にょつ。4(司side)
「司様、そろそろ休憩されてはどうっすか?」
「…む……?」
そう声をかけられて、顔を上げる。
相手をしてくれていた彰人は、オレが手を止めたのを見て、小さく息を吐いた。よく周りを見れば、空が暗くなってしまっている。どうやら、かなり長い事剣術の稽古を続けていた様だ。手に持っていた訓練用の剣を側に置いて、タオルで額を拭った。かなり汗をかいていたようだ。喉も乾いていたらしく、使用人に差し出されたグラスの水を一気に飲み干した。
「珍しく気合いが入ってますけど、なんかあったんすか?」
「…あぁ、いや、……もうすぐ、実技テストがあるから…」
「アンタ、いつもぶっちぎりで首席じゃねぇか。それなのにここまでするなんて、今年は化け物でも参加するんすか?」
ドサ、とその場に勢いよく座る彰人の言葉に、ぅ、と言葉が詰まる。
彰人は近衛騎士団の団長をしている。オレに対して少し雑な対応はするが、気の良い奴だ。それになにより剣術が得意で、教わるのは勉強になる。昔からオレに剣術を教えてくれているのは、彰人だ。だからこそ、オレが学院で首席を取っていることも知られている。
視線を逸らしたオレを見て、彰人は何か勘づいたのか、頬杖を付いてにまりと笑う。
「また神代さんちの坊ちゃん絡みっすか?」
「なっ、…?!」
「良いとこ見せて振り向かせたいってんなら、お手伝いしますよ」
「…そ、そういう訳ではないっ……!」
にまにまと笑う彰人に、思わず顔が熱くなる。
オレは類の名前など出していないのに、何故バレたのだろうか。むぐぐ、と顔を顰めて俯かせると、彰人が楽しそうに笑った。
「諦めるって何度も言っていた割に、初恋相手を十何年も想い続けるなんて、姫さんも可愛いとこがありますね」
「だから、違うと言っているではないかっ…! それから、その“姫さん”というのもやめてくれっ!」
「照れなくても良いっすよ」
「照れてなどいないっ…!!」
バシ、バシ、と草の生えた地面を叩きながら、彰人を睨む。が、完全にオレをからかって楽しむ彰人は、もはやオレの声など聞こえていないようだ。
彰人は、オレが女であると知る数少ない臣下の一人だ。だからこそ、剣術の稽古も彰人が一任されているわけで…。更に言うなら、オレが昔類に懸想していた事も知られている。類と喧嘩した日にオレの話を聞いてくれたのも彰人だ。なんなら、ここ最近までの愚痴も全て聞いてくれる、面倒見のいい兄である。
だから、類が関わっているとすぐにバレたのだろうな。
「ふ、振り向かせる、とかではない。あいつの方から、オレと真っ向勝負がしたいと申し出があったというだけで…」
「…へー…、珍しい。姫さんから逃げ回っていたのに、どんな心境の変化ですかね」
「どうせ、オレが女だと知って、からかっているだけだろう」
ふい、と顔を背けて、そう呟く。
類の女好きは今に始まった事では無い。大方オレの反応を楽しんでいるだけなのだろう。もしくは、女であろうとオレがあまり好ましくないから、今回の件で今後関わりを持たないように、と念を押すつもりなんだ。
だが、これはオレにとっても好機である。オレが類に勝てば、なんでも一つ頼み事を聞いてくれるのだから。普段から騎士団長である彰人に稽古をつけてもらっているのだし、オレが類に負けるはずもない。なにせ、類は今までの剣術テストも成績はあまり良くなかったからな。
「あぁ、とうとう知られたんっすね。御愁傷様です」
「む、…なんだ、その憐れんだような顔は」
「いやいや、漸く姫さんの想いが報われそうで安心しただけですよ」
「……何を言っているんだ…?」
オレの言葉に、彰人が生暖かい目を向けてくる。呆れている様な、可哀想にとでも言いたげな、よく分からん表情だ。首を傾げてそんな彰人を見やると、彰人はタオルを脇に置いて立ち上がった。練習用の剣を持ち直して、その場で軽く振る様は騎士団長らしく少しかっこいい。
グラスを使用人に返し、オレも立ち上がると、彰人がへらりと笑った。
「ま、そういう事なら、今回は是非とも姫さんに勝ってもらって、あの坊ちゃんには悔しい思いでもしてもらいますか」
「…………あぁ。すまんが、よろしく頼む」
「全然いいっすよ。面白いんで」
「………………………はぁ…?」
低い声の出たオレに、彰人はけらけらと笑った。
―――
(……昨日は、意気込んでいたのだがな…)
ギッ、と刃が擦れ合う音が鈍く響いて、試験場に集まる生徒達が息を飲むのがわかった。手を抜いているつもりは無い。本気で試合に挑んでいるのに、一向に優勢にならん。否、オレの方がおされている状況だ。重たい一撃を受け止めて流し、すぐに剣の向きを変える。思いっきり振った剣を後ろへ飛び退いて躱した類は、すぐに体勢を立て直し、オレに剣を振り下ろした。それを受け止めきれずに、ぐらりと体が前へ傾く。
「っ…」
倒れる、と覚悟して、強く目を瞑る。が、予想した痛みとは全く違い、柔らかいものに体が受け止められた。肩をそっと掴まれるような感触と、ふわりと香る匂いに目を開ければ、目の前に大きな腕がある。カシャン、と手から実技用の剣がすり抜けて、床に落ちた。首元にひんやりとしたものが触れて、周りがシン、と静まり返る。
「勝者、神代類っ!」
審判を受け持っている教員がそう言いきった瞬間、会場に わっ、と歓声が上がる。
倒れる前に類に支えられ、首元に剣の先が当てられたのだと、遅れて察した。呆然とするオレの体をゆっくり起こして、立たせた類が、目の前でへらりと笑う。
「お疲れ様、天馬くん」
「っ、…」
差し出された手に、下唇を噛む。類の余裕そうな表情も、負けた事も悔しい。必死になっていたオレとは違い、類はまだまだ実力を隠しているようで、その差がもっと悔しい。あんなにも彰人に特訓してもらったというのに。男女の力の差、なんて言葉で終わらせたくない。類の方が、オレより確実に強かった。
盛大な拍手の音も、教師の言葉も頭に入ってこない。黙ったまま立ち止まっているオレの手が不意に引かれ、足が前に出る。ハッ、として顔を上げると、類がオレの手を引いて出口へ向かっていた。
「天馬くんは、やっぱり強いね」
「………お世辞はいらん」
「お世辞なんかではないよ。手を抜いたら負けると感じて、つい本気になってしまったのだから」
「……………」
楽しそうな類の声音に、きゅ、と唇を引き結ぶ。
オレと違って、苦戦する様な表情もしていなかったじゃないか。いつもの余裕そうな顔で、オレの攻撃を簡単に受け止めていた。足の運びが綺麗で、剣の柄を持つ指先も、視線も体の重心の動かし方も全てが熟練した騎士のそれだった。
彰人を相手にしているかのような、気迫があった。
(…不覚にも、類がかっこいいと思ってしまった……)
剣を交えて、全然通用しなくて、それが悔しいのに、全然相手にならない程強い類がかっこ良かった。きっと、他人との試合なら見惚れてしまっていたかもしれない。そんな間抜けな自分を見られたら、類が余計に調子に乗る気がするので、試合相手で良かったのだろう。
正直に言うなら、彰人と試合をする類も見てみたいが…。
「で、どうかな? 天馬くん」
「………む……?」
「おや、僕の話を聞いてくれていなかったのかい?」
「…ぁ、…すまん」
隣で首を傾げる類に、つい素直に謝ってしまった。
頬が熱い気がして、ぱたぱたと手で顔を仰ぎながら、顔をそっと逸らす。試合の時の類の姿が、頭から離れてくれん。
むに、と指で頬を軽く摘むと、肩を落とした類が こほん、と一つ咳払いをする。
「賭けは僕が勝ったから、お願いを一つ聞いてほしいんだ」
「そういえば、そういう約束だったな……」
剣術の試験で類がオレに勝ったら、何でも一つ言う事を聞く、と。今更どんなことを言われようと驚きも傷付きもしない。二度と顔を合わせるな、という願いだって聞き入れてやる。好いた相手との仲を取りもてと言うなら、それも叶えてやる。約束は守るつもりだ。自害しろ、と言われてしまうと、躊躇うが…。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。じっ、と類を見つめたまま黙って類の言葉を待てば、ふわりと微笑まれた。
「次の休日、僕と出掛けてくれないかい?」
「…………………は…?」
「二人きりでデートしよう」
「………は…、ぇ、いや、……え…」
予想もしていなかった言葉に、瞬きすら忘れて固まる。
にこにこと笑顔の類は、「エスコートは任せておくれ」とか「当日は迎えに行くから準備して待っていてくれるかい!」とか次々言っているが、全然頭に入ってこない。それはそうだ。そんな願いを言われるなんて、全く予想していなかったのだから。
ハッ、と漸く我に返り、「待て待て待てっ…!」と類の話を止める。きょとんとした顔でオレを見る類に、出来るだけ顔を顰めて見せた。
「オレは皇太子だぞ。神代と人前で、…で、でー、と、など、出来るはずが……」
「皇太子としてではなく、女性としての天馬くんと出掛けたいんだ」
「っ……、…だが、この髪は目立つだろう…」
「そうだね。けれど、フードで隠せば問題ないよ」
一歩、また一歩、と類がオレと距離を詰めてくる。それに合わせて後退ると、とん、と壁に背が当たった。綺麗な指先が伸ばされて、頬をゆっくりと撫でられる。たったそれだけで、かぁあ、と顔が一気に熱くなった。以前までとは違う、どこか優しい類の瞳に、喉が小さく音を鳴らす。
もう一歩、類がオレとの距離を詰めると、服が擦れるほど近くなってしまった。
「頑張った僕への御褒美だと思って、ね…?」
「…ぅ、うそを言うな…、今まで、手を抜いていたくせに……」
「おや、バレていたのかい? けれど、今回頑張ったのは本当さ。僕の為に着飾ってくれる天馬くんが見たくて、こっそり努力をしたのだから」
類の指が、頬をゆっくり撫でる。その擽ったい様な感覚に、ぞくっ、と背が震えた。耳元へ唇が寄せられ、触れることはせずに態とらしくリップ音をたてる。胸の奥がぎゅ、と苦しくなり、慌てて類の肩を強く押した。甘く痺れたようにそわそわしてしまう耳を手で覆って、類を睨めば、眉尻を下げて苦笑される。
こういう事を他の女性にもしていたのかと思うと、なんというか、腹立たしい。
「…………節操なし…」
「酷いな。お茶に誘う事はあっても、デートに誘ったのは君が初めてだよ」
「煩いっ、そうやって女性なら誰にでも甘い言葉を吐くのだろう? そういう所が大嫌いだっ…!」
「…そう。それでも、約束くらいは守っておくれ」
あっさりとオレから手を離した類が、にこりと笑ってそう言った。気にしていない様な様子に、一層胸の奥がちくちくと痛む。
結局、こいつはオレの反応を楽しんでいるのだろう。他の御令嬢と同じで、簡単に堕ちる様が見たいのだ。女性であるなら、オレでなくとも誰でもいい、と。それが分かっていて、オレがそう簡単に絆されると思うな。今更類に女性扱いされようとも、絶対に類が望むような反応はしてやらない。
なにせ、こっちは幼い頃にフラれてからもずっと、想い続けてきたんだ。
(……類が女性なら誰にでも手を出すと知っているにも関わらず、嫌いになれないのが悔しい…)
今更類に惚れるなんてことはない。ずっと、幼い頃に類と出逢ってから、この想いが揺らいだことすらないのだから。諦めようと胸の奥へ押し込んで、隠し切るつもりでいた。諦めきれなかったこの想いが今も変わらないから、今更類に甘い言葉を言われた程度でオレの態度が変わるはずがない。
口を飛び出した『大嫌い』にも、もう傷付きはしない。
「…負けたのだから、約束は守る。だが、やはり街へ行くのは……」
「君がどうしても嫌なら、室内でも構わないよ。その代わり、女性の君を前にして、手を出さないという保証は出来ないけれど…」
「て、手を出すとはなんだっ…?! は、はは破廉恥なっ…!」
頬を撫でる手が つい、とオレの首筋に線を引く。目を細めた類のいつもより低い声音に、ゾクッ、と背が震えた。
これでも幼い頃からずっと一人を想ってきたのだ。一国の王女としての教育だってされてきた。類にフラれた事も、嫌われていることだって重々承知している、しているが、そういう事を考えた事が無いわけではない。
パッと浮かんでしまった類との甘い情景に、ぶわりと顔が熱くなる。慌てて類の手を払い除けて顔を背ければ、目の前の男がくすくすと笑うのが聞こえた。
「安心しておくれ、結婚するまではキスだけに留めておくから」
「寝言は寝て言え。……約束だから、少しくらいは付き合ってやる」
「おや、キスまでなら受けてくれるのかい?」
「で・か・け・る・なら付き合ってやるっ!」
「残念だねぇ」
態とらしく肩を落とす類を じとりと睨めば、眉を下げて微笑まれた。
こいつの言ってる事は、どこからどこまでが冗談なのか全くわからん。残念と言いつつ、全然残念そうにも見えない。大体、キスまでと言うが、婚約前ではキスだって御法度ではないか。何を考えているのか。
(……少し期待してしまったオレも、どうかしている…)
ふい、と顔を背けて、類に背を向ける。
これ以上類と話をしていたら、ボロが出そうだ。からかわれているのは分かるが、こちらは幼い頃からの初恋をずっと引きづっているのだ。そういう思わせぶりな冗談を言われては、嘘だと分かっていても期待してしまう。勝手に、心が喜んでしまう。素直に求めて、この想いを受け止めてほしいと、願ってしまいたくなる。
そうして類の冗談を真面目に受けとって、また傷付きたくはない。
「お昼頃に迎えに行くから、準備して待っていてね」
「………分かっている…」
後ろから聞こえた類の声は、心做しか嬉しそうに聞こえた。
―――
(類side)
「お待ちしておりました。只今お呼び致しますので、少々お待ちください」
頭を下げて城内に入っていく使用人の後ろ姿を目で見送って、ゆっくり息を吐いた。
軽く自分の姿を確認しながら、今日の予定を思い返す。平民に混じって市井でデートする機会なんて、天馬くんにはあまり経験がないだろう。彼女は昔から好奇心旺盛な所があるので、未体験の事は楽しんでくれるはずだ。つまらなかった、と思われるのではなく、楽しかったと思ってほしい。また僕と出掛けても良いと思ってもらえるくらい、彼女に楽しんでもらいたい。少しで良いから、開いてしまった彼との距離を埋められたら…。
ぐっ、と拳を握って、詰めていた息をゆっくりと吐き出す。そのタイミングで、先程の使用人が扉を開くのが見えた。顔を上げると、黒い外套を纏った天馬くんと目が合った。
「………待たせた…」
「……」
「……神代…?」
「…ぁ、…そんなに待ってはいないから、気にしないでおくれ」
不思議そうに首を傾げた天馬くんに、ハッ、として笑顔を作る。正直、上手く笑えている気がしない。顔が熱くて、とても情けない顔をしているんじゃないだろうか。
皇太子とバレない為か、薄らと化粧をしていて いつもと雰囲気が違う天馬くんに見惚れてしまった。綺麗な金色の髪は緩く巻かれていて、ハーフアップに結えられている。その髪に控え目に付けられた藤色のリボンがまた愛らしい。
幼い頃一目惚れした少女に良く似た姿の天馬くんに、心臓の鼓動が早まるのが分かる。抱き締めてしまいたい衝動を何とか抑え込んで、こほん、と一つ咳払いをした。
「今日の天馬くんは、まるで女神の様に美しいね。つい見惚れてしまったよ」
「………………………そうか。定型的な賛辞に感謝する」
「いやいや、本心だよ」
頭は大丈夫か、と言わんばかりに冷めた目をする天馬くんは、全く信じてくれていないようだ。
昔から女性と仲良くなる為の心得は何度も予習してきたのだけれど、天馬くんにはどうも効果がないのは何故だろうか。人付き合いが苦手だった僕の今までの努力は、天馬くんと仲良くなるために培ったはずなのに。(初恋の子と仲良くなるために努力したのだから、天馬くんの為と言っても過言ではないと思う)他の女性と話す時は問題なかったから、尚のことよく分からない。
女性は褒められるのが嬉しいと聞いたけれど、天馬くんは違うのだろうか。好きな人に接するというのは、難しいな。
「行こうか」
「……………ん…」
天馬くんへ手を差し出せば、一瞬躊躇ってから、僕の手を取ってくれた。
―――
「……」
不意に立ち止まった天馬くんを振り返れば、じっ、と屋台の方を見つめている。その視線の先へ目を向けて、何となく察した。
「あぁ、あれは串焼きだね、食べてみるかい?」
「っ、…ぁ、いや……」
「少し待っていておくれ。結構美味しいんだよ」
「ぇ、あ、…か、神代っ…?!」
露店の並ぶ通りは人の通りが多いけれど、護衛がいるので大丈夫だろう。天馬くんが じっ、と見つめていた屋台に行き、串焼きを二本買った。それを手に持って戻れば、天馬くんがなんとも複雑そうな顔で僕を見る。彼女の護衛は、表情を変えずに黙って周りを見ていて、僕を気にする素振りもない。一国の王女の護衛がそれで良いのだろうか。
「はい、どうぞ」
「………だが、…」
「こういうのを食べてみるのも経験だよ」
「…………」
差し出した串焼きを恐る恐る受け取った天馬くんは、まじまじとそれを見つめている。眉尻をほんの少し下げて、不思議そうに見るその姿がなんとも可愛らしい。
あ、と口を開けて僕が先に食べて見せれば、彼女は じっ、と僕の様子を伺い始める。塩だけで味付けされたものではあるけれど、噛む度に滲み出る肉汁が口いっぱいに広がってとても美味しい。塩気も程よくて、普段食べている料理よりシンプルで食べやすい。
僕が食べるのを見ていた天馬くんが、じっ、と自分の持つ串焼きを見つめてから、小さく口を開けた。かぷ、と噛み付いて、もぐもぐと咀嚼する姿に、ほんの少し緊張してしまう。そんな彼女が、ごくん、と口の中のものを飲み込んでから パッとその顔を上げた。
「っ、これは、とても美味しいなっ…!」
「口に合った様で良かったよ」
「少し熱くて驚いたが、とても美味しいぞ! それに噛む度じゅわって口の中にお肉の味が広がるし、むちむちした食感も悪くない!」
ぱぁ、と表情を綻ばせる天馬くんに、ホッと肩の力を抜く。満足そうにもう一口食べ始めた彼女は、幼い頃に一緒に遊んでいた時と同じ顔をしていた。いつも向けられる社交辞令の様な笑顔ではない。それがとても嬉しくて、つい口元が緩みそうになり、慌てて唇を引き結んだ。誤魔化す様に僕ももう一口食べれば、御機嫌な天馬くんが他の屋台を指差す。
「あっちのお店はなんだ?」
「あれは飲み物のお店だね。林檎を使った飲み物だから、甘くて美味しいよ」
「それも良いな! その隣はなんのお店なんだ?」
「あそこはお菓子だね。クッキーが売っているみたいだよ」
「お菓子…!」
瞳をキラキラとさせる天馬くんがお菓子のお店を見つめるので、つい くす、と笑ってしまった。幼い頃に喧嘩をして以来、こんな風に楽しそうにする天馬くんを見ることはなかった。学院では生徒の模範となる とても真面目な皇太子殿下で、僕に対して常に顔を顰めてばかりいたけれど、今日は全く雰囲気が違う。見た目の話だけではない。どこか幼い子どものような、好奇心旺盛な少女の様で愛らしい。
最後の一口を飲み込んで、天馬くんの方へ手を差し出す。きょとんとする彼女は、僕の手を見てから、その顔を上げた。
「ゴミを捨ててから、あのお店にも行ってみよう」
「…ぁ、……あぁ…」
「捨ててくるから、ここで待っていて」
「…………」
こくん、と頷く彼女から串を受け取って、買ったお店の方へ足を向けた。備え付けられたゴミ袋へそれを捨てて、天馬くんの元へ戻る。彼女の手を引いてお菓子のお店へ向かえば、天馬くんは黙ったまま俯いてしまった。
ちら、と見えた彼女の耳が赤くなっていたので、きっと興奮していたことに気付いて恥ずかしくなってしまったのかもしれない。嫌がられているわけではないことに安堵して、そっと握る手に力を入れた。きゅ、と天馬くんの方から控え目に握り返され、胸の奥が きゅぅ、と音を鳴らす。
(可愛い…)
昔彼女を怒らせてから、天馬くんとこんな風に並んで歩くことなんてなかった。
少し強引ではあったけれど、デートに誘ってみて良かった。楽しそうにしてくれている事も、久しぶりに笑う顔を見れた事も、逃げずに隣にいてくれる事も、とても嬉しい。ついつい緩んでしまう口元を手で押えて、この幸せを噛み締める。もしかしたら、今後もまた彼女をデートに誘ったら、受けてくれるだろうか。その時は、彼女に似合う服も贈りたいな。
ちら、と隣へ目を向ければ、タイミング良く顔を上げた天馬くんと目が合った。彼女は一瞬驚いた様に目を丸くさせ、バツが悪そうに顔を顰めて僕を睨む。
「……何を笑っているんだ…」
「ふふ、君が可愛らしくて、つい ね」
「……………………そうか…」
照れ隠しなのだろう、先程よりも赤くなった顔で睨む天馬くんも可愛らしい。素直に褒めれば、彼女は僕の言葉を聞いてその顔を顰めた。それはもう、今までそんな顔を見た事がないほど、鼻の頭に沢山皺を寄せ、まるで潰れたパンのように くしゃっと。どういう心境の顔なのだろう。小さく返された声も、いつもより低くて素っ気ない。
ふいっ、と顔を背けられてしまっては、よくその顔を見ることも叶わず。
(………嫌われているなぁ…)
分かっていたはずの事実に、また胸の奥をナイフで刺されるような痛みを覚えた。