さしも知らじな 燃ゆる思ひを浮葉御門×朝日奈唯
お願いだから、そんな顔で私を見つめないで
何もかもを捨てて、貴女を攫ってしまいたくなるではないですか。
「おやおや、名高いスターライトオーケストラのコンサートミストレスが、こんな遅くに独りでそぞろ歩きとは感心しませんね」
ええ、知っていますよ、貴女が随分前からこの門の前に立って居た事は。
泡沫の夢を奏でるその手が、可哀想な程真っ赤になっている。
「あ、えっと……」
「すみません、意地悪な物言いでしたね……少し暖まって行きませんか、京の夜は冷えますから」
私の言葉にホッとしたような表情を浮かべる貴女は、出会った頃と少しも変わらない。
彼女を客間に通して、二人分の茶を淹れる。
火鉢の炭が赤く弾けて崩れると、彼女は湯飲みに口を付けて湯気の立つ緑茶を啜った。
「今日は使用人達が皆用向きに出ていまして、大したもてなしも出来ず申し訳ありません」
「そんな、こっちが勝手に押し掛けただけなのでお構いなく」
「ふふ、やはり貴女はお優しい……こう言う時、源一郎が居れば茶菓子の一つも用意できたのですが」
ああ、どうにもいけない、やはり貴女と居ると
ほろり、ほろりと、内に秘めたものが零れてしまいそうだ。
「源一郎は、元気でやっていますか」
「はい、皆ともすぐに馴染んで……もうスタオケになくてはならいメンバーです」
「そうですか……それは何より」
ああ、そんな顔をしないで
ほんの僅かな、あまりにも細い縁が、千切れぬ様に、解けぬ様に、懸命に言葉を選ぶその姿は、まるで幼子が親とはぐれまいと必死に縋る様で、
お願いだから、そんな顔で私を見ないで。
「ほら見てください、今宵は月が美しい」
丸窓障子にはめられた硝子越しに、凍てつく月が中庭の池に揺れている。
「貴女も、もう少し近くでご覧になっては如何ですか?」
そう言って誘えば、遠慮がちに貴女は私の隣に座りなおした。
「お寒いのですか、可哀想にこんなに震えてしまって……」
底冷えする寒さに小さく肩を震わす彼女に、頭からすっぽりと羽織っていた着物を被せた。
「あの、浮葉さん?」
「そんな顔をしてはいけませんよ」
今だけは、この一瞬だけは、星も、月も、どうか誰も、私達を見ないでおくれ。
重ねた唇は存外に柔らかくて、驚きのあまりに私を見上げるその瞳は、まるで零れ落ちてしまいそうで、ほんの一瞬、触れただけの温もりはすぐに離れてしまう。
「そんな顔をされては、全てを捨てて貴女を攫ってしまいたくなる」
かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
貴女は知る由もないでしょう、私がどれ程この胸の内に貴方への想いを滾らせているのか
今はまだ、口に出せぬこの想いを知った時、貴女はどんな顔をするのでしょうか。
お願いだから、そんな顔で私を見つめないで
何もかもを捨てて、貴女を攫ってしまいたくなるではないですか。
「おやおや、名高いスターライトオーケストラのコンサートミストレスが、こんな遅くに独りでそぞろ歩きとは感心しませんね」
ええ、知っていますよ、貴女が随分前からこの門の前に立って居た事は。
泡沫の夢を奏でるその手が、可哀想な程真っ赤になっている。
「あ、えっと……」
「すみません、意地悪な物言いでしたね……少し暖まって行きませんか、京の夜は冷えますから」
私の言葉にホッとしたような表情を浮かべる貴女は、出会った頃と少しも変わらない。
彼女を客間に通して、二人分の茶を淹れる。
火鉢の炭が赤く弾けて崩れると、彼女は湯飲みに口を付けて湯気の立つ緑茶を啜った。
「今日は使用人達が皆用向きに出ていまして、大したもてなしも出来ず申し訳ありません」
「そんな、こっちが勝手に押し掛けただけなのでお構いなく」
「ふふ、やはり貴女はお優しい……こう言う時、源一郎が居れば茶菓子の一つも用意できたのですが」
ああ、どうにもいけない、やはり貴女と居ると
ほろり、ほろりと、内に秘めたものが零れてしまいそうだ。
「源一郎は、元気でやっていますか」
「はい、皆ともすぐに馴染んで……もうスタオケになくてはならいメンバーです」
「そうですか……それは何より」
ああ、そんな顔をしないで
ほんの僅かな、あまりにも細い縁が、千切れぬ様に、解けぬ様に、懸命に言葉を選ぶその姿は、まるで幼子が親とはぐれまいと必死に縋る様で、
お願いだから、そんな顔で私を見ないで。
「ほら見てください、今宵は月が美しい」
丸窓障子にはめられた硝子越しに、凍てつく月が中庭の池に揺れている。
「貴女も、もう少し近くでご覧になっては如何ですか?」
そう言って誘えば、遠慮がちに貴女は私の隣に座りなおした。
「お寒いのですか、可哀想にこんなに震えてしまって……」
底冷えする寒さに小さく肩を震わす彼女に、頭からすっぽりと羽織っていた着物を被せた。
「あの、浮葉さん?」
「そんな顔をしてはいけませんよ」
今だけは、この一瞬だけは、星も、月も、どうか誰も、私達を見ないでおくれ。
重ねた唇は存外に柔らかくて、驚きのあまりに私を見上げるその瞳は、まるで零れ落ちてしまいそうで、ほんの一瞬、触れただけの温もりはすぐに離れてしまう。
「そんな顔をされては、全てを捨てて貴女を攫ってしまいたくなる」
かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを
貴女は知る由もないでしょう、私がどれ程この胸の内に貴方への想いを滾らせているのか
今はまだ、口に出せぬこの想いを知った時、貴女はどんな顔をするのでしょうか。
そんな詮無い事が、頭を過ぎると思わず私は自嘲にも似た笑いを零してしまっていた。
─了─