アメムゲ番外編番外編 とある駄菓子屋店員
草木も人も、多くの店もが眠りにつく丑の刻。煌々と光る巨大な建物が一軒、夜闇の中に佇んでいる。
疎らな街灯と店から漏れ出るぎらぎらとした明かりが、店の駐輪場を寂しく照らす。がらんとしたそこには、一台だけポツンと自転車が置かれている。
大型ディスカウントストアのレジでぼうっと立っている安堂マリオは、あくびを噛み殺した。
レジから見える風景は、いつもと変わらぬお菓子売り場。
その奥にはパンやシリアルなどの食品が所狭しと並べられ、別の方向を見れば携帯電話の充電器やカバー、イヤフォンが陳列されている。どこまでもごちゃごちゃとした店内だが、しかし、目に見える範囲にはただの一人も客がいない。思わず二度目のあくびが出てしまうが、今度は隠す気すら起こらなかった。
暇を持て余しお菓子コーナーのラインナップを漫然と眺めていると、客を追い出すお馴染みのメロディがスピーカーから流れ始めた。どうやら間も無く閉店らしい。腕時計を見ると、長針はちょうど九の位置を指している。
「今日も終わりか」
ーー何も変わらない平凡な一日だったな。
マリオは、退屈そうに独りごちた。
(ああ、でも、今日は駄菓子屋の方に珍しい客が来たっけ)
マリオの口が緩く弧を描く。
安堂マリオの住む家は、祖母の代から続く駄菓子屋だ。昔ながらの店であまり広くはないが駄菓子のラインナップが豊富で、毎日多くの小学生たちが訪れている。マリオはその店で、趣味と実益を兼ねた洋裁をしながら店番をするのが日々の務めだった。
今日も普段と変わらずその店番をしていたのだが、先程訪れた客は小学生でも幼稚園児でも家族連れでもなく、成人男性一人であった。
ーー葛之葉アメヒコ。
マリオの家の隣でカードショップを営む人物である。
もちろん初対面ではないし、何度か店で対応したこともある。威圧感のありそうな風貌の割に一部の子供からは懐かれているようで、渋々と言った形で子供らと一緒に駄菓子を選んでいるところを見かけることもある。しかし今日の彼はいつもとは様子が異なり、やたらと楽しそうにどの菓子にしようかと目を輝かせていたのが印象的だった。
(あれは、まるで少年のようだった)
それを思い出してはふふ、と笑みをこぼしていると、知らない間に来ていたらしい客が、レジにトン、と商品を直置きした。
客に気がつかなかったマリオはいけない、と顔を上げた。
「いらっしゃいま、……あれ」
思わず目を丸くした。
そこにいたのは、今の今まで考えていた人物、その人であったからだ。
「アメヒコ?さっきぶり。こんな時間に、珍しいな」
「あ?マリオか?なんでこんな所に」
困惑の表情を浮かべているアメヒコの額には、玉のような汗が浮かんでいた。息も上がっており、どうやら急いで駆け込んできたようだ。
「私かい?本業だけでは稼ぎが足りなくてね。アルバイトで小銭稼ぎだよ。そちらこそ、こんな時間に汗まで流して何を買いに……」
そう言いながらレジカウンターの上に置かれた品物に視線を移すと、全く予期していなかった商品に度肝を抜かれた。
「……ローション……」
思わずポツリと呟いたマリオの声に、アメヒコは低く呻いた。
「誰にも、何も言わないでくれ」
「こんなこと、誰に言えると言うんだい」
呆れた顔でそう返すと、アメヒコはそれもそうだな、と目を逸らした。
マリオはアメヒコの持ってきたローションを手にした。このストアは大抵のものは揃っているため、美容用のローションももちろん取り扱っている。しかしアメヒコの持ってきたものはいわゆるラブローションと呼ばれるもので、性行為のために用いられるものであった。
そしてアメヒコのこの様子。間違いなく、これからお楽しみということだろう。
しかしローションだけとは、と思ったところでふと気になったことがあり、マリオは口を開いた。
「なあ、アメヒコ。無粋なことを聞くけど、もちろんゴムは持っているんだろうね?」
「……ゴム?」
「コンドームだよ。まさか避妊もせずにやるつもりかい?相手にもよるだろうが、用意だけはしておいた方がいいんじゃないか」
それを聞いたアメヒコは目を泳がせた。どうやらそこまで考えが及んでいなかったらしく、眉間に皺を寄せては逡巡している。
「……どこに置いてあるんだ」
「これがあった所のすぐそばに。あと十分で閉店だから、取ってくるなら急いでもらえるかな」
「わかった」
アメヒコはそう言うと長い足を大きく踏み出し、アダルトコーナーへと歩いていった。一分と経たないうちに戻ってきたアメヒコは、小さな箱をカウンターに置いた。
「おかえり。早かったね」
「ああ、思ったよりわかりやすい場所にあったからな。助かった」
真面目くさった顔でそんなことを言うものだから、マリオは思わずくすりと笑ってしまった。
「どうした?」
「いや、アメヒコも隅におけないな、と思ってね。これまで浮いた話を全く聞かないと思っていたが……そうかそうか」
「別に、そんなんじゃ……頼む、さっさと買わせてくれ」
アメヒコは口元を手で隠しながら、気まずそうにもごもごと呟いている。
「なるほど、お相手を待たせてるわけだ。ふふ、もしかして、さっき買った駄菓子も、その人へのプレゼントだったのかな」
段々と面白くなってきたマリオは、商品のバーコードを読み込みながらアメヒコにそう尋ねた。アメヒコはゴホンゴホンと咳き込んでいる。なんとも珍しい表情をするものだ。見れば耳がほんのりと赤く染まっている。
「だったら、何だ」
「いや?隣人に春が来たなあと喜ばしく思っているだけだよ。あ、お会計二千四百円です」
「……わかった」
照れているのか、拗ねているのか、口をきゅっと結んだアメヒコは財布から五千円札を取り出し、トレーに載せた。先にお釣りとレシートを渡してやる。
アメヒコが釣りを財布にしまっている間に、マリオは茶色い紙袋にローションとコンドームを入れた。しっかりと閉じて、テープで止める。それから黄色い袋にそれを入れ、アメヒコに差し出した。
「お待ちどうさま」
「閉店間際に悪かったな。じゃあ」
「いえいえ、ありがとうございました〜」
アメヒコはそれを聞き終わらないうちに、早足で店の外へと歩いていった。少しもしないうちに、自転車のストッパーを蹴る音が聞こえる。
(そういえば、あのコンドームMサイズだったけど……あの男、ああ見えて意外と普通のサイズなんだな)
そんな下世話なことを考えながら、マリオは閉店作業に取り掛かった。
時計の長針はもうまもなく、真上にさしかかろうとしていた。
「安堂さん、こんにちはー」
「おや?誰かと思えば、アメヒコのところのバイトくんか」
珍しいことは続くものである。
先日のアメヒコとの遭遇から数日経った週末の午後。
今度はアメヒコの店でバイトをするソラが、マリオの駄菓子屋を訪れていた。
「確か、ソラ、と呼ばれていたっけ?」
「はい。北村ソラです」
「合っていたか。いらっしゃい、ソラ。私のこともマリオでいいからね」
「わかりました、マリオさん」
ソラは人懐っこい笑顔を浮かべながら、陳列棚の前でしゃがみこんだ。
「ムゲンさんも入って。どう?何か気になるものある?」
見れば、ソラの後ろにはもう一人、背の高い人物が佇んでいた。
美しい長髪、端正な容姿をしている彼は、濃い色のサングラスで瞳を隠している。もったいないのは、着ている服がジャージとTシャツなところだろうか。きっと彼ならどんな素敵な服も着こなせてしまうだろうに。
マリオの脳裏に、着せてみたいありとあらゆる服が思い浮かぶ。ロココ調のデザインを基調に、男性用にアレンジしたドレスはどうだろう。もちろん、アビ・ア・ラ・フランセーズのように優雅な男性用スーツの揃えも似合うだろう。いずれにせよ、ふんだんにフリルをあしらったデザインが映えそうだ。マリオはうっとりとした表情で、ホゥ、と息を吐いた。
「そうですね、駄菓子はこの前アメヒコから頂いたのが始めてだったのであまり詳しくは無くて。……そういえばアメヒコはきなこ棒とポン菓子が好きだと言っていました。ポン菓子とは、どれのことでしょう」
マリオは、ムゲンと呼ばれた男の話す内容に「ん?」と一瞬にして現実に引き戻された。
(アメヒコ、と言ったな。ん?んん?何かひっかかるような……何だ……?)
「ポン菓子なら、これのことだね」
「にんじん……?ソラ、このにんじんが、ポン菓子なのですか?」
「そうだよ。中に白いつぶつぶが入ってるでしょ。これがポン菓子」
そうなのですね、と感心しきっているムゲンは、そのポン菓子を手にとってはふわりと微笑んだ。
「では、アメヒコへのお土産はこれにしましょうか」
「そうだね。ムゲンさんは、何か食べたいのある?」
「私は、アメヒコからこのポン菓子をわけてもらうことにします」
そう楽しそうに話す二人を盗み見しながら、マリオは手にした裁縫針を握りしめていた。
(もしかして……、あの日アメヒコが待たせていた相手って……しかし、相手は男……、いや、むしろ、男だからこそアレが必要だったとすれば……)
マリオの視線の先のムゲンは、しゃがみこんではきなこ棒を指でつまんでいる。
「ソラ、これもアメヒコに買っていっても良いですか?」
「きなこ棒?いいけど、店長なら自分で買えるんだから、もっと自分の欲しいもの買っていいんだからね」
ソラは呆れ顔でムゲンを見た。一方のムゲンは穏やかな笑みを浮かべている。
「自分の、欲しいもの……は、もう手に入りましたので」
「えっ?」
「あ、いえ。なんでもありません。ソラは、どの駄菓子がお好きなのですか?」
「はぐらかしたね、ムゲンさん。まあいいけど。そうだな、僕は……」
これかな、と金平糖を掴んだソラが、マリオの元へ歩いてくる。
「お会計お願いします。この金平糖と、あとあっちのポン菓子と、きなこ棒も」
「ああ、わかった。ちょっと待ってくれるかい」
マリオは手にしていた洋裁を置くと、ゆっくりとレジへと歩いていった。
ムゲンはキョロキョロと店の中の駄菓子を眺めており、ソラはそれを見ては「今度は新しいお菓子にチャレンジしてみようか」と笑っている。
(しばらくは退屈しなそうだなあ)
マリオはそうほくそ笑みながら、レジの金庫を開いた。
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