「やっとひと段落しましたね」
「ああ、これでとりあえず住める状態にはなったな」
そう言いながら雨彦とクリスは、ビールの缶を開けた。
長らく恋人という関係を続けてきた雨彦とクリスは、紆余曲折の末に二人で生活を共にすることにした。部屋を決め、家具を買い、それぞれに準備を進めて、やっと引っ越しの日を迎えたのが今日のことだ。
引っ越し当日というのは慌ただしいもので、家具の搬入に必要なものの荷解きにと、やらなければいけないことが山ほどある。やっと暮らせる環境が整った頃にはすっかり日が沈み、二人はくたくたになっていた。
せっかくの初日なのだから、何か特別なことがしたい気持ちはあったが、疲れには勝てない。相談の末、結局宅配サービスで好きなだけ料理を頼もうということになった。
小さなスマートフォンの画面を二人で眺めながら、食べたいものを選ぶ時間だって楽しいものだ。あれもこれもと選んでいるうちに、結局食べ切れるかも怪しい量の料理がテーブルに並ぶことになった。
「なんだかパーティーみたいですね」
「新生活のスタート祝いみたいなもんだ。これもパーティーじゃないか?」
「なるほど、そうですね」
頷きながらシーフードピザを齧るクリスは、随分と機嫌が良さそうだ。もちろん雨彦も、浮かれていないといえば嘘になるのだが。
「雨彦、実は二人で暮らせる日が来たなら、やりたいことがたくさんあったんです」
「へえ、聞かせてくれるのかい?」
「ええ、まずはもちろん、一緒にご飯を食べて寝て、一緒に朝を迎えたいです」
これまでの二人にとって、恋人としての時間の制限は大きなものだった。
予定を合わせ、人目を忍んでの逢瀬には、タイムリミットがつきまとう。翌日のことを考えて、その日のうちに別れてしまうことも少なくなかった。
クリスを車で家に送り届けた別れ際、名残惜しそうな表情を見て、帰したくない、連れ帰ってしまいたいと何度思ったかわからない。
でもこれからは、クリスにそんな顔をさせなくていい。もう少しだけと言うこともできずに、クリスの背を見送ることもないのだ。
「一緒にゆっくりテレビを見ながら過ごしてみたいですし、休日の予定を二人で立てたいです。仕事が別々の日には、帰ってくるあなたを迎えたい」
「ああ、全部できるさ」
クリスが挙げてくるのはどれも、ほんのささやかな、でもこれまではできなかったものだ。
これからは全部叶えられるし、叶えてやりたいと思う。クリスの言うやりたいことは、雨彦のやりたいことでもあるのだから。
「それと……この家の中では何も気にすることなく、たくさんあなたに触れたいです」
最後にクリスはそう言って、少し頬を赤らめながら雨彦を見上げた。
この家の中には、何の制限もない。逆に言えば、二人をセーブしてくれるものも何もないということになる。
何も抑えなくていい環境を手に入れてしまったら、どうなってしまうのだろうか。クリスを求めてやまない雨彦は、ちゃんと自分を止められるだろうかと考える。
「お前さんのことを放してやれなくなりそうだ」
「それは私も同じですよ」
そう言って二人は、顔を見合わせて笑った。
「そうだ、明日は雨彦の方が先に家を出ますよね?」
「ああ、俺だけ別の打ち合わせが入っているからな」
「では手始めに、いってらっしゃいのキスでもしてみますか?」
ふふ、と楽しそうにクリスが笑う。
「そりゃあ仕事に気合いが入りそうだ」
こうしてクリスと明日の話ができることを、嬉しいと思う。これからは生活の中にクリスがいてくれるのだということを実感する。
そしてそんな生活は、これからずっと続いていくのだ。