ハングオーバー↓ウィークエンズ 待ち合わせて近くのスーパーで缶チューハイとワインと食べ物を買ってきたのが、2時間ちょい前。
乾杯、と言って缶とグラスを合わせたのが大体1時間半前。
で、現在、部屋の中にはピザの空き箱と赤ワインの瓶、ミックスナッツが少し残った木皿、それから何本もの空き缶がだらしなく林立していた。それらに取り囲まれるように二人でモニターの前に胡座をかき、コントローラーに電気信号を送っている。
スティックを右に左に傾けるたびに、物凄い勢いで青い針鼠のキャラクターが画面を走り回った。そのスピードに目を回したのか、青い服の剣士のキャラクターは爆弾を抱えたままソワソワと落ち着かない挙動を続けている。その隙を捉えて体当たりの一撃を叩き込むと、案外情けない悲鳴と共に剣士は画面外に消えて星になった。そうできたことに俺自身が一番驚いていた。驚きのあまりコントローラーを取り落としてしまい、慌てて拾った。
「……うっそ、ノーハンデでリンドウに勝っちった」
「あれ、俺負けた?」
「負けてる負けてる」
うーん、と唸った友人はガシガシと頭を掻いて、グイとさらに一口チューハイを啜った。ガシンと勢いよく缶を置いて戸惑ったように画面を見つめている。画面が切り替わり、針鼠が軽やかなダンスを見せる背後で剣士が不服そうに手を叩いていた。
「おまえそんな持ちキャラにしてたっけ」
「この前からちょっとだけ練習した。持ちキャラってほどじゃないけど」
木皿からナッツを少し取ろうとして、リンドウの手とぶつかった。あーゴメン、と少し手を引いて2・3粒だけを手に取る。彼も左手にナッツを移してポリポリと一粒ずつ齧っていた。
普段であれば逆なのだ。
彼の操る剣士はどんな僅かな隙にも的確に獲物を差し込んできた。俺だって無策じゃないし、コンボの練習したりいろんなキャラを触ってみたりした。でも結局は徒労で、緑色の恐竜を選ぼうがクリーム色のマルチーズを選ぼうが、俺の操作するキャラクターは無表情な剣士の一閃の元に次々と切り捨てられていった。フレットよっわ、と嗤われるのは結構癪に触るのだが事実なので反論のしようがない。お互い楽しい緊張感を持って遊ぶために2機以上のハンデをつけて対戦するのがお決まりになっていた。
ところが。
今日のリンドウはてんで駄目、ダメダメだった。さんざん煽ったアルコールに思考を鈍らされているのだろう、剣士は見当外れの方向に弓矢を飛ばし、無謀すぎる距離から必殺の回転切りを繰り出した。あれ、どしたのどしたの、と挑発してやれば、覚束ない千鳥足のステップで突っ込んでくる。ダッシュ突きを後ろに躱し、腕を伸ばして硬直した身体にワンツーパンチをたたき込む。仕上げのハイキックを顎にまともに受け、剣士の頭上に星が舞い飛ぶ。
「なんだか今日は妙に速いなフレット?」
「てかリンドウが変に反応悪くない?」
「え、なんか腹立つわ」
そう言ってずんと座り直した彼は、脳震盪から醒めた戦士に指先で指令を送る。
「だからそれじゃ当たらないってば」指を振って、挑発。
「くっそ、フレットのくせに」ぶんぶんと力任せに剣を振り回す青年からバックステップで距離を取る。
「癖にってなに!」
軽くコントローラーを弾き、体当たりの一撃を食らわせた。こんなに綺麗に決まるのは本当に珍しい。
「……リンドウ、だいぶ酔ってる?」
「酔ってない」
言いながら投げつけるブーメランはまたも空を切る。画面の中の針鼠のキャラクターもニマニマ笑いを浮かべていた。やれやれ今日は余裕そうだな、なんて言ってそうな顔だった。
「なんか今日無理だわ」
それから40分後、大袈裟にため息をついたリンドウは諦めてコントローラーを放り出した。戦績は7対2、ハンデマッチを入れても今までで一番成績が良い。
「信じられんね、普段なら勝てないのに」
「ウソだろ、酔っててもフレットなら勝てると思ったのに」
この期に及んでふてぶてしい。しかし無残な戦績をもって言われれば微笑ましいものにしかならなかった。面白いので、少し背筋を伸ばして覗き込むように挑発をかけてみる。
「どう?別ので試してみる?レースゲーとか格ゲーとか持ってたでしょ」
「んー……」
後ろ手をついただらしない姿勢のまましばし悩んだのち、やめとく、と諦めた。賢明な判断だろう。全ジャンルで負かしてやったら爽快かもしれないけど、流石に可哀想な気もする。モニターの電源を消すと部屋の中は急に痛いほどの沈黙に覆われた。
「……音楽つけて良い?」
「お好きにどうぞ」
どうでも良さそうに投げかけられた言葉に従い、鞄から取り出した小型スピーカーをセットしてBluetoothを繋いだ。自動プレイリストから落ち着いたエレクトロニックの曲集を選び、再生する。滑らかな電子音が再び部屋を満たし、リンドウが心地よさげに指でリズムを取り始める。『お好きにどうぞ』な割には、いつもこうちゃっかりしているのである。
「で、最近どう?大学」
「フリが雑かよ」
適当に振り向けた話題に、リンドウは苦笑を返した。
「どうもこうも別にない、フツーに講義出てる」
「サークルは?」確かマイクラだか何だかのサークルに入ったと聞いていた。
「この前忘年会やったばっか。あとはまぁフツーに講義終わったら部室行ってる」
「マイクラ部ってマジでマイクラばっかやってんの?」
「いや?ゲームならなんでも……ただ部室にサーバー置いてるしそこで学内の再現とかしてる」
「ふーん……」
俺にとってはあまり馴染みのない世界だ。本人が楽しいならそれでいいけれど。
「フレットは?」
「サークルの方は同じ感じ」
「テニサーだっけ?」
「テニサーだけどちゃんとテニスもやってる」
「いやテニサーだし当たり前だからな?」
本来ならばその通りである。俺だって、ドライブに行ったり花火を打ち上げたり釣り船を借りてみたり徹夜人狼やったりする傍らでちゃんとテニスもやっている。
「で、成績はまぁ、そこそこ?」
この場合の”そこそこ”とは”留年していない”ことを指す。バイトにサークルに海外旅行にと遊び回るのに忙しく、テストの方はなんとか最低単位を拾い集めているような状態だった。なんなら1ヶ月後にはまた試験期間が入ってくる。
「フレットの”そこそこ”だもんな」
見透かしたようなことを言って、リンドウは天井に目をやった。
学力水準が違いすぎたため、当然のように大学は別々になった。同クラやサークルを通じて新しい人間関係が作り直されたとはいえ、高校時代の友達はそれはそれで貴重である。たまにアプリで連絡を取り合い、お互いの家に寄ってゲーム会をしたり、気が向けばレンタカーを借りて遠くの温泉まで遠乗りしたりした。
リンドウが20歳を迎え、飲酒ができるようになってからは1度だけ会っていた。旧友と飲みしたらどんな感じ?とばかりに、懐かしい”カリーカラージャ”でアラカルトの注文とインドビールと水割りを頼んだ。店内は綺麗に改装され厨房を行き来する外国人もあの頃より2人増えていたが、店長のアラディフさん自らジョッキとグラスをテーブルに運び「おふたりとも大人なった」と悪巧みするような表情を見せた。
幼馴染み……とまでは言えないが気心の知れた相手を前にして、スパイスの効いた小皿をつまみに酒を舐める。相も変わらず少食なリンドウは、一つだけ頼んで二つに分けたプレーンナンの小さい方を取り、ちびちびとカレーに浸しては口に運んでいた。そうして与太話を続けていると、普段は喉に押し込めるような言葉も容易く引き出されてしまった。本音ベースで話ができるのが心地良くもある。初回の二人飲みは結構いい感じだった。
と言うことで、今回は2回目。リンドウの部屋で宅飲みということになっていた。
程よい酩酊とスローテンポのEDMに全身で浸っていると、不意に隣からプシ、と音がした。横を見ればリンドウは新しく度数9度のチューハイを開け、勢いよく缶を傾けている。
「だ、大丈夫?リンドウ酔ってない?」
「まぁこれくらいは?」
「ホントーに!?」
ことり、と缶を置いた彼が答える。こちらを向いたその目は火照ったように潤んでいる。
「ダメかな。普段あんまハメ外して飲まないから今試してんだけど」
「サー飲みの時はどーしてたの」
「多分俺強くないからいつもセーブしてる」
「にしては今飲んでない?」
「家だしフレットだし?別にいいだろ」
いいけどね、と答えつつ、よくないな、と頭の片隅で思った。せっかく腹を割って話せるリンドウと一緒に酒飲んでるんだから、酔うのに任せてもっと真面目な話をしたくもある。就職先とか、恋愛とか結婚がどうとか。でもここまでグダグダに酔った状態ではどうせ言葉遊びにしかならないのだろう。当面心配なのはリンドウの健康面の方である。肝臓とか。
「んな飲み飛ばすほどストレスでも溜まってんの?」
「別に?ただおまえ相手だと飲みやすいってだけ」
こともなげにそう言って再びチューハイを手に取っていた。そんなことを言われると咎める気も失せてしまう。
電子音楽が緩やかに鳴り続けていた。一定のフレーズが波のように何度も繰り返され、ズシンとした低音の振動が胃の底にまで響きわたる。それがまったりと体を重くした。音響とアルコールの海に揺蕩うような、安らいだ気分。
一ヶ月後に迫った試験のこととか新歓の幹事にされそうなこととか、色んな些事がぼんやりとどうでも良くなってくる。大学生にもなると色々あるし、どうせ社会人になっても家庭を持っても年老いても色々あるのだ。色々に追い回されるのが人生で、俯瞰してるつもりでも喉元に迫ればマジメにいっぱいいっぱいにさせられる。それらを適宜押し流してやっていくのにアルコールというのは実に便利な道具である。人生って結構上手くできている。
「なぁふれっと」
やや舌足らずな発音で自分の名前が紡がれる。ほわほわと酩酊してまとまらない思考回路のまま、何、と答えを投げ返す。しかし彼はそのまま言葉を続けるでもなく、片手を俺の頭に回して髪をグシャグシャと掻いた。乱れてしまうのが気になるが引き剥がす気にもなれない。されるがままに大人しくしていると、やがてその動きは真っ直ぐ梳き下ろすようなものに変わった。何このダル絡み。奏竜胆はあまり上手くできていない。
「おまえ髪下ろしてもけっこー似合うよな」
「そう?惚れちゃったりする?」
「カッコいいよ」
飽きずに俺の髪を弄りながらクスクス笑っている。……流石にこれは危ないよなぁ、と思った。微妙に呂律が回っていないし、明らかに酔いすぎ。サッと飲みかけの缶チューハイを奪い取り、2分の1ほど残ったそれをグイグイと飲み下す。炭酸の喉越しに咽せそうになりながらもブドウ味のそれを一気に腹に収めると、胸の奥から朦朧とした霧のようなものが競り上がり思考を侵した。喉が痛いし空気が迫り上がってくるから苦手なのだが、放っておいて粗相コースになるよりマシだ。
クラクラする視界の中でリンドウが不服そうにこちらを睨んでいる。
「変なきづかいすんなって」
「だってリンドウめっちゃ酔ってるし」
「大丈夫だってば」
変なペースで飲んだせいで目の前がぐらつく。引き込まれるような頭の重さに逆らわずに床に仰向けに横たわると、天井の模様がゆらゆら蠢いていた。壁紙の繰り返しのパターンをいちにいさん、となんとなく数えていたところ、不意に腹のあたりに重量が加わる。暖かな硬さから判断するに、彼も平衡を崩して寝転がっているのだ。俺の腹に頭を乗せて。
「リーンちゃん!人の体を枕代わりにしない!」
「減るもんじゃないだろ」
悪びれる様子もなくそのまま頭を乗せているものだから、ムズムズと擽ったい。しかし頭をもたげて振り落とすだけの元気もなく、仕方がないので文句だけを口にした。
「いいけどさ?どうせならベッドで寝ろって、風邪引くよ?」
「んー……」
なんと彼は大胆にも、俺の上に寝転がったままでスマホを開いて画面を覗き込んでいる。本格的に動く気がないらしい。このまま布団も引かずに寝たら、二人揃って風邪をひいてしまうのがオチだろう。動くのを嫌がる身体を叱咤して無理やり上半身をモゾモゾ動かし、引き抜いた。不意に支えをなくしたリンドウはごく自然に頭を床にぶつけ、恨みがましく俺に視線を向けてきた。
「痛いんですけど」
「俺も重かったんですけど!?」
「じゃ腕貸して」
逃げる間も無く投げ出していた腕が拾われ、勝手にその上に頭を載せてくる。タガが外せる状態でアルコールを入れるとこうなるらしい。普段のリンドウからは想像もつかないほど、パーソナルスペース判定が激狭になっている。
「……今はいいけどさ、寝るときはちゃんとベッド行かないとホントに風邪引くよ?」
「んー……」
「何したいのリンドウ」
「……こうしてると安心するんだよ」
ふと手元を見ると、ずっとスマホを弄っていた指が止まっていた。黙って身体を丸めて、アルコールのせいか荒い呼吸に胸を上下させている。
高校の頃からの癖だった。突然手を触れてきたり、妙に見つめてきたり。問いただしても「いや、別に」と躱されてしまうから深追いはしなかったが、何となく理由は理解できた。何か変な夢、とても悪い夢でも見たのだろう。例えば全てを失った未来とか。
ス、と身体をさらに寄せて、フレットあったかい、と妙なことを口走り始める。恋人を思わせる甘え方に、何となく動悸が上がるのを感じた。ずっと思っていたことだが、友人は比較的女顔なのである。いつも不機嫌そうに細められて分かりにくいが、目許がとても優しい。曖昧に移り変わる表情も柔らかな印象を与えている。それなのに手首や鎖骨のあたりは肉付きが薄く骨張っていて、そのアンバランスさに、妙にぐらつかされることがある。
仄かに明るく色が付けられた髪に手を梳き入れて軽く掻いてやる。リンドウは目を瞑ったまま心地良さげにそれを受け入れた。微睡む猫のようにしばらく接触を受け入れていたが、不意に俺の手が掴まれた。何をする気だろう、と力を抜いていると、しばらく手先をぼんやりと見つめたのちに口元に引き寄せられ、中指と人差し指をぱくりと喰まれた。えっ何!?と思わず声が漏れるが、リンドウは怯む様子がない。
ぽてっとした厚い舌が二本の指の表面を滑る。ぬるり、ざらざらとした湿った感触が蛇のように絡み付き、好き勝手に指先を蹂躙されている。あらぬ方向に飛ぼうとする連想を抑えることができず、大変よろしくないことに腰のあたりがムズムズした。あろうことか軽く歯まで立ててきたタイミングで指を引き抜く。唾液が軽く白い糸を引いた。
「ちょっとリンドウ!人の指食べないで!」
「しょっぱい」
彼は呟いて顔をしかめる。さっきまでナッツ食ってたからだろう。
「なんかうまそうだったのにな」
「酔いすぎ……あ」
アルコールに浸された脳は突拍子もないことを思いついた。放り投げてあった鞄を引き寄せ、いくつかあるジッパー付きポケットの中を順繰りに探っていくと、3つ目のチャックの奥にそれは確かにしまわれていた。通販サイトで見かけて、先週サークルの同期男子飲みの時にネタで見せびらかして爆笑を買った。その時のまま鞄にしまいっぱなしになっている。取り出して、リンドウの目の前で軽く振ってやる。
「……蜂蜜?」
柱状の安っぽいプラスチック容器に赤いキャップが付いた”それ”は、見た目だけならスーパーで売っているような蜂蜜となんら変わらなかった。用途が異なることにはまだ気づいていない様子で、なんでそんなん持ってんの、と言わんばかりの訝しげな顔つきをしている。
「だと思う?」
キャップを外して掌に掬い取り、舌で大きく舐めとる。ほとんど蜂蜜の味と香りなのだが、ベタベタとした本物の肌触りと異なりぬるりとした滑らかな粘り気を帯びている。強い甘みにピリっと軽く舌が痺れる。わざとゆっくりと毒味していた俺を、リンドウは興味津々を隠せない表情で見つめていた。
「美味いの?それ」
「食べてみる?」
見せ付けるように二本の指先に垂らし、ハイどうぞ?と鼻先に突きつけてやる。クンクンと犬のように匂いを嗅いでいたが、液体が垂れ落ちそうになるのを見て俺の右手首を両手で掴み、指先をパクリと口に含んだ。再び舌先が指に触れ、液体を舐めとる。人差し指と中指の間、それから関節の襞の合間まで丁寧に拭おうとするように濡れた感触が行き来した。それだけで飽き足らないのか、ローションが付いていない第二関節の先あたりまではぐはぐと咥え込まれる。
舌先が指に押し付けられ、柔らかな感触が飴を味わうように先端を行き来した。暖かな唾液がじわじわと指先を覆い、時折じゅ、と音を立てて吸われる。いや本当に美味しそうですねリンドウさん。面白いので指先を曲げて口蓋をガリガリと掻いてやると、全般的に力が抜けきっていた身体にびくりと緊張が戻った。気持ち良さげに目を細め、口内を勝手に弄っている指に舌で圧を加えながら上目遣いで見上げてくる。……正直、友人に見せていいカオじゃないと思う。俺はいいし、俺にならいいけど。
「美味しかった?」
「甘い……けど良い香りがする、本物よりも」
「へぇ、気づいてんじゃん。何だか分かってる?」
「潤滑剤」
「……おぉ」
当たり、と続けながら内心でビックリしていた。リンドウにあんまり男子的イメージを持っていなかったが、案外やることはやっているのかもしれない。やることやった上で先程の態度を取っているのだとしたら性質が悪い。
「な、リンドウも食べさせてくれない」
「食べさせる?」
「さっきみたいな感じか、そうじゃなきゃ勝手にさせてもらってもいいけど」
へぇ、と値踏みするようにその目が眇められた。
「お好きにどうぞ」
「言うねー、勝手に身体使うよって言ってんだけど本当にいいの?」
「だから好きにしろって」
どこまで想定しているのか分からないが、どうせ自分なら大したことはされないとタカを括っているのだろう。実にふてぶてしい。案の定、なんでもない風を装って「じゃ上脱いでくれる」とリクエストすると、どこ使う気だよ、と文句を言いつつ存外素直に肌着ごとたくし上げて素肌を晒した。チョロ過ぎて心配になってくる。
はいバンザーイ、と子供にするように指示してそのまま被服を剥がす。さっむ、と呑気なことを口走っていたのでリモコンを探り、温度を23度に再設定した。スミマセン環境問題。それから、最悪寝落ちできるように彼をベッドに誘導した。仰向けに横たわった彼の上に位置を取り、改めてローションを手に取る。キャップを外し、柔らかそうな下腹のあたりにトロトロと液体を垂らした。薄い黄金色の液が触れた瞬間、リンドウはビクリと身体を震わせた。
「つめたい」
「あ、ゴメン」
暖めてやるように顔を寄せ、はーッと息を当てた。リンドウの肌に温められたのか、咽せそうなほど甘い、お菓子めいた香料がふわりと漂っていた。彼の言う通り香りが良い。溢れそうなほどに液体を纏った素肌に舌を這わせる。緊張のためかふるふると震える肉の表面を舌で何度もなぞり、軽く歯を立ててやると「ふぁッ」と妙に上擦った声がした。— 甘く、そして柔らかくて暖かい。圧し返すような弾力を持つ皮膚を何度か噛む。少し力を加えればぶちりと噛み千切ってしまえるだろう。
美味しい、と変な感想が脳内に湧く。一旦顔を離した。黙り込んでしまったリンドウへの安全確認。
「いたかった?」
甘噛みになる程度だとは思ったけど、一応。別に、と震えた声が返ってきたがそれきり拒絶も静止もない。『お好きにどうぞ』等と言った手前そう簡単にギブアップする気もないらしい。じゃあどの辺でギブになるかな、なんて何だか愉快な気分になってくる。
肋骨の下から硬い胸板の辺りと順になぞっていく。あまり肉の付いていない薄い胸にローションが触れ、リンドウの肩が軽く跳ねた。無言で身体を上に引こうとするので躰を両手で捉え、そのまま左の乳首の周りを舌で舐めとる。ヒャッ、というような声が漏れた。ごく薄い悲鳴のようでもあり、ごく仄かな喘ぎ声のようでもあった。そのままぺろぺろと突起の辺りを舌で弄っていると、やんわりと押し除けるように頭に手が添えられた。
「ちょ、待って、そこばっかり……」
「何?感じた?」
「……」
気まずそうに目を逸らされる。否定がないということはそういうことだ。リンドウ、分かりやすすぎる。それでも、グッと少しだけ強められた手の圧に免じて一旦頭を上げた。ふと見れば、彼の下腹部から胸にかけて赤い痕が残ってしまっている。露出の少ない季節とはいえ、銭湯にでも行ったらしばらくは恥ずかしい思いをするかもしれない。ごめんねと内心で謝る傍ら、ここまで跡が残ってるなら何しても同じじゃん、と居直った思考が身体を勝手に動かした。馬乗りの体勢に向き直り、首筋から鎖骨にかけて軽く触れて撫で下ろす。一昨日切り揃えたばかりの爪の切っ先でカリカリと軽く皮膚を掻く。怯えたようにクッと息を呑む音が喉元で鳴った。
「まてって、フレット……っ」
「なに」
一度手を止めて待ってやったが、肝心の拒絶の言葉はいつまでも出てこなかった。代わりに縋るような眼差しでじっとこちらを見上げているばかり。焦れったい。こちらから察して辞めてやるのを期待しているのかもしれないが、そういうところが昔から甘いのだ。ハッキリ言葉にされるまで止めてやらない。第一好きにして良いと言ったのはリンドウの方だし。
「リンドウ……嫌ならちゃんと嫌って言わないといつまでも終わんないよ?」
「……」
もう片方の乳首の辺りを圧すように掌を添えてやる。リンドウはギュッと目を瞑って、しかし何も言わずに耐えていた。ふるふると首を振っている。たまにこの子が何を考えているのか本当に分からなくなる。
「だから言わなきゃ本当に続けちゃうけど?」
挑発でもあり、執行猶予でもある。今言えば逃してあげる、と。それなのにリンドウはフゥと小さく息をつき、しっかりと俺に目を合わせて言った。
「待ってって言っただけ」
「……はい?」
「いいよ……やってみれば?」
「えー……?」
そう言って、口許を引き揚げて薄い笑みを浮かべていた。余裕を見せようとしてるなら、残念ながら超遠い。その童顔じゃガキが強がってるようにしか見えない。しかしそれがとてもそそられる部分でもある。
「何言ってんの……誘ってる?」
「何を?」
「何をって……」
紅潮した頬、少し潤んだ瞳。あどけない顔に不釣り合いな怪しい微笑。固めていたはずのフレームが崩されていくような感覚に目眩を覚える。少しテンポを上げた電子音楽のビートが鼓動を後押ししている。
「したいようにしてみろよ、俺邪魔しないから」
「ホントにやっちゃうけど?」
「いいよフレットだし」
「あ、言ったね?」
誘われるに従って触れようと伸ばした手首が掴まれ、迎え入れるように軽く引き入れられた。グ、と喉が鳴る。生意気なことに、この状況下でなお「俺なら大丈夫」とか思っているのだろう。全然大丈夫じゃない。今だって腹の奥で人食いライオンみたいな欲望がグルグルと渦を巻いてる。それなのにリンドウは全くわかってくれてない。ーじゃあ後悔させてあげる。どこまでも考えが甘い酔っ払いくんに、“飲み過ぎは良くない”ってちゃんと教えてやろう。
狂わされた脳でそんなことをぐるぐる考えていた。
その辺りからどうも記憶が薄い。なんかしたような気もするししなかったような気もする。
寒さで目を覚ますと俺は寝袋の上に布団もかけずに横たわり、リンドウはベッドの上で盛大に毛布を跳ね飛ばしていた。曝け出された首元を隠すように引き上げてやると、無意識なのか、うーんと呻いてゴソゴソと身動ぎをした。
夢だろうか。
夢だとしたら、どこから……?
窓のブラインドを開く。すでに太陽はだいぶ高い位置に上っている。リンドウが起きだすバサリとした音がして、振り返ると彼はベッドに腰掛けて目を擦っていた。どうもまだエンジンがかかりきっていないらしい、半目のままで話しかけてくる。
「……昨日、何したっけ」微かに掠れた声。
「えーっと?酒飲んでゲームしてた」そこまでは、確実に本当。
「その後」
「何かした?」
というより俺何かやらかした?
「何かって何だよ」
訝しそうにこちらを睨んでいるが、特に身体が痛いとかそういう様子は窺えない。最悪の事態は避けられているようだ。よしよし大丈夫。
「何かね?わからん」
そう誤魔化し、痛む頭を抱えて周りを見渡す。一部が倒れて少し水滴を漏らしているアルコールの缶、微かにだけ食べ残しがある木皿と銀色の内装を剥き出しにしたポテチの空袋。気になるのは、ベッドの上に畳んで・丸まって意味深に散らばっているティッシュ。半分ほど残った状態で放置されている蜂蜜ローション。トドメに、リンドウの鎖骨のあたりから腹部まで残る赤い歯型のようなナニカ。覚えていないが何かは実施した……のだろう。それくらい覚えておけよ!と自省する。リンドウも不機嫌そうに頭を押さえている。
「……だから飲み会とかあんま飲まないようにしてる」
「うん、正しい判断だと思う」
俺相手でもやめた方いーかもね、という誠実な嗜めが浮かんだが、わざわざ言わなくても良いじゃん、という声がそれを打ち消す。天使と悪魔は脳内で3秒間争ったが、悪魔のドロップキックで天使は敢えなく場外に消しとんだ。
「……ま、そのうちまた宅飲みしよっか?」
「そのうちな」
この調子では次の飲み会の様子も大体見えきっている。次こそは酒をセーブして真面目な話を……できたら良いけれど、どうせまた前後不覚になるまで暴走して二人で沈没コースだろう。いやむしろそれで済めばまだマシかもしれない。今回はダル絡みと寝落ち+アルファで済んでるっぽいけど、次あんな姿を見せられて平常心でいる自信は全くない。もっとひどい事故に発展する可能性は大いにありそうだ。
「次は何かちゃんと料理しよ」
「おまえ料理できんの?」
「人並みには?それに鍋とかなら簡単っしょ?」
今回はピザと乾き物とストロングというチョイスが悪かったのだ。多分。いやきっとそう。せめて次はちゃんと料理を用意して、日本酒会なりワイン会なりカクテル会なりお上品にいこう。
「まぁ何でもいいけどさ」
「……リンドウ 、サー飲みとかホントあんま飲み過ぎんなよ?」
変な女の子に捕まったり、最悪同性でもいいようにされそうだから。そんな友人としての心配を知ってか知らずか、リンドウはとぼけた表情のまま言った。
「だからセーブしてるって言ってるじゃん」
「なら良いんですけどね」
甘え上戸を見せるのは俺だけにしといてねマジで。内心だけでそう呟く。撫でてやろうと伸ばした手は、いや何、と不機嫌そうな顔で敢えなく払い退けられた。