春の嵐一ノ瀬銀河×朝日奈唯
「銀河君、頼まれた楽譜持ってきたよ」
バスのドアを開けて中を覗いても、肝心の銀河君の姿がない。
鍵がささっていないとは言え、車のロックをかけないままどこかに行くなんて
不用心にも程があると言うものだけど銀河君のことだ、きっとカップ麺のお湯を求めて菩提樹寮の台所にでも行っているのだろう。
自分で楽譜を頼んだくせに、本当そう言うところはちっとも変わってない。
いつもふらりと現れて、そして気が付けばふらりとどこかへ行ってしまう
ふわふわと掴みどころのないまるで雲のような存在、それが一ノ瀬銀河と言う人間だ。
「毛布も出しっぱなしにして……」
座席に乱雑に置かれた毛布を畳もうとした時、テーブルの上に散らばった譜面に沢山の注釈が書き加えられていることに気が付いた。
(……これ、今度銀河君と演奏する曲だ)
路上ライブで新しい曲を演奏したいと、何の気なしに呟いた私の言葉に
『お、良いじゃん良いじゃん』
そう二つ返事で頷いた、緊張感のない笑顔が頭をよぎる。
こちらが拍子抜けするくらい、行き当たりばったりなのかと思えば
音楽に向き合う真摯な姿勢は昔とちっとも変ってない。
真っ白な譜面に走る、銀河の少しクセのある文字をしばらく辿っていたら、春の陽気が何やら眠気を誘ってきた。
(あ……銀河君の匂いだ)
太陽の光を浴びて、ふかふかになった毛布にくるまると、なんだかすごく安心してしまって
あっと言う間に私は夢の中へと引きずり込まれていた。
「ったく篠森のお説教のせいで、すっかりラーメンが伸びちまった……」
提出書類の期限だなんだと、旧知の友にこってりと絞り上げられた一ノ瀬銀河は
重い足取りでバスへと戻って来た。
「あ~、たしか鞄に入ってたはず……って」
バスのドアを開けると、そこには毛布にくるまって穏やかに寝息を立てる唯の姿があった。
「はあ……ったく、嫁入り前の娘が無防備にも程があるだろうが」
そう言って、唯の顔の隣に腰を下ろすと白い頬を銀河が指でプニプニと突いた
「ん~~~~」
「お、嫌がってる嫌がってる」
銀河の指が唯の頬にむにゅっとめり込むと、唯は苦悶の表情を浮かべるがそれでも起きる気配はない。
「はは、本当こうやってるとまだまだ子供なんだよな」
自分の毛布にくるまって、安心しきった唯の寝顔に銀河はひどく複雑な表情を浮かべた。
(……んな信用しきった顔見ちまったら、裏切れねえだろうが)
銀河は、思わず口から零れそうになった言葉を寸前で飲み込むと、唯に触れていた手を固く握りしめた。
「ぁ~~、俺もヤキが回っちまったかな?」
そう言いながらガリガリと頭を掻くと、外の空気を吸うために銀河は慌ててバスのドアを開け放つと、春の風が吹き込んで癖の強い銀髪を揺らした。
─了─