誰の子? 2※注意※
○計算を間違えてしまい、計算し直したら、話の開始時期が十月初旬ではなく、八月中旬辺りでした。
一話目はどこかのタイミングで直します。変なところあるかと思いますが、ふわーっと読んでいただければと思います。
・司くんが身篭っております。
・類司が付き合ってません。
間違いが多々あるかと思いますが、ふわーっと雰囲気で読み流しでください。
ーーー
「んむ……」
「おはよ、司くん」
「………あぁ、…ぉはよ…」
ふわふわのブランケットの暖かさと、落ち着く匂い。頭を撫でられる心地良さに、もう一度目を瞑りかけた。まだ眠たい。もう少し、と呟きかけたオレの肩に、そっと手が添えられる。
「ふふ、それなら、もう少し眠ろうか」
どこか笑っているかのような御機嫌な声に頷いて、意識を手放した。
―――
(類視点)
「あ、お兄ちゃん、おはよう!」
「あぁ、おはよう、咲希」
「おはよう、司くん」
「…………何故 類がいるんだ…」
階段をゆっくりと降りてきた司くんが、じとりと僕を見てくる。そんな彼にひらひらと手を振って、ソファーの隣をぽんぽんと叩いて見せた。
相変わらず変な顔をする司くんは、数秒何かを考えてからリビングを出ていってしまう。どこからか水の音がするので、きっと洗面所に行ったのだろう。咲希くんとお茶を飲んで待っていれば、数分後リビングの扉が開いて司くんが戻ってくる。真っ直ぐ僕の隣まで来て座る彼に、待ってましたとブランケットを掛けた。
「寒くないかい? 温かいお茶でも飲んで暖まると良いよ」
「………………」
「肩を冷やすのも良くないから、これを羽織って。僕のも使うかい?」
「…………………………過保護過ぎんか…?」
自分で出来るのだが、と小さく呟いた司くんの言葉は聞こえないフリをして、細い肩に上着を羽織らせる。お湯で割った麦茶も手渡して、お腹や足を冷やさないようブランケットの上から膝掛けもかける。クッションも彼の傍に置けば、大分楽になるだろう。心なしか司くんの頬も、先程より赤くなっている気がする。そんな彼の隣に座り直し、ニコニコと笑顔を向けた。
「今日は病院に検診に行く日だったよね。付き添うから、一緒に行こう」
「……まさか、それで朝早くから来ていたのか…」
「司くんを一人で行かせるのは心配だからね」
「子どもでは無いのだから、心配要らないんだが…」
面倒くさそうな顔をする司くんが溜息を吐く。
そんな彼がゆっくりお茶を飲む姿を見て、スマホに目を向けた。病院はここから少し距離がある。途中で体調が悪くなっては大変なので、今日は置いて行かれないよう朝早くに家を出た。顔色は以前より随分と良い。最近はよく眠れている様だと、咲希くんも言っていた。つわりも大分落ち着いた様で、食事量も少しだけど増えたそうだ。
にこにこと司くんの様子を見ていれば、ちら、と彼がこちらを見る。その顔がむす、としたものに変わり、すぐに顔が逸らされてしまった。
「………じろじろと見るな…」
「あぁ、それはすまなかったね」
「……病院に行くのは、午後の予定だ。オレが家を出る時間に合わせて、もう一度来ればいいだろ…」
「せっかくだから、今日は一日君の隣にいるよ」
「は…?」と言わんばかりに顔を顰めた司くんに、へらりと笑って返す。一人にしたら、彼はすぐに無理をする。それを知っていて、一人になんてさせてはおけない。休憩はいつだって必要だ。無理をしないよう、僕が隣で見守らないと。
何か言いたそうに口をはく、はく、とさせる司くんが、諦めた様に溜息を吐く。そんな彼にほんの少し体を寄せて、用意していた話題を振った。
―――
(司side)
『好きなんだ』
『んぇ……』
不意に聞こえた予想もしてない言葉に顔を上げると、赤く染まった顔で、じっ、とオレの方を見ていた。そういう顔を、するのだな。まだ見た事のない顔に、喉が小さく音を鳴らす。
驚きで黙ってしまっていたせいか、“聞こえなかった”と判断されたのだろう。床についていた手に、一回り大きな手が重ねられた。
『好き、だよ』
『っ、……ぁ、…』
『…恋人に、なってほしい』
じわぁ、と顔が熱くなって、視線が泳ぐ。いつもより近い距離でそんな事を言われて、心臓が煩いほど鼓動する。低い声で名を呼ばれて、ゾクッ、と背筋が震えた。
黙ってオレの返事を待つその顔を ちら、と見て、そっと頷く。
『………オレも、好きだ…』
『……本当に…?』
『ん………、ぉわっ…?!』
もう一度頷いた瞬間、正面から勢いよく抱き締められた。ガタッ、と足がテーブルに当たって、大きな音がする。幸い、グラスや食器は無事のようだった。潰れそうな程強く抱き締められ、苦しさに大きな背を叩けば、頬に何かが落ちてくる。ぱた、ぱた、と濡れた様な感触に顔を上げると、綺麗な瞳から涙が溢れるのが見えた。
『…っ、う、れしぃ……、ありがとうっ…』
『………ぉ、大袈裟な奴だな…』
普段の余裕はどこへ行ったんだ。ぼろぼろと子どものように泣き出すのを見兼ねて、袖で目元を拭った。ふは、と笑いが溢れて くすくすと笑えば、ムッとした顔をされる。
頬に手が添えられて、気付いた時には唇が重なっていた。触れるだけのキスは直ぐに離されて、不安げに顔を覗かれる。オレが拒まないかと、心配になったのだろう。
それが堪らなく愛おしくて、今度はオレから唇を重ねた。
『…ん、……』
指と指を絡めるように手を繋いで、何度も唇を重ね合わせる。顔が、どんどん熱くなっていった。否、顔だけではなく、身体も熱い。ただ唇を重ねるだけだというのに、息が乱れて、変な気分になっていく。ぼやける視界に映る赤い唇を、ゆっくりと妖艶に舌先が撫でる。ゾクゾクッ、と腰が痺れて、口を開きかけたオレの唇が、もう一度塞がれた。
『………んぅ…』
ずっと想っていた相手から求められる幸せに、ぼろぼろと涙が溢れ落ちる。
確かに幸せだった。『好きだ』という言葉に『好き』が返ってくる。泣く程喜ぶ姿に、オレも堪らず涙が溢れて、繋ぐ手が熱くて、触れ方が優しくて、愛おしいと表情で示されて、幸せだった。
『好きだ』と返して、あんなにも嬉しそうに泣いてくれるなら、子を孕んだらどれだけ泣いてくれるだろうか、と、行為の最中にそんな事を思う程には、浮かれていたのかもしれん。幸せそうなその顔を見る為なら、何だってしてやりたいと、そう思う程に。
そうしてそれが全て“オレの夢”だったのだと気付いたのは、翌日の朝だった。
「…ん……」
「……司くん…」
「………………る、ぃ…?」
体が揺すられる感覚で、意識がふわふわと浮上する。
目を開ければ、藤色の髪がぼやける視界に映った。頭を撫でられる心地良さを何となく感じながら、瞬きを数回繰り返す。また、“夢”を見たのか。
そっと目を瞑って息を吐くと、心配そうに類がオレの頬に触れた。
「そろそろ、時間だよ。起きれるかい?」
「…大丈夫だ。もう起きる」
「そう。無理はしないようにね」
「…………」
オレを気遣う類の声に、眉を顰める。
何故、類はここまでオレの為に時間を費やすのだろうか。何故、そんな風に優しい顔をするのだろうか。
何故、あんな風に二度も怒鳴って逃げ出したオレを、気遣えるんだ。
(………馬鹿類…)
心の中で悪態をついて、ゆっくりと体を起こした。
―――
(類side)
「ふふ、そろそろ僕らが呼ばれるかな?」
「……………今日は、随分と楽しそうだな…」
「勿論。今日の検診で、どちらか分かるんだよね?」
「………そうだが…、何故類がそれを楽しみにしているんだ…」
病院の待合室で司くんと並んで順番を待つ。
今日の検診では、漸く司くんのお腹の子が男の子なのか女の子なのかが分かるらしい。前回の検診で、『次回の時に性別が分かると思いますよ』と言われてから、ずっと楽しみにしていた。絶対に一緒に行くから、と司くんに何度も念押しし、朝早くから迎えに行くほど待ち望んだ日だ。
朝からずっとにこにこと笑顔でいるせいか、隣にいる司くんはとても複雑そうな顔をしているけれど。
「男の子かな? 女の子かな? 司くんに似るなら、きっとどちらも可愛いだろうね」
「…………そんなに嬉しいものか…?」
「嬉しいよ。大切な仲間である君の子どもなら、僕らの子も同然だからね」
“司くんの子ども”なら、きっと僕にとっても“特別”なものになる。それが例え“僕との子”でなくとも。初めて好きになった彼の子なら、きっと。
性別が分かれば名前も考えられるね、と笑えば、司くんは黙ったまま俯いてしまった。「…そう、か」と小さく呟いて、また変な顔をしている。不服そうな、不機嫌そうな、けれど、どこか不思議そうな、変な顔。
お腹をそっと撫でて黙ってしまった司くんに、首を傾げる。すると、院内のアナウンスで『天馬さん』と名前が呼ばれた。パッ、と顔を上げて立ち上がる司くんの隣に並んで、僕も診察室へ向かう。
指示された診察室に入れば、見慣れた女性がふわりと笑った。
「こんにちは、天馬さん」
「こんにちは」
「ふふ、毎回付き添いして下さるなんて、良い旦那さんですね」
「ありがとうございます」
後ろをついて入った僕を見て、司くんの担当医が微笑ましそうに笑う。それににこりと笑ってお礼を言えば、司くんの隣の席をすすめられた。にこにこと隣に座ると、司くんが怪訝そうな顔でこちらを見てくる。
「……否定せんのか…」
「ふふ」
「……………はぁ…」
笑って誤魔化せば、司くんは諦めたように溜息を吐いて、それ以上何も言わなかった。
毎回検診の度に付き添いをしているからか、僕の顔も覚えられたようだ。更に、妊娠した司くんの付き添いともなれば、彼の相手と間違えられても仕方がない。
初めてそう言われた時に、司くんは何も反応をしなかった。きっと、否定するのも面倒くさかったのかもしれない。あの頃はまだ、彼はつわりが続いていて辛そうだったから。司くんが否定しないなら、僕も否定するつもりはない。
(むしろ、名乗り出ない司くんの想い人の代わりに、僕が彼を幸せにしてあげたいくらいだ…)
きっと、『必要ない』と彼は言うのだろう。それも分かっているから、今は何も言わない。今 彼に告白をしても、頷いてはくれないのだろう。好いた相手との子だからと、一人でも育てる決意を決めた程、彼はまだその相手を想っているのだから。
そんな彼を一人にできる、その相手はどうかしていると思うけれど。
「それでは、ここに横になってくださいね」
「…はい」
「この機械で、お腹の中のお子さんの様子を見ていくので、楽にしていてください」
何度か見た、超音波検査の機械。
目で分かるほど膨らんできた司くんのお腹にタオルがかけられ、担当医が機械を起動させる。こんな機会でもなければ中々見ない機械をじっ、と見つめると、画面に黒い映像が映り出す。黒い映像の中に映る白い影のようなものに、ほんの少し身を乗り出した。
「順調ですね」
担当医の穏やかな声に、司くんが肩の力を抜くのが見えた。前回よりも確かに大きくなった影に、膝に揃えた拳を強く握り締める。機械を動かしながら映像を見る担当医が、小さく「ぁ」と声を零す。パッと映った画面は、見慣れていないせいか、まだよく分からない。
「女の子のようですよ」
「…………女の子…」
画面を見ていた司くんが、担当医の言葉を聞いて小さく呟いた。瞬きも忘れて、いつもより少し目を丸くさせた彼は、そのまま黙って画面を見つめている。キラキラと輝く瞳が綺麗で、どこか嬉しそうな雰囲気の司くんを見て自然と口元が緩む。
その後、担当医からの話も終わり、受付で診察券を受け取って病院を後にした。お腹に手を当てて じっ、と見つめたままの彼を支えながら、来た時と同じ道を戻っていく。表情が、時折変わるのが愛おしい。嬉しそうな顔をしたかと思えば、眉を顰めてなんとも言えない顔をする。けれどまた、その表情がどこか嬉しそうなものに変わる。そんな彼の隣を歩くのは、とても楽しかった。
「ふふ」
「…む、…何がおかしいんだ」
「いや、司くんに似た女の子なら、きっと可愛いのだろうな、と思ってね」
「………オレに似るとは、限らんだろ…」
ふい、と顔を背ける司くんの言葉に、胸の奥がズキッと痛む。あまり考えない様にしていた“父親”の存在を、彼に突き付けられた気がした。これだけ傍に居ても、一切相手が分からない。司くんもあまりその事を口にしてこなかった。
(……父親に似た子が産まれたら、彼は喜ぶのだろうか…)
司くんにここまで想われていながら一切顔を見せないその相手を、彼はいつまで想い続けるのだろう。好いた相手との子だから、と周りの反対を押し切って産む覚悟をした司くんを、ここまで放っておけるその相手を、僕は認めるなんて出来そうにない。もし今更そいつが彼の前に現れたら、僕が正面から立ち向かってみせようじゃないか。
なんて、司くんがそれを望まないのに、僕が出るのはおかしな話だ。
「…………名前も考えないとね。女の子なら、可愛らしい名前が良いだろうから」
「………………類なら、娘になんと名前をつけるんだ…?」
「ぇ…、いきなり聞かれてしまうと、すぐには思い付かないけれど…」
話を切り替えた僕に、彼が不服そうな顔をする。
けれど、すぐに彼も切り替えたようで、小さく息を吐いてそう問いかけられた。子どもの名前を、簡単に決めることは出来ない。画数や想いを込めて名前は決めるものだ。それをいきなり問いかけられても、すぐには浮かんでこない。
むぅ、と顔を顰めて腕を組むと、司くんが僕の方へ体を寄せた。肩が触れ合い、ほんの少し体を預けるように僕に寄りかかる司くんが、小さな声で、「こういうのは、苦手だ」と呟く。珍しい彼の言葉に、目を瞬いた。いつもなら自信満々に面白い名前を考えるだろう彼からは、予想もしていなかった言葉。
そんな司くんに、胸の奥がぎゅ、と締め付けられる様な苦しさを覚える。
「………僕なら、…“愛”、とか、…」
「…随分可愛らしい名前を付けるのだな」
「……愛おしい人との大切な子なら、そんな名前も良いでしょ?」
「………………」
“愛おしい人”との子は、きっとどんな子でも“愛おしい”。それに、“愛”と名付けた子を彼と二人で育てられたら、幸せだろう。彼との…家族の“愛を育む”という意味も含めて、僕ならそんな名前を付けたい。
まぁ、“僕なら”であって、実際に名前をつけるのは司くんだ。彼が真剣に考える名前なら、きっとどんな名前も素敵だろうね。
「そろそろ、子ども服なんかも用意しなければね」
「……気が早くないか…?」
「準備をしておくに越したことはないからね」
「………………」
ふぅん、と小さく呟いて、司くんが顔を背けてしまう。
帰ったら、お昼だろうか。最近肌寒くなってきたので、温かいものを用意した方がいいかもしれない。
そんな事を考えている僕は ふにゃふにゃとした顔をしていたらしく、むぅ、と顔を顰めた司くんに肘で小突かれた。
―――
(司side)
「司くん、階段は危ないから、リビングで寝よう?」
「……いや、オレの部屋は二階なんだが…」
「転んだらどうするんだい」
「ええい、うるさいっ! 子どもではないんだ、流石に過保護過ぎるだろう?!」
というか、お前はいつまでいる気だ。今はもう夜の十時を過ぎたのだぞ。今夜に限って両親は仕事で帰ってこないし、咲希は一歌の家へ泊まりに行ってしまった。当たり前のように居座ってオレの世話を焼く類に、頭を抱える。
ソファーを立ち上がろうとしたオレの肩を押さえる類に顔を顰めれば、困った様に眉を下げられた。『心配だ』と全面的に顔に出ているのが、余計邪険にしづらい。ぐぐぐっ、と類の手を離そうと両手で掴んで力を入れるが、中々離してもらえん。
むぐぅ、と顔を顰めると、類の手から急に力が抜けた。逆に力を入れていた体がガクン、とバランスを崩す。くるりとオレの手首を掴み返され、そのまま腕が引かれれば、体が前のめりに倒れる。それを利用して、そのまま体がソファーへ押し返され、倒されるような形でソファーの上へ横に転がされた。衝撃が少なくなるよう背を腕で支えられた状態で。
あっという間に天井を見上げる形になったオレを見下ろす類は、不安そうな顔をしている。
「最近夜中にトイレに起きるって聞いたよ。気を付けているとは思うけど、その体で夜中に一人で階段を昇り降りするのは危ないよ」
「…………だが…」
「君の御家族も心配しているのだから、産まれるまではリビングで寝よう」
「………………」
普段の類からは想像出来ない手早さで、オレの体へブランケットやら布団やらがかけられていく。クッションで体が痛くないようにされ、更にはソファーから落ちないように大きなマットレスも出てきた。いつの間に準備をしていたのだろうか。いや、先程の類の言葉を聞く限り、事前に咲希達が類に相談したのだろう。その時に準備したという所か。
(……真剣な顔をして、ここまで世話を焼くのか…)
簡易的なベッドの様になったソファーに、口元が緩んでしまいそうになる。それをなんとか引き結んで耐え、与えられた愛用のクッションを抱き締めた。
準備が済んだらしい類が、満足そうに笑うのが視界に映る。その顔をじっ、と見ていれば、オレに気付いた類が、ふわりと微笑んできた。
「痛いところはないかい?」
「……………ない…」
「それは良かった。もしどうしても自室で寝たいと言うなら、僕が泊まり込みで君の補助をすることになるけれど、そちらの方が良いかい?」
「リビングで寝る」
「即答は傷付くじゃないか」
眉尻を下げて泣きそうな顔をする類から顔を背け、ゆっくりと息を吐いた。
泊まり込みは困る。オレの部屋に類がずっと居る、というのは、とても困る。それならば、過保護過ぎるこの扱いを甘んじて受け入れた方がマシだ。
もぞもぞと布団の中で身じろげば、類がオレの頭に手を置いてきた。そっと撫でられて、思わず体がピッ、と固まる。
「ねぇ、司くん。お腹に触れても良いかい…?」
「……好きにすればいい」
「ありがとう」
布団の上へ、そっと類の手が伸ばされる。随分と大きくなった腹をゆっくりと撫でる手に、唇を引き結んだ。
最近、お腹が膨らんで足元が見えづらくなってきた。階段の昇り降りも、確かに少し怖いと思う時がある。だが、リビングをオレが占領するのは家族に申し訳がないので、夜寝る時は二階の自室へ行くようにしていた。それを類に心配されるとは。まして、こんな風に準備までされて、無理に自室に行くとも言えない。
(……………こんな顔をするのか、こいつは…)
布越しにオレの腹を撫でる類の顔を、じっ、と見つめてしまう。普段なら、見ることのなかった顔だ。慈愛に満ちた、なんて例えられる顔。子どもに向ける様な、優しい顔。そんな顔で、丸くなった人の腹を撫でる類が、なんだか不思議に思える。
黙って見るオレに気付いて、その顔がオレへ向けられる。ぱち、と目が合って、慌てて顔を顰めた。
「もう夜も遅いのだから、今日は…」
「そうだね。そろそろお暇しようかな」
「なっ…、こんな時間なのだから、泊まっていけばいいだろう?!」
立ち上がろうとする類の腕を掴むと、不思議そうな顔をされた。
首を傾げて、「良いのかい?」と問い返される。家族の代わりにオレの様子を見に来てくれた類を、こんな夜遅くに追い出せるわけがない。知らない間柄でもないのだから、それくらいは許容できる。幸い、リビングに客用の布団を敷くなり、オレの部屋のベッドを貸すことだって出来るからな。
じっ、とこちらを見る類に、こくん、と一つ頷いて、側にあるクッションを一つ手渡した。
「オレの布団が嫌なら、客人用の物が向こうの部屋に…」
「それなら必要ないよ。ここで十分だからね」
「は…? いや、流石に二人は……」
にこ、と笑う類がのそのそとマットレスの上へ乗り上がってくる。ソファーとぴったりくっつけられたマットレスが弾んで、類が横に寝転がった。慌てて起き上がろうとした体をソファーの方へ押さえられ、類がもう一度布団をオレの上へ掛け直してくる。
「司くんは細いから大丈夫だよ」
「いやいやいや、それは妊夫に言う台詞では無いぞ?!」
「この方が暖かいからね。それに、司くんの寝相が悪くても僕が落ちないように止めてあげるから問題ないよ」
「問題大有りだが」
クッションを枕代わりにして、類がリビングの電気を消してしまう。
一瞬で真っ暗になった視界に、体がピッ、と固くなる。握り締めた手に、柔らかいものが触れた。指先を解かれ、するりと掌へ類の手が滑り込む。
繋がれた手に、息を飲んだ。
「トイレに行く時は、起こしておくれ。付き添うよ」
「………そこまではしなくていい」
「させてよ。僕は君を支える為に居るのだから」
「……」
じわりと伝わる熱も、優しい声音も、薄らと見える柔らかい表情も、全てが夢のようだ。
記憶にある“夢”と似ていて、なんとも言い難い気持ちになる。
繋ぐ手を握り返して、ゆっくりと息を吐き出した。
(………………不毛だなぁ…)
―――
(類side)
「っ〜〜……」
「司くん、大丈夫かい…?」
苦しそうにお腹を押えて前屈みになる司くんの背に手を当てる。浅く呼吸を繰り返す司くんの手を取れば、ぎゅぅ、と強く握り返された。背中をそっと撫でて、気が紛れるように声をかける。
最近、こういうことが増えた。急にお腹が張って、痛み出すそうだ。最初は顔を顰める程度だったのだけれど、日を増す事に頻度が増え、更に痛みも強くなっている。汗の滲む額を袖で拭って、声をかけながら見守る事しか出来ない。ぎゅぅ、と彼の手を握り返せば、司くんが僕の方へ寄りかかってくる。そんな彼の背を撫でて、「頑張れ」と優しく声をかけた。
「……落ち着いてきたかい…?」
「…………、…ん…」
「それなら、少し休もう。このまま寄りかかってくれていいから」
「…すまん……」
肩口で、ゆっくりと息を吐く音が聞こえる。
予定日が近付いてきて、彼の体が準備を始めているのだそうだ。順調に進んでいる。それは分かるけれど、司くんが苦しそうにしているのは、見ていて辛い。痛みを和らげる事が出来ないのが歯痒くて、見守ることしか出来ないのが情けない。少しでも気が休まれば、と肩を貸す事しか出来ない。傍に居ないよりはマシだと一人で勝手に結論付けて、出来る限り隣に居るようにはしているけれど、もっと他に何か力になれる事はないのだろうか。
「……………類…」
「なんだい、司くん」
「………手、を、…握っていては、くれんか…」
「…お易い御用さ」
力の抜けた彼の手を掬うように握れば、先程よりも弱い力で握り返される。じわぁ、と伝わる熱に、唇を引き結んだ。すぐ近くで、すぅ、すぅ、と小さな寝息が聞こえ始める。目の下に薄らと出来た隈に指先でそっと触れて、繋ぐ手を握り返した。ブランケットを引き寄せて彼の肩へかけ、ゆっくりとソファーに寄りかかる。
(……また、夜中に起きることが増えたと言っていたっけ…)
夜はさすがに傍には居られないから、せめて日中だけは支えてあげたい。
ほんの少し皺の寄った眉間を指先で触れて、前髪を軽く払う。ごめんね、と心の中で先に謝って、そっと額に口付けた。今だけだから。これ以上は手を出さないから。友人として、頑張る司くんを応援するから。
痛みが落ち着いたからか、穏やかな寝顔にホッと胸を撫で下ろした。
「……………代わりでも良いから、共に育てるパートナーとして、僕を選んでくれればいいのに…」
小さく呟いた我儘は、誰に聞かれることも無く消えていった。
―――
「類、少し落ち着きなさいよ」
「類くん、深呼吸だよ…! ふっふっ、ふーっ、て!」
「えむ、それ違うから。それに、吐き続けたら倒れちゃうから吸って」
待合室で、寧々とえむくんと三人で並んで座って待つこと数時間。待ち時間が長くなれば長くなる程、心臓が嫌な音を立てて落ち着かない。分娩室には、御家族しか入れないという事なので、僕は待合室で待機となった。一人で待つのが心細くて、寧々に連絡をしたらえむくんと二人で来てくれたのだけど、ずっとこの調子だ。
司くんが、産気付いた。たまたま大学が春休みだったこともあり、朝司くんに会いに行ったらとても苦しそうにしていて、慌てて病院に連れてきた。彼の御家族にも連絡をした。
一緒に分娩室へと助産師さんに言われたけれど、断った。お腹の子の父親は、僕ではない。司くんの恋人でもない。ただの友人の僕には、入る資格がない。
「司くん大丈夫かな、現代の医療なら大丈夫だとは思うけど、妊夫の死亡率は妊婦より高いと言うしもし彼に何かあったら…」
「類、少し落ち着きなって。司なら大丈夫だから」
「それは分かっているけど、でも、今朝もとても苦しそうで……」
「そんなに心配なら、意地張らないで中に入ればよかったじゃん」
はぁ、と呆れたように溜息を吐く寧々に、口を噤む。
大丈夫だと信じているけれど、不安になるものは仕方がない。それに、入らなかったのは、入る資格がないからだ。寧々は簡単に言うけれど、僕は彼に選んでもらえなかったんだ。そんな僕が、御家族と並んで彼の隣に居られるはずがない。
落ち着かない気持ちのまま俯くと、分娩室の扉が開いた。中から微かにあかちゃんの泣き声のようなものが聞こえてきて、ガタッ、と三人一斉に立ち上がる。僕らを見た女性の方が、ふわりと笑った。
「無事に産まれましたよ」
その言葉を聞いて、視界が滲み反射的に駆け出していた。