたように破顔する。
「いや全然!リンドウがいいならいいし、帰ろっか!」
「......悪い、折角付き合わせたのに」
「気にすんなって!てかリンドウに見せたい動画とか溜まってるし、今から俺んち来ない」
「いいのか?」
「いーよ!コンビニ寄ってお菓子とか買って帰ろ」
リンドウは無言でコクリと頷く。少し迷信深くなった友人に内心で苦笑しつつ右手を差し出すと、黙ったままでその手がぎゅっと握り返された。少し汗をかいた手を繋いだまま、リンドウにそれとなく誘導されるに従って塀側に沿って歩き出す。
二人の帰り道は薄曇りの中でぼんやりと翳っていた。